(26)
カフェでサイラスたちと遭遇した日から二週間ほどが過ぎた。
サイラスが何度か訪ねてきたが、父もフェリシアも一度も会わなかった。
そして、この日はとうとうヘイマー侯爵も一緒にエアハート邸にやってきた。事前に約束を取り付けての、正式な訪問である。
サイラスはそれに同行してきたにすぎないのだが、一応、居間に通されて、フェリシアも呼ばれた。
「やあ、久しぶりだね、フェリシア。元気だったかい?」
「ええ」
「この前の週末は忙しかったみたいだけど、何をして……」
「あなたには関係ないことよ」
「今度の週末……」
「やることがあるの」
刺繍の道具を手にしてソファに座ったフェリシアは、視線を上げずにたんたんと答えた。
「フェリシア、その……、あの時は……」
「メイジーは元気かしら?」
「え、ああ。元気みたいだよ……」
ふうん、そう、と顔に笑みを浮かべて、フェリシアはようやくチラリとサイラスを見た。
ひどく困っているのか、必死に笑顔を作っているのが哀れだった。
(お金のために、無理して婿養子に入ることはないのよ、サイラス。そんなの、お互い不幸になるだけよ)
そう思ったフェリシアだが、無駄にプライドが高いだとか見栄っ張りだとか、人を見下すところがあるとか、そういったサイラスの欠点だけならば、見て見ぬふりをして我慢することもできたかもしれない。
ヘイマー家の借金のことも、サイラスが無理して婿養子に来るのだとしても、貴族の結婚ではそれくらいよくあること。珍しくもないし、それなりにやっていけないこともないだろうと思う。
では、何がここまでフェリシアの気持ちを頑なにしたのかと考えると、やはり問題はメイジーなのだと思った。
サイラスのことが嫌いになったというよりも、メイジーと付き合えるような人間とは縁を切りたいと思っている自分に気づく。
人のものを平気で盗むような卑しい女を、「自分のことをわかってくれる」などと評価するバカな男とは、心底縁を切りたい。
メイジーが絡まなければ、ここまでサイラスを疎ましく思うことはなかっただろう。
ヘイマー家とも、案外何事もなく縁続きになっていたかもしれない。
そんなことを考えていると、書斎のドアが開いて誰かの荒い足音が聞こえてきた。
「話にならん!」
顔を真っ赤にしたヘイマー侯爵が居間にズカズカ入ってきて、サイラスの前で仁王立ちした。
「帰るぞ、サイラス! この家との婚約は解消だ!」
「え、父上……?」
「行くぞ!」
怒ったまま踵を返し、床を踏み鳴らすようにしてホールを横切りフットマンの支えるドアを通り抜けていく。
呆気に取られて刺繍の枠を手にしているフェリシアに、書斎から出てきた父が声をかけた。
「うまくいったよ」
「何をしたの、お父様?」
「ごく当たり前のことを率直に言ったまでだ」
援助が必要ならば、生活の改善や収支の見直しをしてから必要額を決めてほしい。
その際にも返済の目途が立たない額は貸し付けることはできない。
そういった本当に当然の話をしただけだと言う。
「親戚になる者に、なぜそんな冷たいことを言うのだと聞かれた」
「なんて答えたの?」
「親戚になったからと言って、返せない金を貸すつもりはないし、金のためにサイラスを婿養子に差し出すのなら、それは完全に無駄なことだからやめたほうがいいと言ってやった」
「そしたら?」
「さっきの状態になった」
「わざとね」
「ああ。爽快な気分だ」
エアハート家としては婚約を白紙に戻したいのだから、ヘイマー家に譲歩する必要はない。
フェリシアのためを思ってこれまで言わずにいたことを、父は気持ちよく口にできたようだった。
「婚約を解消してすぐにと言うのもアレだが、おまえはバーニーと結婚すればいい。この家はローズマリーに継がせよう」
「バーニーかぁ……」
何だか笑ってしまった。
「なんだい。嫌なのかい?」
「嫌なわけじゃないわ。バーニーは好きだし。ただ、あまりに長く友だちでいたから、ヘンな感じね」
「すぐに慣れるよ。エドガーには内々に話をしておこう。アシュフィールド家のみんなも、きっと喜んでくれるな」
しかし、この父の思惑は思いもしない方向に外れていった。
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