(21)
屋敷に戻ったフェリシアは、父の書斎の前で足をとめた。
(どう話せばいいのかしら……)
サイラスに陰で失礼なことを言われていた?
サイラスの口から「婚約を破棄する」と聞いた?
それらは事実だが、家同士で決めた婚約を、それもまわりにすっかり知れ渡って祝福されている婚約を、こんな時期に白紙に戻す理由として、それらは少し幼稚な気がしてきた。
今は六月で、七月の卒業式まであとわずかしかない。
卒業したらすぐに結婚式を挙げる予定なのだ。
貴族の娘が好きでもない相手と結婚することは珍しくない。
友人たちの話の中には、もっとひどい内容のものもある。
サイラスの欠点は他人から見たら取るに足りないものだろう。
それを我慢できないフェリシアが我儘なのかもしれない。
扉の前でぐるぐる考えていると、ホールのほうが騒がしくなった。
「お待ちください、サイラス様!」
「フェリシア!」
執事のアルフレッドや侍女たちに追いかけられながら、サイラスが書斎の前まで足早に近づいてきた。
「フェリシア、話を聞いてくれ。あれは、誤解なんだ」
誤解ですって?
フェリシアは無言で振り向いた。
無理やり作った笑みを顔に貼り付けて、サイラスは言葉を続ける。黙って見つめ返すフェリシアの前で大袈裟に両手を広げた。
「まさか本気にしてないだろうね。婚約を破棄したいだなんて、僕は少しも思っていないよ?」
「あら、そう」
冷たく笑って短く返す。
「そうだよ。決まってるだろう」
サイラスはほっとしたように笑った。
「でも、メイジーのほうが、あなたのことをよく考えているのよね?」
「そ、それは……」
「あなたにふさわしい人は、ほかにいくらでもいるし、私は偉そうに自分の考えを主張する、至らない婚約者なんでしょう?」
笑みを浮かべたまま、カフェでの発言を繰り返すフェリシアに、サイラスは「意地悪を言うのはやめてくれ」と困ったように笑ってみせた。
「僕が好きなのは、きみだよ。メイジーなんか……」
フェリシアは笑みを消して真顔になった。
「意地悪を言ったつもりはないわ。あなたが言っていたことをそのまま言っただけよ」
メイジーのことは大嫌いだが、フェリシアの機嫌を取るためだけにメイジーを貶める言葉を聞くのは不愉快だった。
サイラスは、フェリシアの前ではメイジーを悪く言うが、メイジーの前ではフェリシアを貶めるのだ。
サイラスにとっては、フェリシアもメイジーも、きっと同じ重さなのだろうなと思った。
自分をメイジーよりも上等な人間だと言うつもりはないが、少なくとも誰かの創作物を盗むような卑しい真似はしない。
誰かの悪口を言う時に便乗して媚びるようなこともしない。
婚約者である自分よりも、卑しく媚びるメイジーのほうが「自分をわかってくれている」と感じるのなら、好きにすればいいと思った。
(やっぱり、言うだけ言ってみよう……)
我儘だと叱られてもいい。
父に、自分の気持ちだけは伝えようと思った。
心がすっかり離れてしまった。
サイラスを夫に迎えることは、フェリシアにとって幸せなことではないのだと伝えよう。
フェリシアはサイラスに背を向けた。
書斎の扉をノックするフェリシアを見て、サイラスはフェリシアの前に回り込んできた。
顔が真っ青だ。
「待ってくれ、フェリシア」
サイラスの背後の扉から父の声が聞こえた。
「誰だい?」
「フェリシアです。お父様にご相談したいことが……」
サイラスを押しのけてフェリシアは答えた。
「フェリシア!」
この叫び声は父にも聞こえただろう。
もしかするとさっきからの会話の内容も少しは聞こえていたかもしれない。
緊張しながら待っていると、中から静かな声が返ってきた。
「入りなさい」
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