3-2
「……あるよな、いきなり謎のカウントダウンが始まって、プレイヤーを焦らせるイベント。だとしても五秒は早すぎるだろ……」
闇の中、俺は『はじめから』の文字の前でぼやいていた。
「うん。確かに五秒じゃ脱出は無理だね」
いつの間にかカナタが隣にいて、同意してくれた。
が、しかし嘲笑うように続ける。
「でも、本当は十五秒あった時間を十秒も無駄にしたのは、ユーヤ君だからね」
「む……そうだったのか」
全然気づかなかった。どうやら興奮してる場合じゃなかったらしい。
それにしても、ディアンドルもかわいい衣装だけれど、それを着込んだカナタもやっぱりかわいいなあ……――。
――はい、というわけで俺たちは、二つ目の廃墟を訪れていた。
慣れた動作で赤い本に手を置いて、『ミーシャの日記 その2』を読み飛ばす。すると同時に死のカウントダウンが始まった。
もちろん、前世の俺が犠牲になってくれたおかげで、驚きも焦りもない。つまずかないようにだけ気をつけて、俺は通路を走り抜けた。この建物の構造は、最初のやつに比べれば多少は複雑になっていたけれど、それでも分かれ道を一つ覚えればいいだけだった。
「ふう……」
無事に廃墟から脱出できて、ひと息つく。カナタの姿もすぐ後ろに確認できた。
そこで、視界に残っていた『0:06』という表示が、ふっと音もなく消えた。それから一拍遅れて、脱出したばかりの建物が、バリバリと豪快な音を立てながら崩れ落ちていった。
そしてさらに、別の場所からもバタンという音が。
何事だ? と思うよりも早く、
『どこかで物音がした』
というざっくりとしたメッセージが、俺の前に表示されていた。
「ふふっ、なるほどな」
今ので不思議な力とやらが消えて、もう一つの廃墟に入れるようになったってわけだ。こういう仕掛けって、単純だけどちょっとワクワクしちゃうんだよな。
さっそく向かうと、案の定、三つ目の廃墟の扉は開いていた。
さあ、プレイ時間の目安を加味しても、たぶん終わりは近い。俺は気を引き締めつつ、その一方で次はどんな仕掛けがあるのかと期待しながら、意気揚々と廃墟に乗り込んだ。
乗り込んで、内部をひと目見て――見たことを後悔した。
「うっ……なんだこれ」
思わず鼻と口を手で押さえていた。今までの建物とはまるで様子が違う。廊下はなく、扉をくぐってすぐに大広間があったのだが、違うと言ったのはそういう意味だけじゃない。
壁にも、床にも、天井にいたるまで、あますところなくびっしりと、黒い染みがこびりついていたのだ。
「これは血だね」
わかりきったことを平然と教えてくれるカナタ。
これで血じゃなかったら嬉しいけれど(嬉しいか……?)まあ、血だよな……。
「それじゃ、ここから先はキミたちの目で確かめてくれってことにして、俺たちは帰ろっか」
そう言って回れ右すると、入り口を塞ぐように立っているカナタと目が合った。
「冗談だよね? ユーヤ君?」
「はい、もちろん冗談です」
カナタの意味深な笑顔が怖くて、俺はすぐに折れた。
「そもそも帰るためにはこの先に行かないとですしね。ははは」
また回れ右をして、血の惨状にイヤイヤ目を向ける。
幸いなことに、目指す場所は明確だった。広間の奥のほうにもう一つ扉があったのだが、その脇に例の机と本が配置されているのが、うっすら確認できたのだ。
俺はつま先立ちで歩を進めた。無駄な努力かもしれないが、できるかぎり染みを踏まないよう、気をつけた。
染みは机の上にまで及んでいた。もしかしたら本にもかかっていたかもしれないけれど、その辺は考えないようにして俺は手を置いた。
『ミーシャの日記 その3
あるひ ケントおじさんとディアンヌおばあちゃんが
ひどいことをいいました。
ほんとうにびょうきなのはね むらにおきざりにされた
じぶんたちのほうなんだ。
げんきなひとたちはね むらとわたしたちをすてて
とおくへいってしまったのよ。
そのはなしをきいて わたしは ゆるせませんでした。
パパとママがうそつくはずないのに わるものあつかいするなんて。
パパとママは わたしのためにでていったのに ばかにするなんて。
わたしはどうしてもゆるせなくて だから みんなころしました。』
「うーん……」
この大量の血の時点で、なんとなく予想はついてたけれど……なんともやるせない話だ。ここでどんな悲劇が行われたのかなんて、想像したくもないな……。
と、そこで俺は感傷に浸るのをやめて、即座に気を張った。膝を軽く曲げて、何が起こってもいいように身構える。今までの異変は、いずれも日記を読み終わった直後に起こったのだ。だからきっと、今回もそうに違いない――!
「……………………」
「ふふふ、今回は何も起こらなかったね」
……ふむ、どうやらカナタの言う通りらしい。なんだか作者に心理を読まれてるみたいで、ちょっと面白くない俺だった。
「あー、何もないならそれに越したことはないさ。それより次はこの扉だ」
俺はやや早口で言って、誤魔化すように扉に手をかけた。これで扉に即死の罠があったら、暗闇の世界でまたカナタに笑われていただろうが――ここは素直に開いてくれた。
「これはまた、ラストっぽい雰囲気だな……」
扉の先は墓場だった。ぱっと見える範囲で、大小さまざまな十字架が二十は並んでいる。この村でずっと使われてきた墓地なのだろうが、手前のほうに三つだけ、子供のいたずらのような木の棒が突き立てられていた。
その下にはいったい、誰と誰と何が眠っているのやら――そんな想像を中断して、俺はお墓に歩み寄った。
棒の根元に、土で薄汚れた赤い本があった。そしてその日記の上に、目的だった銀色の小さな物体――鍵が。俺はそれを手に取って握りしめた。
するとそれが合図だったように、メッセージが表示された。
『ミーシャの日記 その4
わたしはびょうきなの?
よくかんでごはんをたべてるのに あたまがいたいの。
くらくなったらすぐねてるのに せきがとまらないの。
ねえ パパとママは わたしにうそをついたの?
わたしはびょうきで わるもので ばかだったの?
ねえおしえて かえってきて パパ ママ。
わたしはずっとまってるから ずっと ずっと。
4』
「……ん? よん?」
という俺のマヌケな呟きと、
「うそつき」
という憎悪の声がかぶった。
俺は決して油断していなかった。またカナタに笑われることを覚悟しつつも、何が起こってもいいように身構えていたのだ。
だけど謎の数字に気を取られ、その隙をつくように墓場の奥から現れた影を凝視して、見事に固まってしまった。
「――――っ!」
それはミーシャのはずだった。だけど、ひと目でそうだとは認識できなかった。そのくらい、最初に見た時と様相が異なっていた。
ボサボサの髪が顔面を覆い尽くし、赤いワンピースもボロボロにやぶれ、体中が泥まみれだ。そして小さな手には、大振りの包丁を隠しもせずに握っている。
かわいさや幼気さの欠片もない。
これじゃあ、殺意をみなぎらせた、ただのヤマンバじゃないか。
「……逃げたほうがいいんだよな?」
「ゲームオーバーになりたくないならね」
化け物然とした姿におののきながら訊いたらカナタが即答した。
そりゃあそうだよな!
「……うそつき。ずっとまってたのに……うそつき!」
金切声を上げたのを合図に、ミーシャが追跡を開始する。
その速度は前よりも断然速い。
すかさず俺も、悪鬼と化した亡霊に背を向けて走り出した。急いで広間に戻り、乱暴に扉を閉める。無論、閉めたところで追跡から逃れられるとは思っていない。間もなく扉はぶち破られ、ミーシャが派手に登場した。
俺は怯まず、足を止めずに廃墟を通り抜けた。村の広場に出て、次は井戸の方面を目指す。
きっとこれが最後の逃走劇のはずなんだ。気合いを入れねば!
そう意気込んだ、まさにその瞬間だった。
突然、ランタンの火が消えた。
『どうやらオイルが切れてしまったようだ』
「……おいおいマジかよ!」
視界が一気に暗くなる。舌打ちしつつ、お荷物になったランタンを投げ捨てた。ゲームでたとえるなら、これまで5マス先まで見えていたのが、1マス先までしか見えなくなったような状態……。しかし、それでも進み続けるしかない。背後からは、嘘つきを責める声がどんどん近づいていた。
「くそ! 田舎の街灯の少なさをなめるなよ!」
若干わけのわからないことを叫んで己を奮い立たせながら、俺は走り続けた。
井戸の脇を通り抜ける。井戸に落ちるなんてヘマはせず、ミーシャは追いかけてくる。一つ目の廃墟に入り、ほとんどぶつかりながら手探りで進む。暗闇からの声は止まない。
そういえばさっきからカナタの姿が見えないが、申し訳ないけれど探してる余裕はなかった。なんにせよ、ミーシャは俺を狙っているのだ。あっちは大丈夫だと信じよう。
俺は転がるように廃墟を飛び出して、いよいよスタート地点に戻っていた。
フェンスの扉に突っ込む勢いで駆け寄り、急いで鍵穴を探す。が、それらしい穴がどこにも見当たらない。
じゃあこの扉は、鍵を所持しているだけで開く仕組みなんだよな? そう思ってフェンスを揺らすが、ガシャガシャと音が鳴るだけで一向に進展がなかった。
「おい――」
ふざけんなよこのクソゲーが。
焦りと興奮が相まって、そんな暴言を吐いてしまう直前だった。
ガチャリという、明らかに開錠された音が鳴った。
『錆びた鍵が開いた』
シンプルなメッセージ。
なるほど、どうやらこれは、何度か調べないと鍵が開かないという、プレイヤーを焦らせるイベントだったらしい。
それにまんまとハメられた俺だけど、すでにさっきまでの苛立ちは消えていた。この村ともおさらばとなる今となっては、何もかもが許せてしまえた。
「おっし、これでクリアーだ!」
喜びと達成感を胸に、俺は突き破ってやるくらいの気持ちでフェンスを押した。
扉は開かなかった。
ああ、押すんじゃなくて引くタイプなのね。
扉は開かなかった。
『鍵はもう一つかかっているようだ。
暗証番号を入力してください 0000』
「は?」
俺の目の前には数字を入力するテンキーが表示されていた。だけど頭は真っ白になっていて何も考えられなかった。そんな状況でも、手はひとりでに動いていた。
『4649』
『番号が違います』
「わかっとるわ! ふざけんなよこのクソゲーが!! 責任者出てこい!!」
「うそつき」
出てきたのは責任者ではなく、悪鬼と化した金髪の少女だった。
暗闇の中に浮かぶ赤いシルエットが、獲物を追い詰めたのを確信したように、ゆらりゆらりと近づいてくる。
事実、俺の体はピクリとも動かなかった。
まるで、ゲームオーバーが確定したイベント中のように。
「人違いだ! 俺は嘘ついてねえ! 俺は悪くねえ!」
悪あがきでそう言ってみたものの、聞き入れてくれるはずもなく。
「うそつきは死ね」
冷酷な言葉とともに、赤黒く錆びた包丁が寸分違わず心臓をえぐって――
それでめでたく、俺の生命活動は停止しましたとさ。
ゲームオーバー
* * *
――あの時は理不尽極まりないと思った突然の暗証番号だったが(実際、理不尽だったけど)、冷静になってみればヒントはあった。日記その4の最後に書かれていた、不自然な数字だ。
日記は四つあって、暗証番号も四つの数字が必要となる。となれば、それが日記に隠されているだろうと予想するのは容易だった。
数字は、日記を読んだあとに再度調べるだけでゲットできた。
『日記の裏に6と書いてあるのを見つけた』
という具合に。
日記その2だけ、廃墟が崩れる前に急いで調べなければいけないという詰み要素があったけれど、今さらそんなものに引っかかる俺じゃなかった。
ミスもなく、RTAのようなサクサクプレイで四つの数字を入手し、夜の廃村を駆け抜け、暗証番号を入力する。
さすがにこれ以上いじわるな仕掛けは用意されておらず、俺はようやくフェンスの外側に出ることができた。
数秒遅れで現れたミーシャが、再び閉められた扉に、とぼとぼと歩み寄る。そのフェンスのこちら側には、『感染の恐れアリ、立ち入り禁止』という、消えかけの注意書きがあった。
やがて、ミーシャは扉が開かないことを悟ったのか、くるりと小さな背中を向けて、誰もいない村に帰っていった。
「パパ……ママ……わたしはわすれないからね」
去り際に静かな憎悪が吐き出されて――
『END』
……終わってしまった。確か、エンディングは一つって書いてあったよな。
うーむ……なんというか誰も救われない、あと味の悪い話だったぜ……。
「お疲れさま、ユーヤ君」
「ん、ああ」
いつの間にか姿を消していたカナタが、いつの間にか隣にいて、気づけば周囲もお馴染みの闇の空間に戻っていた。
「お疲れさま。確かにちょっと疲れたな……主に精神が」
結局、クリアまでに何分くらいかかったのだろうか。タイムアタックなんて意識してなかったけど、やはり少しは気になるのがゲーマーの性だ。
最後のプレイは体感で五分くらいだったし、一時間はかからずにクリアできたのかな。
「それで、どうだったかな、私が作ったゲームは。クリアした記念に、良かったらレビューしてみて欲しいな」
不意にカナタがそんなことを言った。
とはいえ俺に驚きはない。やっぱりか、だ。これまでの言動から、彼女がこのゲームの作者だというのは十分に推測できていたから。
「あー、レビューかあ……」
むしろそっちのほうが俺にとって悩ましい問題だった。
世の中には様々なレビューが溢れているが、俺自身は書いたことが一度もない。というか、それ自体を極力見ないようにさえしていた。優しさが微塵もない文章を見てしまうと、なんだか悲しい気持ちになってしまうから。
なのにまさか、こんなところで要望されるとは。
まあ、ここは世の中じゃなくて夢の中なんだし、気楽に思ったことを言えばいいかな……?
「あー。じゃあ、レビューするぞ?」
「うんうん」
「まず、グラフィックって言っていいのかわからないけど、空間がリアルで、臨場感がハンパなかった。暗いところをただ歩くだけでも怖かったし、特に最後の廃墟の中の光景は、当分忘れられそうにないや……。それと、俺は四回も死んだわけだけど、どの即死要素も一度見れば回避できるくらいの難易度だったから、ストレスもあんまりなかった。この作者のゲームなら、次回作もプレイしてみたいと思ったよ。そんな感じかな」
「ふんふん、なるほどね。じゃあ、五点満点でいうと何点?」
「あー……三・八、かな。ミーシャが幸せになれるエンディングもあれば、もっともっと高くなったかも」
と、俺がそんな採点を下した時だった。これまでにこやかに聞いていたカナタの表情が突然消えて、俺はハッとさせられた。
「へえ。でも私には、あの子があそこから幸せになれる未来なんて、どう頑張っても想像つかないけどね」
カナタはつまらなさそうに、不機嫌そうに吐き捨てた。
それも数秒の間だけで、
「ま、何はともあれ、忘罪のアキュムレーション、第一部のクリアおめでとう。ユーヤ君」
にこやかな表情に戻ると、淡白な拍手をしながらそう言った。
「ああ、ありが――え?」
待て待て、今おかしなことを言わなかったか?
「第一部……って、え? これ以上、何があるっていうんだ……?」
「ふふふ。何があるかって訊かれたら、罪があるんだよ。ユーヤ君にはね」
「はい? 罪……?」
「そう。だからこれから、罪を償う長い長い旅が始まるの――」
ますます混乱する俺など気にも留めず、カナタは至極愉快そうに言い放った。
まるで、ゲームの終盤に出てくる黒幕のように。
「さあ、ここからが本番――忘罪のアキュムレーション、第二部の開幕だよ!」