08:動揺する婚約者
「昨日の今日で来るとか頭おかしいのか!?」
「あら、アルバート様、ごきげんよう」
出会い頭に頭がおかしいと言われたというのに、クラリッサは意に介さぬようにアルバートに礼をした。
「いや、ごきげんようじゃなくて! 昨日だぞ!? 昨日あんなことがあってすぐ来るか普通!? 間を空けないか、普通!?」
そう、アルバートの本性がバレてからまだ一日しか経っていない。しかも一応アルバートはクラリッサの求婚を保留した人間である。それをクラリッサがどう思うかはアルバートには推し量れないが、少なくとも普通の人間は落ち込むか、少し時間を空けて会いに行くと考えるはずだ。
それがまさかの次の日。しかも全然落ち込んでない。
しれっとした顔で礼をしたあとくたびれたソファーに腰かけたクラリッサは、そのままティーカップに手を伸ばし、紅茶に口を付けた。
「うん、まずいですわね」
「お前はなんだ? 人の家の紅茶にケチをつけるためにわざわざ来たのか? 性格悪いのか?」
「あら、そのためにわざわざ足を運んだりはしませんけれど、そうですね。ええ、性格は悪いですわ」
「肯定してほしくて言ったんじゃない!」
澄ました顔で、クラリッサはティーカップを撫でた。
「ふんふん、なるほど。紅茶はかなりの粗悪品ですが、ティーカップは特上品。ご先祖様の代からあるものをそのまま使っていらっしゃるのね。いい考えだと思いますわ」
「だから――……なに?」
一度開いた口を閉じ、アルバートはクラリッサに訊ねた。クラリッサの言う、『いい考え』がまったくわからなかったからだ。
「お金がなくて、そのままこれを使っているのでしょうけれど、これは大変高価なものです。
いざというときにお金になります。最近アンティーク物の人気が高まっているので、結構な金額になるのではないでしょうか? それに借金取りは、現金は取っていっても物は取っていかないはず。昔と違って、法律があって、彼らもそれを守る方が多いですからね。悪徳業者でなければ。せっかくなので、どこかに売るより、いざというときのために残しておくのをお勧めしますわ」
「へえ……」
すらすら説明するクラリッサに、アルバートは生返事しかできない。
これがそんな価値のあるものとは知らなかった。クラリッサの言う通り、買い替えるお金もないからそのまま使っているだけだ。だが今の話を聞き、今後は大事にしようと思う。
「――じゃなくて!」
話が逸れていることに気付いたアルバートは、慌てて頭を振った。
「なんで昨日の今日で来るんだって話だよ! 俺はどう対応すればいいかわからないだろ!」
「あら、そのままでよろしくてよ?」
「俺が気まずいんだよ!」
そう、一番はそれに限る。
あんなに必死に優男を演じていたのに、口の悪さがバレ、今後どうしたらいいのか思い悩んでいたというのに、この娘はアルバートのそんな気持ちも知らずに、今日会いに来た。
クラリッサは微笑んだ。
「昨日の今日だから来たのですわ」
「は?」
どういうことかわからず、アルバートが首を傾げた。
「昨日アルバート様は、私からの求婚を受け入れてはくださいませんでしたけれど、拒絶もなさらなかった。そして、激しい動揺が見られました。人は動揺や混乱をしているときに付け入られると弱いものですわ。というわけで、早々に付け入ろうと、馳せ参じた次第です」
「そういうの本人を前にして言う!?」
涼しい顔でとんでもないことを言い出したクラリッサに、アルバートはツッコまずにいられない。
普通、そういうのは思っていても、口にはしないはずだ。普通なら。
アルバートはこの普通ではないクラリッサから離れたくて来た道へ戻ろうと部屋の扉を開けようとした。
が、開かなかった。
「は? なんで!?」
「アルバート頑張って! 母さん応援してるわ!」
「わしも応援しているぞ!」
実の親に嵌められた。
おそらく扉の前にいる両親がなにかをして開かなくしたのだ。
最悪だ。退路が断たれた。
アルバートは仕方なく、クラリッサの対面側のソファーに腰かけた。大変不本意である。
ぶすっとした表情でソファーに座るアルバートを見て、クラリッサが瞳を輝かせた。
「まあ、もしかしてお仕事帰りですの? 泥だらけのアルバート様も素敵!」
そこでようやくアルバートは自分が泥だらけで来てしまったことに気付いた。
――しまった。服を着替えて泥を落としてから来なければいけなかったのに。
アルバートは今の自分の恰好が人前に出られるものではないと理解している。いつもならきちんと小奇麗にするのに、鉱山から戻ってそのままこの応接間に直行してしまった。
唯一の武器である麗しい姿が見るも無残になっているだろうことを想像して、アルバートは肩を落とした。
クラリッサの言う通り、動揺しているのだろう。情けない。
「……で、どうやって付け入るつもりだ?」
アルバートは汗で湿っている前髪を払い、クラリッサに訊ねた。クラリッサは待っていましたとばかりに、後ろに控えていた侍女にアタッシュケースを出させる。
――侍女いたのか。存在感なくて気付かなかった……。
アルバートがなかなかに失礼なことを考えている間に、クラリッサはアタッシュケースを受け取り、二人の間にあるテーブルに置いた。
そして開けた。
「じゃじゃーん! お金を持ってきましたわよ! どうぞ! お好きに使ってくださいまし! ただし結婚することを条件に!」
「待て待て待て待て!」
さあさあと現金を手にして押し付けてくるクラリッサを押し返す。
「お前本当に頭おかしいのか!?」
「あら、スクールでは常に一番でしてよ?」
「わかった! 頭のいい馬鹿だな!?」
クラリッサの通う学校は、金持ちの子息令嬢が通う有名な進学校だ。その中で一番だというのだから、そうとう賢いには違いない。
ただし今目の前にいるクラリッサはただの阿呆だ。どこに結婚してほしいと金を持ってくるご令嬢がいる。いや、目の前にいるけれども!
ちなみにアルバートは庶民が通う学校に通っている。金がないから。
「お前はなんだ? 人買いなのか?」
「まあ、失礼な。私は商売人の家の者ですが、法律を順守するいい商家ですわよ」
「そういう意味じゃないし、それならどうして現金持って来たんだ!?」
「今一番アルバート様が欲しいものを手土産にするのがいいかと思いましたの」
「ああ、よくわかってるな! 欲しいけどこういう風に欲しいんじゃないんだよ!」
アルバートはテーブルを叩きつけたい衝動を我慢するため膝に置いた手に力を込めた。
「あら。私と結婚しても、確か条件は借金の返済と伺っています。つまり、借金はゼロになるけど、お金をもらえるわけじゃない。今後のことを考えて、何かするためにも、現金はあったほうがよろしいかと思いますわ」
「う、うぐぅ」
アルバートは呻いた。その通りだったからだ。
アルバートとクラリッサの結婚条件。ラッセンガル伯爵家の借金を、ベルナドール家が肩代わりすること。そのかわり、伯爵家と縁者になったと大々的に触れ回れるようにし、貴族相手に商売を大きく展開する算段だ。
つまり、たしかに借金は消えるが、ラッセンガル伯爵家が裕福になるわけではない。
なんでもっと好条件にしなかったのかと思ったが、父が一も二もなく飛びついてしまったのだから仕方がない。借金も相当の額なのだからそれがチャラになるのだけでも十分すぎるほどの恩恵だった。
だが、正直に言えば現金も欲しい。喉から手が出るほど欲しい。
しかしアルバートにもプライドはある。こんな金で自分を売るようなことはしたくはない。
苦虫を嚙み潰したよう表情をしているアルバートをクラリッサは一瞥した。
「ちっ、やはりそう簡単にはいきませんわね」
「おい、聞こえているぞ」
クラリッサはアタッシュケースを閉じ、侍女に再び持たせた。閉じられると受け取っておけばよかった気持ちになるが、アルバートは気合で自分を律した。
「仕方ありません。別の方法を考えますわ」
「普通はこんな方法考えつかないだろ」
「でもわたくし、あきらめなくてよ」
アルバートの発言をさらりとかわし、クラリッサは宣言した。
「絶対に結婚したいと言わせて見せますわ。今に見ていらっしゃい!」
「お前それ本気で落としたい相手に言うセリフじゃないって理解しているか?」
「では帰ります。ごきげんよう」
言いたいことだけ言ってクラリッサは立ち上がった。クラリッサの帰るという言葉が聞こえたのだろう、応接間の扉を父が開けている。
すたすたと玄関へ向かうクラリッサの後姿を見ながら、アルバートは後で父に仕事を押し付けることを決めた。