50:理想の旦那様
「あら、アルバート、お帰りなさ――あ、こら、無視はよくないわよアルバート!」
引き留めるクラリッサを無視して家に一直線に帰って来たアルバートは、母の言葉も聞かずに、自室に駆け込んだ。
「これでよかったんだ……」
そうこれでよかったんだ。
アルバートの家は貧乏だ。祖父の代から貧乏で、でも懸命に生きてきた。でもどうにもならなそうだからクラリッサと婚約したが、これからは宝石で稼ぐことができる。
クラリッサとの婚約は必要ない。
「そう、必要ない」
だから、婚約は破棄するべきだ。
「――アルバート様!」
アルバートがベッドの上で悶々としていると、聞きなれた声が聞こえた。
「アルバート様!!」
気のせいだろうとそのままでいたがやはり声がする。
アルバートは嫌々ながら身体を起こした。
「……クラリッサ?」
「そうですわ、クラリッサですわ!」
アルバートは頭を抱えた。
「お前……あんな感じで飛び出した男のところに、来るか……? 少しの間も置かずに来るか!? 普通ちょっとあれこれ考えてからじゃないか!?」
「わたくし、直情型ですの」
「そういうこと聞いているんじゃないから!」
扉越しに大声を出すアルバートを物ともせずに、クラリッサはそのまま話し続ける。
「さっきのお話の続きですが、まず第一に、わたくしたちの結婚にメリットはあります。お義母様のマドレーヌを販売し続けるにはわたくしとのつながりが必要ですし、宝石を扱う上でも商会を通した方がスムーズでしてよ」
「……母さんのお菓子はお金を貯めて店を持たせてやればいいし……宝石ぐらい、俺だってどうにかできる」
ボソボソと話すアルバートの声には覇気がない。正直本当にそうできるかわからないし、婚約をなくそうとする理由はこんなことではないからだ。
「アルバート様」
クラリッサがトン、と扉を叩いた。
「本当の理由を聞かせてください。でなければわたくし、納得できません」
アルバートは無言を貫こうと思ったが、クラリッサの性格上、そんなことをしてもずっと粘り続けることはわかっていた。
アルバートはおもむろに口を開いた。
「だってさ」
アルバートはベッドのシーツを掴んだ。
「俺にお前はもったいないだろ」
話し始めたアルバートは、何かを誤魔化すように、せわしなく口を動かし始めた。
「お前は賢いし、美人だし、金持ちだし、これから商会の跡取りになる。これからいろんな人間に出会って世界が広がっていくんだ。俺のような顔だけの男や、お前の父親と違う性格の男だって、いっぱい出会える。なら、俺じゃない方がいいじゃないか」
アルバートの家は貧乏だ。そのためにアルバートは学校には行けたが、クラリッサの学力にはまったく到達しないだろう。貴族ではあるが、すでに貧乏伯爵の名が通っていて、あまりメリットも感じない。宝石を見つけたけれど、それをどのようにしたら一番稼げるかの知識もない。
アルバートのような、情けない男より、クラリッサに似合う人間はいっぱいいる。
「……アルバート様」
アルバートの話を口を挟まず聞いていたクラリッサが、再び扉を叩いた。
「アルバート様、ここを開けてくださいませ」
アルバートは動かない。
「アルバート様」
やはりアルバートは動かない。
ふう、と扉越しにクラリッサが嘆息するのがわかった。
「……仕方ありませんね。アルバート様、扉から離れてくださいませ」
「え? な――」
ドカン!!
アルバートが訊ねるより先に、大きな音を立てて部屋の扉が吹き飛んだ。
「え? え? いや? なに? え?」
「お義母様から薪割り用の斧を拝借しましたわ」
「いや、斧って!!」
アルバートがベッドの上から飛び上がって、壊れ果てた扉に対して指をさすが、そこには残骸しかない。
「普通開けないからって斧で扉壊すか!?」
「わたくしは壊しますわ」
「そうだよそういうやつだよお前は!」
アルバートがどうやって扉を直すかという問題に頭を痛める。宝石があるが、まだ販売も何もしていないのでお金がない。
「どうすんだよ! どうやって直すんだよ!」
「お金出しますわ」
「くっ……この金持ち!」
そう言われればぐうの音も出ない。
アルバートは扉の無残な姿にちらりと視線をやると、再びベッドに腰かけた。
そんなアルバートのそばにクラリッサが近付いた。斧を持ったまま。
「アルバート様。わたくし、おそらくかなり破天荒な性格ですの」
「うん、知ってる……今、目の当たりにした」
「こんなわたくしを引き取ってくれて、かつわたくしが気に入る男性なんて、そういないと思いませんか?」
アルバートは言葉に詰まった。ちょっとそう思ったからだ。
「……いや、お前は顔がいいし」
「美人は三日で飽きるものですのよ」
「それ自分で言うんだ」
「ですからアルバート様」
クラリッサが斧を片手に言う。
「わたくしとアルバート様、ぴったりだと思うんですけれど」
「それは………………そうか……?」
アルバートは首を傾げた。クラリッサはそんなアルバートに顔を寄せる。
「そうですわ。顔はいいけれどお金がなくてぶっきらぼうで庶民的な貴族のご令息と、顔はいいけど高飛車で女らしくない成金令嬢、ピッタリではありませんか」
「……………そう……か…………?」
「ぴったりですわ。ね?」
そうか……?
アルバートはいまだに納得していなかったが、ひとまず言葉を飲み込んだ。
不用意な言葉を出せばそれ以上の言葉で返されると思ったからだ。クラリッサに口で勝てる気がしない。いや、物理的にも勝てる気がしない。斧持ってるし。
「第一、わたくしなしで、どうやってブラックダイヤモンドを販売するおつもりだったのですか? どうせ騙されて終わりですわ」
「うっ」
アルバートもそうなる気がしてはいた。伝手もなければ知識もない自分たちが正しくブラックダイヤモンドを流通させることができる可能性は低いだろう。
「やっぱ無理?」
「素人には不可能と言ってもいいですわね。そちらはわたくしにお任せください。しっかりやりますわ」
クラリッサほど向いている人間はいないだろう。
「でも婚約は」
「アルバート様、しつこいですわ」
クラリッサにピシャリと言われて、アルバートは言葉を止めた。
「アルバート様はわたくしが嫌いですの?」
いつも自信満々なクラリッサが。
あの強気なクラリッサが。
不安そうにそんなことを言うものだから。
「……好きだよ」
アルバートは素直に言葉にしてしまうしかない。
「わたくしも」
クラリッサが微笑んだ。
「わたくしも、初めは大嫌いだったあなたが……優しくて、人のことを考えることができて、両親を大事にしていて、ちょっと抜けていて、頼りなくて」
「おい……」
「そんなあなたが大好きです」
まっすぐと、アルバートのエメラルドグリーンの瞳と、クラリッサの水色の瞳がかち合った。
柔らかく笑いながら、アルバートに抱き着くクラリッサを、アルバートは抱きとめた。
――アルバートには突き放せなかった。
それが答えなのだろう。
クラリッサのために、あきらめるべきだと思ったのに、結局この跳ねっ返りには通用しなかった。
――しょうがない。一生一緒にいるか。
そう覚悟を決めたアルバートは苦笑した。
ふふふ、とクラリッサが嬉しそうな声を出す。
「アルバート様」
アルバートを上目遣いに見ると、無邪気に笑った。
「大嫌いなあなたが、理想の旦那様でしたわ」
その言葉に二人で笑った。
そうしてひとしきり笑ったあと、アルバートはこれだけは言わねばならないと、口を開いた。
「斧置け」