初めての会話
彼は週に3、4回この店を訪れて、カモミールティーを頼む。
さらにその上で、甘いものを2つか3つ。
年齢は20代前半から中頃だろうか。
薄い黄色の髪色に紫の瞳。随分と綺麗な顔立ちをしている。
分厚く滑らかな服を身に纏う。さらに、繊細な意匠での装飾が施されていた。
ここらでは、一部の栄えている商家でしか見ない出で立ちだ。
商家で働く執事やその見習い、もしくは跡取りだったりするのかとも思ったが、分からない。
彼のような人物は、当てはまるいくつかの商家を思い浮かべても見当たらなかった。
多少乱れてはいるが所作も美しく、肌質や髪質はとても綺麗。
持っている小物も派手さはないが上品なものばかり。よく見ると中々高価な代物だと思われた。
もしかすると、お忍びのお貴族様だったりするのかもしれない。
そう密かに考えている。
彼はいつも、感情の抜け落ちた表情をしている。
感情の抜け落ちた、と言うか、血の気の引いた、と表現すべきか。
悩むところではある。
一応穏やか風な笑顔を浮かべてはいるのだが、その奥の言いようのない暗いオーラが、もうなんとも言えない。
とりあえず、疲労困憊という言葉では言い表せない姿なのだ。
大して親しくもない私も、思わず「大丈夫ですか?」と言ってしまいそうな、ゾンビも真っ青な姿でやってくる。
最初の頃は、彼の来店のたびに内心驚いてしまっていた。
しかし帰る頃には、多少回復しているように見える。
あのある意味恐ろしい表情も少しはほぐれて、「お疲れなのかな。」と思われる程度には回復している。
疲れを癒す場の提供ができているのではないか。
店主としては、嬉しく思っているのだ。
そんな彼もいつの間にやら、店に通うようになって半年は経つ。
それなりの頻度でのことなので、これはもう立派な常連さんと言っても良いだろう。
その頃になって、やっと注文以外でまともな会話をすることになる。
その日は前日の晩から大雨が降り続き、客足も普段の3割ほどであった。
その3割の客も、何か祝い事があってどうしてもケーキが必要だったり、店で行っているラッピングのサービスが目当てだったり。
長く居座ることもなく、そそくさと店を出ていった。
ガランとした誰もいない店で、カウンター席に座る。
今晩のご飯は何にしようか、などと業務外の考え事をしていた時。彼はやってきた。
―――いつものあの表情をして。
カランコロン。
本気でゾンビがやって来たのだと、3秒…5秒…とフリーズした。
店で接客を担う者として、あるまじき事である。
外の豪雨の音やいつもより薄暗い店内。
普段とは少し違う空間と状況も相まっての事だろう。
私も静かに混乱していたのだ。
「あの…」
そう怪訝そうに、目の前のゾンビから声をかけられた時。
やっと「ああ、あの疲れたスイーツ男子か」と覚醒した。
「……失礼しました。店内でお召し上がりでしょうか?」
「ええ」
いつものように店内飲食の有無を聞く。
コクンと首を縦に動かしたのを見て、さらに定型文を発する。
「かしこまりました。お好きな席へどうぞ。ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
彼も心得たように、スタスタとお気に入りの席に着席した。
そして、メニューをゆっくりと眺め始める。
暫くして、注文を受けにテーブル席へ向かう。
「お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」
「はい。プリンとシュークリームとブッシュドノエルをお願いします。あと、カモミールティーも。」
「かしこまりました」
そうして、いつものように席を離れようとすると、
「この"シュークリーム"というのは新作ですか?」と。
彼はメニューに新作があっても、毎回何も聞かずに注文してきていた。
これまでの態度を含めても、必要最低限以外の会話はしたくないのかと思っていたのだが。
どうしたのだろうか?
内心の驚きはなんとか隠した。
そして、淡々と"シュークリーム"について説明し、すぐに席を離れる。
「お待たせしました」
そうして注文されたものをテーブルに置き、
「ごゆっくり」
と営業スマイルをしてカウンター席に戻ろうとする。
そうしたら、また、声を掛けられた。
「今日はすごい雨ですね」と。
いつもなら適当に返事をして、意にも介さないであろう客との世間話。
しかし、珍しく私も、会話が繋がるような返事をした。
「本当にすごい雨ですよね。……こんな天候だと、ここまで来るのも大変だったんじゃないですか?」なんて。
要は私も暇をしていたのだ。
店の外はすさまじい豪雨である。時間が経つにつれ、どんどん激しくなっていた。
おそらく客はもう来ないであろうし、店の閉店準備も明日の仕込みですら粗方終わっている。
やる事はなかった。
それならば、この常連さんと会話してみようか、と。
今日の彼は、なかなか機嫌が良いのかもしれない。
私の好奇心もGOサインを出している。
「ええ。職場からここまで歩いて15分くらいなんですが。
傘をさしていても、もう肩もズボンの裾もびしょびしょで」
「まあ。すみません、気がつかなくて。タオルでも持ってきましょうか」
「そんな、ありがとうございます。…お願いしてもいいですか?
しかしこれでは、催促したようになってしまいますね」
眉尻を下げ、いかにも申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
「いえいえ、構いませんよ。
……じゃあすぐに持ってきますね」
パタパタと急いでタオルを取りに行く。
濡れたジャケットを干せるようにハンガーと、身体を温められるようにカイロも。
カイロとは、発動した数十秒後には熱を発するマジックアイテムだ。冬場は本当に重宝する。
ちなみに、開発し命名したのは大賢者カズヤ様らしい。ハンガーについてもそうだ。
大賢者の名前やアイテムの機能と命名に思うところはある。
が、まあ、それはそれと置いておいて、急いで戻ろう。