第9話 神州
さて、伯鳳について記したあとは、伯凰についても記しておきたい。
伯凰の現状について一言で表すのであれば、順調という言葉がもっとも相応しいであろう。
それほど、伯凰は順調に成長していた。
群臣からの人気はひきつづき高く、性情には僅かな歪みさえ見られない。
外見についても艶やかな黒髪は長く伸ばされ、毛先にかけて染まった赤色は年を重ねるごとに鮮やかさを増している。
容姿端麗であり、利発でもある。
およそ、完璧といって差し支えあるまい。
そんな伯凰であるが、近頃は伯鳳のこと以外にも強い興味をもっているものがある。それが何かをいえば、
「えっと⋯⋯これね」
今まさに伯凰が手に取った、王室の蔵書室に保管されている書物である。
表書きには【神州】と書かれていて、伯凰はそれを徐に開いた。
伯凰が神州について知ったのは、たまたま兄である太子の勉学に同席した時である。
太子に勉学を手ほどきしているのは神職の家系である白峰家の当主(名は景という)であり、銀髪を靡かせる景の講義のなかに神州についての話があったのである。
では、神州とは何なのか。
これは伯凰が生きる時代より遥か昔、神話の一幕のことである。
神州を紐解くにあたって、重要なことは2つ。
それが、呪王と姫刀である。
呪王は呪力と呼ばれる特殊な力によって神州を支配した、周囲が驚くほどの美貌をもった白髪の女性。
姫刀はそんな呪王が生み出した、不思議な刀達であるとされている。
呪王については詳細が謎に包まれているが、姫刀については分かっていることが幾つかある。
たとえば姫刀というのは複数存在していて、その原点は黒姫と呼ばれる最凶の名を冠した刀であること。
その黒姫は女性の姿をしていて、内巻きになった黒髪に花を模した、留め紐が長く垂れた髪飾りをしていたらしいこと。
そして、黒姫以外に存在が確認されている金剛姫や翔鶴姫も女性の姿をして、それぞれ花を模した髪飾りをしていたことなどである。
何を隠そう伯凰が最初に興味をもったのも黒姫や金剛姫、翔鶴姫に代表される姫刀についてである。
景が講義のなかで触れた、その美しさに惹かれたといってよい。
そのため伯凰は時間を見つけては、姫刀について記された書物を好んで読んだ。
そして、その過程で伯凰の興味は、
「どうして、神州は過去になったのか?」
という点に移った。
伯凰が調べたところでは、直接的な原因は呪王にあったらしい。
というのも、呪王はある時点から人が変わったように世界を憎むようになり、そのすべてを滅ぼそうとしたと言われているからである。
神州は強大な力が溢れた時代であり、その時代の君臨者である呪王もまた絶大。
ゆえに呪王の矛先が世界に向けられたとしても、それを防げる存在はなく、結果的に神州は呪王によって滅んだ。
ちなみに、黒姫が最凶の姫刀と呼ばれる所以は、このときに呪王とともに世界を闇へ葬り去ったからと言われている。
「でも、呪王がどうやって世界を滅ぼしたかについては、どこにも書かれていないのよね」
伯凰は読んでいた書物を閉じると、大きく伸びをしながら息を吐いた。
そして頬杖を突きながら、つまらなさそうに表書きを撫でた。
姫刀について調べ、神州の滅亡理由について調べた伯凰が今知りたいのは、呪王がどのように世界を破滅させたのか、についてである。
こう書くと、何やら伯凰が不穏な考えをもっているように感じられるかもしれないが、むろんそんなことはない。
伯凰が知りたい核心部分は、
――どうすれば、それだけの力を扱えるのか。
という点にある。
伯凰が生きる時代には呪力は存在せずとも、霊力と呼ばれる力が存在していることは何度か触れてきた。
そして、伯凰は霊力の面でも資質に恵まれ、高い潜在性を秘めた女児である。
だからこそ、というべきか。
伯凰は常々、霊力の扱い方に疑問をもってきた。
たとえば霊力は、単体での運用は出来ないとされている。
霊力は非物質的なものであり、それらを具現化するためには物質の介在が必要となる、ということである。
では戦場を例に挙げて、具体的にみていこう。
戦場で霊力を用いる場合、一般的には刀を媒体とすることが多い。
刀身に霊力を纏わせることで強靭化や切れ味の向上、なかには刀身を熱するといった練度の高い者もいたりする。
しかし、所詮はそれ止まりである。
そこから更に、火の球を飛ばしたり、水を発現させたりすることは出来ない。
この点は資質に恵まれたとはいえ、伯凰も似たようなものである。
生まれついてもった火の属性を使い、試行錯誤を経て刀身から炎を噴き上げさせるまでになったという違いはあれど、それを自身の身体から離して扱うことは出来ていない。
霊力を具象化し続けるためには、必ず伯凰がそれに触れている必要があるのである。
では、その状態で世界を破滅させることが出来るのかと問われれば、どうであろうか。
十中八九どころか、十割が不可能と答えるであろう。
だからといって他人の意見に流され、あっさりと現実に屈するほど伯凰は諦めがよくない。
規則や制限、伝統といったものを、伯凰は忌み嫌う。
もっと正確に言えば、それらを盾に変化を拒んだり、保身に走る者達を忌み嫌っているといえる。
どんな伝統のなかにも疑問視され、再評価されるべき余地が必ずある、というのが伯凰の考えなのである。
そのためにも、
「呪王について調べれば、まだ知られていない霊力の使い方が分かるかもしれない」
として伯凰は、時間をみつけては呪王について調べているのである。
ちなみに少し先のことだが、伯凰のこの好奇心と願望は、実に意外な人物によって満たされることになる。
その邂逅が世界を驚かせるほどの、一方的で型破りな方法を伯凰に与えることになり、またその運命までをも変えてしまうのであるが、それはまだ誰も知らない話である。
むろん、この時の伯凰でさえも⋯⋯。