03:怒った婚約者
クラリッサとて、ただ何もせずに手をこまねいていたわけではない。
何とか婚約を阻止できないだろうかと色々試してきた。
まず行ったのは「金のかかる女」作戦だ。
宝石店に連れていき、ほどほどに高い――さすがに高額すぎるのは気が引けた――ものを強請った。まさかの買ってくれた。
クラリッサは商家の娘だが、アルバートは伯爵の嫡男――貴族である。
貴族との繋がりを欲しがったクラリッサの父と、財政が下向きなことを懸念したアルバートの父の利害が一致したための婚約だと聞いていた。
だから、貴族だが決して裕福ではないはずのアルバートが宝石を買ってくれたことに驚いた。
のちにこれは「娘にかかった金は出す」と父が事前に取り決めていたための行為だと判明した。つまり、デートでいくらかかろうと、アルバートの懐は痛まないのである。
こうして作戦は失敗した。
二回目は、「うっとうしい女」作戦。
「ねえアルバート様、わたくし、アルバート様ともっと仲良くなりたいのです」
そう言ってクラリッサが強請ったのは、アルバートの一時間ごと行動を記した一日の記録を渡すことだった。
これはさぞ面倒だろうと思ったが、アルバートは半年もの間、こまめに書き記した一日の記録を手渡してきた。
そもそも好意を持っていない人間からの情報ほど不要なものはない。読むたびにクラリッサは胃をキリキリと痛めた。
クラリッサが謎の敗北感を味わうだけで終わった。
三回目、「浮気性の女」作戦。
雇った役者の下っ端に、愛人のフリをさせた。見事目撃させることにも成功したものの、アルバートはその夜、クラリッサの家を訪れこう言った。
「私が不甲斐ないばかりに、あなたの心が離れてしまったのですね。それでも、私はあなたを思うことを止められないのです」
クラリッサは大いに鳥肌が立ったが、この言葉に母が感動してしまい、より婚約の話が進んでしまった。
こうして婚約してから一年経ち、クラリッサは十八歳、アルバートは二十二歳。適齢期を迎えてしまい、最近誰からともなく「結婚まで秒読みだ」と言われるようになった。
毎度かけられる言葉に鳥肌を立てる暮らしなどしたくはない。
そして今日、「不機嫌な女」を演出しようとしているところである。
「クラリッサ嬢」
観劇は終わり、馬車に乗り込んだクラリッサに、アルバートが声をかけてきた。
クラリッサはツンと顔を背ける。そのクラリッサの様子をどう思ったのか、アルバートはもう一度クラリッサの名を呼んだ。
クラリッサはアルバートを睨みながら言った。
「つまらなかったですわ」
観劇は、正直いまいちな出来だった。それもそうだ、クラリッサは評判のあまりよくない劇場を調べ、あえて選んだのだから。面白いものをつまらないというのは、クラリッサも気が引けたのだ。
だから正直な言葉を、あえて不機嫌さ満載で述べた。
「時間の無駄でしたわ。わざわざこなければよかった」
押しが弱いかと思い、もうひとつ付け加えた。
「アルバート様が隣にいたからかもしれませんね」
はっきりした嫌味に、果たしてアルバートはどう応えるか。
しかし、アルバートは言葉で返すのではなく、行動で返してきた。
クラリッサの馬車に乗り込んだのだ。
「は?」
予測していなかったアルバートの行動に、クラリッサは間抜けな声を出した。
アルバートはそのまま馬車の扉を閉める。扉の窓越しに、乗り損ねた侍女が慌てた表情をしていたが、それも馬車に備え付けられているカーテンで遮られ、見えなくなった。
「ちょっと!」
いくら婚約者といえども、密室で二人で過ごすのは外聞が悪い。クラリッサは抗議の声を上げようとしたが、アルバートからいつもの微笑みが消えているのに気づき、言葉を止めた。
アルバートは鋭い目つきで言い放った。
「労働者を馬鹿にするんじゃねえ!」