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動き出す歯車

 翌朝、僕は事務所の建物屋上に居た。


 何があるか解らないので、何があっても良い様に昨日も三人で事務所に泊りこみを行い、最初の戦闘から換算すれば三日目の朝である。


 夏とはいえ、朝なら幾分かは涼しい。シャツ一枚でならかなりマシに行動できる。

 手に持った『粉砕する者』を振るう。振り下ろしから切り上げ、体を大きく回しながらの回転斬り、薙ぎ払いからの蹴り。基本動作で身体を温めてから型に入る。


 右、左の二段逆袈裟切りから踏み込み、柄での一撃。『鱗削ぎ、御槌』。

 刀身を引きず……ると傷が残って後が面倒なので引きずってる様な気になって地面からの突き上げ、そこからの切り降ろし、『牙』及び『アギト』さらにそこからの派生……はここでは無理なので中止。

 正眼から相手の武器の牽制、そこからねじ込むように突き、引き抜きも兼ねる蹴りで追撃する。『狂螺旋くるわらせん』。


 動き回ってるうちに身体が熱を帯び、汗が飛ぶ。

 心臓の動き、血流、筋肉の軋みを感じる。身体の機能は十全、思った通りに身体が動く。


「おはよっ! 何だかんだで気が立ってるんだね? 朝っぱらから剣の練習なんてさ」


 楽しそうな声、見ると屋上の柵の上によっかかる姿勢でイリスが浮いている。どうやら剣を振り回すのに夢中で、接近に気が付かなかったらしい。


「そうなのかもね、久しぶりに型や剣舞をやった気がするよ」


「やっぱりケイでも心配になる事あるんだ? そんなに不安な相手なの?」


 確かにイリスの言う通りかもしれない。何か、全体像がいまだに見えてこない、着々と蝕まれているような不安で、気が立っているのだろう。


「全く、いつも冷静で厭味ったらしいケイっぽくないなぁ。心配しなくてもだいじょぶだよ、わたしだって手伝うんだし、情報収集もしてるんでしょ?」


 イリスが笑う。確かに今必要なのはそう言う楽観なんだろう。

 にこにこと笑う相棒の顔を見る。僕の脳裏によみがえってくるのは、昨日のイリスの言葉と怒りだ。

 昨日のイリスの言葉は、なんとなくまだ僕の心の中に残っている。


「どしたの? ケイ」


 無言で黙り込んだ僕を心配したのだろう。イリスが声をかけてきた。


「そうだね……考えても仕方が無い、解ってはいるけど何かしてないと不安でね。すぐに下に行くから先に降りててくれる?」


「りょーかーい」


 イリスの体が屋上から落ちていく。それを見送ってから僕も身体の汗を拭き、下に降りる事にする。

 最後の最後、屋上を立ち去ろうとしたその時に、イリスの言葉を思い出す。

 姿の見えない敵、破ってしまった約束を思う。


「……さて、今度は大丈夫かな? 全く、考えてみれば僕も酷い奴だよね、考えてみれば、今の今までアイに『約束』をしていなかった」


 昔、守れなかったから、今度は、約束しない。

 全く、僕らしい卑怯な考え方だと思う。


「そんなんじゃ駄目だよね」


 一人呟いて、気持ちをしっかりと切り替える。まずは朝食、動くのはそれからだ。



 朝食の準備が整い、ニュースを付ける。なんてこと無い、原因不明の断水はいまだ続いていますとかそういう割とどうでも良いニュースが幾つか流れるのを背景に、それぞれトーストと目玉焼きを口に運ぶ。


「でさぁケイ、思うんだけどそろそろフィオナっち辺りと合同捜査するってのはどうかなぁ?」


「ははは、良い事を教えてあげよう。組むメリットの無い相手との合同捜査には『ユウジョウ』とか『アイジョウ』って言う隠しパラメータが必要みたいなんだけど足りると思う?」


「あっはっは、思わない」


 だよねぇ……彼女とはよく仕事で組むんだけどそれだけだし、僕たちが彼女にとって有利になる情報や状況にある訳でも無い。

 しかもこれからどう転ぶか解らないアイというジョーカー付きだ、味方になったと思った人間にアイが殺されてしまう可能性すらある。

 結局、僕達は自分の力でどうにかしなければならない訳だ。


「ケイって、友達……少ないの?」


 トーストを齧りながら、アイが口を挟む。痛い所を付いてくるね、この子。


「ははは、悪かったね、アイ。事実だからこれ以上傷口を抉らないでくれるかなぁ?」


 僕の言葉にアイが首を傾げる。

 そんな彼女に苦笑を浮かべつつ、二枚目のパンにバターを塗りたくる。


「ん? ってケイケイケイ! ニュースニュース! 見て見て見て!」


「何かな、ってどうでも良いけど食べ過ぎじゃない? それ何枚目?」


「ん、イチゴジャムにブルーベリークランベリーキウイにリンゴメロンそれからあんずとドリアンジャムだから八枚目かな?」


「ドリアンジャムがはたして人類の食べるジャムなのかを問いたい所だけど……そんな事よりもそのパン六枚切りだから一食で一斤以上食いつくしたって驚愕の事実に気が付こうね? それとも君の言う神様って暴食を罪に数えて無いの?」


「ってそれどころじゃないよケイ、ニュースニュース!」


「ああそうだった、その話をしてたね」


 漸く画面に目線をやる。そこで表示されていたニュースは、一昨日の一軒、まぐめる本店に悪魔が押し入ったという、連続殺人事件の続報だ。今更報道と言う事は、何とか隠そうとして失敗したんだろうね。

 淡々と読みあげられるニュースをBGMに、警察隊が事件現場となった、ずいぶん風通しの良くなった店内に入る様子が遠巻きに流されている。

 ほぼ二人同時に『術式知覚アーナリー視覚イー』を発動。『一般人向け』の情報と同時に発信されている『魔導猟兵向け』の情報を読み取る。


「問題はここから、って感じだね。魔術師ギルドは今回の悪魔召喚事件を一連の殺人犯と同一と断定……かぁ、ま、そうなるよね」


 イリスが呟く。画面には断定に至った情報のうち、公開できるものが並んでいる。

 あ、重要情報提供者に僕とイリスの名前が出た。


「事件の犯人に対する懸賞金がさらに上がった、ギルド久しぶりの大盤振る舞いだね。そろそろ大手事務所も本格的に動くかな、これは……」


 だとするとマズいな……こっちが情報を持ってることも公開されちゃったし、僕達が持つ情報目当ての連中がすぐにでも来るだろう。


「イリス、今日は事務所を空けて逃げよう。……と、早速フィオナからの情報を発信かよ。コレはさっきは無理だって言った協力の話、持ちかけられるかもしれないね」


 そうだった、すっかり忘れてたけど、考えてもみればフィオナは魔術師である前に善人という人生のハズレクジを持っていたんだった。


「待って! 連続殺人にも続報がある! 下水施設内で作業員を含む大量の死体を発見! 今の所関連性は報道しないが、警察とギルドでは関連性を疑って調査中……か、後で話を聞きにいこう」


 ニュースはそれで終了、後の続報が欲しければギルドに来い、と言う事なのだろう。此方としても、持っている情報をギルドに公表しておかないと、町中の魔道猟兵に追いかけらる羽目になるし、ギルドには早急に顔を出すとしよう。


「とにかく今日は出かける必要があるね。ギルドに顔を出すのもそうだし、もう一つどうしようもない事情がある」


 深刻な表情で僕が言葉を切る。


「ん? 何かあったっけ?」


「ケイ、何かあるの?」


 パンと目玉焼きをそれぞれ飲み込みながらイリスとアイが同時にこちらに問いかけてくる。呆れた……アイならとにかく何でイリスが解らないかな。


「この物件は本来事務所として扱われてる……最低限の寝泊まりもできるように二部屋借りて、実際こうして寝泊まりしている、それがここだ。

 食料や消耗品は経費で買って備蓄しているし、時折補充したり期限が切れそうなものを持ち帰ったりして増減するけど、基本的には最低限の食料しか用意されていない」


「「ふんふん」」


 二人同時に頷く。一拍置いて、結論に入る。


「今……正確にはこの朝食で、食料備蓄が底をついた。今日は誰が何と言おうと買い物に行く」


 僕の言葉に、二人が同時に笑顔を浮かべる。


「買い物? こんどは、ケイも……一緒?」


「ああ、くっついてた方が良いだろうし、三人だ」


「ふふ、大丈夫なの? ケイ」


「ギルドに情報を流しても信用しない輩とかがここに張り付くだろうから、今日はどうせ引きこもれないしね。それに、どうせ情報収集に行くんだ、苛々している位なら自分から時計の針を動かしに行こう」


 それぞれの質問にそれぞれ応える。二人が納得した時点で、一度だけ手を叩いた。


「ほら、解ったら支度して? 食器を片づけ終わったらすぐに出発するよ?」


「解った、楽しみ」


「ほーい、んじゃあ行きますかっ!」


 それぞれ返事が狭い部屋にひびいた。



 いざ顔を出してみると、魔術師ギルドの中は大混乱になっていた、今朝の情報の続きを聞く為に皆必死なんだろう。

 裏を返すと今回の事件はソレくらい大事になってしまっているとも言える。

 ますます早くどうにかする必要があるだろう。だれかが解決してしまっても僕たち自身は何も変わらないけれど、いくらなんでも後味が悪すぎるしね。


「うっわー、すっごい騒ぎ……これちょっとアイちゃん連れて外で待機してた方が良いんじゃないかな?」


「そうだね、すぐに終わらせるからちょっと待っててくれ」


 二人を建物の外に避難させてから自分は更に奥に、受付の方に進むと、涙目のノインちゃんを発見した。


「やほ、元気かいノインちゃん?」


「元気な訳ないじゃないですか~! 見て下さいよこの人! 人! 人! 懸賞金が凄く多くなった関係で大騒ぎですよ~!」


 涙を流しながらノインちゃんが叫ぶ。僕たちみたいな直属の担当が付いていない、いわゆる普通の『魔道猟兵』はまず受付の彼女達の所に行かなきゃいけない。ノインちゃん含めてたった三人しかいないので完全にパンク状態だ。


 増員を検討しろよ。と言いたいところだけど、こんな日以外は人が来ないから増員は未来永劫期待できないんだろうね。


「うん、見れば解るね。ラッセルに用なんだけど、整理券だけ貰っておくよ」


「はい~! しばらくお待ちくださ~い!」


 忙殺されているノインちゃんを尻目に整理券をもらってロビーの端へ、『関係者意外立ち入り禁止』の扉の向こうに勝手にお邪魔させてもらい、喧騒を向こう側に追いやって、空いた時間で少しだけ試案を巡らせる。


「よぉ、お前もやっぱりこっちに来たか」


 ……と、即座に邪魔が入った。顔を上げるとラッセルと目があった。


「やぁ。それにしても君ね、ギルドが大変なのに一体何やってるの?」


「はははっ! 開口一番からソレたぁ。ったく、それが人に物頼んでる奴の態度かよ?」


「対価は払うんだし、何かを言われる筋合いは全くないね。……で、何か解ったかい? そろそろ調査報告の一つ目が上がっても良いころ合いだと思うんだけど」


 僕の言葉に、ラッセルが唇の端を歪めた。


「あれ? ケイちゃんもしかして怒ってる~? 面白い事になってるのかな?」


「多少苛ついては居たけど何とか盛り返したよ、どうやら僕は自分が思ってるよりも仲間に恵まれてたみたいでね」


「ははっ! ソイツは良かったな。で、せっかく持ち直したお前をもう一度いらつかせるのもアレだからな……手早くビジネスの話といこう」


 少しだけ気持ちを引き締める。向こうも向こうで纏ってる空気が少し変わった。


「とりあえずお前の言ってた組織とその事件に関する資料は洗っといた、お前があそこまで言うから何かと思ったんだが、軍関係の資料で一発じゃねぇか、これ」


 多少呆れた様子でラッセルが言う。


「知ってる。だけど君ね、軍部の機密情報をまるで新聞のバックナンバー漁るみたいに言わないでくれるかな」


「タァコ、俺にとってはそんなもん大した差じゃねぇよ、だからこうして協力してるんだろ?」


「認めざるを得ないけど、確かにその通りだね……で、資料内容は?」


 僕の端末が震える。差出人はラッセル。内容は資料の納められたデータだ。


「ふぅん」


「見ての通り……でもよぉケイ、その資料で犯人の情報、掴めんのか? 当時の資料によると軍が突入した時にはとっくに潰された後だったらしいぜ」


 ……知ってる。だからこそ僕は今の今まで、呑気に生きてたんだ。


「それは知ってるんだけどね、資料関係は何か無かった?」


 いや、実を言うと口頭で聞く必要は無いんだけど、どうせ暇なので口で聞いてみる。聞き耳立ててる様な奴も居ないだろうし、状況は一刻も早く整理したい。


「とりあえず、誰がやったのかぁ解らねぇがこれは軍や魔術師、その他組織だった連中じゃねぇなぁ、資料ほぼそのまま残ってたし、善人にしろ悪人にしろこれを放置する事はねぇだろ」


 資料がそのまま? バックアップを取ったけど、逃げる暇がなかったって事かな?


「成程ね……何か犯人に対する手掛かりって無い?」


「死体が山ほど……それから壁とか研究用具の破壊痕があるからな、ある程度は解ってたな」


「ん? ちょっと待って? 死体の様子って解るの?」


 僕の言葉にラッセルが頷いて、資料を確認するように言う。


「ああ、むしろソレくらいしか報告書に残す物が無かったみたいだな。腐ってたようだが骨にはなって無かったみたいだぜ。凄ぇなコレ、無理矢理怪力で引き裂かれてやがる、文字通り真っ二つって奴だ」


 言われて僕も資料をスクロール。成程、コレは凄惨だ。


「真っ二つ、ね」


「悪魔の実験関係の資料もある。もしかしたら実験体でも逃げたのかね? これは」


 その可能性は非常に高いので、ラッセルの言葉を無言で頷いて肯定する。


「あとは? 死体の数とかもあるね?」


「白衣が十程……か、それ以外は素っ裸が五人くらい、体系からして子どもだな、他には見当たらない」


「そうか、ありがとう」


 少しの間だけ沈黙。先にラッセルの方から話が来た。


「で……だ、ここからが本番だ。どうせ明後日の午後には公開情報になるから、こっちはタダで良い」


 彼としても上手く説明する言葉が見つからないのだろう。彼の表情は何とも言えない微妙なものだ。 


「この施設の代表と目されていたレリント・M・カーレン含む施設代表八人が死体で発見された。お前らがここに来る理由になった、今朝の死体発見事件さ」


「は?」


 目が点になる。しかしこれは事実だと、ラッセルが小さく頷いた。


「まだギルドの連中は気づいちゃいねぇ。俺がお前に言われて重要参考人のデータを持ってて、それがたまたま一致しただけだ。

 だがまぁギルドの連中だってバカじゃねぇ、作業員とか身元の分かる奴らが終わったら、連中にも捜査が入る。軍内部でも機密情報扱いだったここの施設の事が明るみに出れば……」


 頭痛がする。ラッセルの予想通りになれば、この町とアイ、ついでに言えば僕が非常に面倒くさい事になる。

 そして、そのクッソ面倒くさい予想通りは、僕の思っている以上にすぐそばで口を開いているのだ! 泣けてくる。


「……オイ、本当に大丈夫か? ケイ」


 ラッセルが心配し、僕の顔を覗き込む。だけど悲しいことに、僕は肩を竦める位しかできないんだよね。


「ああ、だけど主だった連中が全員、しかもこの町で死んでるのは予想外だった」


 寧ろ、その事実に目の前が暗くなる。『首が変わった』可能性は考えてたけど、まとめて全員、しかもこのタイミングで殺されるという状況に、全然考えが及ばない。


「だとしたら、今少女たちを人形に仕立てて、悪魔を呼び出しているのは誰だ?」


 理由も、動機も、犯人像も不明。僕しかもっていなかったはずの手札が、ひっくりかえったらブタだったなんて、とてもじゃないけど笑えない。

 とはいえ、一人でうなってても仕方ない、外ではイリスとアイも、待っている。

 後で相棒とじっくり話すとしよう。


「まぁとにかくありがとうラッセル。あとは家の事務所で結論を出すよ。


 後は引き続き、この前渡した悪魔の肉片のサンプルをよろしく。何者かわかれば、それだけで強制送還の術式を組んで備えられるからね」


 戦争中の負の遺産、敵対する悪魔の強制送還。平和な現代だし、思う存分使わせてもらっても誰も文句は言わないだろう。


「任せろ。お前の相棒も山ほどサンプルをくれたしな、実の所悪魔の正体については解析が進みつつある。強制送還が可能かどうかまで調べたうえで連絡するから、もうしばらく待っててくれ」


 おお、このオッサン。僕が思っていた以上に優秀みたいだ。まぁ、安くないお金を払ってるんだから。これくらいしてくれないとしょうがないとも言えるけど。


「大変な仕事だけど頑張ってね……最新情報は回ってると思うけど、セルピートの事務所がフィオナ隊を動かしたよ。急がないと最悪力技で何とかするかもね」


 僕の言葉にラッセルの大爆笑。近くを通りかかったギルド職員が何だとばかりにこっちを向く。一方のラッセルは目尻に涙を浮かべていた。


「あっはっはっはっはっは! 確かにソイツは拙い。奴らがビルを倒すたびに苦情がこっちに来やがってよぉ……。保険屋はだんまり決め込むし、向こうの事務所は「そっちにまかせた」の一点張り。アイツが本気で暴れると、その後面倒くさいわ忙しいわで死にたくなっちまう……これは早く何とかしないとな」


 偉そうに言ってるけど、職種上彼の仕事である筈の苦情処理で死ぬのは多分ノインちゃんである。彼女もこんな人格破綻者を上司に持つなんて可哀想に。


「全く、酷い職員も居たものだね。でもとりあえずは言っとく。ありがとね」


 僕が軽く握った手を上げる。


「おう、そっちもあんまり無茶しすぎんなよ? お前がくたばったら俺の取り分が減る」


 ラッセルが僕の拳に軽く拳を打ち付ける。


「はぁ……これは是が非でも報酬の総取りをしなきゃいけないみたいだね?」


 情報収集はこれで本当にお終いだ、これ以上ここで手に入るものは無い、後頼れるのは僕と相棒の脳味噌の冴えだけだ。

 ラッセルが奥に引っ込み、一人になった所で頭の中で情報を整理。


「ケイさ~~ん? あれ? ケ~~イさ~~~~ん!!」


 と、薄い扉の向こうからノインちゃんの悲痛な叫び声が聞こえてきた。ほっといて反応を見るのも楽しいかと一瞬思ったけど、流石にノインちゃんと外の二人を同時に不機嫌にさせたくないので、素直に移動する。


  渡せる情報をすべて纏めたデータを、僕の名前でギルドに提供。ついでに効果なんてほとんど無いんだけど、これ以上の情報は無い事、こっちも捜査中だし、情報関連についてのアポは全部拒否する旨のメッセージを添付しておく。

 僕の存在に気付いた同業者を何とか躱しながらギルドの外へ。こんがらがった挙句に、クーラーで凍りかけた脳味噌をうだるような外気で解凍する。

 外で呑気にアイスクリームをなめている二人に、僕は声をかけた。



「ねぇ、イリス」


 自分にかけられた声に、ギルド前のガードレールに腰かけたイリスが横に視線を向ける。自分の横に座ったアイの視線は、自分の顔では無く、その背中に輝く翼に向けられていた。


「イリスの羽って、きれい……だよね?」


「ん? ああ、コレ? うん、よく言われる」


 立ち上がり、イリスがアイに背を向ける。その背中に輝く翼は夏の日差しの下でも、ほのかで暖かな光を発している。


「エーテル体……って言っても解らないよね? 実態の無い魔力の塊でできた羽なんだ、これ。だから汚れないし、常に魔力の光を放ってる……天使の羽ってこういうものなんだって」


「イリスは、天使、なの?」


 アイの問いかけに、楽しそうにイリスが笑った。


「あはは、残念、今この世に純正の天使はいないと思うなぁ……私は混血、色々混じっちゃっててね。まぁ、お仲間さんと比べても血が濃いから翼も大きいし、天術もけっこう大きいの使えるよ」


「魔法?」


「ううん、天術。解りやすく言うと神の奇跡の再現かな? 例えば悪魔をその世界から追い出したりとか、瀕死の重傷も直したりとか。

 ……根本的に魔法じゃないから再現は不可能なんだけど、原理だけは段々解明されてるっていうやっすい神の御加護だよ」


 あまり褒めているように思えない説明をイリスがする。言葉の意味をどこまで理解しているのかは不明だったが、アイは無言で話を聞いていた。


「例えば、前者は対象がこっちに通る時に使った術式の種類や方法の式を逆探知して再発動、そのまま対象を強制的に送り返す術式だって判明したし、後者は対象になった人物の体をエーテル体で再構築、平行世界上にある近似の個体の情報をエーテル体に上書きする術式だって所まで、現代魔法学で判明しちゃってるからね。

 ……ま、ここまで解ってて『再現できない』ってあたりが神秘たる所以なのかもしれないけど」


「…………?」


 話を最後まで聞いたアイの反応は、不思議そうな顔で首を捻るという物だった。

 予想通りの反応に、イリスがあははと決まり悪そうに笑う。


「ごめんねぇ、ちょっと難しい話しちゃったね。とにかく私は天使の血をひいてて、この翼は魔力でできてるから綺麗ってこと」


「へぇ……イリスのは、綺麗で、いいなぁ」


 アイが瞳を細めてイリスの羽を見つめる。彼女が病的に白い手を伸ばすと、イリスの翼から輝く羽毛が一枚舞い落ち、その指先に触れ、溶けるように消えた。


「あはは、アイちゃんには羽は無いからねぇ……羨ましい?」


「解らない、ケイがそれを喜んでくれるなら、欲しいかもしれない」


「あっはっは、成程ねぇ、モてるねぇケイってば、熱いよねぇホント」


 イリスが小さく笑ってアイの頭を撫でる。

 アイはその頭を押さえて、イリスを見つめ返した。

 からかいをからかいとも思っていない。とてもまっすぐな瞳でイリスをじっと見て、アイが口を開く。


「うん……暑いね、今日は」


 今度こそ耐えきれなくなり、思い切りお腹を抱えて大爆笑した。


「あっはははははははははは! うんうんそうだよねぇ、今日は夏だし暑いもんねぇ……よし、じゃあちょっと待っててね、アイス買ってくるからさ」


 イリスがふわりとベンチから飛び上がり、アイスを買いに飛ぶ。すぐに戻って来た彼女の手には、二つのソフトクリームが握られていた。


「はいこれ」


「あり……がとう」


 おずおずとアイがソフトクリームに手を伸ばす。遠慮がちに一口それを舐めとってから、目を見開いてソフトクリームに舌を伸ばして行く。


「そう言えばさ、何か思い出したりできたの?」


 自分の分のソフトクリームに舌を伸ばし、イリスが問い掛ける。アイが一旦手を止めて、イリスの方を見た。


「少しだけ、ケイはね、凄い人だった……」


 ぽつぽつと、自分を見つめながら話しているのだろう。アイの目はイリスを含め、この場所にいる風景を見ていなかった。

 なのでイリスも。彼女の腰を折らない為に、相槌すら打たず、静かに彼女の言葉に耳を傾ける。


「ケイは、私の生き方を、変えてくれた。


 痛い事を、諦めるしかできなかった、私を変えてくれた……だから、だから私は、ケイの傍に、いたいと思ってた。

 ケイの言葉を聞くと、嫌なことが吹き飛んでくれると思った。ケイとお話をしている時だけ、全部全部、忘れることができた」


「ねぇ……キミとケイは」


 イリスの声を、アイの声が遮った。


「だけど、私には、まだ解らない、ケイに伝えたかった言葉があって、ケイに言いたかった事があって、ケイにしてあげたかった事があった筈なのに、それがまだ思い出せなくて……

 かんがえちゃ、いけない気がするの、私がケイといられるのは、思い出さないから……だから、考えようとすると、離れ離れになっちゃう気がして……こころが、さむくて、いたくて、イリス、これって……何なの、かな?」


 アイが手に持ていたソフトクリームが溶けて、落ちた。


「おもいだしたい……伝えたい、だけど、思い出せなくて、思い出しちゃいけなくて……わからない、の、イリス、思い出すたびに、考えるたびに、解らなくなるの」


 震える手を、恐怖に揺れる瞳が見下ろす。

 世界で一番信用できるはずの、自分を疑わなければならない。そんな孤独と断絶が、彼女を苦しめていた。


「あ~~いちゃん」


 怖がらせないように、そっと声をかけ、イリスがアイの体をそっと引き寄せた。


「落ちついて、大丈夫だよ……ほら、怖くないから」


 震える頭を胸で、普段以上に小さくなった肩を翼で包み、イリスがアイをなだめる。少しずつアイが収まって来た所でイリスが問い掛ける。


「ねぇ、一つだけ聞かせてくれないかな?」


「なに?」


「何で、思い出しちゃいけないの? 自分の心でしょ? 自分で思い出せばいいと思うんだけど……それと向き合わなきゃいけないかなぁとお姉さんは思う訳なんですが」


 イリスの問いかけに、アイが少しの間考え込んで、やがて迷いながらも口を開いた。


「私にもうよくわからない、だけど、そんな約束をした……そんな気が、するの」


 思いがけない言葉に、イリスの眉が少しだけ上がる。


「……約束? 思い出さない事を?」


「うん、そうすれば、もう少しだけ……ケイと一緒にいられる、そんな気がする」


「ねぇ、その約束って誰としたの? どんな人?」


 自分を問い詰めるアイに、少しだけ怯えた表情を浮かべてアイが応える。


「解らない……だけど、約束、だったと思う。全然思い出せないけど、これだけは、

解る」


「ふぅん……約束、ねぇ?」


 アイがイリスの胸から離れる。先ほどの震えは嘘のように止まっており、その表情も落ち着いていた。

 少しだけ安心したイリスが、ソフトクリームの残り……ほとんどコーンだけをなったそれを口の中に放り込んでから、思考を巡らせる。

 しかし、すぐに現状では意味が無いと思考を停止。


「あ? それよりもアイス落としちゃったね? 丁度私も食べ終わったし、次買ってこようか?」


「うん、たべる」


 返事が返ってきたのでもう一度コンビニへ。詳しい事はこれからケイと話そうと心に決め、今はおかわりのアイスを何味にするかだけを考えていた。

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