何とも残念で格好悪い、『僕』の物語
二人が去った後。口を開く気すら失せて、僕はずっと天井を見つめていた。
近くでなんとなく居心地悪そうにしていたイリスが、沈黙に耐えかねたのか口を開く。
「『お友達だから』……かぁ、いやぁ、ノインちゃんも卑怯だよねぇ、ケイ」
「……ああ、そうだね」
視線を動かさずに答える。正直それすら億劫な位だったんだけど、この状況で無視して、さらにこいつにぎゃーぎゃー言われるのはもっと億劫だ。
「……どうするの? ケイ」
イリスが大きな瞳でこちらをじっと見つめる。
答えたくない、答えたくないけど……組んでいる以上、言葉にはしないといけないだろう。
「残酷なことを聞いてくれるね? イリス」
「……………………ごめん」
棘のある僕の言葉に小さな謝罪を返してから、イリスが沈黙する。
解ってる、解ってるさ!
イリスだって僕に現実を突きつけるためにこんな質問をした訳じゃ無い。
だけど、希望を持とうと考えれば考えるほど、重苦しい現実が僕の心に伸し掛かってくる。
「でも、どうしろっていうんだよ……」
街の魔道猟兵はほぼ動かず、ギルドも沈黙を決めた。明日の今頃には軍がこの町を戦場に変えるというのに、僕にアイがどこにいるのかのヒントすら無い。しかも、肝心のアイすら悪魔に心を許し、僕に対して協力してくれるとは思えないと来ている。
もう、僕にできるのは時間切れを待つだけだ。僕がすべてを終わらせるには短すぎる二十四時間という猶予は、何もできないと諦観し、現実を受け止めるには長すぎる。
再び思いため息が漏れる。そんな僕の耳朶を、相棒の小さな言葉が打った。
「ねぇケイ、キミはどうしたいの?」
悪戯っぽい言葉。
……この相棒は、本当に最悪だ。
いつだってこう。
人の本当に暴かれたくないところにズカズカと入り込んでいくる。
顔を上げた。イリスが僕の方を真っ直ぐに見詰めているのが目に映る。大きな瞳は心配そうだったが、それでも口元には優しげな微笑みが浮かんでいた。
本当に嫌な相棒だ。いつだってこいつは、他人が逃げちゃいけない選択肢、向き合わなきゃいけない痕に、その目を向けさせるのだ。
でも、まだ答えが出てこない。結局のところ、僕はあることを恐れている。
「君にここまで言われなきゃいけないなんてね。そんなに酷い顔をしてたかな? 僕は」
だから、答える代わりに笑みを向けた。当然こんな付け焼刃で敵うはずもなく、相棒はまだ心配そうだ。
「うん、ガラにも無く震えてたしね……やっぱり、彼女を助けたいんだよね?」
「ああ……それは間違いじゃない。けど、あの時……フードコートで拒絶されたのが、どうしても心に刺さっててね」
カッコ悪い言葉が、意思とは裏腹に口から洩れる。
僕がべィを倒すことはアイを救う事にはならないと、あの時ハッキリ解ってしまった。その事実が僕の胸を絞めつけていた。
つまるところ、この街で大量殺人を引き起こした悪魔は、アイにとっては自分を救ってくれた『友達』……すなわち、あの時の僕と同じ存在なのだ。
それを異常と言えるのは、何も知らない人間だけ。
だってそうだろう? 『ヒト』という生き物が彼女に全く優しくなかったあの場所で、悪魔と僕の何が違う?
だから、これから僕達が守ろうとして行う事は、彼女からもう一度大切なものを奪う行為に他ならない。
そして、それに依存して今まで生きてきた彼女にとって、その喪失はどれほどの痛みになるかは、一度光を浴びた僕等では、もはや想像することもできない程なんだ。
結局、僕は約束を守れないんだなぁとしみじみと思う。……でも。
「……………」
僕の口から言葉が止まる。なぜなら、ここから先の言葉はまだ僕でさえ持っていなかった。
長い沈黙。まだ答えを出せない僕に、イリスが問いかける。
「……ねぇ、ケイ」
「何だい?」
「一つだけ、聞かせて貰って良いかな?」
「質問? その内容にもよるね」
困ったような、ためらうような視線の後に、イリスの言葉が続く。
「やっぱりわたし、ケイとアイちゃんに何があったのか、ちょっと教えてほしいなって思って」
普段の彼女からは想像もつかない遠慮がちな言葉からは、彼女の中の葛藤がにじみ出ていた。
僕が即答できないでいると、イリスが慌てて言葉を並べ、沈黙を埋め立てた。
「ああいやそのね! いっつもひねくれてて嫌味っぽくて面倒くさがりのケイがいろんな所に手を回して、頼み込んで、今もこんなに必死に悩んでる所見てたらさ、何があったのかなって、気になっちゃって。
うん! ゴメン! 何でも無い! デリカシー無いこと言っちゃった! 何でモヤモヤしてるっていうか、こんな聞いちゃいけない様な事気にかけてるんだろ、わたし……ホントごめん! 忘れて良いから! むしろ忘れて!!」
あーもーと、イリスが顔を真っ赤にして頬を両手で押さえる。なっさけない顔だなぁ……数秒前までのシリアスモードをどこにやっちゃったんだよ?
でも、そんなイリスを見ていたら、自分でも理由は解らないけど唇から笑みが漏れた。
もしかしたら、イリスも僕と同じで、自分でもどんな事を喋ったら良いのか心の整理が付いていないのかもしれないね。
「あれ。何笑ってるの? もしかしてケイ、怒ってない?」
まだ赤い顔で、イリスが上目づかいに聞いてくる。
「僕が『K』彼女が『I』……コレはそれぞれアルファベットに由来する唯の実験番号で、本当は名前ですら無かったんだよね」
応える代りに、答えてみた。イリスが、『へ』と間の抜けた声を出す。
話すのは少しだけ怖い。だけど、僕なりの信用の証として口を開く。こんな事でしか信用も信頼も感謝も誠意も形に出来ないって言うのは、なんというかちょっとだけ癪だ。
だけど、こうでもしないと、ここまでずっと真摯に僕らを心配してくれた相棒に顔向けできないし、何より何か借りを作るみたいで僕の心が落ち着かない。
仕事仲間位、心中では対等の存在でいたいからね。
「僕とアイはさ、実験施設で買われてたマウスの一匹だったんだ」
僕が何を喋っているのかを理解して、イリスが表情を引き締める。気にせずそのまま続ける。
「酷い所だった……たった三十六文字の実験体区別用アルファベットが全て埋まる日が無い位、『人の命』っていう資源が消費されていく。本当にロクでもない所だった」
語るうちに、無意識に拳を握りしめる。僕は今、どんな顔をしているんだろう? 僕の顔を見たイリスが、自分の右腕で左の袖を掴んでいるのが目に映る。
「もともと僕は外から浚われてきた人間だったからね、そこが異常だって事はすぐに解った。
……正直言って、怖かった。怖くて怖くてたまらなかった。どうすれば生き残ることができるのか、いいや、それどころか『人間』としての僕が本当に生きているのかすら解らない。苦痛の中で昼を終えて、自分の中で蠢く『何か』の存在を感じながら眠りに着く。
そんな毎日の中で、僕の心は確実に擦り減って言った」
手が、いや、体が震える。
「結局、僕が人形になるまでそれほどの時間はかからなかった、投薬と改造の影響で、施設に入る前の記憶が殆ど飛んでしまう頃には、僕はもう半分生きているだけの人形だった」
一つ一つが、今でも鮮明に思い出せる。今となっては僕の原初の……最悪の記憶だ。
「そんな中で、何度目かも解らない『殺せ』って言葉と一緒に対面させられたのがアイだった。
……衝撃を受けたよ、自分より幼くて、自分よりももっともっと非道く『使われた』子どもがいたなんて、考えた事も無かった」
体中を走る傷と、内側から裂ける肉、そしてそれを覆う新しい、人外の肉。
死んでしまった目、体に刻まれた魔法陣。正直な話、何で人の形を保てるのだろうかと僕は壊れてしまった心でも疑問に思うくらいに、あの時のアイは酷かった。
「久しぶりに心が弾けた。
それを見た瞬間にさ、他の誰でも無い『僕の心臓の鼓動』を聞いたんだ。
『ああ、この子を助けてあげなくちゃ』っていう、声と一緒にさ。
僕は自分が人間として生き延びる事さえも諦めてたくせに、自分より酷い人生を送っていたであろうアイを見た瞬間、その事さえ忘れたんだ、本当に笑い話だね」
だから、僕はアイに声を掛けた。
その心を繋ぎとめようと、とりとめのない話と、ほんの少しの希望を語った。
「その瞬間に、バラバラになりかけてた僕の心が元に戻ったんだ。僕は……僕の心は、アイに救われた。僕はそのお陰で生き延びることができた」
震える拳を、無理矢理握りこむ事で止める。ぎしりと肉の軋む音が聞こえた。
「だから僕は、約束した……僕じゃ全員は救えない、だから、二人で逃げようって。
……一緒に罪を背負って、分け合ってここから出て行こうって……アイは、僕を信用しきって、笑顔で頷いてくれた。
幸い、内部には僕に協力してくれる人がいた。機会を見計らって、僕用に調整されていたいくつかの薬品と逃亡の切り札、時間稼ぎ用の悪魔を召喚する為の演算装置を渡された。
そして僕らはそのまま逃げようとした。救われなかった僕と同じ『モノ』に追われて、傷ついて、怖くて怖くて……僕は……僕は」
肝心の言葉が出てこない、形にするのを心が嫌がっている。でも、形にしないといけない。
イリスは何も言わない。ここで口を紡ぐのも自由だとその目は言っていたから、先を続ける。
「僕がバカだった……僕の唯一にして最大の間違いがそれだった。僕に手を貸してくれた奴は、僕を利用してるだけだった。死にかけた僕が切った切り札は、暴走することが前提の、中途半端な大悪魔の召喚用だった……」
あの日の光景が蘇る。足りない力を食らおうと、召喚者である僕意外のすべての生き物が食い荒らされた。
血と悲鳴の響き渡る小さな地獄。その中に……僕が巻き込んでしまったアイがいた。
「僕はアイすらも生贄にしてしまった。僕の意識が途切れる最後の瞬間に僕が見たのは、死にかけて、それでも実験でさんざん弄られた体のせいで死にきれず、僕に手を伸ばして『逃げて』と呟くアイだった」
手から血の滴が落ちた。その赤も、僕にあの日を連想させる。
「ありがと、ケイ……でも、もう良いよ」
イリスの声が聞こえる。だけど、優しい言葉とは裏腹に、僕は止まることができなかった。
「そのまま僕は、僕をだました奴にそのまま連れさられて……生体サンプルとして魔術師ギルドに保護された。
ギルドでは驚くくらい人道的な扱いを受けたけど、それでもそのままギルドにいるのが嫌で軍に逃げて、そんな僕を自分の部隊で引き取ってくれた人の言葉で、研究所が何者かに潰された事を聞いたんだ……結局僕は約束を破って、そのまま生き続けた。
軍での生活は楽しくて充実してたけど、何時までもアイの事が離れなかった。
後は君の知ってる通り、オドレイや君と出会って、僕は正式に軍を離れて、結局魔導士ギルドに逆戻りで今に至る。長い道のりだったけど、僕自身は何一つ変われない弱虫のまま。きっと、君やオドレイを助けたのも、心の底にアイの影がちらついたからなんだと思うよ」
「そうか……だから」
イリスが頷いた。僕が話を終える。
「僕のそれほど面白くも無い人生のお話は以上だよ。お題はもう貰ってるから要らない、せいぜいすぐに忘れてくれると嬉しいね」




