17:大嫌いなお父様
「ただいま戻りましたわ」
鉱山から自宅に帰ったクラリッサを待っていたのは小さな人影だった。
「あっ、姉さん! なんだよその服装!」
「あら、ノア。いましたの」
「いましたのじゃないだろ!」
「言葉遣いが悪いですわよ、ノア」
「親父がいるときだけ丁寧にしたらいいんだよ!」
「ちゃっかりしていますこと」
ノアはクラリッサの七つ下の弟だ。この家の跡継ぎでもある。
「おかえりのチューはしてくれないんですの?」
「もうそんなことする年じゃない!」
「残念ですわ……」
年が離れている分、クラリッサは弟を可愛がっていた。
「二年ぐらい前にはまだしてくれましたのに」
「やめろ昔の話は!」
最近の弟は昔話を嫌がる。そういう難しいお年頃なのだ。
「それより、そんな姿見られたらまた親父に何か言われるぞ」
ノアはクラリッサの全身を一瞥した。クラリッサは鉱山での服装のまま帰って来たので、とてもお嬢様には見えない格好だ。もう夜なので、エイダは途中で解散し、そのまま家に直帰してもらった。
「今日あの人は会社に泊まり込みのはずですわ」
クラリッサは事前に父親の予定を確認して行動した。
クラリッサの父親は、クラリッサがまるで貴族の女性のように振る舞うことを願っている。クラリッサからしたらただの真似事だと思うが、幼き頃からの教育が身に付き、すっかりお嬢様言葉が板についた。
しかしだからと言って、行動までお淑やかになったかと言えば別の話である。
クラリッサは本当は貴族令嬢のように閉じこもるのは嫌いだし、ドレスは嫌いではないけれど、動きやすい服も好きだ。はっきりと物を言うし、お淑やかとは程遠いことを自覚している。
父が望んだ姿ではないだろうことも知っている。
「それが……今日予定が変わったみたいで――」
「クラリッサ」
ノアの言葉を遮るようにして、クラリッサの背後から声がかけられた。
ああ。しまった。
そう思うが仕方ない。
クラリッサは声のした方にクルリと向き直り、礼をする。その姿は美しい貴族の所作であったが、残念ながら今のクラリッサの姿は、少々泥を被った庶民服である。
「ただいま戻りました、お父様。お見苦しい姿で申し訳ございません」
「わかっているならなぜそんな姿をしているんだ」
「アルバート様の働く姿を見てみたかったのですわ。鉱山にドレス姿で行ったらご迷惑でしょうから」
事前に考えていた言い訳をスラスラと述べるクラリッサに、クラリッサの父親である、この家の当主、アーロンは眉間に皺を寄せた。
「それなら事前に言いなさい。それなりのものを私が用意する」
「わかりました。次回からはそうしますわ」
――絶対しない。
クラリッサはそう思ったが、口では素直に頷いた。
アーロンは小難しい顔をしながらクラリッサの前から去っていく。父親の姿が見えなくなると、ノアがはあ、と深く息を吐いた。
「姉さんやめてくれよ~! いっつも親父とやり合ってて俺気まずいよ~!」
「仕方ないでしょう、お互い合わないんですもの。いいかげん慣れなさいな」
「慣れないよ~!」
大人ぶろうともまだ十一歳。ノアは父と姉の不穏な空気にどう対応していいのかわからないようだ。
「あなたはもっとどっかりと構えていなさいな。そんなことでは立派な跡取りになれませんわよ」
「跡取り跡取りってみんな言うけど、俺より姉さんの方が適任だよ。俺商売にあんまり興味ないし」
「こら、めったなことは言わないの」
「だって本当のことだよ」
ノアが真剣な表情でクラリッサに言う。
「そうですわね」
クラリッサは頷いた。
「……だからあの人が大嫌いなんですわ」
ノアの耳に入らない声量で、クラリッサが呟いた。




