一緒に世界を守るために戦ったあの子の結婚相手が俺じゃない
式場まで
「このビル、先週飛び降り自殺があったそうだぜ」
10月30日、某所。式場に向かう途中、川端はビルを見上げて俺に言った。時刻は昼過ぎではあるが、薄暗い。空にはのっぺりとした雲が広がり、太陽を覆い尽くしていた。直に雨模様になりそうだ。
「お前、今から結婚式に参加するのによくもまあ、縁起の悪い話をするもんだな」
「そうか、お前の言うとおりだな。だけど聞いてくれ。ここで飛び降りた女性なんだが、自殺にしては色々不自然な点があるみたいなんだ」
川端は俺の制止には耳を貸さずに話を続けた。彼と会うのは去年のGW以来であるが、一度吐き出した言葉は全て出しきらないと気がすまないところは相変わらずだ。溜息が白くなるのを確認したあと、俺はあまり気乗りしないまま話を続けることにした。
「不自然な点か。他殺の可能性とか?」
「そう、その可能性もある。その女性、どうも自殺に至った経緯が全く分からないそうなんだ。家族や友人になにか悩みを相談していたわけでもない。仕事は順調だし、交際相手とは婚約していた。来月に婚姻届を出すつもりだったみたいだ。とにかく順風満帆な人生だ。こんなビルで働いてるんだ、お金に困ることも無いだろう」
「自分が働いていたビルから飛び降りたのか? それならやはり仕事で悩んでいたんじゃないのか?」
「そうはいっても、誰も心当たりはないんだぜ。不思議に思わないか?」
「誰にも言えない悩みがあることは、特別な事じゃない。誰にも言えないからこそ、自らを殺める選択をした。それだけじゃないかな」
川端には俺の言っていることが理解できないだろう。彼は悩みを抱え込む事を知らない。彼の長所であり、短所でもある。
「みんなが見ている、知っている部分がその人物の全てじゃないよ。月の裏側みたいに誰にも見えない部分がある。それは当の本人でさえ普段は気づかない影なんだ」
「そんなの俺にもあるのかね」
「いや、お前は無いよ。太陽みたいにギラギラしてるから」
川端は少し誇らしげに微笑んだ。
『藤田家 湖月家 結婚式会場』
歩くこと十数分、道路を挟んで目的地である式場を見つけた。
「なあ、牧谷。お前は旦那さんを見たことがあるのか?」
「まさか。大学を卒業してから一度も湖月とはあっていないよ」
「意外だな。お前、湖月さんとすごく仲良かったじゃん。正直デキてると思ってたもん」
「仲が良かったのは否定しない。けどお前が思っているような関係じゃないよ」
「こんな事を、こんな日に、こんな場所で言うのは良くないけど、俺さ、お前は湖月さんと結婚すると思ってたんだ」
川端の言葉が心臓を擦った。まったく、嫌なことを言う。
式場の前に立つスタッフが俺たちに気づき、道路を渡ってこちらに近づいてきた。俺たちは簡単に自己紹介を済ませると、そのまま式場へ案内された。門を抜け、建物内へ入る途中で俺は灰皿を確認した。
「悪い、川端。一本吸っていくわ」
川端は何も言わず、右手の親指を立てた。
俺はスーツのポケットからタバコを取り出し、火をつけた。俺は思い切り煙を吸い込み、それを一気に空に放った。曇り空はまだら模様になり、やがて一面灰色に戻っていく。それから視線を下に向けた。靴紐がほどけていた。
--俺と湖月が出会ったのは、9年前だ。正確にはもっと昔にあっていたらしいのだが、俺も湖月も記憶にない。だから9年前に大学で出会った時が最初の出会いとしている。
湖月は俺が月の戦士の末裔であるとひと目でわかったらしい。さすがは古代月帝国の王女様だ--
この結婚式に参加する皆は知らないのだ。人知れず俺と湖月が世界を守るために戦っていたことを。
俺は靴紐を結び直し、川端の待つ式場へと向かった。
人前式
式のスタッフに案内され、俺と川端は人前式が行われる会場へと足をやった。会場へと続く道には赤いカーペットが敷かれており、いよいよ始まるのだな、と俺は息を呑んだ。
会場は小さく、中に入ると、正面には聖母をモチーフにしたステンドグラスが一枚飾られていた。俺たちは右手へ行き、静かに椅子に座った。まもなく席のほとんどが埋まっていった。談笑もやがて静まり、静寂が会場を包み込んでいった。
頃合いを見て、司会の女性が話し始めた。人前式が始まるのだ。
あいつが結婚する。9年前、俺と湖月は一緒に戦った。俺は何度も湖月に命を救われたし、俺も幾度となく湖月を助けた。
--特に最後の戦いである『月末戦争』では実際に俺は一度死んでしまっていた。
湖月のおかげで俺は生き返ることができたが、代償として湖月は月光力(ムーンライト)を失ってしまい、月に帰ることができなくなったのだ。
古代月帝国の王女である彼女は、本来ならこの地球にとどまらずに、生き残った『月族』と共に別世界へと旅立つ役目があった。
生き残った『月族』の中には彼女の父親と妹がいた。母親は小さい時に亡くしている。唯一の親族である二人が別世界に旅立った今、彼女は二度と家族と会うことはないのだ。今日の式に参加しているのは、母方の祖父と祖母、そして母親の妹だ--
会場に音楽が流れ始める。よくある結婚式定番のクラシックだ。振り返るとまもなく新郎が入場してきた。
180cmはあろうか、大柄、筋肉質、短髪。いかにもスポーツマンといった風貌だ。銀縁のメガネをかけているが、この日のために用意したのだろうか。お世辞にも色男とは言えないが、清潔感があり、軽薄そうではあるが人の良さが顔ににじみ出ている。どこか川端に似た雰囲気があった。
『藤田 哲司』
招待状にあった湖月の夫の名だ。
そう、正確にはもう彼女は『湖月 沙耶』ではなく『藤田 沙耶』なのだ。
何ということだろう、彼女は由緒正しき月の名、『湖月』を捨ててこのような凡庸な名に変わり果ててしまったのだ。
『湖月』とは、すなわち月にある湖を意味する。月の湖は地下にある。『月末戦争』の最終舞台もこの湖だ。地球上のどんな湖より美しく、透明で、幻想的。そして最も血が流れた歴史のある湖だった。ちなみに湖月は月面語で『アル・ス・ランサ』という。
そんな高貴な名前も、月光力も、彼女は捨てたのだ。俺は今も月光力が残っている。全盛期に比べたら微々たるものだが、やろうと思えばこの会場など3秒で更地にできる。
だからどうしたというのだ。俺は式場を更地にしたいわけではないし、この結婚式を止めたいわけでもない。こんな力があったところで俺の願いは叶わないのだ。
新郎の入場が終わり、ついに新婦が入場してくる。
「‥‥湖月」
かすかに声がこぼれた。場内の誰も聞こえないくらい小さな声が、俺の喉から。川端には聞こえていたかも知れないが、きっと聞こえていても気づかないふりをしてくれているのだろう。
湖月は美しかった。その姿に俺は少し目が眩んだ。長く伸びた黒髪は、流れる川のように。純白のドレスに劣らぬ白い柔肌は、粉雪のように。長いまつげの奥にある白銀色の瞳は、湖に映る満月のように。凛として、気高く。純粋で、聡明で、可憐で、尊い。
彼女は何も失ってなどいない。何も変わらず、あの日のまま、美しいままだった。
湖月は大学に入学した当初から、皆に一目置かれる存在だった。容姿はもちろんだが、学年トップの成績に加え、王女の血筋からなのか、不思議なカリスマ性があった。そのため男女を問わず人気だった。数々の男前達が湖月にアタックをしては、撃沈していく様子を俺は何度も目撃している。
そんな高嶺の花が、俺のような平凡極まりない男といつも行動していた。地球を守るために。端から見ればさぞ不思議だったであろう。
俺は彼女とは違い、使命感や正義感で秘密結社『月の民』と戦っていたわけではない。
気になる子と共通の話題、共通の趣味があったら嬉しい事とおなじで、共通の敵と戦っていただけだ。秘密を共有し、親密になる。そのために命をかけて戦っていたのだ。
俺は地球を守りたかったんじゃない。君を守りたかったんだ。
ずっと暖めていたセリフは結局、使われること無く、本日期限切れとなった。
誓いの言葉が聞こえてくる。次は誓いのキスだろうか。
ふと、足元を見ると、靴紐がほどけていた。
披露宴
披露宴の会場に移動した俺と川端は、指定されたテーブルの席に座った。俺は椅子に深くもたれかかり、テーブルにあるコースメニューを眺めていた。
テーブルには俺と川端の他に、女性が2名、すでに着席していた。川端が二人に軽く会釈をすると、二人はすぐに返してきたので俺も背筋を伸ばして小さく頭を下げた。
「お嬢様方は沙耶さんとどのようなご関係なのですか?」
川端は定型文のような質問を投げつけた。
「私達は沙耶とは保育園の頃からの付き合いなんです。いわゆる幼馴染ってやつです」
「幼馴染ですか。今でも付き合いがあるとは、本当に仲がいいんですね」
「そうですね。もう、仲がいいと言うか、腐れ縁みたいなもんですよ。あなた達は沙耶とどのようなご関係ですか?」
「大学で知り合って以来、仲良くさせていただいてます。いや、しかし、綺麗な人の友人はやはりお美しいのですね」
「こんなとこで口説くなよ。あ、こいつ既婚者なんで」
川端は女性にだらしがない。初対面の女性はとりあえず口説こうとするのだが、上手くいったことはない。こいつにツッコミを入れるのが俺のいつもの役目だった。
今にして思うことは、人見知りで口下手な俺が会話に参加しやすいように、気をまわしていたのかも知れない。
それから披露宴が始まる少しの間、4人で歓談をした。幼馴染の二人は、小さい頃のエピソードを。泣き虫だったり、今と変わらず頑固だった湖月のことを話していた。川端は入学初日に湖月にフラれた時の話を、落語のように語った。俺は湖月の学校での人気や逸話について幼馴染の二人に教えた。無論、月で戦っていたなんて言えるわけが無い。
本当に話したいことはたくさんある。クラシックばかり聴いていたあいつに、ジャズの素晴らしさを教えたのは俺だ。犬より猫派だ。梅雨の時期の蒸し暑さが一番苦手だ。ショートケーキの苺は最初に食べる。一度気に入った映画を見つけると、何度も見ては何度も泣いている。機械音痴で携帯電話もろくに使えなかった。好きな小説ジャンルはSFで、ハインラインが一番のお気に入りだった。『夏への扉』を何度か勧められたが、結局、俺は一度も読まなかった。
--湖月は一度決めたら、絶対にやり通す。俺の話なんか聞きやしない。『月末戦争』の時だって、俺はあいつに地球に残れと言った。
だけど、あいつは最後まで戦うと答えた。俺が何度説得しても、聞く耳を持たない。
「私は最後まであなたと戦う。もう誰も死なせない。あなただけは絶対、死なせたくない」
それは俺も同じだった。湖月だけは守りたいと思っていた。だからこそ、あいつが戦いたい気持ちも分かってしまう。
結局、死んでしまったのは俺の方だったが。
披露宴の入場曲が流れる。人前式と違い、ポップで軽快な曲だ。この曲は俺も知っている。日本の男性アイドルグループが歌う、キャッチーでくだらない歌だ。湖月が選曲したとは思えない。新郎がこのグループのファンとも思えなかったのだが、湖月がこの曲をチョイスする可能性を考えれば、新郎が男性グループのファンである可能性のほうがまだ高い。
二人が入場してくる。新郎は相変わらず薄ら笑いを浮かべている。湖月はいつもどおり美しかった。
司会の進行に促され、二人は出会いのエピソードを語った。湖月が就職したデパートに、バイトとしてこの新郎が来たことが、二人の出会いだ。新郎は湖月より4つも年下だった。新郎は湖月に一目惚れだったみたいだが、湖月は第一印象を覚えておらず、彼を気にもとめてなかったようだ。
司会者にお互いの好きなところを1つ、と質問されると、新郎は
「真面目で、しっかりしているので、だらしがない僕のことをしっかり支えてくれる」
と答えていた。真面目に聞いていなかったのでセリフに間違いがあるかも知れないが、内容は充分理解している。
一方、湖月は新郎の魅力をこう答えていた。
「正直、何が好きなのかはよくわかりません。強いてあげるとすれば、さっきの入場曲を歌っていた平沢君にちょっと似ているところかな」
会場に笑い声が溢れた。平沢とは、男性アイドルグループのメインボーカルである。
「沙耶って、昔から平沢君が好きだったもんねー」
「確かに、似てるといえば似てるけど」
幼馴染の会話が聞こえる。昔からのファンだったのか。そんな事は知らなかった。川端は、他の大学の仲間たちは知っていたのだろうか。いずれにしても、彼女がこのような俗物的なものに興味を示すことがあるとは、にわかに信じがたかった。彼女は高貴な王女なのだから。
そうか、俺は湖月の事を何も知らなかったのだな。地球で育ち、地球で暮らす彼女のことを。彼女は『古代月帝国の王女』なんかじゃない、ごく普通の、ちょっと綺麗な女の子なのだ。
会場が暗くなり、スライドショーが流れる。
新郎のスライドショーは、いかにも陽キャらしいスライドショーだった。少年時代は柔道をたしなみ、高校生になってからラグビーを始めた。ガタイのいい男が何人も笑顔で写っている。どいつもこいつも川端みたいに見えてきた。
湖月のスライドショーが流れる。生まれて間もない湖月と、それを抱く今は亡き母親。母の顔を見るのはこれが初めてだった。今の湖月とそっくりで、美しく、写真からでも芯の強さが伝わってくる。
幼馴染の二人は母親の顔をみて少し涙を浮かべていた。恐らくこの母親とも交流があったのだろう。湖月の表情は暗くてよく見えない。
それから、小、中、高と湖月の写真が映されていく。俺はこの時代の湖月のことを何も知らない。吹奏楽部に所属しており、県のコンクールに優勝したことや、中学、高校では生徒会長を努めたこと、大きな犬を飼っていたこと、修学旅行は福岡に行ったこと、たくさんの友だちに囲まれていたこと。
それから大学時代の写真が映される。入学時の写真、文化祭の写真、そして、卒業式の写真だ。俺は文化祭の写真にしか写っていなかった。そのままスライドは卒業後の職場の写真、新郎とのツーショットを写していった。
--卒業式に俺は参加できなかった。『月末戦争』(レニゲーテ)で一度死んだ俺は、湖月のおかげで一命を取り留める事ができたが、意識が戻らず約半年、病院で眠り続けていた。おかげで出席日数が足りず、卒業論文も完成しなかったので、俺はもう一年、大学生でいることになった。
授業料や、入院費、俺が借りているアパートの家賃などは全て湖月が支払ってくれていた。湖月は父親から莫大な遺産を受け継いでおり、その殆どは祖父母に譲っていたが、この時ばかりは祖父母に連絡をし、金銭の工面をしたそうだ。
後に川端から聞かされたのだが、湖月は毎日欠かさず、見舞いに来てくれていたそうだ。湖月が一体どんな表情で、感情で俺のそばにいてくれたのか、意識のなかった俺には知る由もない。
俺が目覚めたのは、6月の中頃、雨の日だった。初夏にしては肌寒かったことを覚えている。
混濁した意識の中、満月を見た。湖に沈んだ、白銀色に輝きを纏うその月が水面の底から浮かび上がってくる。湖は雨に変わり、俺に降り注いだ。不思議と雨は暖かかった--
式もまもなくフィナーレを迎えようとしている。湖月は両親や友人へあてた感謝の手紙を読んでいる。幼馴染の二人は涙を流している。きれいな涙だ。湖月のことを思い、湖月のために泣いている。俺が堪えている涙は違う。
俺は自分を憐れみ、その情けのなさを押し殺そうとしているだけだ。俺はただただ、湖月を見つめることしかできなかった。湖月もこちらを見ていた。
この日初めて、湖月と目があった。湖月は穏やかに微笑んでいた。俺が目を覚ましたときと同じ笑顔だ。湖月は俺に向かって何かをつぶやいた。声は聞こえなかったが、俺はすぐに理解した。読書家の彼女らしい口癖だ。その言葉に深い意味はない。だから俺はいつもこう返していた。
「このまま時が止まればいいな」
式が終わり、俺は立ち上がった。靴紐はほどけなかった。