16:黒歴史のある婚約者
「それで、どうするんだよ」
顔から赤みが引いたアルバートが、ようやくクラリッサに向き直った。
「少々お待ちになって、今わたくし巷で有名な『萌え』というものを理解したところでしてよ」
「はあ、モエ? なんだそれ」
「アルバート様もいずれ、わたくしに萌えるようになりますわ」
「だからなんだよそれ」
「今の純粋なままのアルバート様でいてほしいので、それについては黙秘しますわ」
「おい」
クラリッサは本当に答えるつもりがないのでアルバートを無視して話を続けた。
「それで、別の手の話ですけど……」
「何だよ、モエって……」
「結論から申しますと、わたくしたちで稼ぐしかありませんわ」
物事の要点は初めに話す方がスムーズであることをクラリッサは心得ている。しかし、どういうことかまったく理解できていないアルバートは首を傾げた。
「自分たちで?」
「ええ」
「どうやって?」
「わたくしを誰だと思っておりますの」
クラリッサは胸を張った。
「大商家、ベルナドールの長女、クラリッサでしてよ」
クラリッサは商家の娘だ。幼き頃より、父の手練手管をこの目で見てきた。
つまり、自分の持ち得る一番の武器は、この商売知識だ。
「わたくしにも、多少コネがございます。お金もこの間受け取ってもらえなかった分が残っていますわ」
この間、アルバートに喜んでもらおうと持って行ったお金は、受け取ってもらえなかった。それが丸々残っている。ちなみにこれはクラリッサが自由にできる個人資産の全額である。
「もともと嫁いだら、父の自由にさせないために、手を打とうと思っておりましたの。それが早まっただけですわ」
計画が前倒しになっただけだ。クラリッサは結婚後まで父の道具になる気はまったくなかった。
「初耳なんだけど」
「アルバート様が父の手下だった場合を考慮して、嫁ぐまで言わないつもりでした」
「おい」
「でも今はそんなことはないだろうと確信しておりますわ」
にっこりと微笑むと、アルバートはぐっと押し黙った。
「……お前、親父さん嫌いなのか?」
「あら、今更ですわね。大嫌いですわよ」
アルバートに問われてクラリッサはきっぱりと答えた。
「まあ、父のことは置いておいて」
クラリッサは手を打ち鳴らした。
「この蜂蜜レモンを、販売しましょう。手土産にぴったりと銘打って」
「そんなんでいけるのか?」
「いけますわ」
クラリッサは力強く頷いた。必ず売れると、クラリッサは確信していた。
「今、手土産には、高級店のお菓子を持っていくのが定番です。だけど、そこまでの大げさなものじゃないほうがいいな、という訪問などでは、皆どうするか大いに悩み、手ぶらで行くか、仕方なく高いお菓子を買うかのどちらかを選択するしかありませんでした。でもこの蜂蜜レモンなら、そういった手土産にピッタリですわ」
クラリッサは、蜂蜜レモンの入ったビンを手に持ち熱弁する。
「しかもこれなら肉体労働をしている男性への差し入れに持ってこい! 絶対若いお嬢さん方に受けますわ! 意中の相手に手作りの差し入れをするのは定番ですもの!」
あと、と言いながら、クラリッサが蜂蜜レモンのビンをカゴに戻した。
「それに付随して、クッキーなどのお菓子が簡単に作れるキットも販売しようと思います」
「キット?」
「この間わたくしは大失敗しましたが、それは事前に材料がきちんと準備できず、作り方をうまく把握していなかったからですわ」
「失敗の原因しっかり把握してるのかよ……」
アルバートはあのクッキーの味を思い出したのか、手で口を覆った。
クラリッサはアルバートの青くなった顔を見ながら、話を続ける。
「キットでは必要な材料をまとめ、また作り方を絵で描いた紙を付属としてつけようと思います。これで料理が苦手な方でも、簡単に作れるはずですわ。分量など量らなくていいですからね」
「へえ」
アルバートは青い顔をしながらも、感心したように頷いた。
「確かに、お菓子やパン作りでは、分量をきっちり守るのが一番の基本だからな」
「ええ。量り間違えたり、色々準備するのが面倒な方には打ってつけでしょう」
完成したらクラリッサも使おうと思っている。今度こそクッキーを成功させるのだ。
「キットのほうは少し時間がかかりますが、蜂蜜レモンは材料も手順も簡単ですから、低コストですぐに取り掛かれますわ。こういうものは早く始めたもの勝ちです! すぐに取り掛かりましょう!」
「なるほど」
アルバートはクラリッサの話にコクコク頷いている。アルバート本人もやる気になってきているのが見て取れて、クラリッサはほくそ笑んだ。
「でもこうした商品はまず知ってもらうのが大事ですの」
クラリッサはアルバートへ顔を近付ける。アルバートが頬を赤らめた。
「うふ、そういう純なところがたまりませんわ」
「何の話だ?」
「すみません、間違えましたわ。アルバート様には広告塔になってほしいんですの」
うっかり本音を言ってしまったクラリッサは、改めてアルバートにお願いする。
「広告塔?」
「ええ、アルバート様に、店員として働いてほしいのです」
「俺が?」
「アルバート様ほどぴったりな方はいませんわ!」
クラリッサは拳を握った。
「あのうすら寒い王子様スマイルの出番ですわ!」
「人の黒歴史を出すな!」




