第4話 暗澹
「な、何でしょうか」
炎寿の威風に圧倒されながらも、伯鳳は逃げなかった。
いつもだったら、適当に話を濁して逃げていてもおかしくない場面である。
それが、どうして逃げずに炎寿の問いに答えようとしているのか。
いつも庇ってくれる伯凰がいないからか。
それとも⋯⋯。
みずからの行動に困惑している伯鳳をみた炎寿は、
「どうしてそのように、ご自身を卑下なさるのですか?」
と、優しく問いかけた。
さらに、
「王族なのですから下々の者の都合など考えず、ご自身のなさりたいように振る舞えばよいではありませんか。不満を口にする者がいれば、処刑してしまえばいい。私がお手伝いしましょう」
ともいい、伯鳳の反応を待った。
思いもかけない炎寿の発言に、伯鳳の困惑が深まったのはいうまでもない。
「迷うことはありません。伯鳳様には生まれつき、与えられた力がある」
「それは⋯⋯」
「お望みであれば、明日から伯鳳様が快適に過ごせるようにしてみせましょう」
畳み掛けるような炎寿からの提案に、伯鳳は無言のまま俯いてしまった。
炎寿の目には、それが伯鳳の迷いとして映っている。
そしてその状態のまま、2人のあいだに沈黙がながれた。
どちらも発言しないということは、伯鳳が返答するべき場面ということになる。
――炎寿殿は、わたしを試している。
内心でそう思った伯鳳は、意を決して、
「力を持つのであれば、その使いかたを知るべきです。王族であれば、民のことを思うべきでしょう」
と、炎寿の目をまっすぐに見ながら言い放った。
おそらくこれが、他人に対して初めてみせた伯鳳の個性になる。
力強い言葉とは裏腹に、皺になりそうなほど衣装を強く握りしめる伯鳳は、極度の緊張状態にある。
それを理解しつつ、それでも炎寿は問いを重ねた。
「であれば、なぜその考えを発しないのですか? 考えを伝えるのも、王族の責務のはず」
「⋯⋯私には兄がいて、姉がいます。兄や姉よりも劣る私が考えを述べるとすれば、それは群臣の歓心を買うものになるでしょう。私は、そこまでして王族であり続けたいとは思いません」
「なるほど⋯⋯そういうことですか⋯⋯」
今度は、炎寿が言葉に詰まった。
伯鳳を軽く見ていたわけではないものの、それでもそこまで考えているとは思っていなかったからである。
それゆえ伯鳳の返答に対して、炎寿は安易に言葉を重ねることを避けた。
その心の内では、
――耐えている。
という言葉が浮沈しており、その考えが表情に出ることを警戒してか、炎寿は仰向いた。
別に炎寿は、伯鳳を憐れだとは思わない。
伯鳳の幼さを理由に憐れむ者もいるかもしれないが、人が生きるにおいて年齢はさほど重要ではない。
別に遠くを眺めずとも、日頃から顔を合わせる者達を見てみればよい。
そこには若くとも大人な者や、歳を重ねても子供から抜け出せない者がいるはずである。
であれば、その人間の軽重を年齢だけで量ることはできまい。
少なくとも炎寿は、そのように考えている。
それに、耐え忍ぶことは悪いことではない。
人は不遇において知恵を磨き、耐え忍ぶことで成長する。
多くが一度はあこがれを抱くであろう順風満帆な環境というのは、必ずしも人を練磨しない。
不遇な環境においてこそ人は磨かれるのであり、その時間をどう活かすかは人それぞれであろう。
――それにしても。
炎寿はあらためて、伯鳳をみた。
伯鳳の不遇が伯凰によるものなのは、疑いようがない。
これは伯鳳が悪いわけではないが、生まれついた環境を選べないのも事実である。
伯凰の傍らにいるかぎり、伯鳳の不遇は続く。
伯鳳にも、それが分かっているにちがいない。
だから虚しさを抱えたまま行動せず、ただ耐えるという悲観的な選択をしてしまっている。
が、行動しなければ事態は好転してゆかない。
――どうすれば伯鳳様に、行動することを教えられるか。
そう悩みはじめた炎寿に、
「伯凰様がお探しです」
そっと近づき話しかけてきたのは、伯凰に付けていた家臣である。
その家臣がここにいるということは、伯凰も近くにいるのであろう。
また、伯凰が探しているのは炎寿ではなく伯鳳のはずである。
家臣に小さくうなずいた炎寿は伯鳳に、
「伯凰様がお探しのようです。貴重な時間を割いていただき、ありがとうございました」
と、丁重な礼容を示した。
そして、そのまま家臣に伯鳳を任せようとしたときである。
「私も炎寿殿に聞きたいことがあります」
意外なことに、伯鳳が炎寿を引きとめた。
これには炎寿も驚きつつ、どうぞ、というな仕草でその先をうながした。
「生きるとは、どういうことですか?」
「⋯⋯と仰いますと?」
「さきほど炎寿殿は、私に王族としての生き方を話されました。しかし、私は王族だからという理由だけで好き勝手に振る舞う生きかたはしたくありません」
「そうですね」
「であれば、兄や姉に及ばない私はなにを目的に生きるべきなのか。それが分からないのです」
「なるほど。伯鳳様のお気持ちはわかりました。が、ここでそれを話すと長くなりますから、またの機会にいたしましょう」
このさして意味のないように思える、長くもない問答に、炎寿は内心で笑みを浮かべた。
なぜならこの問いには、
――このまま何もしないで生きてゆきたくない。
という伯鳳の意志が込められていると、そう感じたからである。
つい先ごろまで、どのように伯鳳に行動する大切さを教えるかと悩んでいたぶんだけ、炎寿の喜びは大きかったといえよう。
とはいえ、この問いに対する答えは伯鳳の一生を決めかねない。それゆえ、
――然るべき時と場において、改めて伯鳳様の意志を確かめてからでも遅くはない。
必然的に炎寿は慎重になった。
「鳳、ここにいたのね」
「凰姉」
「戻ってこないから、心配したのよ。そろそろ帰りましょう」
そんな場にちょうどよく現れたのが、伯凰である。
伯凰は伯鳳に異常がないことを確認すると、炎寿に帰ることを告げた。
「伯凰様。本日は弊宅にお越しくださり、ありがとうございました」
「こちらこそ、おもてなしに感謝いたします」
「護衛の者を門前に待たせておりますので、お帰りの際にはお連れください」
「まあ。家臣の方の心配りの良さは、炎寿殿あってのことだったのですね。家は主を映すとは、炎寿殿の袖下家のためにある言葉だと感服いたしました」
「過分なお言葉です」
「では、これでお暇いたします」
炎寿との会話を終えると、伯凰は伯鳳を促した。
まだ帰りたくない伯鳳は炎寿に視線を向けたが、その炎寿が小さく首を横に振ったのをみれば諦めざるを得ない。
結局、伯鳳は一方的に答えただけで炎寿からの回答をもらえておらず、帰途におけるその心情は複雑である。
――次に炎寿殿の話せるのはいつになるのか。
そう考える伯鳳はこの時、予想だにしなかったであろう。
明年、誰もが驚嘆する形で炎寿からその答えを告げられることを。