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ワイス夫人の講評を聞きながら、フェリシアはドキドキする胸を押さえた。
少し離れたところでは、レイチェルが食い入るようにワイス夫人を見つめている。
「模倣とは言えないような一般的な類似について、いたずらに騒ぐ人もいます。そのせいで、本当の模倣に対して声を上げにくくなっている部分があります。今回の人物は、そのことも分かっていてやったのかもしれませんね」
その人物が何度も同じことをしていて、指摘されると「参考にしただけ」、あるいは「影響を受けることは誰にでもある」と言っていたこともわかっているという。
フェリシアは信じられない思いで夫人の言葉の先を待った。
「何からも影響を受けずに詩を書くことは不可能です。何も参考にすることなく書くことも難しいでしょう。その人物の言っていること自体は、ある意味、間違ってはいないのです。ですが、そのやり方には大いに問題があります」
夫人の目の奥には怒りの炎が揺れていた。
同じ痛みを経験したフェリシアには、その怒りの深さや強さが痛いほどよくわかった。
許せないのだ。
ワイス夫人ほどの人でも、自分のものを盗まれて創作されることが、許せない。
怒りを捨てることができないのだ。
かすかな声の震えを意志の力で抑えて、夫人は続ける。
「先人のものの見方に影響を受け、目を養うことは大切です。優れた表現方法に学び、それを参考にしながら自分なりの表現を工夫することもよいことだと思います」
そのような意味で、「影響を受け」、「参考にする」のは正しいと言う。
「しかし、この人物のように、誰かが書いたもの、できあがった作品をカタチだけ真似、すでにある表現をそのまま使って書いた場合は、ただの模倣、ドロボウと同じです」
有名な絵画を模写したものに本物としての価値がないように、どれだけ出来がよくても、模倣によって書かれた詩には創作物としての価値は一切ないと夫人は言い切った。
「創作とは、世界に隠された美しいものを見つけ出し、表現することです。自分の感性を信じ、その人自身の目で見て、心で感じ、それをその人自身の言葉で書くことです。絵であれば、その人自身のタッチで描くことでしょうか。それは、歓びであり、命の輝きにほかならない。創作の歓びは、何人たりとも奪うことは許されないのです」
レイチェルの目に涙が光る。
フェリシアも胸の前で組んでいた手を、祈るように額に押し当てた。
ざわざわと会場内に囁き声が満ちる。
もしかすると、ほとんどの人には何を言っているのかわからなかったかもしれない。
それでも、フェリシアは、そしてレイチェルは、救われる思いで夫人の言葉を聞いた。
「ワイス夫人……」
ありがとうございますと、心の中で感謝する。
ケヴィンの手が背中にそっと添えられた。
夫人の表情がやわらかなものに戻り「その作品は問題でしたが、それ以外は、とてもよいものが集まりました。嬉しく思います」という言葉で講評を締めくくった。
次に、一人ひとりの名前が呼ばれ、個別評を渡される。
「アガサ・セイラー」
最初の生徒がパートナーのエスコートで王の前に進み出る。
優雅なカーテシーをして、ワイス夫人が読み上げる選評を聞いた。
「独自の視点で物事を捉え、新しい世界を描いていました。言葉の扱いにより神経を配れるようになると、さらによくなり、個性を武器にしたよい詩人になれるでしょう。期待しています」
「ありがとうございます」
もう一度優雅にカーテシーをして、選評の書かれた用紙を受け取る。
アガサに続き、ダイアン・ハントが、その次には、エミリー・マクナリーが、同様に選評を受け取った。
掲示板の順番通り。
次に呼ばれるのはフェリシアだ。
「フェリシア・エアハート」
ケヴィンのエスコートで王の前に進む。
王と王妃、その奥に控える王太子殿下とセシリア王女が、かすかに笑みを浮かべていた。
少し照れくさそうなケヴィンの隣で、フェリシアはカーテシーをした。
「のびのびとした気持ちのいい詩でした。着眼点もよく、人物の描き方にも好感が持てました。技術的な面も優れていますし、全てにおいて、バランスの取れたよい作品だったと思います」
「ありがとうございます」
掲示板の順番通りなら、次はメイジーだ……。
けれど、ワイス夫人が講評の中で非難した詩は、おそらくメイジーが書いたものだ。
夫人はメイジーの詩について、どんな言葉をかけるつもりなのだろう。
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