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109話 タイムリミット

 鏡を前に、ボルグは歯を食いしばっていた。

 胸を握りしめ、苦痛に顔をゆがめている。息もできないくらい胸が痛い、心臓を針で刺されているかのようだ。

 膝が折れ、倒れかけた体を寸でのところで支える。無理やり笑みを作り、鏡に額を押し付けた。


「大丈夫……痛みは生きている証……これは喜び、痛みは喜び……笑え……笑え……!」


 次第に痛みはやわらぎ、呼吸を整える。

 発作の間隔が日増しに短くなっていた。痛みも強く、激しくなっていた。


「残された時間は、多くありませんか。それでも……いや、だからこそ……生きる事の楽しさが、理解できますね」


 ボルグは汗をぬぐい、窓を開いた。


「光が眩しいですね。木の葉がこすれる音も心地よいし、土の匂いのなんてかぐわしい事か。風の柔らかい感触、吸う息の滑らかさ。五感の全てで、命を感じますね」


 残された時間が短いからか、こうして普通に生きているだけで喜びを感じる。一瞬一瞬を大事にしようと、心から思えた。

 最後までボルグ・ロックとして生きよう。自分で居られるこの瞬間を大事にして、心から美しく生き続けよう。

 そう考えるようになれたのは、大事な二人の子供たちのおかげだ。

 ハワードとリリーと過ごす日々はとても楽しくて、元気が湧いてくる。二人のおかげでボルグは、本来なら生きられない時間を、生き続けていた。


 さて、弟子達を待たせている。早く行かねば。


 中庭へ向かうと、リリーの姿が見えた。

 十九歳になった彼女は、美しく成長していた。騎士修道会でも重要な仕事を任されるようになり、師匠としても鼻が高かった。


「遅れて申し訳ありません。それで、彼は?」

「いつものごとく遅刻ですよ。全くあの子猿……行動が子供の頃から変わってないんだから」

「それも彼の魅力ですよ。個性を大事にしないと個性を」

「限度があります。いつも思いますけど、あいつに対して甘すぎやしませんか?」

「まぁ息子ですし、どうしても親の贔屓が働いてしまうといいますか」

「全く……! な、なんかスースーする……!?」


 リリーは顔を真っ赤にした。何者かに下着をはぎ取られたようだ。

 頭上から声が聞こえてくる。見上げれば、教会の屋根に彼は居た。


「純白か、清楚なの履いてるねぇ」

「こ、こらぁハワード! 【窃盗】で人の下着を奪うなんて卑劣な真似を……降りてこーい!」

「降りたらハンマーで殴るだろ? 誰が下りるかよ!」


 そう言ってけらけら笑うのは、ボルグの息子ハワード・ロック。十三歳に成長した、賢者の弟子だ。

 リリー同様、彼の成長も著しい物だ。レベルは人類未踏の900を超え、魔力も身体能力も、常人を遥かに凌駕していた。

 多分今の彼ならば、世界を滅ぼす事も可能だろう。だけど彼はそんな事はしない。そうならないよう、ボルグが育てたから。

 スラムの片隅で震えていた姿はもう微塵も感じない。ただ、女性に対するマナーはなっていないようだが。


「ハワード君、無断で女性の下着を貰ってはいけませんよ。どうしても欲しいならばこうしなさい。リリーさん、ブラをいただいてもよろしいですか?」

「死ねド変態!」


 リリーにぶん投げられて、ボルグは頭から地面に突き刺さった。相変わらず手厳しーい。


「頼んでダメなら盗むまでって奴さ。ほら返すよ、今度は紫のレースでも履いたらどう?」

「人のパンツ盗んだ挙句何をぬかしているかドスケベ!」


 ハワードも地面にぶっ刺さり、馬鹿師弟のオブジェが出来上がった。


「いや~、見事なツッコミでしたねぇ。弟子の成長が嬉しくて私は嬉しいですよHAHAHA☆」

「もっと別の事で褒めて欲しいものなんですが……」

「そういやDカップまで育ったっけか。あのぺったんこが成長したもんだなぁ」


 したり顔で語るハワードにリリーのヘッドロックが炸裂。あっという間に落とされた。

 これから仕事だというのにパーティが半壊している。まぁ主に変態二人のせいであるが。


「ほらとっとと立つ! こんな馬鹿なやり取りをしてる暇なんかないんですからね!」


 リリーは二人を縛り上げ、引きずって連れて行く。しかし二人は一瞬の隙を突き、【変わり身の術】で逃げ出した。

 身代わりの丸太を引きずっていくリリーを眺め、ハワードはくすくす笑った。


「やっぱり便利なスキルだぜ、教えてくれてありがとな」

「愛弟子の頼みとあれば当然です」

「リリーに気付かれる前にとっとと逃げようぜ。バレたら余計に怒るだろうし……」

「本気でキレた彼女は私でも止められませんからねぇ……」


 って事でこっそりと教会から抜け出す二人。ハワードは行動がすっかりボルグそっくりになっていた。


「よし、無事教会から脱出できたことだし……ケバブ食いに行こうぜ!」

「いいですよ。しかし君は本当にケバブが好きですねぇ」

「ボルグがあんな美味い物を教えるからだよ」

「ふーむ、ならば責任を取らねばいけませんね」


 辛口ケバブを与えると、ハワードは嬉しそうに食べ始める。ケバブを食べる姿は、昔と全く変わらない。


「そういや、葉巻はいいの? 最近吸ってるのを見てないけど」

「禁煙したんですよ、ミントさんからヤニ臭さを指摘されてしまいましてねぇ」

「そうなのか。俺、ボルグが葉巻を吸う姿好きなんだけどな。大人の男って感じがしてカッコいいじゃん」

「なら、君も大人になったら吸ってみてください。その頃にはお酒の味も分かるようになりますよ」

「わかるかなぁ? コーヒーもそうだけど、どうしてボルグはあんなのを美味そうに飲めるんだよ?」

「大人だからです。君も大人になれば分かります」


「大人か。そうか、俺大人になれるんだよな。スラムの片隅に居た頃は、こんな事考えられなかったよ。いつもひもじくて、石投げられて、命を狙われて……毎日死ぬ事しか考えてなかったんだ。ボルグには、感謝してる。ボルグが拾ってくれたから、俺は……ここに居るんだ。けどさボルグ、どうして俺を拾ったんだ? あんな浮浪児の親になっても、何の得にもならないのに」


「理由ですか。そうですね……勿体ないと思ったからでしょう。出会った時の君はとても悲しい顔をしていました。世界には面白い物が沢山あるのに、「神の加護」を持つ君ならば私よりも沢山の楽しみを見つけられるのに、あんなスラムの片隅で朽ちてしまったら、あまりにももったいないじゃないですか。

 君のような才ある子をそだてられて、私は幸せです。願わくば、こんな毎日がずっと続けばいいものですが」


「続くに決まってるじゃん。リリーも俺もボルグもずっと、ずーっと一緒に居られるに決まってる。何があっても、俺が絶対皆を守るからさ」

「とても頼もしいですねぇ」


 「神の加護」を持っているハワードならば、きっと出来るだろう。

 ハワードならば、沢山の人を幸せにできる。

 ハワードならば、誰でも救えるヒーローになれる。

 ハワードならば、必ず自分の遺志を引き継いでくれる。

 他ならぬ、ボルグ・ロックの息子だからこそ、信じられる。


「や っ と 見 つ け た ぞ そ こ の 馬 鹿 師 弟!!!!」


 王都全域に轟く怒声が飛んできた。

 振り向けば、トゲ付きの金棒を握りしめたリリーが走ってきている。それはもう、鬼のような形相で、ドスドスドスと地響きを鳴らして、「ぶっ殺す」だの物騒な言葉を叫びながら。


「よし逃げましょう」

「合点だぜダディ」


 二人はすたこらさっさと逃げ出した。勿論リリーが見逃すはずもなく、どこまでも、どこまでも追いかけていく。

 くだらない、阿呆みたいなやり取りが、とても楽しかった。

 こんなに幸せな時間が本当に、いつまでも続いて欲しい。続いて、ほしいものだった。


  ◇◇◇


「助けて……賢者様……!」

「勿論です、今すぐ薬を用意しますね」


 病床に伏している村民に、ボルグは頼もしい返事をした。

 数日前、突然アザレア西部の村に疫病が広まっていた。光臨教会は感染を広げぬよう賢者ボルグの一派を派遣し、事の収集に当たらせていた。

 体がむくみ、四肢が赤紫に腫れ上がる奇病だった。だが幸いにもボルグは特効薬を作り上げており、投与された者は皆一命をとりとめていた。

 ハワードとリリーも賢者を手伝い、方々を駆け回っている。薬を与えながら、ハワードは指揮を執るボルグを誇らしげに眺めた。


「こら、手を止めない」

「受け持ちはとっくに終わらせたよ。へへ……」

「何を笑ってるの?」

「いや、ボルグがカッコいいと思っただけだよ。加護が無くて、普段は俺様とバカ騒ぎしてるようなあほなおっさんなのに、いざ事件が起こったらあっという間に解決するんだぜ? 卑怯すぎるよな、あんなの。憧れちまうよ」

「否定はしないわ。こういう時は、あの人の弟子である事を誇りに思えるもの」

「だよな。ボルグは俺様の、永遠のヒーローだ」


 力は無くとも、ボルグにはたくさんの人が集まってくる。賢者だからではない、誰かを救おうと行動する姿に、人々はついてくるのだ。

 ボルグはハワードに大切な事を教えてくれる。時には言葉で、時には行動で、弟子達に真っすぐ向き合って育ててくれる。


「そんな風にされちゃあ、俺様だって期待に応えたくなるってもんさ」

「ハワード、どこに行くの?」

「ちょっと喧嘩にな。疫病をまき散らしたサンタクロースが様子を見に来たみたいだ」


 突発的な疫病の発生を、ハワードは不自然すぎると思っていた。

 こんな唐突に、一つの村が病魔に侵される。いくら何でも感染速度が速すぎる。裏で必ず、手ぐすねを引く奴が居るはずだ。

 ハワードが顔を上げるなり、村に巨大な影がかぶさった。


『折角広めた病が消え始めたと思ったら、貴様の仕業か賢者ボルグ』


 そう言ったのは、五メートルにもなる翼を広げた悪魔だった。見上げるほどの巨躯を持ち、禍々しい紅の剣を握りしめている。

 ボルグは手を拭きながら、朗らかに悪魔へ笑顔を向けた。


「私を呼んだのは、あなたですか?」

『左様。我が名は覇王フラウロス! 噂程度は聞いた事があろう?』

「ふむ……数百年前に数国を滅亡まで追いやった危険な存在でしたか。確か当時の賢者が封印したはずですが」

『その通りだ。だが長き時の中で力を蓄え、封印を打ち破ったのだ! 我が力は数百年前の比ではない、手始めにアザレア王国を滅ぼし! この世を我が物にしてくれる!』

「なるほど、この疫病は挨拶代わりの攻撃というわけですね。明確な悪意を持っている以上、貴方を見逃すわけにはいきませんねぇ」

『貴様ごときに出来ると思うなよ!』

「ええ出来ません。ですから、力を借ります。私は自分が弱い事を知っています、だからこそ傍に居る人を信用し、頼るんです。人は誰しも万能ではない、役割があるのです」

『くどくどと下らぬ説法を説くか。地獄でも亡者相手に垂れているがいい!』


 ボルグに剣が突き付けられる。しかし届く事はない。

 ハワードが神速でボルグの前に立ち、剣を片手で掴んだ。

 フラウロスがいくら押しても引っ張っても、剣はびくとも動かない。ハワードは口元に笑みを浮かべ、覇王をにらんだ。


「お任せしましたよ、ハワード君」

「おう、任せとけ!」


 ボルグに頼られ、ハワードは張り切った。

 フラウロスのどてっぱらに蹴りを叩きこみ、遥か彼方へ吹っ飛ばす。そのまま走って追いかけ、覇王の背後へ回った。


「頭突きっ!」

『あがはっ!?』


 フラウロスの背中に頭から突っ込んで、背骨をへし折る。翼も紙を千切るようにもぎ取り、足を握ってジャイアントスイングで地面に叩きつけた。


『ぐふぅっ! な、んだこの力は……! に、人間とは思えぬ……!』

「世界に忘れられた、神の落し子。らしいぜ」

『! まさか貴様……「神の加護」の持ち主か!? 馬鹿な、有り得ん……千年に一度の才覚が……この時代に……!?』

「くどくど下らない事ぬかすなよ。例え世界がお前を許しても、俺だけはお前を許さない。お前はボルグに剣を向けた……万死に値する!」


 一瞬でフラウロスに接近し、胸倉をつかむ。これで、奴は逃げられない。


『ま、待て! 話せばわか……』

「じゃあな」


 ゼロ距離で【ファイアボール】を放ち、一撃でフラウロスを消滅させた。

 疫病の原因は倒した、これでアザレアに病が広がる事もあるまい。

 ハワードは意気揚々と帰り、ボルグとリリーに迎えられた。ボルグはハワードの頭を撫で、


「ありがとうございます、君にはいつも助けられてばかりですね。しかし、覇王フラウロスをたった一撃で倒してしまうとは」

「俺様にとっては朝飯前さ。なんでか分かる?」

「いいえ?」


「なぜなら、俺がハワード・ロックだからさ」


 浮浪児の頃には、絶対に言えない決め台詞だった。

 今のハワードは絶対の自信を持っている。大事な人が居るし、大切な名前もある。

 自分が持っている「神の加護」。この力でこれからも、自分の大事な世界を守ってみせる。そう出来るだけの力を、持っているのだから。

 自分なら何でもできる。ハワードは、信じて疑わなかった。


  ◇◇◇


「覇王フラウロス……文献を調べましたが、人の手に負えるような存在ではありません。そんな相手をいとも簡単に倒すとは。彼は私の手を、離れつつあるようですね」


 疫病の一件から数日後。ハワードの成長を喜び、ボルグは目を細めた。

 リリーはすでに一人前になっている。ハワードも教える事がなくなっていて、あとは自分の道を進むだけ。

 心残りがあるとすれば、ただ一つ。


「ボルグ! ちょっと来てくれよ」


 いきなりハワードが現れ、腕を引かれた。

 連れていかれたのは、教会の一室だ。そこにはリリーと、画家が居た。


「おやおや、珍しいお客様がいらっしゃいますが、これは?」

「もうすぐボルグ様、お誕生日ですよね。少し早いですけど、私達から贈り物がしたくて」

「俺達三人の絵を書いてもらってさ、皆で持ち合おうぜ。いつでもどこでも、皆が傍に居られるように。ちょっとクサかったかな?」

「いいえ。とてもいいアイディアだと思いますよ」


 画家は【複写】のスキルを持っていて、描いた絵を別のキャンパスにコピーできるそうだ。

 ハワードに促され、ボルグは彼と一緒に腕を組み、胸を張った。

 なんて素敵なプレゼントなのだろう。二人と過ごせるだけでも幸せなのに、こうして思い出に残る贈り物までもらえるなんて。


 君たちは、私の誇りだ。


 出来上がった絵画は見事な物だった。ボルグは二人を抱きしめ、


「ありがとうございます。大事に、しますね」

「ああ、してくれしてくれ! けどさっすが俺様、絵になってもかっこいいぜ」

「今日の主役はボルグ様でしょう。自分が目立ってどうするの」


 いつも通りの二人のやりとりを見守り、ボルグは微笑んだ。

 二人なら、大丈夫だ。きっと二人なら、正しい選択をしてくれる。


「ボルグ、どうしたんだ? なんか、ぼーっとしてるけど」

「いえ、少し……疲れただけですよ」

「……ボルグ様? 体が、熱くありませんか……?」


 リリーが不安そうに顔を覗き込んでくる。心配かけまいと、ボルグは二人から体を離して、胸を張って。

 後ろに、倒れ込んだ。


「……ボルグ……? ボルグ!?」

「ひどい冷や汗……! 誰か、誰か!」


 弟子達の声が、どこか遠くに聞こえる。ずっと耐えていた胸の痛みが、さらに強くなった。

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