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外伝 鳳凰の想いに依りて、雪は染まり  作者: suimya
序章 黎明の炎夢
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第3話 炎寿



「あれは?」



 ひさしのある廊下を歩いていた男は足を止め、眼下にひろがる修練場を眺めながら問いを発した。

 男は壮年期を終えようとする年齢であり、褐色の髪を後ろで短く縛っている。



 体つきに弛みはなく、風貌はこれといって特徴はないが、まとう空気は余人とは違うものがある。

 そんな男からの問いに同行者の1人が、



「伯凰様が特訓されておられるのです。なんでも、弟君である伯鳳様を鍛えるのだとか」



 と、答えた。

 そこには伯凰を賛美する感情と、幾ばくかの伯鳳への侮蔑が混じっていたが、



「ふむ⋯⋯」



 男はそれには気づかないふりをして、小さく唸った。

 男の名は、袖下そでした 炎寿えんじゅという。



 官職は人臣の最高位、すなわち宰相。

 群臣の頂点に立ち、大成王に厚く信頼される切れ者である。



 そんな炎寿は多忙であり、いまも大成王に呼ばれて向かう途中にある。

 にもかかわらず、足を止めてじっと伯鳳達の特訓を眺めているのだから、同行者はその態度を訝った。が、やがて合点がいったのか、



「炎寿殿も、伯凰様が気になりますか?」



 と、笑いながら話しかけた。

 それに対して炎寿は視線を動かさず、問い返した。



「なぜ、そう思う?」


「なぜ⋯⋯とは?」


「あの場にいるのは伯凰様だけではない。伯鳳様もいるではないか」


「はは、炎寿殿も冗談を仰るのですね。伯鳳様は伯凰様とは比べものになりませんよ」


「⋯⋯そうか」



 ここでようやく炎寿は、同行者へと視線を向けた。

 そして、



「そなたには、そう見えるのだな」



 とだけいうと、これ以上ついてこなくていいと手で制し、1人で歩きはじめた。

 そのまま王宮の奥深くに足を踏み入れた炎寿が入ったのは、小部屋の1つである。



「来たか」


「お待たせして申し訳ございません」


「いや、いい。早速はじめよう」



 小部屋のなかに居たのは大成王だけであり、ほかに人影はない。

 となれば、これは密談である。



「そなたの考えを聞かせてくれ」



 そう言うと、大成王は机上に広げられた地図の一点を指で突いた。

 そのすぐ側には、都下という文字が記されている。



 蒼纏逼塞から一転、劇的な勝利を飾ったこの時期、大成王は都下への報復を考えていた。

 それについては炎寿も賛成で、



「仇敵を一度でも許せば、あらたな禍いを招きかねません」

 


 と、速やかな出師を主張した。

 また、それだけでなく、



「神奈川と都下は密接なつながりがあり、樹木に例えれば幹と根のようなものです。幹を倒しても根が残ればあらたに成長し、枝葉を伸ばすことで我が国の前途を塞ぐかもしれません。樹木を倒すのであればその根まで掘り返し、完全に覆滅させるべきです」



 と、驚くべき激しさで言い放った。

 炎寿としても、都下にたいして思うところがあるのである。



 蒼纏が大軍勢に攻められたとき、炎寿は外交のために国外にいた。

 というより、炎寿の留守をねらって周囲が攻め寄せてきた、といったほうが実情にちかいかもしれない。



 そのため、大京国は不意を突かれた形となり、あっという間に首都を包囲され、炎寿は帰国することができなかった。

 炎寿にできたことといえば滞在先で謀略をめぐらせ、都下軍を撤退させたことくらいである。



 もっとも、都下軍の撤退により大京軍が反転攻勢に出れたことを考えれば、そのくらいというのは表現としては不適切かもしれない。

 それでも炎寿としては、



 ――国を空けるべきではなかった。

 という、自責の念のほうがつよい。



 ゆえに、帰国してから徹底的に背後関係を調べあげ、都下が神奈川などを焚きつけたことを掴んだ。

 蒼纏をめぐる攻防戦において、都下は神奈川などの要請をうけて軍を動かしたという体裁を取っているが、真実はその逆だったということである。



「中途半端な優しさは、自身ばかりか他者をも損なうもとです」



 大成王の沈黙をまえに、炎寿はさらに言葉を重ねた。

 そんな炎寿をみて、大成王は内心で戸惑った。



 大成王の脳内には都下を叩いて外交の席へ引きずり出し、従属させるという図があったからである。

 が、大成王は誰よりも炎寿という人物を知っている。



 炎寿の器は、すべてを武力で解決しようとするほど小さくない。

 そんな炎寿が武断をつよく勧めるというのが、どういうことか。

 


「そたなが軍を率いてゆくのか?」


「ご許可をいただけるのであれば」


「わかった。万事まかすゆえ、試みてみよ」



 結局、大成王はみずからの考えよりも、炎寿の献策をとった。

 その結果、大成王14年の夏に大京国は都下へ宣戦布告。



 そして、布告から間髪入れずに大挙して攻め入った。

 都下からすれば、突如の侵攻といってよい。



 炎寿による徹底した情報封鎖により、その予兆を掴めていなかったのである。

 それでも都下は迎撃軍を展開してきたが、炎寿はこれに素早く一撃をくわえ、



「敵対する者があれば、容赦するな」



 と、潰走する都下兵の背を討ちながら、さらに侵攻。

 敵対する勢力を徹底的に磨滅しながら、その領土の隅々まで兵を浸透させていった。



 大京軍の激烈さを目の当たりにした都下の面々は蒼白となり、ついには抵抗をあきらめ、首都からも逃亡した。

 置き捨てられた形になった首都をたやすく占領した炎寿は、



「逃亡した者達がどこへ向かったのか、冬までに突き止めよ」



 そのように下僚に厳命し、必要な守備兵だけをのこして自らは帰途についた。

 炎寿が蒼纏に帰還したのは、秋も半ばである。



「よくやってくれた」



 捷を献じた炎寿を、大成王は上機嫌でねぎらった。

 炎寿に率いられた大京軍は3ヶ月近く戦いつづけたにもかかわらず、死者の数が想定よりもはるかに少ない。



 それだけでも大成王としては、ほっとした思いであり、

 ――炎寿は兵略にも優れている。



 と、その才の大きさを再認識した。

 それはつまり、何事も炎寿に任せておけば粗漏はないということである。



「さて、そなたの褒美だが欲しいものはないか?」



 報告を一通り聞き終えた大成王は、褒賞の話にうつった。

 たった3ヶ月で都下を平らげてきた炎寿の功績は非常に大きい。



 なぜなら、都下を国土に加えたことで、大京国の威勢は埼玉を凌ぐほどになったからである。

 これにより大京国は、南関東において千葉に次ぐ国となった。



 ということは内外を問わず、国王である大成王の威権も増大したことになろう。

 それが嬉しくてたまらない大成王は、炎寿が望むものがあれば何でも与えるつもりであり、その用意もあった。が、その炎寿は、



「王に仕える者として、また政治をおこなう者として不足があると知りながら十分に努めることもできず、どうして褒美だけを受け取れましょうか。このたびの戦いでは兵として従軍し、国のために戦って亡くなった者達がおります。王のご恵慈は、一家の主を喪った民のためにお使いになるべきです」



 と言ってやんわり辞退した。

 政治に私欲を持ち込まない、というのが炎寿の信条なのであろう。



 とはいえ、それでは大成王の気持ちが収まらない。

 結局、大成王は炎寿に褒賞について考えておくよう言い渡し、さらに、



「そなたのために、酒宴の席を設けよう」



 と、炎寿のためだけの宴を設けることにした。

 この時代、宴というのは日没とともにはじまり、深夜まで続くのが一般的である。



 宴の席には大成王と正妃、そして太子・伯凰・伯鳳の子らも参加した。

 ここでも大成王は炎寿を激賞し、正妃はその労をねぎらい、太子と伯凰は興味津々といった様子で炎寿の話に聞き入っていた。



 終始無言で反応を示さなかったのは、伯鳳だけであった。

 さて、酒宴においては国王の子が功臣に酒をすすめる儀がある。



 大成王の子らは、そのために出席したともいえる。

 3人はそれぞれ労いの言葉とともに、炎寿に酒をすすめた。

 


 が、ここでも伯鳳だけが上手く言葉を紡ぐことが出来ず、場を停滞させた。

 そのせいだったのか、炎寿は太子と伯凰からの酒杯は受けた一方で、伯鳳からのだけは受けなかった。後でそのことを知った群臣の多くは、



「相変わらず、伯鳳様の鈍いことよ」


「全くだ。臣下の功を褒められないようでは、王族としてやっていけないだろうに」


「せっかくの酒宴で不快な思いをさせられるとは、炎寿殿も不憫というほかあるまい」

 


 そう言って、ひそかに伯鳳を嗤った。

 やがて、その会話は風に運ばれ、炎寿の耳にも入るようになった。



 家臣の何人かが聞いた話として、炎寿に報告したのである。

 それらの報告を聞いた炎寿はしばらく無言だったが、



「⋯⋯今しか見えない、か」



 とつぶやき、なに思ったのか大成王への拝謁を願い出た。

 大成王のまえに座った炎寿は、



「宴席を設けるご許可を賜りたく存じます」



 と、自邸でそれなりの規模の宴を張る許可を求めた。

 また、その席には伯凰と伯鳳を招きたいともいった。



「そのようなことで良いのか?」



 思いもかけない要望に大成王は戸惑いつつ、

 ――炎寿のことだから、なにかあるのだろう。



 と考え、深く追求することなく許しをあたえた。

 伯凰と伯鳳が袖下邸に招かれたのは、初冬のころである。



 2人にとって、これが初めての王宮からの出遊となる。

 さすがというべきか、初めての外の世界にもかかわらず、伯凰は陪臣にあたる袖下家の家臣にも気遣いをみせ、またたくまに袖下家中の好感を勝ち取った。



 その一方で、これまた予想通りとでもいうべきなのか。

 伯鳳は終始、緊張しっぱなしであり、話しかけられても相手が聞き取れないほど小さな声で答えるのが精一杯であった。



 そんな、きらびやかな宴会の雰囲気に萎縮しきっている伯鳳を見ている者がいる。

 ほかでもない、炎寿である。



 宴が盛り上がりを見せはじめたころ、炎寿は家臣をつかって伯鳳を会場から連れ出させた。

 そして、みずからも気づかれないように会場を抜けだし、その後を追いかけた。



「伯鳳様」



 周囲に人目がないのを確認した炎寿は、伯鳳に声をかけた。

 何気なく振り返った伯鳳の顔には、驚きの表情が浮かんでいる。



「本日はお越しくださり、ありがとうございました」


「いえ⋯⋯」


「不躾ながら、1つ質問をお許しいただけますでしょうか?」







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