第13話 次代の将器 - 1
景に率いられた大京軍8,000は川を渡ると、まず国境沿いの砦を攻撃した。
この攻略は速やかで、わずか半日で陥落させるにいたった。
その後、落とした砦の守備を帳に任せると大京軍は二手に別れ、東と南へ向けてそれぞれ進軍を開始。
ここでは景・炎心ともに攻略目標を小規模の砦のみに絞り、合わせて6つの砦を攻略した。そして、
――地ならしは十分ね。
戦果に満足した景が引き揚げを命じ、大京軍が再集結を急ぎはじめたころ、
「千葉軍、北上中」
との急報が飛び込んできた。
すぐさま軍議を開いた景は、
「留まるには危険が大きいわ。引き揚げましょう」
と、千葉と埼玉の交通をつなぐ城を攻める作戦を放棄し、ただちに引き揚げることを決定。
いまだ合流していない炎心については、
「情報を集めながら、千葉軍を誘引するように」
と危険な役割を与えつつ、みずからは帳とともに一足先に川を渡って高所に陣を据えた。
炎心が景達に合流したのは、2日後の夕刻である。
この間、炎心は被害らしい被害を出すことなく、千葉軍を対岸まで誘引することに成功している。
情報についても、
「1軍を率いているのは、藤光のようです」
と、短い時間でその兵力だけでなく、帥将についても調べ上げて景に報告していた。
藤光の名を聞いた景は、
――厄介な男が出てきたわね。
と思いつつ、千葉軍に使者を立てることにした。その口上は、
「勇敢な千葉兵を、彼岸にてお待ち申し上げます」
というもの。
丁寧な口調であるがこれは、
「千葉兵に川を渡るほどの勇気があるならば、一戦交える用意がある」
と暗に示しているといってよい。
彼岸という表現についても、本来は此岸というべきところを敢えてそのように言ったことから、諧謔の色合いを感じ取ることができる。
となれば、これは景から藤光への挑戦状であり、形式的には開戦を促すものと考えてよいであろう。
使者の口上を聞き終えた藤光は、
――素直に解釈するには、少々腑に落ちぬな。
と、考えこんだ。
藤光は先代の千葉国主の弟で、現国主にとっては叔父にあたる。
その経歴は輝かしく、若いころは軍事面で兄を支え、数々の戦いで千葉軍を勝利に導いてきた。
甥が国主の位を受け継いでからは内政や外交も受け持ち、2代の国主のもとで千葉の繁栄を支え続けている。
そのせいであろう。
藤光あっての千葉という者はいても、千葉あっての藤光という者はいない。
そんな藤光も、すでに老齢といってよい年齢である。
壮意に駆られてばかりの時期はとうに過ぎ、積み上げた時間が藤光に観照の目を備えさせている。
そのため、両軍の兵力差が5,000近いことからして景の挑戦は形だけのものであり、その本心は必ずしも戦いを望んでいないのではないか。もしそうであれば、
――失地を回復するだけで十分だ。
という考えに至った。
「使者の口上を聞く限り、こちらが渡渉しなければ大京軍に戦う意志はないようだ。であれば我らが城塞の奪還に動いても、その背を討とうと動くことはないだろう。方々の意見はどうか?」
藤光は軍議でみずからの考えを述べることで諸将の賛同を得ようとし、宿将というべき先代国主を支えた老臣から支持を得た。
彼らが考えていることは、
――大京国を敵に回すべきではない。
との1点のみである。
その点は藤光も同じであり、その感覚からすれば、大京国を討伐すべき時期は疾うに過ぎたと言わざるを得ない。
これは隆盛を迎えはじめた大京国をいかにして引き寄せ、盟下に置くかを考えるべき段階に入ったということでもある。
そのためには遺恨が残るような、国軍同士の衝突は避けるべきであろう。
しかし、
「戦うために出てきておきながら敵を避ける。そのような惰弱な行いを国主様は望まれないでしょう」
壮意に駆られるばかりの若い将達が、藤光達の意見を真っ向から否定した。
そのほとんどが現国主に抜擢された者達であり、その寵を競っている者達でもある。
若い将のなかには、
――ここで手柄を立てれば、老臣を押しのけて権柄に触れることができる。
との思いがあるのであろう。
老臣を疎んじる、その気持ちが分からぬ藤光ではないが、
「軍というものは易きにて戦い、難きをみて退くものだ。いま渡渉すれば、背水の陣となる。我らをあしらって軽々と対岸に逃れた炎心という大京将を、そなたらも見たであろう。属将があれほどの器ならば、帥将の力量は推して知るべきである。この戦いでは勝てたとしても、今後を考えれば敵とすべき者達ではない」
と、穏やかな口調に理智を含ませて説諭を試みた。
けれども、
「敵をみて逃げるのは、勇気があるとはいえません。千葉軍が関東最強と呼ばれるのは、いかなる状況でも勇気をもって戦うからです」
と、若い将達は感情をもって拒絶した。
これには老臣から非難が噴出したが若い将も譲らず、軍議は決裂して終わった。
――意見をまとめるには、時間がかかりそうだ。
夜になると藤光は営所を抜け出し、土のうえに座って1人で夏の星空を眺めた。
若い将達が藤光の意見に従わないのは、その後ろにいる千葉国主が藤光を軽んじているからである。
国主の立場からすれば、藤光の名声が妬ましいのであろう。
ややもすると、国主の権力を脅かす存在とさえ考えているかもしれない。
そんな国主の害意に気づけないほど、藤光は愚鈍ではない。
あえて国政の場に留まり続けているのは、国と国民のためにすべきことが残っているからである。
けれども、戦場において何よりも貴重な時間を浪費しているという現実が、藤光の想念に重くのしかかってくる。
――この戦いを最後に、身を退こう。
引き際を見苦しくしたくない藤光が引退を決意したとき、
「大変です!」
側近の一人が、慌てふためいた様子で駆け寄ってきた。
その様子に藤光は嫌なものを感じつつ、側近の息が整うのを待った。やがて、
「我が軍の一部が軍吏の制止を聞かず、川を渡っています!」
側近の口から告げられたのは、驚愕の事実である。
渡渉を敢行したのが若い将達であることは、いうまでもない。
「いかがなさいますか?」
側近からの問いかけに、藤光は苦悩の表情を浮かべた。
軍吏の制止を振り切った時点で、若い将達は軍法に背いたことになる。
軍法違反を犯した者達は罪人であり、これを見捨てたとしても藤光が責任を問われることはない。
ゆえに、老臣達は勝手にすればいいとして、若い将達を助けないであろう。しかし、
――見殺しにしたとあっては、我が国は諸国からの信頼を失う。
そう考えた藤光は、
「夜明け前までに渡渉せよ!」
と、全軍に川を渡るよう伝えた。
この動きを大京軍側で最も早く掴んだのは、炎心である。
炎心の部隊は合流が遅かったせいで、もっとも川に近い場所に布陣しており、情報が入ってくるのが他と比べて速い。
すぐさま景に報告を送った炎心は、
「千葉軍の策略とも考えられる。みだりに動くな」
と麾下の兵に戦闘態勢を取らせつつ、慎重な姿勢を示した。
実際のところ、炎心の考えは正しかったといえる。
なぜなら、藤光は突出した若い将達を餌に見立て、これに食いついた大京軍を、逆に食い潰そうとしていたからである。
干戈を交えずとも既に戦いは始まっていて、炎心と藤光の鋭気が激しくぶつかり、火花を散らしたといってよい。
報告を受け取った景についても、
――藤光ほどの巧者ならば、戦いを避けると思ったのだけれど⋯⋯。
と、千葉軍に違和感を感じつつ、全軍に自重を命じた。
これにより千葉軍は無事に川を渡りきり、死地を脱した。