07:苦労性の婚約者
「えー! 何で即答しなかったんだよ!」
鉱山で働く鉱夫のひとりであるリックが、アルバートを責め立てた。せっせとつるはしを振るっていたアルバートはその手を止めて、決まりの悪い顔をする。
「いや、だって……」
「こんないい話、そうそうないぜ! だってそのままのお前でよくて、金も払うって言ってるんだろ?」
そう、こんないい話はない。だけど――アルバートは即答できなかった。
「グイグイ来られると、逃げたくなるだろう」
「お前そんなこと言っている場合じゃないだろ!」
もっともすぎて、アルバートは閉口するしかなかった。
◇◇◇
アルバートは貴族の端くれである。
アルバートが生まれたラッセンガル伯爵家は、昔は立派な貴族であったが、今はもうその面影もない。
祖父の代で事業が傾き、その祖父が亡くなって、元々才能のなかった父が跡を継いだことで急激に沈み込んだ。
アルバートが生まれたときにはすでに貧乏だったので、かつては裕福だったのだと聞かされても想像もできなかった。
アルバートが物心ついた頃には家は修繕もできず雨漏りし、庭の手入れは庭師もいないので父が適当に剪定し、木々は見るも無残な姿になっていた。掃除も貴族令嬢だった母が見様見真似で行っており、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
食事もおかずが二品あればいい方で、お腹が満腹になった記憶はない。
それでもアルバートはあまり不幸だとは思っていなかった。父も母も優しかったし、一応寝る家はあるのだ。貧しくとも、両親はアルバートに精一杯の教育を受けさせてくれ、自分の食事を削ってでもアルバートにできる限り多く食べさせてくれた。
だからアルバートは、貧しいからといって両親を憎んだことはない。
むしろ父母のために何かできないかと考え、少しでも生活の足しになるようにと、十歳になったときには外で働きに出た。
パン屋で働いたアルバートは、パンの作り方を覚え、余ったパンを持って帰らせてもらった。碌に食べ物も買えない家計の大きな支えになった。
少し成長し、アルバートは父の事業を手伝うようになったが、どうにもアルバートにも才能がないようで、事業が上向きになることはなかった。
これは自分の代でも貧乏暮らしかと覚悟していたあるとき、父が縁談を持ってきた。こんな貧乏貴族に嫁ぐなど正気かと思ったが、相手は正気らしい。
裕福な商家からの縁談。目的は我が家で唯一残っているもの。
――貴族というブランドだった。
伯爵であるという、その冠が欲しいのだ。
ラッセンガル伯爵家といえば、貴族が聞いたら、「ああ、あの貧乏な」とすぐにわかるほど落ちぶれた名だが、それでも、このラッセンガルという姓にくっついている伯爵というものが、魅力的であると相手は言うではないか。
アルバートはすぐに承諾した。これほどいい縁談は今後来るかわからない。
だから無事に成立させようと、それはもう努力した。
慣れない貴族の恰好をして、慣れない言葉遣いで話して、慣れない表情を張り付かせて。
それだけ頑張ったというのに、その努力も実らず、縁談相手の令嬢はアルバートに対してそっけなかった。
爵位以外の唯一の武器である自分の美貌になびかないのは、想定外だった。
この顔で甘い言葉をささやけば大抵の女性は落とせると、パン屋のオヤジが言っていたのに、話が違うじゃないかと文句を言いたくなった。
しかし、それがまさか。
「素の俺がいいってなんだよ」
アルバートは自分が粗暴であることを理解している。いや、別にガラが悪いとかそういうことでもないが、世のご令嬢から好まれない性格であることを理解している。
貴族としての教育は必要最低限は受けているが、早くに外に働きに出て、家のメインの事業が炭鉱ということもあって、言葉遣いも荒くなった。
大抵のご令嬢は、この言葉遣いで話すと、顔を引き攣らせた。
それが。
「まさかこのままのほうがいいって……」
アルバートはつるはしの柄に顎を乗せて呟いた。アルバートの努力を知っているリックが、その茶色いくせ毛を大きく揺らしながら、こげ茶の瞳から涙をこぼして笑った。
「ひーひひひひ! あーんな頑張って品行方正なおぼっちゃま頑張ってたのになあー! ひー!」
「笑うな! 俺だって好きでやってたんじゃねえよ!」
つるはしでど突いてやりたい。アルバートのイライラが静かに積み重なっている最中、大きな声でアルバートを呼ぶ声がした。
「アルバートさん! 来客です!」
新人の小柄な少年が、走りながらアルバートを呼ぶ。アルバートは約束でもあっただろうかと首を傾げた。貧乏貴族であるアルバートのもとを訪ねる人間は少ないのだ。
アルバートのもとまで辿り着いた少年は、ハアハア、と息を荒げながら、続けて言った。
「こ、婚約者のクラリッサ様が来ています!」
「は、はあ!?」
アルバートの驚きの声が、鉱山中に響き渡った。