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「あ? あー……」
いきなり視界が暗くなってびっくりしたけれど、俺はすぐに納得する。
停電だ。
原因はなんであれ、急に真っ暗になるなんて停電以外にあり得ない。
そう理解したのはいいものの、次に湧いたのは舌打ちしたい衝動だった。
おいおいマジかよ……。データの移行中に電源が落ちるなんて、最悪の事態じゃないか……。パソコン、壊れてないよな……?
「ともかく明かりを……」
俺は机の上のスマホに手を伸ばした――だが、指先には何の感触もなかった。
あれ? と思いながら、俺は両手を目いっぱい伸ばす。どこにもぶつからない。伸ばした手を慎重に振ってみる。やっぱりどこにもぶつからない。
というか、妙なことに気が付いた。周囲は真っ暗なのに、なぜか自分の手はくっきりと見えているのだ。
手だけじゃない。下を向くと、体も同様に暗闇の中に浮かび上がっていた。胴体も、腰も、膝も、両足の先まで全て――そしてまた妙なことに気づく。
なんで俺は突っ立ってるんだ?
さっきまで座ってたはずなのに、地面があるのかすらわからない闇の上に、なぜ直立している?
「しかもなんだこの格好……」
茶色のズボンに、シンプルな革製の靴。白いシャツの上には緑色のベスト。
こんな村人Aみたいな格好に、俺はいつ着替えた……?
疑問は膨らむばかりだったけれど、しかしこの、知らぬ間に自分の体勢と服装が変わっているという気持ち悪い現象が、逆に俺を冷静にさせてくれた。
なるほど、これは夢だ。
こんなわけのわからない現象は夢以外にあり得ない。きっと俺は急な眠気に襲われて、椅子に座ったまま寝てしまったのだ。
そっか。てことは停電もなかったわけで、パソコンも壊れていないわけだ。
ああ良かった。と胸を撫で下ろすも、次の瞬間には別の焦りが生まれていた。
早く夢から覚めて、リバサガやらなきゃじゃん!
「目覚めよ、俺!」
俺は闇に向かって叫んだ。こんなので現実に戻れるかは知らないが、物は試し。まさに闇雲の行動だった。
果たして、夢から覚めることは叶わず、けれど意外な反応が得られた。
「こんばんは」
涼やかで、落ち着いた感じの声。その声がしたほうを見れば、少し離れたところに一人の女の子がいた。手を後ろで組んで、暗闇に浮かぶようにして立っていた。
キミは誰で、いつからそこに?
疑問はあったが、ここが夢の中だと判明した今となっては怖いものはない。俺はつかつかと歩み寄って、ジロジロと女の子を眺めた。
けれど照れくさくなって、俺はすぐさま視線を逸らしてしまった。直視できたのは三秒くらいだった。
端的に言って、めちゃくちゃかわいかった。それでいて、姿勢が良いせいで強調されている胸も大きい。背は俺より頭一つ小さいのに、まるで見下ろされているかのような存在感があった。
だから俺は、まともに見ていられなかった。年は同じくらいだろうが、恋愛経験のない高校生には眩しすぎた。ジロジロ見るなんて、夢のまた夢……。いやまあ、ここは夢の中だけど、それでも気が引けてしまい、チラチラがいいところだった。
その女の子は、ストレートロングの黒髪で、顔立ちは日本人に違いないけれど、服はヨーロッパの民族衣装を着ていた。
俺が村人Aなら、町娘Aと言った感じのアレだ。
ほら、なんだっけ……? ゲームの立ち絵なんかでたまに見るアレ……。
くそっ、昔名前を覚えたはずなのに、思い出せない。緊張しているせいか……?
ともかく彼女は、鮮やかな青色がお揃いのブラウスとスカートに、腰巻のエプロンを付けているという格好だった。忘れちゃいけないのが、頭に巻かれたハンカチみたいな布で、それがまた垂れ耳の犬に似ていてかわいかった。
当の女の子はといえば、ミステリアスな笑みを浮かべながら、俺の反応を楽しむかのようにずっと見つめてきていた。
大きな瞳でそうされると、もの凄いドキドキするんだけど……。
かくして、俺の予定は急遽変更された。女の子と二人きりになれるチャンスなんて、現実はもちろん夢の中でも滅多にない。新作ゲームのスタートダッシュも大事だが、それよりも大事なことだってある。目覚めるのはあとにして、もうしばらくここに留まろう。
方針が決まるや否や、俺は気合いの充填を始める。
自分の夢の中で遠慮していてどうする、ユーヤ! 現実じゃ不可能なことが可能になるのが、夢のいいところだろう!? 恥を捨てろ! 欲望に忠実になれ!!
そうやって己を奮起させた俺は、一度たりとも言ったことのないセリフをナンパ男よろしく吐いた。
「キミ、かわいいね! 良かったら一緒にゲームでもどう?」
「いいけど、その前に一つ確認」
え、いいんだ。と驚いているうちに女の子は続けた。
「あなた、ユーヤ君だよね」
「お?」
どうやらこの子、俺を知っているという設定らしい。
しかしながら、俺の記憶にはない女の子だった。中学や高校の同級生に、こんなかわいい子はいなかった――と思う。
「どこかで俺と会ったことが?」
小学校の同級生なら記憶が多少あやふやだから、その頃の知り合いかもしれないと予想して訊ねたのだが、彼女は首を振った。
「ううん、直接会ったことはないよ。でも、この声に聞き覚えはない?」
「声……? あ!」
正直、この子の声に聞き覚えはなかったけれど、ピンと来た。
声を聞いたことはあるのに、会ったことのない知り合い。そんな相手は限られている。ネトゲのフレンドだ。
夢というのは、その日に見たものや考えたことが反映されがちだ。俺は意識が落ちる少し前、昔やっていたMMOのスクリーンショットを眺めていた。きっとそれに引っ張られて、プレイヤーの中身を勝手に想像し、ここに出現させたのだろう。
「そうか、マヤだな!」
俺は当時、一番会話が多かった女の子の名前を挙げた。
「ううん、考え方はあってるけど、違うよ」
「じゃあ、アリシア?」
「ううん、違う」
「それなら、ハルさん?」
「ううん、その人も違う」
「だとすると……」
なかなか正解に辿り着かない俺を、彼女はなぜか笑顔で見つめていた。否定する声もどこか楽しげで、それが逆に怖い。
おそらく、内心では呆れているのでは……。
空想の人物とは言え、こんなかわいい子に嫌われたくないというのが、俺の本心なのだけど、フレンドにいた残り一人の女子の名前がどうしても出てこない……。
すっかり忘却の彼方に……あっ。
「わかった! カナタだ!」
俺が手を叩いて言うと、女の子は笑顔のまま頷いた。
「うん、正解だよ。思い出せて偉いね、ユーヤ君」
その誉め言葉は小馬鹿にしてるようにも取れて、やっぱりちょっと怖かったけれど……、とりあえず思い出せたことに安堵する俺だった。
しかし、よりにもよってカナタが登場してくるとは。確かにスクショのいくつかにキャラは映っていたものの、彼女はログイン率が低いプレイヤーだったし、たまにインしていてもあまり発言をしない子だった。フレンドの中で一番印象が薄かったと言ってもいい。
そんな彼女を夢に引っ張り出して、しかも自分好みな見た目を与えていることに少し引く。
イヤらしいというか、マニアックというか……。
「……それにしても、いったいここはどこなんだ?」
しばらく経っても登場人物は増えなかったし、周囲は相変わらずの闇だった。
もしや、このままここでお喋りをするのが今回の夢なのだろうか? こんな何もない場所で?
だとしたら、もったいなさ過ぎると言わざるを得ない! 俺の妄想力は美少女を創り上げるのが精いっぱいで、素敵な空間やシチュエーションまでは描けなかったというのか……っ!
己の不甲斐なさを悔やみつつ、唯一創り出せた幻想少女に目を向けると、カナタは自分の足下をじっと見ていた。
その目線を追って俺も気づく。下から文字がせり上がってきていたことに。
『忘罪のアキュムレーション』
横書きのそれは、漢字だけひと回り大きく、二段目にカタカナが並んでいた。簡素な作りではあるけれど、ラノベかゲームのタイトルロゴみたいだった。
「これ、なんて読むんだろうね? 忘れる罪って書いて」
俺たちの目の高さで停止した文字を見て、カナタが言った。
「……さあ。こんな熟語見たことないけど……普通に読んだら“ぼうざい”か?」
「そうかもね? じゃあ、アキュムレーションはどういう意味なんだろう?」
「んー……初めて聞く単語だし、俺にはさっぱりだぜ」
とは言え、ここは俺の脳内世界なのだから、頭のどこかしらには眠っているはずだ。それが記憶として引き出せていないだけで。
うーん、思い出すの苦手なんだよな……。と、あごに手を当てていたところで、足元からまた文字が――文章が現れた。
『プレイ時間の目安:30分~
ゲームの説明:とある村から脱出することを目的としたゲームです。
追いかけっこ要素、即死要素があります。
セーブポイントはありません。
エンディング数:1種類』
「なんか、よくあるフリーゲームの概要欄みたいなのが出てきたんだけど……」
つーか、即死要素とかいう物騒な言葉が書いてあるんですけど?
「うん。私たちはこれからこのゲームをプレイするんだよ」
半ば強制する形で、カナタが断言した。
ふむ。
どうやらカナタと一緒に、『忘罪のアキュムレーション』とやらをプレイする。それが今回の夢の趣旨らしい。なんとも具体性のある夢だけれど、目覚めたら覚えていないだけで、案外夢を見ている最中はこういうものなのかもしれない。
ふと、俺たちの前に浮かんでいた文章がタイトルだけを残して消えていった。
それと入れ替わるように、『はじめから』の文字がフェードインしてくる。
とことんフリーゲーム風な世界観に、ゲーマーの心がくすぐられた。
「オーケイ。そういうことなら始めてやるぜ!」
夢の中だろうと死にたくはないけれど、三十分程度で終わるらしいし、せいぜい楽しもう。
そう決心して、俺は直感的に文字に手を伸ばした。カチっという音。そしてエレベーターのボタンを押したような感覚があって――。
「――ん? うわっ」
最初は何も起こらなかったように思えた。暗闇のままだったから。
けれど土と木々のにおいが鼻をついて、葉が擦れるような音が聞こえて、ぬるい風が頬を撫でて――それらが同時に起きて、変化を知った。
一瞬で周囲が変わったのか、それとも俺たちがワープしたのか。
ともかくここは、山か森の中みたいだった。空を見上げれば、分厚い雲が月明りのほとんどを押し返していた。
紛れもない夜の世界。だから暗いのは当たり前だけど、それにしたって何も見えない。これまでくっきり映っていた俺たちの姿まで闇にとけ込んでしまったぶん、より濃い暗闇に連れてこられた印象……。
「ユーヤ君、右手を持ち上げてみて」
唐突にカナタから指示を受けた。
「右手?」
言われた通り持ち上げようとして、はたと気づく。俺の右手に、何かが握られている。
それを握ったまま顔の高さまで上げると、突如、光が生まれた。
そのアイテムはランタンだった。作品によっては着火道具やらオイルやらが要求されることもあるが、なるほど、このゲームでは初期アイテムとして用意されていたらしい。
「まあ、さすがに暗すぎたもんな。これでひとあんし……こっわ」
しかし明かりを点けてもたらされたのは、安心とは真逆の恐怖だった。何しろ、幽霊が出ますと言わんばかりのボロボロな家が一軒、俺たちのすぐそばで不気味に佇んでいたのだ。
木造の廃墟――その玄関の戸は朽ち果ててしまったのか、口をぽっかりと開けていた。侵入者を防ぐという本来の役割は失われ、むしろ俺たちを招いているように思えた。
思えたというか、これがゲームである以上その通りなんだろうけど……。
「こういう探索系ホラーゲームのイヤなところってさ、行きたくない場所があっても、そこに行かなきゃ話が進まないところだよな……」
「そうだね」
同意してくれたのか、単に聞き流したのか。カナタの返事はあっさりしていた。
そんな調子でも、話し相手がいるというのは心強い。正直言ってホラゲーは苦手だ。俺はこの手のゲームに関しては、実況プレイを見るだけで満足する派閥の人間なのだ。
と、ぐだぐだ言っていてもカッコ悪いので(女子にいいところが見せられるならホラゲーだってやる派閥の人間だ)、俺はとりあえず廃墟に足を向けた。
そして立ち止まった。
「どうしたの?」
一歩後ろで不思議そうにしているカナタに、俺は振り返って言う。
「いや、このゲームの目的って、村からの脱出なんだよな?」
「うん。そうだよ」
「だけど脱出って言っても、呪われた屋敷みたいな閉鎖空間じゃなくて、村からの脱出だろ? だったら、抜け道の一つくらいあったりしないかなって」
「なるほど、ユーヤ君はズルいことを考えるんだね。それなら一応、確かめてみよっか」
少し嫌味を言われた気がしたけれど……ともかく。俺はカナタを引き連れ、頼れるとは言いがたいランタンの光を頼りに、廃墟の真反対に向かって歩き始めた。
しかし、その足もすぐに止まることになった。散らばり放題の落ち葉を踏むこと数歩――俺たちの前に、二メートルを超える立派なフェンスの壁が立ちはだかったのだ。
「なんだこれ……ここは刑務所か何かなのか?」
試しに金網を揺らしてみるが、ガシャガシャとうるさいだけで、フェンス自体はビクともしなかった。向こう側を覗いても何も見えない。錆びた鉄のにおいが手についただけだった。
「ユーヤ君、こっちに扉があるよ」
カナタの言う先に目を向けると、そのフェンスだけテニスコートの入り口みたいな構造になっていた。
「お。それじゃ、これでめでたく脱出だな」
そうはいかないだろうと思いつつ、冗談半分で扉に手を伸ばすと、
『フェンスには鍵がかかっている。
どうやら何者かに閉じ込められてしまったようだ……』
という、なんともわかりやすいメッセージが目の前に表示された。レトロゲームでは馴染み深い、白枠のウインドウに、黒字に白の文字。
「ふむふむ。つまり脱出したければここのカギを見つけてこい――と」
これでこのゲームの正しい脱出方法を知れたわけだが、しかし俺はまだ、抜け道探しを完全には諦めていなかった。
閉じ込められたと書いてあるのだから、おそらく村全体を囲むようにフェンスの壁は続いているのだろう。
けれど、上はどうだろうか?
フェンスの上部には横に三本、丈夫そうな有刺鉄線が張られている。だが、俺は常々考えていた。あのトゲトゲって、手を布でくるんでしまえば案外簡単に越えられるんじゃないかと。
俺はランタンを地面に置いて、緑のベストを脱いだ。続けてシャツも脱ぐ。それからベストを右手に、シャツを左手にぐるぐる巻いていく。
「まさか、登るつもりなの?」
じっと様子を見ていたカナタが言った。
「まさかのそのつもりさ。――よし」
手のガードはできた。女子に裸の上半身を見られるのは不本意だけど、試したくなってしまったのだから仕方ない。まあ、この暗さなら見えてないのと同じようなものだろう。
俺は何回か軽くジャンプして、体の具合を確かめ、そして言う。
「なあ、カナタ。いろんなゲームやってるとさ、たまにちっさな段差すら越えられない貧弱なキャラクターがいたりするじゃないか」
あれはキャラが悪いわけじゃなく、そういうシステムのせいなのだが――カナタがこくりと頷く。
「俺はそんなキャラクターを操作するたびに、いっつも言ってやりたかったんだ。その立派な足はいったい何のためについてるんだ、ってね!」
言って、俺は思いっ切り地面を蹴った。フェンスの上部分にあるパイプにがしっと掴まり、つま先を金網にかける。
それから、まずは右手を有刺鉄線の一本に伸ばした。できるだけトゲトゲのない部分を掴もうとして、だけど暗くてよくわからなくて、当てずっぽうで握った――握りしめた。
チクっという感覚――だけじゃなかった。
「あがががががががががが!!」
腕の骨が、指の骨一本一本が、レントゲンみたいに透けて見えていた。フェンスから離れたいのに、手も足も金縛りにあったかのように動かすことができない。周囲がピカピカと点滅している。その激しい光を放っているのは、何を隠そう俺自身で――。
この有刺鉄線、ご丁寧に高圧電流まで流れてるのかよっ……!
気づいても時すでに遅し。やがて体中の力が抜けて、俺は殺虫剤をかけられた虫みたいにフェンスから剥がれ落ち、地面にべちゃりと倒れ込んだ。
視界が真の闇に閉ざされていくその直前、
「ふふ、残念だったね」
愉快そうなカナタの声を、俺は確かに聞いた。
ゲームオーバー