27:愛されているアルバート
「はあ……」
アルバートはパン屋のアルバイトで持ち帰ったパンを食べながら、ため息を吐いた。
「はあ……」
考えているのはクラリッサのことだ。
自分の想像より、ずっと色々なものを抱えた少女だった。
お金があればもっと満ち足りた人生なのだと思っていた。だけど、そうではないことを知った。
だって自分は確かに両親の愛を疑ったこともないほど、愛情を持って育てられた。
親を憎んだことはない。大事にしてくれた両親を愛しているし、結婚するなら両親のような関係を築いていきたい。
きっと、幼いクラリッサも、そうだったのだろう。
あったはずの幸せが、突然消えるのはどんな気持ちなのだろう。
「はあ……」
「どうしたアルバート、辛気臭いぞ」
「いやね、お父さん。この年頃の子がため息を吐くなんて、恋煩いに決まっているじゃない!」
「なんだとアルバート! 青春だな!」
「青春だわ!」
――すごい。悩んでいるのが馬鹿らしく感じる。
貧しくてもこの底抜けに明るい親を持ったからこそ、アルバートは曲がらないで育つことができたのだなと実感した。
「いや、金があれば幸せじゃないんだなと思って」
アルバートの言葉に、ハリーとアミーリアは顔を見合わせた。
「そりゃあそうよ。どうしたの急に」
「そうだぞ。なんだ、もしかして金がなくて欲しいものが買えないのか? 値段によるが、父さん少しへそくりあるぞ」
「あなた、あとでそれ出してね」
「はっ! バレてしまった!」
ショックを受けている父を放って、アルバートはもう一度ため息を吐いた。
「クラリッサが、あの家であんまり幸せじゃないみたいでさ」
「ああ……まあ、お金がすべてじゃないもの」
アミーリアは頷いた。
「母さんもそうだったし」
「え?」
想定外の言葉にアルバートは驚きの声を上げた。
「あら、言ってなかった? 母さんお金のある伯爵家の令嬢だったのよー」
うふふふと母が笑うが、アルバートは笑えない。
「冗談?」
「本当だったら!」
もう、とアミーリアが頬を膨らませる。
「今とは全然違う優雅な暮らしだったわよー! 大きなお屋敷に大きな庭園、高級なお菓子をお茶の時間に食べて、パーティーに参加して、それはもう贅沢三昧!」
その頃を思い出したのか、母が生き生きと話し始めた。しかし、急に声のトーンが落ちる。
「でもね、楽しくはなかった。貴族令嬢は結局家のために結婚するのが仕事だったし、大人しく、男性に気に入られるように、ってそればっかり言われていたわ」
そこまで言って、アミーリアは隣にいたハリーの腕を取った。
「でもそんなときお父さんに会ったのよ!」
アミーリアの目がキラキラ輝いた。
「あるパーティーで、親に見つからないようにこっそり作ったマドレーヌを中庭で食べようかと思ったときに、お腹をグーグー鳴らしたお父さんに会ってね。『貧乏だからって中から追い出された』と言ってたからあげたの。そうしたらとても有難そうに幸せそうに食べてくれたのよ! 『美味しい、今まで食べた中で一番美味しいお菓子だ!』って屈託のない笑顔で言うものだから、お母さんコロリといっちゃってね」
当時を思い出しているのか、アミーリアはうっとりと目を細めた。
「当然結婚に大反対されたから家出して押しかけ女房したの」
「えっ! 母さんから結婚迫ったの?」
「そうよお。粘って粘って、やっと結婚してくれたの」
「貧乏に嫁ぐなんて可哀想だったんだ……最終的に負けたけど」
「だから、母さんの実家とは縁を切っているの」
次々湧いてくる衝撃の真実に、アルバートはついていけない。
ずっと、父が母を好きになって結婚したと思っていたのに、まさか逆だったとは。
アルバートはちらりと父を見た。どこからどうみても中肉中背の普通のおじさんだ。若かったとしてもそこまでのいい男だったとはとても思えない。
母の趣味はちょっとおかしい。
美人なのにもったいないな、と思いつつ、そうでなければ自分は生まれていないのだから不思議な気分だ。
「その後も大変だったわー! 想像以上の貧乏だったし。当然喧嘩もしたし、大泣きしたこともあるわ」
「えっ、喧嘩したことあるの?」
「そりゃああるわよー! 小さなことからもう別れるかどうかってぐらいのまで!」
「知らなかった……」
アルバートは自分の両親が喧嘩しているところを見たことはない。小さいコミュニケーションの一部だろう小競り合いぐらいなら見たことあるが、それぐらいだ。
「あなたには気付かれないようにしていたもの」
「親の喧嘩ほど見ていて楽しくないものはないからな」
ハリーもアミーリアの言葉に頷いた。
「子供にそんな姿見せないわ。だって、貧しくても幸せでいてほしいもの」
アルバートは母からの愛情の感じられる言葉に、胸が温かくなった。
「大変なことも多かったけど、母さんきっと過去に戻っても、またお父さんを選ぶわ。だって、幸せだもの」
母が柔らかい笑みを浮かべる。
「お父さんと結婚して。あなたが生まれて。母さん、幸せよ」
「わしも幸せだ」
父も温かな笑みを浮かべていて。
貧しかろうと、馬鹿にされようと、自分を愛してくれるこの両親の子として生まれて、アルバートは自分の幸福を噛み締めた。