『意思を持つ死沼』
静寂、一息を付いて呼吸を整える。肉片がばらばらと落ち、僕とイリス以外に動く物が無くなった。……様に見えるね、一見は。
「早く起きろよ、それとも君の言う『遊戯』って言うのは死んだふりの事なのかな?」
足元を睨みつけ、吐き捨てる。周囲に声が響く。
「ははははっ! コレは手厳しいな」
肉片一つ一つが黒い雲の様に分裂し浮かび上がる。それはよくよく見れば虫の集合体で、それぞれの塊が集合し、更に大きな集団に固まっていく。
そうして、僕の目線の先に、先ほどと寸分変わらないベィの姿が現れた。
「やっぱり正体は群体か。魔法使用能力を持つ無数の虫で体を構成しているから幾らでも切り離しが効き、個別で行動を取ることができる。
この連続殺人を行った少女達は生贄じゃ無い、文字通り君の『手足』だったわけだ」
言葉を切る。全く、ロクでも無い話である。普通であれば不可能な大規模召喚も、触媒兼生贄が爵位持ちの大悪魔の肉片であればそりゃあ成功するだろう。
体を細かくちぎって街中に分散させ、魔法線にすると言った常軌を逸しているとしか思えない行いも、体を自由に切り離せるのなら何の問題も無い。
そして、アイが苦しんだ理由と、不自然な召喚術式もコレで説明できる。おそらくあれは不足してしまった体の部分を応急処置する為に、アイの魔力や体の一部を使ってベィの体を一部、召喚したのだろう。
「外傷を受けた所で、その部位に相当している虫を切り離してしまう事で最低限の損害で済ませることも可能……面倒だなぁ」
「その通り、流石に解り易かったかな?」
ベィが笑うが、僕は笑えない。何せ『粉砕する者』の斬撃と、身体能力による格闘戦はほぼ無効化されることが証明されてしまった。
決定打を与えるには面攻撃……イリスの広範囲攻撃魔法に頼るしかない。
だけど、それもこれから行う事を考えると厳しいよなぁ……。
「さぁて、それにしても、君がこうも簡単に余を……いや失敬、主の顔を真っ二つにするとは思わなかった、もう少し苦悩や迷いの類があるのかと期待したんだがな?」
「冗談はよせよ、僕はそこまで愚かじゃない。ここで君を切り捨てて、死ぬまで後悔し続けるくらいの分別と優先順位の選択ぐらいはできる」
「そうかそうか、成程な」
アイ、いやベィが笑みを浮かべる。ばっくりと三日月な赤い口が顔に刻まれる。
「だとしたら、余ももう少し遊びやすい格好に着替えるとしよう。着飾った所で見て貰えぬでは意味も無い、だとしたらもう少し遊びやすい格好をした方が余も楽しい」
ベィの足元に血の色の陣が広がる。奴が無理矢理結界越しに扉をこじ開け、『自分自身』の召喚を行っている事を僕の体が理解する。
爆発の様な黒の奔流! 地面を覆わん勢いで虫が這い、空を覆わん勢いで虫が飛びあれる。イリスが咄嗟に『排除炎壁』を発動。二人の周囲に逆巻く炎の壁を展開。虫が直接触れないようにする。
飛び込んでいく虫の焦げる匂いが満ち、イリスが顔をしかめるのが見えた。
「さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ! 来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ来たれっ! 地を這う弱者の群れよ! 天舞う弱者の群れよ! 汝の弱さは余が全て肯定する! 群れよ群れよ群れよ! 羨望のままに生きのび、本能のままに喰らい尽くし、欲望のままに増えるが良い! 我らは弱いまま、世界の全てを腐らせ齧る! 腐る世界に恐れる事は無い! 醜い己を恥じる事は無い! 安心し、揺り籠で眠る様に余の胸に寄り掛かるが良い! 寄りかかるのもまた余! 胸を貸したのもまた余! 世界は所詮腐れた死沼! 蠢くは醜き我らのみ!
故に恐れる事は無い! 死ぬも生きるも愛うも犯すも! 全ての罪を分け合おう! 全ての罰を分け合おう! 何故なら、余は世界と言う名の群れなのだから!」
両手を広げ、ベィが唄う。
黒い虫の群れは聖域を黒く犯し、自分自身の呼びかけに応えて群れ集う。黒い渦に呑まれ、アイの形が消えていく。残されるはばっくりと裂けた赤い口のみ。
指差の先から黒雲とアイの体をしたベィが一つになっていく。
飛び交い、溶けあい、舞い踊って、もう一度形を成す。
凄まじく、そして悍ましい光景だった。この小さな虫の一匹一匹がべィ・ルゥ・ジィであり、過去の召喚事件でこいつにされた、哀れな人間なのだ。
予感が確信に変わった。過去に記録されている三度の召喚は、殺戮でも支配でもない。
コミュニティに存在する「虐げる者」と「虐げられる者」に極限の平等、自身との融合を与えるのが、この悪魔なのだ。
「数十万の自分自身! 他社という概念を拒絶した孤独な弱者の王! 願うモノ願われたモノ! その全てを取り込んで蠢く死の沼そのもの、生態系を一つ閉じた世界が貴様か! べィ・ルゥ・ジィ!」
「その通り! 全てに等しさという安息を! 万象を同じ意思の元に共有する我々に、妬みも排斥も不平等も無い!
寄り添う物に安息を! 抗う物に凌辱を! 弱者が望む究極の安息の体現者こそが余! 子爵たる『意思持つ死沼』べィ・ルゥ・ジィである!!」
動けない。今攻撃に魔力と集中力を回せば、その瞬間この雲に呑みこまれる。現に何匹かは防防御術式を纏ってイリスの防壁を突破し、前衛に立つ僕に取り付いている。
ここでこの暗雲に飲まれれば、僕等も晴れて蠅の一匹になる。思考も肉体も、何もかもがこいつに上書きされ、べィ・ルゥ・ジィの体の一部が誕生だ。
その時僕らにできるのは、せいぜい尻の一部にされないように祈ること位である。
不快感を露わにしながら叩き潰し、『粉砕する者』を構えて前を見据える。群れは少しずつ落ち着き、『悪魔:ベィ・ルゥ・ジィ』の全貌が漸く判明する。
そこに居たのは、巨大な蠅。鍵爪の生えた六本の脚を足の内二本で器用に二足歩行している醜悪な生物が、複眼の目でこちらを見ている。
「さて? では踊ろうか? 此の結界から眷族が顔を出すにも、君達が力尽きるにも、まだまだ時間があろう?」
先程と同じ、可愛らしい少女の声で蠅がのたまう。返事の変わりに、僕は足に力を込めて前へっ!




