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7-2

『罪状その135――弾幕シューティングの同人ゲームを、曲が気に入ったという理由で買ったものの、イージーモードすらクリアせずにやめた罪。

 償いの条件――ノーマルモードをコンティニューせずにクリアすること』


 襲い来る激しい弾幕をかいくぐり、敵を撃破しながらステージを進んでいくこのゲーム。空中を自在に移動する力を手に入れた俺は、その最終ステージである桜の花びらが舞い散る参道を、じっと見下ろしていた。

 この美しい庭園の先に、ラスボスが――冥界の主が待っている。

 俺は一度深呼吸をして、それから進軍を開始した。


 途端、BGMが流れ始める。それに合わせて、霊魂たちがどこからともなく出現し、まさに幕と表現すべき大量の弾を浴びせてくる。その幕の隙間を縫うように、俺は前後左右――そして上下に飛び回り、間一髪で避けていく。


 本来、このゲームは2Dの弾幕シューティングだ。だから上下という概念は存在しない。

 それを一体全体どうやって処理したのか――この世界では3Dの弾幕として再現され、自機である俺も三次元の移動ができるように改造されていた。


 その違いで、ゲームの難易度はどう変わったのか?


 残念ながら、実機でクリアしたことのない俺には判断できなかったし、そもそもカナタが用意したこの世界は、現実のゲーム性と比較できないものばかりだから、やはり判断はできない。


 確実に言えるのは、俺が現在、最終ステージに来た段階で残機をまだ三つ残しているという、チャンスの真っただ中にいること。

 そして、俺が巫女服のコスプレをしていることも、なぜか肩回りに布がないこのコスチュームせいで、処理していない腋毛がびゅーびゅー風に吹かれてしまうことも、プレイしてるうちに気にならなくなるということだった。


 さて置いて、庭園を進んだ俺の前に、五面で戦ったばかりの庭師が中ボスとして立ちはだかった。

 ここでボムを一つでも温存できれば、ラスボス戦が楽になるのだが、俺は無理をしない。余裕を持ってボムを使い、安全に敵の体力を削る。


 生まれてこの方、シューティングゲームにはほぼ手をつけてこなかった俺でも、ボムを抱えたまま被弾するのは絶対にやっちゃいけないことだと学んでいた。


 そうして、庭師兼、従者である少女を難なく撃退して――。

 ひと際大きな桜の木をバックに、俺はラスボスと対峙する。


 いかにも幽霊ですという三角頭巾をつけた、冥界の主。その優美な存在は、しかし主人公にとっては異変を起こした悪者で、俺にとっても倒すべき敵だった。


 ボス戦前の口上が、ボイスのないゲームゆえ、テキスト形式で進む。

 それが終われば、あとは言葉ではなく、弾幕のぶつけ合い――その開戦の合図として、激しくも幽雅なBGMが演奏された。


 ラスボスとの戦闘は初めてじゃない。すでに何度も挑戦して、そのたびに苦汁をなめさせられてきた。だが何度目だろうと、この曲を聞くと俺のテンションは否応なしに上がってしまう。

 そりゃあそうだ。

 元はと言えば俺は、この曲に惚れて、このゲームを買ったのだから。


 なのになぜ、クリアするまでプレイしなかったのか……。それは純粋な後悔でもある一方、仮にもしクリアしていたら、今の俺が味わっている体験はできなかったということでもある。それはそれで、とても後悔しただろう。


 どちらにしろその後悔は、やったからこそ気づけた良い後悔だ。

 そしてそれに気づけたのは、間違いなくカナタのおかげだった。


 それは、このゲームに限ったことじゃない。俺がプレイを断念して、今まで放置していた数多のゲームたち――それらが秘めていた本当のパワーを、この世界は俺に教えてくれた。

 プレイしていれば得られたはずのあれやこれやを、それも現実では絶対に味わえない方法で、この世界は与えてくれた。


 だから今の俺がカナタに思う感情は、感謝しかない。


 この時、俺はきっとゾーンというやつに入っていた。無数に舞い踊る蝶の弾幕も、放たれるレーザーも、大小さまざまな光の粒も、複雑な軌道を描くナイフも――全てがスローに見えた。まるで焦ることを忘れたかのように、頭は冷静で冴えわたり、次に動くべき位置が常に把握できた。被弾など一度たりともせず、わざとかすりにいく余裕さえあった。


 結果、一つのボムも使わないまま、最後の弾幕が始まった。

 BGMが第二形態とでも言うべき変貌を遂げて、俺の心をさらに熱くさせる。


 それは、今までに見たどんな花火よりも綺麗だった。しかもそれが遥か上空ではなく、俺の周囲を埋め尽くすように広がるのだからたまったものじゃない。

 この世界は本当に素晴らしい……。光の奔流。色鮮やかな洪水。暴力的なまでの美しさに、心の底から圧倒された――。


 やがて、名残惜しくも弾幕は終わり、化け物桜は枯れ果て、俺は勝利していた。

 俺の目はいつに間にか潤んでいて、それを拭って目を開けた時――

 思わず笑みが浮かんだ。


「……何やってるんだよ」

 俺のすぐ前に、カナタがいた。

 冥界の主の格好をして、気まずげに佇んでいた。


「……別に。私も異変を起こした悪者だし、ちょうどいいでしょ」

 視線を合わそうともせず、カナタはぶっきらぼうに言った。それでも俺には十分だった。コイツが姿を見せてくれた、それだけで嬉しかった。


 お前に異変を起こさせた原因は俺のはずだ。だからお前は悪者なんかじゃない。そんな趣旨のセリフを言おうとしたところで、カナタがおもむろに指を掲げた。


 パチンと、久しぶりに聞く音が鳴った。何が起こるのかと身構えたが、それで起きた変化は、俺とカナタが緩やかに降下を始めただけだった。

 ほどなくして、俺たちは花びらで埋め尽くされた庭園にふわりと降り立った。

 そして間髪を入れずにカナタが口を開く。


「長かった償いの旅も、いよいよ次でラストだよ。それをクリアしたら、ユーヤ君は自動で現実に戻る。だから、ここでお別れのあいさつをしようと思った。一応、昔のよしみだしね。それじゃあ長い間お疲れさま。そしてさようなら、ユーヤ君」

 カナタは一方的に言い切って、すっと指を構えた。


「罪状その136――」

「いや、待て待て!」


 俺は慌ててそれを制し、もう片方の手で額を押さえた。

 いろいろ気になる言葉が飛び出て、頭が混乱していた。だけど、こんな不本意な流れのまま、最後のゲームを始めるわけにはいかない。それだけは確かだった。

「……ちょっと、待ってくれ。お別れのあいさつって、まるで今生の別れみたいに言ったけどさ、それってこの世界ではもう会えないって意味だよな……? 現実に戻ったら、また連絡くらい取れるんだろ……?」


 カナタはすぐに答えなかった。

 しばらく逡巡するような素振りを見せて、ふと、今にも弾かれそうな指に視線が止まった。その指を見つめる表情が、次第に歪んでいく。


 やがてカナタは、はあああああ……と深い息を吐いた。

 泣き出しそうな顔になって、構えた指が、力を失くしたように下ろされて、それから小さく呟いた。

「……無理だよ」


 つらいことを認めるように吐き出された言葉。

 しかしそれは、俺が望んでいたような言葉じゃなかった。

「無理って……どうして?」

 俺の問いかけると、カナタは震えた声で、けれど断固として言った。

「私は、この世界に残るから」


「――は?」

 この世界に残る?

 いやいや、意味がわからんぞ……?


「この世界って、俺に罪を償わせるための檻みたいなものなんじゃないのか……? そんなとこに残って――」

「だから、それが正しくないんだよ」

 俺の言葉を遮り、カナタは首を横に振った。続けて、ひどい頭痛に耐えるように頭を押さえながらも、はっきりと告げる。


「この世界は、別にユーヤ君のためだけに作られたものじゃない……。確かに、やってみるって言ってダウンロードしたのに、起動すらしなかったのは、許せないことだと思ってる。……でも、この世界に招かれる理由は、本当はもっと単純。『忘罪のアキュムレーション』をダウンロードしてから、一年間経ってもクリアしてないこと。ただ、それだけなんだから」


「じゃあ……」

 ……じゃあ、えっと、どういうことだ?

 混乱が極まって、今度は俺が頭を押さえる。

「ユーヤ君は、私が仕掛けた網にかかっただけなんだよ……。わざわざURLを貼ってダウンロードさせた、私の悪意に引っかかっただけ……」


 言ったでしょ。私は異変を起こした悪者なんだよ。

 視線を地面に落とし、カナタはそう言った。まるで懺悔しているように。


 懺悔しているように……?

 って、誰にだ? まさか俺にか?


「なあ、カナタ……。もしかしてお前、俺に悪いことしたって思ってるのか?」

「思ってるに決まってるじゃん!」

 カナタは顔を上げて喚いた。俺は驚きながら、その目じりに溜められた涙をまじまじと見ていた。


「だってそうでしょ? ユーヤ君は私の勝手な都合で閉じ込められたんだよ……? 実際、ユーヤ君だって怒ってたじゃん……。自分のルールを押し付けるな、イチャモンで罪被せるなって……そう、怒ってたじゃん……」


 喚いたのは一瞬だけで、カナタは力なくうなだれた。つらさに耐えている時とはまた違った、今にも崩れてしまいそうな、際どく揺れ動いている状態。そんなふうに思えた。

 だから俺は、慎重に言葉を選んで、気持ちを伝える。


「……えっと、さ。確かにお前の言った通り、俺も最初は怒ったよ。意味がわからなくて、不安だったからさ。でも、そんな怒りは最初だけだった。この世界でしか味わえないゲームの凄さに、すぐに夢中になったんだ。そりゃあ、しんどい時もあったし、先の長さを思ってウンザリすることもあったけど……、けどそれ以上にこの世界は素晴らしかったんだ。だから今の俺に、お前を責める気は一つもない。むしろ、感謝してるんだよ」


 それはまごうことなき俺の本音だったが、

「……なにそれ。嘘だよ……」

 しかしカナタは、なおも頑なだった。

「感謝とか、嘘。私が可哀想に見えたから、そう言ってるだけなんでしょ……」


 どうして伝わってくれないのか――

 俺はじれったくて仕方なくて、必然、声のボリュームが上がってしまう。


「違う、嘘じゃない! 本当に感謝してるんだって! これが俺の償いだって言うから、楽しいと思っても口にしてこなかったけど、けどホントは楽しかったんだ! お前も見てきただろ? 姿を消したあとも、こっそりどっかから見てたんだろ? だったら俺が楽しそうにしてるところ、何度も見てきただろ……? 本当に……俺は本当に感謝してるんだ。だから、素直にありがとうって言わせてくれよ――」


 言い終えて、俺が目で訴えようとした時、カナタは無表情になっていた。

 姿を消したあの時と同じ、悲しさを隠しきれていない、振り絞るような無表情。


「……いい、ありがとうとか、言われたくない。そんなの聞きたくないし、感謝もされたくない。これ以上私を惨めにさせるなら……話はもう終わり」

 言うが早いか、カナタが指を構える。


「ちょ、だから待てって!」

 待て、という俺のその願いが届いたのか――

 カナタは無表情のまま、こう言った。

「じゅう」


「お、おい――」


「きゅう」


「待てって」


「はち」


 いきなりカウントダウンが始まって、プレイヤーを焦らせるイベント……!?

 いや、そんなこと思い出してる場合じゃない!


「なな」


 何か……何かコイツを思い留まらせるような言葉を考えつかないと……。

 焦っちゃダメだ。焦らず順序だてて考えろ、ユーヤ。


「ろく」


 そもそもなぜ? なぜカナタは、いきなり会話を終わらせようとした……?

 惨めにさせるなら――そうだ。カナタはそう言った。


「ごー」


 じゃあ、何がカナタを惨めにさせている……?

 それは、俺の感謝の言葉だ。カナタは自分のことを悪者だと思いたがっている。だから感謝なんてされたくない。


「よん」


 じゃあ、なぜカナタはそう思う……? 

 それは、この世界を創ったからだ。どんな方法かは見当もつかないが、無差別に他人を巻き込むような仕掛けを作ったから。


「さん」


 じゃあなぜカナタは、そんな仕掛けを作った……?

 それは、許せないから――。


「にい」


 放置すること。放棄すること。見捨てることが。

 罪だと断じたくなるくらい、許せないから――。

「カナタ、もしかしてお前――」


「いち」


「両親に捨てられたのか……?」


「」


 時が止まった――かと思った。

 しばらくの間、カナタは、口も、指も、目さえも微動だにさせず――じっと立ち尽くしていた。


 涙――最初の変化は、涙だった。それが溢れて、一筋が頬をつたい、顎から滴り落ちると同時に、カナタは泣き崩れた。

 それに影響を受けたように、世界も崩れていく。

 バラバラと空から剥がれ落ちていって、綺麗な桜の庭園が、デフォルトの暗闇へと戻っていく。巫女服姿だった俺は村人Aに。そして、冥界の主の格好をしていたカナタは、ディアンドル姿で地面にぺたりと座り、次から次から溢れてくる涙を袖で拭っていた。

 か弱い。そうとしか言い様のない存在だった。

 俺はその隣に歩み寄り、しゃがんで、肩にそっと手を置いた。手は、振り払われなかった。


 この子には、両親に捨てられたつらい過去があるのかもしれない。

 俺がそんな結論を出したのは、何も、まったくの勘頼りだったというわけではない。確信まではいかなかったものの、それらしいヒントを見つけたからだった。


 カナタはこの世界の主である前に、フリーゲーム『忘罪のアキュムレーション』の作者でもある。思い出してみればあのゲームは、両親に見捨てられた女の子が、両親に恨みをぶつける悲しい話だった。


 もし仮に、そのストーリーを生み出したきっかけが、過去の自分の境遇だったのだとしたら。そして、ミーシャと自分自身を重ね合わせていたのだとしたら。

 カナタがミーシャに対して、親近感や愛情とはまた違った、達観や自虐といった感情を持ち合わせていたのにも、納得がいったから。


 さらにもう一つ、カナタがゲームを放置したくないだけに留まらず、他人が途中放棄することまで許せない理由。それが、両親に捨てられた自身の経験に由来するものだったとしたら。

 すなわち、見捨てられたゲームを、見捨てられた自分と重ねてしまい、許せないと感じてしまうのだとしたら。


 カナタがここまで難儀な性格になったのも、俺は、納得できてしまったから。


 やがて、落ち着きを取り戻したのか、カナタが顔を上げた。泣き疲れた表情で、一度俺に視線を合わせて、小さく息を吐く。

 そして、暗闇のどこか一点を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。

「……ユーヤ君の言う通りだよ。私は親に捨てられた。自分で産んだくせに、面倒も見ないで、私は託児所に置き去りにされた……。ほんと、最低な親だよ……。だけど、最低なのは私も一緒……。親への怨みを、こうやって自分勝手にぶつけてるんだから。あの子を可哀想な目に遭わせて、そのままにしてるんだから……」


 はああぁ……と大きなため息とともに、心の内に秘めていた思いを吐き出して、カナタは俺にもたれかかった。

 俺がどいた瞬間、何の抵抗もなく地面に倒れるのがわかるくらい、カナタの体には力が入っていなかった。


 こんなにも弱り切った女の子に、俺は何をしてあげられるだろう?


 心が弱っている時、生半可な共感や同情、前向きな言葉は、たとえそれが百パーセント優しさから来るものだとしても、たくさんの時間が経ってからでなければ、受け入れられないことが多い。それを俺は、身をもって知っていた。無責任な言葉をかけられるくらいなら、何も言わずに、ただ傍にいてくれることのほうがありがたいのだ。


 結局、俺は隣にいることしかできず――すると唐突に、カナタが笑みを見せた。生気のない、虚ろな笑みだった。

「はは、なんだか疲れちゃったよ……。ユーヤ君の償いも、もう終わりにしよう。現実に帰りたいなら帰らせてあげるし、聞きたいことがあるなら何でも聞いていいよ。全部答えるからさ」


 あれだけ頑なだったカナタが、急にそんなことを言った。


 ここに来て、ようやく心を開いてくれた――?

 いや、その解釈は、俺には違和感だらけだった。

 コイツは心を開いたんじゃない。抜け殻になっただけだ。俺にはそうとしか思えなかった。


 まだだ――まだ俺の旅は終わっていない。

 まだ俺は、何もカナタの力になれていないのだから。


 カナタは何でも聞いていいと言った。だったら洗いざらい聞い出して、力になれることを見つけてやる。それまで、絶対帰ってやるもんか。

「じゃあ、聞くけどさ。お前、俺がここから消えたあと、どうするつもりだ?」

 カラカラに乾いた笑みのまま、カナタは即答する。

「どうもこうもないよ。ユーヤ君みたいな来訪者があったら相手するし、なくても関係ない。私は無限に、この世界に残り続けるだけだから」


 いや、闇の力をこじらせたラスボスみたいな、ちょっとカッコイイこと言ってるけどさ……。

「そんなの、やってられるわけないだろ……。俺の相手をしただけでも、あんなになってたのにさ」

 まあそれは、俺の忘罪が特別多かったせいもあるかもしれないが――

「ていうかお前、現実に帰りたくないのか? 両親は、その……いなくても、それなりの生活はしてたんだろ?」

 でなけりゃネトゲなんてやれないはずだし、ゲームも作れなかったはずだから。


「もうどうでもいいんだよ」

 吐き捨てるように言ったカナタは、同じ言葉を再度くり返した。


「もう、どうでもいいの。リアルの生活も、私のことも。育ての親とももうずっと話してないし、あの人たちも私のこと、厄介な拾い物したって思ってるんだから。実際にそう話してるところ、聞いたし、高校にも行かずに引きこもってれば、その通りだよね」

 自嘲するように笑い、カナタは続ける。

「……でもまあ、私はこういう性格だから。ゲームを途中放棄することが許せないし、給食を残すことも許せない。小学生の頃から、何度も同級生に突っかかって、何度も鬱陶しがられて、何度もいじめられて。……あんな世界、もうどうでもいいんだよ」


「………………」

 ……聞いてられねえ。

 聞き出してやると言ったのは俺だけど、聞いてられねえ。

 それが、カナタの本心に対する、俺の本心だった。


 事実、カナタにとって現実は、つらいことのオンパレードだったのだろう。

 逃避するためにこんな世界を創り出してしまったくらい、現実に嫌気が差したのだろう。

 なんでもできるようで、しかしなにもおこせない、無のようなこの世界が、覚悟していた以上に退屈でつらくても。それでも帰る気になれないほど、現実を怖れているのだろう。


 同情の余地はある。だが、聞いちゃいられない。

 ひどく投げやりで、自暴自棄で、未来を諦めて――

 それが本当に昔の俺みたいで、聞いちゃいられない。


 そんなやつは、無理やりにでも救ってやりたくなる。

「じゃあさ、カナタ。お前、ウチに来て働けばいいよ」


「………………へ?」


 呆然とするカナタに、俺は問答無用で畳みかけていく。

「お前が言うあんな世界って、お前の周りのちっさな世界のことだろ? そこに居場所がないってんなら、ウチに来て働けばいい。俺んちは農家だ。で、農家と言えば深刻なのが人手不足だ。だから、お前が来て働いてくれるなら、ウチは助かる。家は広いから一人くらい増えても困らないし、稼いだ金をしばらく貯金して、近場に部屋を借りるのもアリだな。自慢じゃないが、ウチの野菜や果物は結構人気あるんだぜ? 中でも、一番人気がリンゴだ。お前、リンゴ好きなんだよな? だったら、ウチに来て働けば、好きなだけ食えるぞ? ……まあ、場所はド田舎で、遊ぶところも少ないけど、でもネットは光回線だし、悪い条件じゃあないだろ?」


 ともすればいかがわしい勧誘みたいだが、俺は至極真剣だった。


 カナタはずっと怪訝そうな表情で聞いていたが、

「何……? 何の話をしてるの……?」

 ついにはおびえたように、俺から後ずさりしてしまった。


 それも仕方ない。強引なのは俺も承知の上だ。

 そして、これから言うのが気取ったセリフなのも、重々承知の上。


「何の話って、お前の未来の話だよ」


 未来――その単語を聞いて、カナタはあからさまに眉をひそめた。

「未来とか……だから、どうでもいいんだって。言ったでしょ? ここから幸せになれる未来なんて想像できないって」

「それは想像できないだけで、幸せになれる未来だってちゃんとあるんだよ」

 俺が即座に言い返すと、カナタはさらに不機嫌そうな顔をした。

「……何なの? 私と年もほとんど変わらないくせに、なんでそんな知ったようなこと言えるの? ユーヤ君……ちょっと気持ち悪いよ」


 女の子に言われたら傷つく言葉も、今はスルーして――

 これまでコイツにずっと隠していた秘密を、俺は告げる。


「カナタ。実は俺、現実では歩けないんだ」


「……え?」

 ぽかんとするカナタ。

 お構いなしに俺は続ける。

「子供の頃に馬鹿な事故を起こして、それ以来、歩けない体になった。まあ、足はついてるけどね」

 俺は笑ってみせる。


 あれは小学四年生の夏だった。俺は友達の何人かと川遊びをしていた。当時の俺の遊びと言えば、ゲームか川の二択だった。遊びに出かけることは、事前に伝えてあって、母さんはタイミングが合うと様子を見に来ることがあった。

 その日は買い物の帰りで、あの頃、まだ車の免許を持っていなかった母さんは、自転車に乗って現れた。カゴにはたくさんの荷物が入っていた。


 いつも自転車を停める、コンクリートの道。なぜかそこを通り過ぎて、母さんと自転車が迫ってきた。母さんはかなり焦っていた。俺はブレーキが壊れたんだと思った。実際、その通りだった。


 足場の悪い下り坂を、ガタガタと揺れながら進む自転車。でもその坂は、傾斜がほとんどなかったし、母さんは靴を必死に地面に押し付けていた。だからきっと、何事もなく止まれたはずだった。

 俺が馬鹿なことをしなくても、自転車は止まっていたはずだった。


 守らなきゃ――俺も焦っていた。どうにかして母さんを助けないと。


 俺は一心不乱に自転車に体当たりした。正面衝突。母さんは横に倒れ、俺は後ろに倒れた。背中と腰の辺りに大きな石が突き出していて、良くない角度でぶつけたらしい。体中に激痛と嫌な感覚が駆け巡ったのは覚えているが、次の記憶は病院のベッドの上だった。

 俺はそこで、泣いている母さんを見た。そして絞り出したような、「守ってくれてありがとうね」という声を聞いた。――だから、俺の両親は俺に甘い。


「足があるのに……歩けないの?」

「ああ、今は車いすで生活してる」

「……歩けるようには、ならないの?」

 カナタが心配するように言うから、俺は笑った。

 他人のことが心配できるなら、お前、きっと幸せになれるよ。


「歩くのは、どうだろう。未来のテクノロジー次第ってところかな」

 俺が肩をすくめると、カナタは気まずそうに視線を落とした。

「……そうなんだ」


「…………」

 今なら。

 俺のことを思いやる余裕がある今なら、前向きな言葉を言ってもいいだろうか?


「なあ、カナタ。あの時は俺も、人生が終わったって本気で思ったよ。これからのことを考えるのが憂鬱で、死んだほうがいいのかな――とかさ。親に当たり散らしたし、友達と会うのもしんどかった。幸せな未来なんて想像できなかったんだ」


 オヤジが牧場のゲームをプレゼントしてきたのはその頃だ。それはオヤジなりの気遣いだったのだろうが、不自由なく走り回る主人公の姿を見るのがイヤで、俺はプレイをやめたのだった。


「でも、今の俺は両親ともメチャクチャ仲いいし、俺のことを理解してくれる友達にだって出会えた。新作のゲームの発売を暢気に待ち遠しく思えるくらいには、俺も幸せになれたんだよ」


 そこまで言ってから、俺はすっくと立ち上がった。

「それにほら、こうやって走り回る体験がまたできるなんて、こんなの、この世界に来るまでは一ミリも想像できなかった。だけど、起こるんだよ。想像できないことも。生きていればさ」


 ゲームのエンディングの数は限られていても。

 人生のエンディングの数は、その人次第で無限に作れるのだから。


 果たして、しばらく考え込むようにしていたカナタは、ゆっくりと口を開いた。

「……ユーヤ君の言うことはわかる。けど、信じられない……」

 俺は頷き返す。

「最初は仕方ないさ。俺だって、車いすで楽しく生活できるとか、最初はまったく信じられなかった。でも、やってるうちに少しずつ気持ちが変わっていったんだ。だから絶対、カナタも変わっていける。俺を信じてくれ。――って、あれか……。お前のゲームをやるって、口だけだった俺が言っても、信じらんないか……?」

「うん……」

 ……即答された。

 まあ、そうだよな。


「じゃあ、こうしようぜ? 俺も言ったことは守るよう、これから努力していく。だから、一緒にお前も、自分の未来の可能性を少しずつ信じて、少しずつ変わっていかないか?」

「……一緒にって」

 不安そうな上目遣いでカナタは言う。

「さっきの話、本気なの……?」


「お前をウチに住まわせるって話か? もちろん、俺は本気だぜ。当然、ウチの親の承諾も必要だけど、反対するどころか喜ぶと思うから、心配いらないさ。お前のところの親は……もし反対されたら、みんなでなんとか説得しよう」

「ううん」

 カナタは神妙な感じで即答した。

「……私の親もきっと喜ぶと思うから、大丈夫」



 それは……どういう喜び方なんだろう。

 そのことについて俺が喜んでいいのか、微妙だ。

「……まあ、じゃあ問題ないかな?」


「私、性格悪いよ……?」

 カナタが短く告げた。それでもいいのかと気にするように。


 そんな気がかり、俺は笑い飛ばす。

「はっ、お前の性格については俺も重々わかってるつもりだぜ。なにせここまで、何百時間も一緒にいたしな」


 しかしカナタは、なおも確認するように告げた。

「……ほんとにわかってる? 買ったのに読んでない小説とか、最新刊が出てるのに買い揃えてないコミックスとか見つけたら、私、突っかかるよ……? ウォッチリストに入れた映画は、近いうちに観る予定ある? パソコンに取り込んだ音楽はちゃんと全部聴いた? なんとなくで視聴をやめたアニメとかない? 埃まみれのギターとかあったら、荒れ狂うよ……?」


「…………」

 カナタはおどおどと言っていたが、内容はほとんど脅迫だった。

「あー、じゃあ、その時は存分に突っかかってこい! 俺が納得いったらその通りにするし、納得いかなかったら徹底抗戦だ! いいぜ、ぶつかろうじゃないか!」

 廃棄する野菜とか見たら、コイツどうなっちゃうんだろ……?

 今さらそんな不安を抱えながらも、俺は前言を撤回する気など微塵もなかった。


 ぶっちゃけ、俺はカナタに惚れている。最初に見つめられた時から一目惚れだ。たとえ荒れ狂われようと、惚れた弱みのなんとやらで乗り切ってみせるさ!


 と、俺がそんな覚悟を決めた時、カナタも新しく覚悟を決めたらしい。

「……わかった。そこまで言うなら、ぶつかろう。私も……少しずつ変わる努力をする。だから、それができるまで、いっぱいぶつかろう」

 わずかだが力を取り戻した目で、自分に言い聞かせるように決意を表明した。

 その健気な様子を見ることができて、俺は本当に嬉しかった。


 カナタ自身、もともと変わりたいという願望は秘めていたと思う。そして、誰かに助けを求める気持ちも、意識的だったかはわからないが、あったのだ。

 あの突然のカウントダウン。だってあれは、実際の十秒よりも明らかに長かったのだから。


 その思いを拾い上げることができて、本当に良かった。俺は安心と嬉しい気持ちがいっぱいになって、笑みが溢れた。

「ああ、いっぱいぶつかろうぜ」

「うん」

 こくりと頷いて、カナタも控えめながら笑みを返してくれた。


 居心地の悪くない静寂――

 さてこれで話も一段落だろうか、と思っていたら、カナタから率直な質問が飛んできた。

「ところでさ、ユーヤ君って車いすなんだよね? 農業……できるの?」


「ん……。それは実にいい質問だな」

 俺はカナタの前に座り込んで、腕を組んだ。次いで偽りのない心境を吐露する。

「実は、俺がちゃんと実家の農業を継ぐって決めたのは、つい最近なんだ。車いすなのに農業でやっていけるのか、やっぱり不安だったからな。んで、決めたあとの今も、正直不安だ。当然、普通の人と同じようには働けないからな」


 そうだよね、と言わんばかりにカナタが首肯する。


「だけど、俺にもできることはきっとある。それを模索していくのも……実はこれからなんだ。だから、さっきは偉そうに、ウチの果物は人気だとか自慢したけど、俺もまだまだ、ヒヨッコもいいところなんだよ」

「じゃあ、私とあんまり変わらない?」

「だな。だからその……お前と一緒に頑張っていけたら、俺としては最高だ」

 それは俺の遠回しな告白だったが――


 カナタは気づいているのかいないのか、

「うん」

 とだけ言って、小さく頷いた。


 まあ、今はそれで十分だ。

「さて、それじゃあ旅を終わらせて、そろそろ帰らないとな」

 そう言って俺は立ち上がった。


 話が込み入って忘れかけてたけれど、まだゲームは一本残っているのだ。そして俺は、そのゲームが何なのか予想がついていた。

 一度挑戦して、やっぱり無理ゲーだと投げた記憶が、鮮明に残っていたから。


「なあカナタ。これから成長していく記念に、一緒にゲームでもやらないか?」

 俺は相棒に向かって、あくまで紳士的に手を差し出す。


 ラストの一本。それは二人でも遊べるゲームではなく、なんと二人プレイ専用という異色のゲームだった。しかもそれは、奇しくもオヤジが母さんとの仲を深めるために利用した、曰くつきのゲーム。ストーリーは、囚われた主人公とヒロインであるお姫様が、手を取り合って協力し、古城から脱出するというもの。 


「……私はいいけど、でも、いいの?」

 カナタの言葉は足りなかったけど、俺には何の確認かわかった。

「ああ。この世界でたくさん走り回れて、俺は十分、満足したよ。ありがとうな、カナタ」

「うん……どういたしまして」

 カナタは照れくさそうに言って、可憐な手で俺の手を掴み、立ち上がった。

 そしてもう片方の手を掲げ、粛々と宣言する。


「罪状その136――二人プレイ専用のゲームを、コントローラーを二つ使って無理やりプレイしようとした結果、すぐに諦めたこと。

 償いの条件――私と一緒に現実に帰ること」


 初めてカナタと手をつないだ感覚。その温かさに胸を躍らせながら、俺はパチンという小気味いい音を聞いた。

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