第2話 黎明
物語の主舞台となる大京国は、王国である。
その王室は大成王に端を発し、脈々と受け継がれてゆくことになるのだが、この大成王という人物については不明なことが多い。
生年も、出生地も、国王となるまえの来歴すべてが謎に包まれてる。
分かっていることは、ある時期に小勢力が乱立する南関東に居をかまえ、国を興したこと。
そして、大成王こそが伯凰と伯鳳の父であること。
それくらいしかない。
初代国王の来歴が不明なことは多々あるとはいえ、そのほとんどは後世において装飾が加えられるところ、大成王にはその痕跡もなく、大京国史においては最大の謎のひとつといってもよい。
もっとも、この物語の世界がかかえる謎に比べれば、些末なことなのかもしれないが。
ちなみに、伯凰と伯鳳が誕生したのは大京国が建国されて、8年が経過したころであると思われる。
この物語では整合性を得るために国王の在位期間を年表としてあつかうため、表記としては2人が誕生したのは大成王8年ということなろう。
さて、伯凰と伯鳳は国の発展とともに大きくなった双子である。
そのため、大京国の動向を抜きに2人の幼少期を語ることはできない。
たとえば、2人が生まれたころの大京国は、激動のさなかにあった。
にわかに興った大京国の攻め潰そうと、近隣の勢力が兵を向けてきたのである。
この戦いは大京軍が首都である蒼纏を堅固に守り抜いたため、思いのほか長引き、その規模も小競り合いと呼べぬほどに拡大。
最終的には都下と呼ばれる、大京国からみて西の地域にいた大勢力と、神奈川北部の諸勢力が参戦してくるほどの規模に発展した。
また、そのほとんどは大京国を敵視したため、連日の猛攻にさらされた大成王と大京軍は、蒼纏に逼塞を余儀なくされた。
そんな窮地を脱したのが、大成王10年のころである。
そこから盛り返し、神奈川北部の諸勢力を殲滅するのに1年。
さらにそこを足がかりにして、大成王13年には神奈川全域を平定してみせた。
戦勝軍を率いて大成王が帰還したとき、伯凰と伯鳳は5歳である。
それはつまり、父がなにをしてきたのか、十分に理解できる年齢に達していたといえる。
「凰姉、待ってよぉ」
「もう⋯⋯。ほら、鳳」
大京国が厳戒態勢を解いて宮中にも平和が戻ると、伯凰と伯鳳が好奇心にまかせて歩きまわる姿が頻繁に見られるようになった。
その大半は伯凰のうしろを伯鳳がくっついて歩くものであったが、そんな2人をみて大人達は目を細めた。
伯凰と伯鳳が人前に出る機会が増えたからであろう。
このころから群臣のあいだで、1つの話題がしきりに持ち上がるようになる。その内容は、
「3王子(女)のうち、誰がもっともすぐれているか?」
というものであり、いわゆる大成王の子らの器量だめしである。
むろん、
「幼子の器量など、わかるまい」
という声もある。
しかし、この時代の成人年齢は12歳である。
5歳ともなればすでに折り返し地点に達しているといってよい。
それに、多くの臣下が次代を担うべき王子(女)に興味をもっている。
沸騰した期待と興味のまえに、否定的な意見が掻き消されたのは無理のないことであった。
ちなみに、伯凰と伯鳳には5歳上の兄がいる。
彼が大成王の長子であり、また次期国王として太子の座にあった。
10歳になる太子は鼻梁はたかく、口もとは引き締まり、黒髪黒瞳とあわせると眉目秀麗そのもの。
群臣にたいしても酷烈な顔を見せたことはなく、また自身のわがままで側近を振りまわしたこともない。
つねに冷静さを保ち、颯爽とした挙措をみせる太子は当然ながら、群臣からの人気が高かった。けれど、
「3人の御子のうち、もっとも器量にすぐれているのは伯凰様であろう」
と、群臣のなかでは伯凰を推す声がもっとも大きい。
幼少期の伯凰は何ともいえぬ愛らしさがあり、利発でもあった。
相手の感情を汲みとる力にも優れていて、どんなに偏屈な者でも最後には笑顔にさせる魅力を、伯凰は備えていた。
ほかの2人と同じ黒髪黒瞳でありながら、伯凰だけが毛先にかけて赤く染まっていたことも、群臣の覚えをよくした要因だったかもしれない。
こう書くと、伯凰の人気は外見の佳さによるところが大きいようにみえるが、もちろんそれだけではない。
天は気まぐれに、二物も三物も与えることがあるというべきなのか。
伯凰には唯一無二というべき、天稟があった。
それが、火の霊力である。
この時代には霊力という概念が存在している。
霊力とは、非物質的な力の1つといえよう。
霊力そのものは単体で事象を引き起こすことはないが、触媒を得れば驚異的な威力を発揮することがある。
たとえばそれは、刀であったりする。
戦場においては、多くの人間がみずからの刀に霊力を纏わせることで様々な効果を得ている。
それゆえ霊力が染みついた刀、霊刀というものも存在しているのだが、ここで説明をすると長くなるので霊刀についてはまたの機会に譲りたい。
ともかく、霊力というのは扱いの幅に制限がありつつも、この時代を象徴するものの1つということである。
そんな霊力には三皇と呼ばれる特殊属性と、四卦と呼ばれる基本属性があり、火の霊力は基本属性に分類される。
この時代は多くの人間が霊力を宿しているため、伯凰が火の霊力をもっていること自体は特異ではない。
それは、太子が土の霊力をもっていることからも明らかである。
では、なにが伯凰をして唯一無二と言わしめるのか。
おそらくそれは、伯凰の霊力は先天性のものである、という点であろう。
多くの場合、霊力の扱いを会得するには血の滲むような努力が必要となる。
が、先天性の場合には、この努力が必要ない。
生まれつき霊力との親和性が高いため、漠然とした感覚だけで扱うことができる。
また、そういった者はほかと比べて、保有量も桁違いなことが多い。
じっさい、伯凰はそれらの全てに当てはまっていた。
幼いうちから器量がよく、将来にわたって大きな可能性を感じさせるのが、伯凰という女児だったのである。
さて、ここまで太子と伯凰について書いてきたが、大成王の子はまだ1人残っている。
ここまで名が挙がらなかった伯鳳であり、彼はどんな子だったのか。
端的にいってしまうと、幼少期の伯鳳は冴えなかった。
気弱であり、つねに伯凰の後ろをくっついて歩く。
自我の発露を恐れているかのように自発性に欠け、たえず何かに怯えている。
群臣に話しかけられれば、すぐに逃げ出してしまう。
それが幼少期の伯鳳であり、そのせいなのであろう。
伯凰と双子であるため目鼻立ちは秀麗であるにもかかわらず、相対する人に陰気な印象を強くあたえた。
鮮やかな像をみせる太子や伯凰とくらべ、劣っているとの烙印を押されたのは言うまでもない。
それゆえ、群臣は伯鳳を見かけるたびに袂で口もとを隠しては、
「伯凰様と双子とは、とうてい信じられぬ」
「いや、双子ゆえではないか? 命は2つに分かたれたとしても、才まで2つになるとは限らんだろう」
などと、伯鳳の凡庸さに冷ややかな口調をむけた。
そればかりか、一部の口のわるい者達は、
「出がらしとはいえ、あるていどの才は持っていよう。そう考えると伯鳳様がいなければ、伯凰様はもっと才能に恵まれたのではないか?」
「不要や余分というのは、どこにも存在するということか」
「違いない。このさき、伯凰様に求婚を申し込んでいる国も出てくるだろう。代わりとして伯鳳様を送り込むというのはどうだ?」
「はっはっは、それは傑作だ」
と、度の過ぎた陰口を叩くことさえあった。
もちろん、群臣のすべてが伯鳳を侮蔑していたわけではなく、伯鳳の成長に期待する臣下もいるにはいた。
太子と伯凰は、早くから才能という花を咲かせすぎている。
早く咲いた花は早く枯れるものであり、早熟なものは経年とともに凡庸へと転落することも珍しくない。
そう考えれば、なんら特筆すべき点のない伯鳳は面白い。
大器であるほど幼少期は凡庸であり、静かな者ほど激しさを秘めている。
そんな将来への楽しみが、伯鳳にはあるのではないか。
それが伯鳳を擁護する臣下の言い分であった。
しかし、それらの声が勢いを得るには、肝心の伯鳳が虚弱すぎた。
かりに遅咲きだとしても、そもそも蕾がなければ花は咲かない。
このときの伯鳳は誰がみても、花の咲かぬ草木だったのである。
ちなみに、これにもっとも危機感を覚えたのが伯凰である。
「鳳。今日から特訓よ」
伯凰は姉としての厳粛さを保ちながら、伯鳳へ猛特訓を言い渡した。
姉の急な変容に伯鳳が戸惑ったのは、言うまでもない。
それに、伯鳳にだって言い分がある。
伯鳳は次男であり、兄弟としては末っ子なのである。
伯鳳が思い描く未来は、兄が王位を継いで伯凰がそれを補佐するというもので、そこに自分の居場所があるとは思っていなかった。
となれば、どれほど励んで群臣に認められても無駄であろう。
ゆえに、伯鳳としては努力することに時間を割きたくなかった。
遊びたいさかりでもあり、伯凰と遊んでいたかった。しかし、
「話がしたいなら、やることやってからにしましょう」
そんな伯鳳の考えを、伯凰はばっさりと切り捨てた。
それどころか伯鳳が逃げだそうとするたびに、いち早くそれを察知し、情け容赦なくしごき倒した。
いまの伯凰がもっとも恐れるのは、群臣の失望や失意が深まることで、伯鳳の将来に危殆が生じることである。
伯鳳がどう思おうが、王室に生まれたという枷から抜け出すことはできない。
そしてそれは、仮に他国へ渡ったとしても同じであろう。
伯凰も伯鳳も、決して隠すことのできない銀の匙をもって生まれてきた。
だからこそ、人の感情の変化には敏感であらねばならない。
不思議なもので、人の怒りというのは期待を裏切られたときよりも、出来て当然と思っていたことが出来なかったときのほうが、より深くなる。
――人の失望は、怒りに変わることがある。
そう考える伯凰は、決して伯鳳を甘やかさなかった。