23:幼いクラリッサ
クラリッサは、王子様系男子が大嫌いだ。
「クラリッサ、僕のお姫様」
――父が、そうだったから。
◇◇◇
優しい優しい、王子様のようだった父の実家は、少々儲かっている商家だった。
といっても父は三男で、跡取りとは無縁だったため、実家とは縁のない、農夫をしていた。
「クラリッサ、僕のお姫様」
母によく似たクラリッサを、父アーロンはとてもとても可愛がってくれた。父の前でクラリッサはお姫様だった。父は大好きな王子様だった。
優しい父。穏やかな母。裕福ではないけれど、幸せな日々を過ごしていた。
それが壊れたのはクラリッサが六歳のとき。
「父と兄たちが、死んだ……?」
大雨の次の日、家を訪れた人間に告げられた言葉で、父が呆然とそう呟いたのを、覚えている。
その後はバタバタと大人たちが過ごしているのを、クラリッサは呆然として見ていた。子供ながらに大変なことになっているのだというのはわかった。
大雨の日、馬車が横転して亡くなったらしい祖父と伯父たちの葬儀が終わってから、父は見るからに憔悴していた。
いつも笑顔だったのに、常に気難しい顔をするようになった。
「パパ」
「後にしなさい」
クラリッサが話しかけると鬱陶しそうにすることが増えた。
今ならわかるが、このとき、父は実家の事業を引き継いだばかりで、きっと大変だったのだろう。
今までのんびりと農夫をしていた人間が、急に商売をすることになったのだ。勝手も違うし、何より急すぎて、後を継ぐ準備も何もできていない状態で、苦労したのだと思う。
だけれど、幼いクラリッサは、変わっていく父が恐ろしかった。
徐々に徐々に、父はより顔色を悪くし、表情を硬くしていった。
大好きだった父が消えていった。
それでもクラリッサは父が好きだった。
だってクラリッサの王子様だったから。
ある日、母と父が話している声が聞こえた。クラリッサはその声に起きて、そっと部屋の前で聞き耳を立てた。
「商売がうまくいかない……」
「仕方ないわ、あなた。もともとやったことがないんだもの」
「兄や父はできていたんだ……」
「それは経験があるから……」
「でも従業員がいるんだ……できないからで、彼らを路頭に迷わすことはできない……」
父と母の間に重苦しい空気が漂うのがわかった。
「パ、パパ……」
クラリッサはそっと扉を開けた。
「あら、クラリッサ、起きていたの?」
母が先ほどまでの空気を壊すように、明るい声を出した。実際そうしようとしたのだろう。幼いクラリッサに気付かれないようにという、親心だったのだろう。
クラリッサを部屋から出そうとする母の腕をすり抜けて、クラリッサは父のもとへ向かう。
「パパ、あの、これ」
クラリッサは手に持っていたスケッチブックを開いて見せた。
「あのね、そろそろ記念祭があるでしょう? プレゼント商品が売れると思うの。特に子供にはみんな買うから、ぬいぐるみはどうかなって。ただのぬいぐるみじゃだめだから、リボンに名前を入れられると、贈り物として喜ばれると思うの」
クラリッサは自分で描いたぬいぐるみのイラストを見せながら、一生懸命説明した。
大好きな父の助けができないかと、ずっと考え続けていたのだ。
「クラリッサ、お父さん忙しいから」
母が慌ててクラリッサを部屋から出そうとする。不安定な父を刺激しないようにと思ったのだろう。
クラリッサは追い出そうとする母に納得がいかず、むっとした表情で唇を尖らせた。
「でもママ、わたし頑張って考えたんだよ!」
「クラリッサ、子供の遊びとは違うのよ」
「遊びじゃないもん!」
クラリッサは真剣に考えたのに、遊びだと言われたことに傷ついた。
「遊びじゃないもん……」
涙を浮かべるクラリッサに、手を伸ばしたのは父だった。
クラリッサは嬉しくなって顔を上げた。
「パ――」
「見せなさい」
父はクラリッサではなく、スケッチブックに手を伸ばしただけだった。
「あ、うん……」
父にスケッチブックを渡す。父はしばらくそれをじっと見ていたが、その後はただ「寝なさい」と言われただけだった。
――一生懸命考えたのに。パパに喜んでほしかっただけなのに。
悲しくて悲しくて、以前より大きくなったベッドで、クラリッサは一人で静かに泣いた。