死沼の底の、真実を
「あーもー無理! 無理無理ムリムリむりむりむーーりーー!」
頭に解熱用の冷却シートを張り付けたイリスが、泣き言と共に机に突っ伏したのを目の端でとらえる。
「うるさいよっ! グダグダしてる暇なんかコンマ一秒だって無いんだ。壁を見てる暇があったらとっととデータを洗う。愚痴を吐くために舌を動かす余裕があるなら、音声検索や発見の報告に回す! 悪いけど、あのクソ虫の居場所を掴むまで休憩なんてないよ!」
首を向ける価値すらないので、目の前の莫大な情報を片っ端からスクロールしつつ、相棒に活を入れる。視界の端で相棒が頭を抱えているのが僅かに映る。
今現在、僕等はこの街に関する莫大なデータを参照し、べィが潜伏しているであろう場所の割り出しに躍起になっていた。
「それにしてもさぁ……ケイ、本当に地下にいるの? アイツ」
完全にグロッキー状態のイリスが愚痴る。こいつは後衛職なのだが、こういうデータの解析や参照が非常に苦手なのである。適材適所という言葉もあるし、普段ならこういう仕事はさせないのだが、今日に限ってはそんな悠長な事言ってる余裕が僕に無い。
「ああ、それは多分間違いない。フードコートで他ならぬ奴自身が言ってたことだ。僕は虫や悪魔が何考えてるかなんて知らないけど、アイツの思考回路が狂ってることだけは解る。
僕らを遠ざけるだけのくだらない嘘や無意味なミスリードはアイツは絶対に使わない。そんなの、興ざめするだけだからね」
あのフードコートであれだけ人の神経を逆なでしまくったのは、単にそれが面白いからだ。
それだけではない。恐ろしい事に奴は『楽しむため』だけにアイを僕らの所に送り付け、『面白がる』ためだけに姿を見せた。僕らが舐められているといばそれまでだが、街中から追われている立場でやることとは思えない狂気の沙汰である。
だとすれば、遊び相手が遊び場所に来ないなんて退屈な展開を、奴が許すはずがない。奴が地下で待っていると言えば、絶対に地下のどこかにいるはずなんだ。
……なんだ、けど。
「だから無理だってぇ! この街の地下って簡単に言うけど! 絶対地上探すほうが楽だよこれ~!」
相棒の悲鳴が全てを物語っている。
ただまぁ……相棒の気持ちも痛いほど解る。他の大都市がそうであるようにキールトゥもその地下は人間の居住空間として、大いに有効活用されている。
企業や商店が使う半地下の倉庫から、地下遊歩道にショッピングモールを内包した地下街なんてのは簡単に調べられるからまだマシな方。その下には地下鉄や高速道路が縦横に通り、古くなった電車の一時保管施設や緊急停止時に歩いて外に出るための歩道。電車の簡易修理施設など、詳しくない僕から見ればもはや迷宮にしか見えない広大な空間が広がっている。
さらには、災害時に街の病院などに電力を供給する簡易発電施設とその管理施設、同じく緊急災害時のシェルターもある、しかもこのシェルター、噂によれば要人用に僕達一般人に場所が隠されている場所まであるらしい。
そして忘れちゃいけないライフライン、街中に水を供給する水道施設と、生活排水を処理し、この町に流れる三つの大河に流す処理施設までもがこの街の地下に埋没している。ついでに言えばギルドが管理する新人の腕試しの場、本物のダンジョンまでもがこの街の地下には存在する。
莫大なデータを睨んでいて思うんだけど、大地震でもあったらこの街は地面の底にでも沈むんじゃないだろうか?
で、現在この大迷宮から一匹の悪魔を探すために奮闘中という訳である。とりあえず初歩の初歩として、ノインちゃんのくれた権限で街の各所にギルドが設置している魔力系のデータを洗ってるけど、当然こんな物に簡単に引っかかってくれる相手ではない。
後は監視カメラとかの映像を調べてるんだけど、前衛の動体視力と集中力を酷使して早送りの画面を睨んでいるのは、頭痛、眼痛との過酷な戦いだった。
泣きたくなると同時に悔しさに奥歯を噛みしめる。
あの悪魔のウザったい性格からして、アイツが来いと言った以上、僕等が『玉座』とやらにたどり着くためのヒントは、すでに出揃っている筈だ。
それなのに何もできない焦燥がじりじりと胸を焦がす。閉じ切らない傷のように少しずつ時間は出血し、ゆっくりとした終わりの気配の接近に、冷汗が流れる。
「ごめん~~けい、ちょっとでいいから、あたまリフレッシュさせて……」
僕の返事も聞かず、イリスが端末をスリープさせて浮かび上がる。その翼にはいつもの光は無く、頭から煙が出ているような気がしてくるくらい見事なオーバーヒートっぷり。こんな様子を見せられると流石に『仕事しろ』とは言い辛い。
特に僕とは違って彼女の様な後衛術士は頭が資本、酷使しすぎてこの後の戦闘で偏頭痛でも抱えられたら困るなんて物じゃ無い。
「解った……まぁ休憩はしょうがないけど、どこに行く気なのさ?」
「シャワー浴びてくる。ここは断水の被害にあってないし、茹った頭にはそれが一番だし……」
ふらふらと覚束ない足取り……いや羽取りでイリスが外に出る。
僕もいい加減地下のデータを睨み続けるのは嫌になったので……珈琲を一口啜って、一度情報や状況を整理に頭を切り替える。
作業前に淹れたコーヒーはすっかり冷めきっていて、こんな所からも、没頭していた時間の流れを感じさせてくれた。全くありがたくないけど。
「まず、犯人は人体改造を行っていた組織でも、ましてやアイでもなく、べィ・ルゥ・ジィであると断定……すると、目的は」
手段には目的が伴う。あの悪魔が地下にこもることを手段とした以上、その目的が何かあるはずだ。たまに目的と手段が逆の異常者が居るけど、アイツにそれは当てはまらない、アイツは自分でも言っていたが、遊びはするが明確な行動指針を持っている。地下にいるというなら、地下にいなくてはならない明確な意味がある。
「だとしたら、悪魔の目的は何だ」
悪魔の行動指針は解りやすい。殆どの場合は、こちらの世界での完全復活か、契約者との契約の完遂だ。
だとしたら召喚用の魔方陣がそこかしこの殺人現場に残されていたことも頷ける……が、疑問が邪魔をし、そこから先に進めない。
「術式に拘束や契約の条件付けの効力を含むものが含まれていない理由は分かった。……けど、本業の悪魔が、何で中途半端な召喚陣を残す? 実験施設の壊滅から今日まで、準備に年単位の時間を要してる。その行きつく先がこんな間抜けで中途半端な物のハズが無い」
そこで思考をいったん破棄。この職業をしてて痛いほど感じたことだが、僕程度の脳味噌では固執してても良い答えは全く出てこない。詰まったらすぐに思考を切り替え、別の方向での可能性を模索する。
他の可能性は契約だ。
アイの自己主張がないためとてもそうは見えないが、べィはアイを主と認め、行動している。それはフードコートでの様子を見ても明らかだ。
おそらくは僕の行った暴走召喚が終了したとき、唯一現場で生きていたアイと契約したのだろう。
と、いう事はアイとの契約上であれを行っていた可能性がある。でも、アイが連続殺人を望む理由が無い。
べィ・ルゥ・ズィのデータをもう一度表示。悪魔の特徴を確認。数少ない過去の出現歴、厄災の範囲、判明している被害者の死因に、一つずつ目を通す。
元々ロクな資料は残っていなかったけど、その中でも少ない情報に僕の目が釘付けになった。
……って、オイ。
恐ろしい事実に行き当たる。そう言えば、さっきラッセルとの話にもそれはあった。
あの施設でのアイの様子と、フードコートでの言葉を思い出し、それをこの情報と照らし合わせて仮説を立ててみる。
だんだんと仮説が僕の脳内で組みあがる。その全体像が見えてくるにつれて、奥歯がカチカチとなる音が自分の耳に聞こえてきた。
これがもし仮に当たっていたとすれば、準備が数年単位になった理由に説明がついてしまう。
「これが目的なのかよ……オイ。このクソッタレめ!」
べィのデータを相手に毒づく。街の魔道猟兵とか、そんなチャチな話じゃ無い。僕の予想が正しいなら、軍の部隊が来ても規模が足りないかもしれない。
「ただ、この目的に伴い、地下に潜らなければならない手段が……」
考え込む僕の耳元に、イリスがシャワーを浴びる水音が聞こえてくる。
「……水?」
そう言えばあの日、悪魔の出現したイリスのいる地区が断水した。
そして、べィが術式完成と、その脳に刻まれている知識を利用するために生かしていたであろう施設重役を処分し、捨てた場所は確か下水処理施設だ。
やばい気がする。絶望的にやばい予感がする。
ノインちゃんから貰ったデータを確認。ある場所の地図を立体で呼び出す。そこからさらに街を流れる川のデータを重ね。浄水施設とその点検の為に使われている施設のデータをすべて照合。最後に殺人事件の起こった現場を表示する。
「畜生……冗談じゃない。でも、これならあいつの目標も完遂できる」
繋がった。本当に正しいのかは解らない。だけど全ての糸が、少なくとも僕の考えられる中では最も綺麗に編みあがった。
思わず走り出す。アイツのおかげで、こんな僕にも全体像がようやく見えた!
「イリスーーッ! 見えた! 見えたよ! アイツの居場所も! 目的も! 多分これが真相だ! キミのおかげだ! 良くシャワーを浴びようって思ってくれたね! 最高だ!」
ここ数年なかったほどに、脳内で興奮物質が出まくってる! 興奮そのままに走った僕が飛び込んだのは、小さなバスルームだ。
ああもうとにかくこの喜びと真相を相棒に伝えたい! 状況が好転した訳じゃない、むしろ真実は僕らの思っていた物より十倍以上悪い物だけど、それでもこの大きな進展が嬉しくて仕方が無い!
踏み込んだ小さな部屋の中。
前髪から透明な滴を垂らした天使人の少女は、超ハイテンションな僕とは正反対に、極めて冷静。
ゴミを見るような目で突然の闖入者である僕を睨んで、一言。
「とりあえず、頭冷やしてここから出てってくれないかな?」
直後、頭から冷水をぶっかけられた。冷却された脳味噌が、イリスが細いけど均整がとれた全裸を晒している事を理解する。
「……ああうんゴメン。僕もちょっと興奮と疲れで、あっちゃいけないテンションだった、忘れていいよ」
冷静になった所で、相棒に誠意ある謝罪。
しかし、それも意味をなさなかったようで、薄い胸を隠す相棒の手が怒りにわなわな震えている。古来より、人間の誠意というモノはどうしてこうも伝わりにくいのだろうか?
「だから出てけっつってんだよこのバカ!」
シャワーヘッドヌンチャクを一撃後頭部に食らいながらもシャワールームから撤退。
頭に登った血と興奮を強制的にキャンセルされた僕の頭にあったのは、
『いつもパンツが見えても気にしない……というか普段から短いスカートばっかり履
いて空中飛行してるような奴でも、全裸は流石に恥ずかしいのか』
……という、非常にどうでも良い新発見だった。




