90話 殺すのは、後にしてやる
簡単な昼食も取ったところで、アイカ達は一度家に戻っていた。
魔力切れが近づいていたのだ。この体は定期的に充電しないと動けなくなってしまう、何度かそれで倒れた事があるから、気を付けなければ。
魔力充填器で大人の体に戻ると、ハワードはため息をついた。
「どうした? そんなにがっかりして」
「いやぁ……マジでいい女なのに年齢のせいで手を出せないのが悔しくてよぉ。見た目は美女でも五歳児に手を出したら俺様ヤバい奴じゃん?」
「今でも普通にヤバい奴じゃん」
「確かにアイカもそう思うな。だがアイカは、おじさんの事嫌いじゃないぞ」
ハワードを上目遣いに見上げる。この賢者が暴れまわったおかげで、アイカの胸の内は大きく揺れていた。
だけども悪い気分じゃなかった。むしろハワードに引っ張られて、気持ちがとても明るくなっている。だけどもどうして気持ちが明るくなるのか、その理由も分からなくて……頭の中で何度も、「だけども」がループしていた。
「うーし、んじゃ次のプランに移るぞー! 昼めし食ったら次はだねぇ」
「ってまだ回るんかい。こっちはさすがに疲れちゃったよ」
「確かに、沢山の温泉を回って少しダレてきましたからね……これ以上はのぼせそうです」
「あんれま、二人のペースを考えてなかったなぁ。悪いね」
「なら、アイカがついて行こう。アイカはまだ大丈夫だ」
それに二人が離れるなら都合がいい。丁度、ハワードと二人で話したかったから。
二人と別れた後も、ハワードはアイカをあちこちに連れまわした。サンドヴィレッジにある温泉をとことんまでに満喫し、疲れる様子が全く見えない。
それにしても、なんていい笑顔で遊ぶ人なのだろう。見る物聞く物全てに興味を示し、次々に試して遊んで、周囲も巻き込んで笑顔にして。そこに居るだけで場が明るくなる、不思議な魅力を持っている。
心がないはずのアイカすらも、明るく照らし出すほどに。
「なぁ、ハワード。次はあそこへ向かわないか?」
「ん? へぇ……お前さん大胆だねぇ」
アイカが示したのは、混浴の露天温泉だった。ハワードは肩をすくめ、
「アマンダたんかリサちゃんが居てくれりゃまたテンション上がったんだが、子供相手じゃ興奮出来ねぇや。そこだけが残念だぜ」
「湯着を着るから裸は見れないぞ?」
「ちっちっち、分かってないねぇ。タオル一枚は直に見るよりエロい場合があるのだ!」
「そうなのか? アイカはただ、ハワードとじっくり話したいだけなんだが」
「ならカフェとかでいいんじゃね?」
「折角の温泉地だからな、アイカもよく入っている場所だから、おじさんに知って欲しいんだ。おかしなことを、言っているか?」
「別に。自分の好きな物を相手にも知ってもらいたいんだろ?」
胸の内を読んだかのような答えだ。ハワードを前に隠し事は出来なさそうである。
露天風呂には多くの人々が入っている。彼らはアイカを見るなりにこやかに手を振ってきた。
今まではどうして手を振ってくるのか分からなかったし、何も感じなかった。けど今は何となく、胸が温かくなる。
「いい感じに笑うようになったな、そっちの方が俺様好みだぜ」
「アイカはいつも笑っているが?」
「そうだな、張り付けただけの落書きみたいな笑顔をな。けど今は違う。きちんと心のこもった笑顔を見せているぜ」
「心……? アイカにそんな物は……」
「あるのさ、お前さんが自覚してないだけでな」
ハワードに手を引かれ、湯船につかる。賢者は目を閉じて温泉を堪能し、ため息をついた。
「しかしいい湯だな、お前さんが気に入るのもよく分かるよ」
「だろう。サンドヴィレッジ中の温泉を回ったが、アイカはここが一番好きなんだ」
「そうかい。そいつは、エルマーに決められたからか? それとも、他の奴にそうしろと言われたからかい?」
「いや、アイカが自分で考えて決めた事だ」
「そうか。他に好きな物はあるのかい」
「そうだな……おじさんが作ってくれたコーヒーとケバブ、あれは美味しかったな。すっかり気に入ってしまったよ」
「ははっ! そいつは光栄だ、他にも教えてくれよ、お前さんの好きな物を、ありったけな」
気が付くとアイカは、ハワードに沢山の事を話していた。自分が今まで見て、感じて、好きになった物事を。話す度にハワードは目を細め、自分の事のように聞いてくれている。
しっかりとアイカを見て、知ろうとしてくれていた。
「これでもまだ、自覚できないか?」
「何をだ」
「お前さんの中に、心があるって事をだ」
「……心が、ある?」
「気持ちってのは、心がなければ動かない。好きな物もできやしないし、こうして誰かに自分を知ってもらおうなんて思いもしない。俺様に話している時のお前さんは、最高に綺麗な笑顔をしていたよ。しっかりと、自分の心を持った笑顔をな」
「……アイカも、していたのか? おじさんのような笑顔を」
ずっと気になっていたことだ。ハワードはいつも笑顔を見せている。見ているこっちが惹きこまれるくらい、命に溢れた笑顔を。
右腕を失って苦しい思いをしたはずなのに、そんな事を感じさせないほどに素敵な笑顔だ。今生きているこの瞬間を思い切り楽しんでいる。自分にはできないと、その笑顔を羨ましく感じていたのに。
「おじさんはめいっぱい、生きるのを楽しんでいる。それがずっと伝わってて、悔しいと思ったんだ。アイカには絶対、出来ない事だから……」
「できているよ。つーかよ、悔しいって感情も心がなければわかないもんなんだぞ? 美味いって感情も、楽しいって感情も、全部心があって初めて成り立つもんなんだ。お前さんにはしっかりした心がある。お前さんは自分から目を背けていたんだ。エルマーに見放されたショックで、自分には生きる価値がないと諦めてな。
エルマーはお前さんの生みの親かもしれない。だが奴にお前さんの生きる価値を決める資格なんざねぇんだ。アイカの好きな物も、嫌いな物も、全部アイカ自身が決めていいんだ。
んでもってお前さんはきちんとそいつが出来てるじゃねぇか。この温泉だってお前さんが色んな所回って見つけたもんだろ? それ一つだけでも大したもんさ。きちんと自分の好きな物を考えて決めてんだから。これだけでも言えるよ、アイカにはしっかり心が出来ているってな。むしろ自分をほめてやっていいくらいだ」
「そう、なのか……? そんな、褒められる事なのか?」
「自分で自分をほめられなくてどうすんだい? 俺様は思い切り俺様をほめて甘やかしてるぜ。カインを守れた俺様最高! アマンダたんに愛される俺様素敵! なんてな。じゃねぇと、俺様を好きでいてくれる奴らを、傷つける事になっちまうからな。
自分を大事にできない奴は、自分の大事な奴らを無自覚に悲しませ、傷つけてしまうんだ。俺様には守るべきもんがたくさんある。カインにアマンダに、コハクにヨハン、リサにがるる。他にも大勢な。だから俺様は自分を粗末になんか絶対しない。そうする事で、傷つく奴がいるのだからな。
アイカにはたくさん、大事な宝物があるんだろう? だったら、諦めるな。自分を生きることを諦めるな。自分を見放して、心がないと諦めるな。お前の宝物を傷つけたくなかったら、まずはお前自身を大事にするんだ。
今一度、周りを見てみろ。おまえさんに向けられるもんを、しっかりとな」
確かに、サンドヴィレッジの人々はアイカに笑顔を向け続けている。馬鹿にするのでも、見捨てるのでもなく。この砂漠に生きる者の一人として、アイカに笑顔を向け続けていた。
ずっと、すぐそばにあったのに。自分に心がないと決めつけ、諦めていたから気付かなかった。大切な物はずっと、アイカを傍で見守り続けていたのだ。
「それにもしかして……ミトラスも、ずっとか?」
「ようやく気付いたか。ああ、そうだ。あいつはお前さんを誰よりも、何よりも傍で見守り続けていたんだ。お前さんを何より大切に思っている、この世で一番の親友としてな」
「だがアイカは、あいつの仲間を何体も屠ってきたんだぞ。どうしてそんな奴を親友などと」
「とっくに気付いているんじゃないか。アイカは分かってるんだろ、ミトラスの正体を」
「! まさかハワードも?」
「一目でわかったよ。だからこそミトラスはお前さんに恨みを持っていない。自分と遊んでくれる友達だと思っているんだ。お前さんには最初から全部揃っているんだよ、お前さんが欲しがっていた全部がな」
「……でも、ひとつだけない。加護を、持っていないんだ。皆が持ってる物がないと、結局皆、離れてしまうんじゃ……」
「加護なんて、なくていいだろう。加護が無くとも人生を心から楽しんで、美しく生きる事は出来るさ。自分の心持ち一つでな。
加護が無いのは長所になるんだ。加護は力を与えるが、同時に短所も与えちまう。アマンダたんは怪力持ちだが不器用で、ヨハンの奴はタフネスと引き換えに運が悪くなっている。だが加護が無ければ、短所もなくなるって事だ。
人の得意には勝てないかもだが、苦手には勝てるようになる。出来ない事が無いんだから、いろんなことにチャレンジできるんだぞ。それは凄い事なんだ。天から与えられた、アイカだけのオンリーワンだ」
「…………!」
「だからよ、自分をしっかり見つめてやりな。これ以上、自分を壊そうとするのはやめてやりな。きちんと自分を大事にしてやりな。
自分を見捨てて、心がないと諦め続けたら、悲しむのはお前さんだけじゃない。この場に居る人々も、ミトラスも、誰もが悲しむんだ。自分を大事にできない奴は、他の奴も傷つけてしまうんだよ。
命を粗末にするような奴は、俺も嫌いだ。死を考える前に、まず自分をどう生きるのかを考えるのが、先だと思うがな」
アイカは胸に手を当てた。
自分を大事にする。簡単なようで、なんて難しい事だろう。
そんなこと、アイカにできるのだろうか。その前に……そんな資格があるのだろうか。
「ミトラスは……アイカを、受け入れてくれるのだろうか」
「ああ、勿論だとも。怖いなら、俺様も一緒に行ってやる。本当はお前さんも、ミトラスと仲良くしたいんだろう。俺様にできる事は支えるだけ、アイカの問題は、アイカで片を付けろ。そのためなら俺様は、どこまでも付き合ってやるぜ」
「……うん」
謝りたい、今までの事を。その上でもう一度やり直したい、今度は敵ではなく、友達として。
少し怖いけど、大丈夫。だって、ハワード・ロックが居るのだから。
傍に寄り添い、倒れそうな時支えてくれる、とても頼りになる大人の男が。
心がないはずのアイカの胸が、少し揺れた。ハワードが傍に居るだけで、存在しないはずの心臓が高鳴るような、そんな幻覚を感じる。
どうしよう、どこまでもハワードに引き込まれてしまう。この気持ちを表すならば、恋だ。
そんな男だからこそ、頼ってしまう。この太陽のような、熱い男に。
「ハワード、アイカを助けてくれるか? アイカは、ミトラスと……」
「仲良くしたいのでしたら、私も手伝いましょう」
その声がした刹那、アイカのコアが黒く光りだした。
全身に激痛が走り、意識が薄れていく。あまりの苦痛にアイカは悲鳴を上げた。
ハワードも驚き立ち上がる。拳を握りしめ、声のした方をにらんだ。
「……何のつもりだ、エルマー!」
「いえいえ、様子を見ていましたら、ミトラスの魔力を奪える可能性を見出しましてね。行動に移ろうと思いまして」
ハワードがにらむ先には、エルマーが立っている。エルマーは平然とした口調で手をかざすと、アイカに呪いを仕掛けた。
直後、アイカは奇声を上げながら砂漠へ飛び出していく。
「地の聖獣ミトラスの魔力、それを手に入れる方法を悩んでいたのですが……アイカとあそこまで親密になっている今ならば奪えるでしょう。感謝しますよハワード、貴方のおかげで私はまた、貴方に近づくことができる。私の計画には、聖獣の力が必要ですからね」
「……はっ、運がよかったな。今すぐにでもてめぇをぶちのめしたいところだが、それより大事な用事が出来ちまった。殺すのは後にしてやる」
エルマーを倒しても、アイカの暴走は止まらない。あのクソ野郎はいつでも潰せる。だから今は、アイカを助けるんだ。
自分の心に気付いた少女を救わずして、何が賢者だ。
『古より黄泉還りし伝説よ 我が元へ来たれ!』
詠唱後、ハワードは思い切り手を合わせた。
掌にゲートが現れ、レイクシティから聖剣が転送される。古の勇者が持っていた聖剣エーデルワイスだ。
剣を引き抜くなり、霊体が出現する。かつての持ち主であるアーサー・ペンドラゴンだ。
『俺の力が必要なようだな、賢者ハワード』
「おうよ。噂に名高い聖剣の力、使わせてもらうぜ色男!」
待っていろアイカ、今すぐに助けてやる!




