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深淵の洞窟とは、ロストキューブというゲームの核であるロストキューブへと至るためにクリアしなければならないダンジョンである。クリア推奨レベルは2000。だがこれはパーティーを複数集めて挑戦するときの目安だ。最後に出てくるボスの攻撃力は、レベル1500以下の戦士職のHPを一撃で奪い去るほどだ。そのため高度な立ち回りと回復役、そして即座に倒すことのできる火力が要求される。ボスの平均討伐時間は1時間30分とされている。俺はソロクリアだったが、初めてクリアした当時のレベルは2103。MPポーションを相当数使用し、3時間かけて討伐したことをよく覚えている。まだ情報も出回っていないころだったため、相当な苦戦を強いられた。
「おにーさん、無視しないで欲しいのですよおにーさん!気づいたら部屋にいないしギルドにも見当たらなかったのです。すごく探したのですよ!」
「うるさいな、クーなんとか。俺は急いでるんだ、お前のそのべらべらと無駄口をたたく事しかできないしかない脳みそでも、急いでるの意味くらい分かるだろう?」
こいつのことをすっかり忘れていた。
「クーニャの名前はクーニャなのですよ!クーなんとかという名前ではないのです!大体レッサードラゴンとマンティコアはどうしたです?尻尾巻いて逃げてきたですか?」
その言葉に、周囲が少しざわめく。それにしてもアホっぽい話し方をする奴だ。
「いや、もう倒してきた。ほれ、お前の胴体ほどもある」
アイテム欄から取り出してレッサードラゴンの頭を見せてやる。クーニャはいきなり現れた凶悪な顔に、腰を抜かした様子で、ぺたりとしりもちをついた。
「こ、これ本物なのですか?」
「剥製かどうか確かめたければかじってみるか?どちらにせよ美味くはないことは確かだが」
「ううぇ・・・。まだ目が死んでないのですよ。でもおかしいのです。この辺りにこんな大物は居ないはずなのですよ」
「そんなことはどうでもいいだろ、俺は用があるんだ」
全く面倒な奴に絡まれた。一つ望みをかなえてやると、次々に質問が飛び出してきやがる。いちいち付き合ってやるのがモテる男。そして俺はあまりモテない。
「それじゃあな」
俺はそう言い残してギルドを出た。深淵の洞窟は王都からほど近いところにある。道中の森林地帯で食料の確保をしなければ。
徒歩で王都を出た俺は、道なりに森まで進んでいく。この森は試練の森という名前で、通常エンカウントする敵の平均レベルは10だ。完全に駆け出しに対する試練だな。ここでは確か野生動物も出没するそうで、新米プレイヤーのいい小遣い稼ぎになっていたらしい。久しぶりに肉類を食いたいと切に願う俺は、普段使わない探知魔法すら使って獲物を探す。道なき道を進み、藪をかき分け進む。
「いたっ」
早速探知魔法の網にかかった。中柄だ。鹿か、イノシシか。ジビエは臭いがきつそうだが、仕方あるまい。塩さえかければ何とかなるだろう。こっそりと近づいていく。その姿を両目にとらえたとき、俺は頭を抱えたい衝動をこらえなければならなかった。なぜお前がここにいるんだ、クーニャ。
「ふえぇ・・・どこにいるですかおにーさん・・・」
これは話しかけると面倒なことになりかねん。そう思って踵を返そうとしたが、なぜかクーニャはそのタイミングで振り返ってこちらを見た。ぱあぁと効果音でも付きそうな程に顔を綻ばせると、こちらに向かって走ってきた。勘弁してくれ。なぜか勝手に仲間になるNPCとかタチ悪すぎるだろう。
「うう、心細かったのですよぉ・・・」
突進してきたクーニャを回避して、木に抱き着いた彼女は木に向かって話しかける。俺はその隙に逃げ出そうとしたが、流石に人間と植物の区別はついたらしい。すぐに振り向いてこちらに気づいた。
「なんで避けるですかー!」
「何でここにいるんだよ、勘弁してくれよ」
左手で頭痛をこらえるように頭を押さえて、俺は大きく溜息をついた。
「心配だったのです。一人であんなダンジョンに挑むなんて自殺行為なのですよ。だからこのクーニャが助けてあげようと思ったのです!」
「いらん帰れ」
「そんなこと言わずにつれてってくださいー!」
クーニャは半泣きであった。
「いやだ。足手まといなんて連れてたらむしろ死亡率上がるわ。なんでお前の自殺に付き合ってやらなきゃいけないんだ。死にたきゃ一人で死ねよ。大体お前は金が欲しいだけだろ?」
「ぼろくそなのです?!確かにクーニャはお金が欲しいのです。奴隷商に売られた」
「あ、お前の身の上話とか興味ないから」
「なんなんですかこの人!?」
クーニャがガチ泣きし始めたので、流石にこれ以上は哀れになって話を聞いてやった。
「クーニャには奴隷商に売られた弟がいるですよ。弟は幼いながらもすごく整った顔立ちをしてたのです。だから母は売って金にした。そして、第二王子が売りに出されている弟を見て買ったのです」
「ほお、大衆小説にありがちなサクセスストーリーか?」
「そんなわけないのです。それだったらどれほどよかったか。第二王子は男色家なのです」
そりゃ災難だ。
「で?第二王子が男のケツを掘るホモ野郎ってのは分かった。だがお前の弟ってことはまだ10やそこらだろう?さすがに男のナニを突っ込むには小さすぎるんじゃねえの?」
この国の王は、テンプレートな国王様とでも言うべきような白髪頭にカールした髭。つまり高齢だ。そして息子たちは30そこそこらしい。なぜか日本人ってやつは、王子や王女と言うと若いイメージを持つよな。30代既婚の王女とかだって居てもおかしくないだろ?
「それが不幸中の幸いだったのです。多分まだ弟は襲われていないのです」
「だから金で買い戻すってか?バカ言え、王族がそう簡単に手放すはずもないだろう」
「だからなのです。だからこのダンジョンを攻略した功績で、ヘンリーを褒美としてもらって助け出したいのです!」
クーニャはそう言って頭を地面につけて懇願した。
「どうか、どうか助けて欲しいのです!」
こいつはこいつなりに必死だったということか。だが、俺にメリットなどない。メインストーリーを進めるうえで王族との関わりは必ず起きる。むしろ関わらないなら王様の顔なんざ覚えていない。1度会う程度のモブなんて、むしろ覚えてる奴の方が少ないんじゃ・・・。
「いやまて、ヘンリーといったか?」
「はいなのです、それがどうかしたですか?」
ヘンリー、ヘンリー。聞いた名だ。ロストキューブというゲームにおいて、同じ名前の主要キャラクターが出現することはまずない。どこで聞いた名だ?
「ヘンリーって名前が気に入らないですか?」
クーニャが的外れな質問をしてくる。ヘンリー・・・。思い出した、メインクエストでプレイヤーが精神操作を受けて強制的に殺害させられるキャラクターだ。俺は魔法職だったからディスペル系の魔法が使えたが、うまくやれば戦士職でも解除できるってどこかで聞いた。重要キャラクターではないが、解除して殺さなければ彼には王城に入る秘密の通路の鍵の場所を教えてもらうことが出来たはずだ。そのありかをすでに知っているか分からないが、試す価値はある。透明化で重要アイテムをあらかじめ盗んでおくこともできるかもしれない。え?いや俺はもう鍵の場所なんて忘れたよ。何年も前のことなんだから。
「お前、動物はさばけるか?」
「出来るのです。シーフは手先が器用なクラスなので、料理から簡単な鍵開けも出来るのですよ」
「ちっ、鍵開けのスキルのみに絞って上げることと、雑用係をすると約束するなら付いてきてもいい」
「なんでもするのです!!!ありがとうございます。このご恩は一生忘れないのです!」
頭を上げて、クーニャは涙と鼻水塗れの顔で笑った。こんな小さなガキを土下座させておくのはさすがに精神衛生上あまりよくなかったため、さっさと立たせる。
「とりあえず、お前の索敵能力を見よう。鹿か猪か、クマでもいい。動物を探せ。洞窟に持っていく食料にする。獲れなきゃ飯がないと思え。途中で食える野草があれば摘むと尚良し」
「わ、わかったのです」
クーニャは威勢よく返事をすると、姿勢を低くして足跡や糞などの痕跡を探した。なるほど、こいつは案外使えるかもしれないとは一瞬だけ思ったが、深淵の洞窟じゃレベルが低すぎて話にならないことに気づいた。
クーニャはかなり頑張って獲物を探し当てた。鹿の群れを丸ごと殺した俺は、クーニャに捌くように命じた。俺は彼女の周りに結界を張り、食用の素材アイテムが沢山あった(と記憶している)森へと飛んだ。転移は3回必要だった。
「不思議な人なのです」
クーニャはひとり呟いた。この国にいる大魔導士でも10分はかかるような結界魔法を一瞬で張り、そのうえそれを維持したまま伝説に出てくるような転移の魔法を操る。レッサードラゴンとマンティコアの話も半分くらいしか信じていなかった。だが今の光景を見せられれば馬鹿でもわかる。彼は強い。
「ヘンリー、待っててね」
そして鹿をさばき続ける。こんなことをやっている暇はないと本能が騒ぎ立てるが、これが一番の近道なのだ。
「お肉・・・久しぶりなのです」
ちょっとだけ、ちょっとだけと内臓部を食べる。シーフの毒耐性が、寄生虫と戦っておなかを守ってくれる。
「おいしい」
俺が転移で戻ると、すでに鹿はバラバラになっていた。
「ご苦労。よし、行くぞ」
アイテム欄に鹿肉をしまい込み、ポーションの在庫も確認する。適正レベルを大幅に上回ってはいるが、やはりボスには数本使わざるを得ないかもしれない。数に限りがあるんだから、大事に使わなければ。錬金スキル持ちを仲間にするまでは。
「は、はいなのです」
クーニャとともに歩き出す。深淵の洞窟へはすぐについた。入口にいる守衛にギルドカードを見せる。クーニャもそれに倣った。そうして入り口をくぐると、ひんやりとした空気が体にまとわりつく。
「そういえば、ギルドカード持ってたんだな」
「はいなのです。貰ったお金で作ったですよ」
こいつも意外と考えてるんだな。ただのバカではなさそうだ。
「有効に活用してくれたようで何よりだ。行くぞ、戦闘の時は隠れていろ。レベルならすぐ上がるはずだ」
ここの1階層に出現するモンスターのレベルは300から305の間だ。階層ごとに2レベルずつ増えていく。10の倍数の階層では2ではなく3増える。割とロストキューブのレベルはおおざっぱだ。分かりやすくて何よりである。
少し進むとゴブリンの集団に出くわした。この洞窟、ほぼ一直線だからあまり迷わなくていいんだけど、これは初心者殺しな配置だ。狭い通路での集団戦は、その場限りのパーティー等では連携が取れずにお陀仏ってことになりかねない。
「―ライトウェーブ」
だが、範囲魔法には格好の獲物だ。発動した光の波によってゴブリンたちは瞬時に蒸発していく。ゴブリンたちの断末魔が洞窟に響き渡り、クーニャがその声にビクリと身を震わせる。
「レベル幾つ上がった?」
俺はクーニャに問いかける。そもそもこいつのレベルを知らなかった。
「えとえと、3つも上がったのです!29になったのですよ」
「そんなに上がったか。スキルは開錠系に振っておけよ」
レベル差があってもそう簡単にはレベルが上がらない。だがレベル差10倍で3つも上がるのか。ここはパワーレベリングにはうってつけの場所だな。
「はいなのです。あ、宝箱落ちたのですよ!」
見るとゴブリンの集団がいたあたりに木製の宝箱がドロップしていた。
「木製か、ハズレだな」
「そうなのですか?」
「ああ、木製、金属製、貴石付きの金属製とグレードアップするんだ。金属も金銀銅とランクがあるし、貴石はほぼランダムだが色で中身の傾向が分かる」
「キセキってなんなのです?」
「馬鹿には宝石といったほうが分かりやすいか?」
もっとも、宝石の中でもランクの高いものを貴石と呼ぶのだが、こいつには教えても意味のない話だ。
「じゃあじゃあ、宝箱から取って売れば!」
「そうだな、中身より価値があるならそれでもいい。大抵は中身のほうが価値がある。箱自体はすぐに消えるから、金を削るなり宝石をとるなりしたければ素早くな。鍵を開けて中身を出して、それから箱までとなると相当時間がかかるぞ。もうあの宝箱も消えそうだし」
話している間に箱は空気に溶けるようにして影を薄くしていた。
「あぁっ、待ってなのですー!」
急いで開錠をし始める。手慣れた手つきだ。スキルの力以外に、自前の技術も相当なものだ。だが、無理だ。レベル差がありすぎて失敗するだろう。失敗すれば箱は開くが罠が発動し、開錠を試みたものに害をなし、酷いときは毒煙をまき散らす。
「あっ」
失敗したと思った瞬間に人差し指でクーニャを指し、パチリと右手の指を鳴らす。モーション登録された魔法が発動し、クーニャを魔法の壁が護る。事前に詠唱を済ませておいた魔法を発動待機し、ワンモーションで発動する。マジックストックというスキルだ。ストックは10個まで出来るが、いちいちモーションを考えるのが非常に面倒くさい。
「うわぅっ!」
「ストック。―――光の護符」
魔法をリストックしておく。このスキルはいちいち面倒なうえに最大MPが一時的に削られる。発動待機している魔法の分のMPは当然だが使えないのだ。
光の護符とは術者のINT/2の値だけダメージを無効化するというものだ。光魔法に多く存在する防御魔法だ。発動した罠は典型的なボウガンが仕込まれているタイプのものだった。射出されたボルトがクーニャの眉間にクリーンヒットしかけるも、魔法によってはじかれた。
「危なかったのですよ!」
「それで?何が出たんだ」
「これなのです。なんなのです?ランプなのですか?」
手提げのカンテラのようなものが出たようだ。てか礼くらい言えよ。
「あー、なんだっけ。精霊のなんちゃらだ。下のつまみを引っ張ると明かりがつく。上のつまみを突っついてやるとホロウィンドウが出て光の量と色を変更出来る。ほぼジョークアイテムだな」
「ということは魔道具なのです?!これがダンジョンでしか出ないという魔道具・・・高値で売れるのです」
そうか、この世界ではこんなものも利用価値があるのか。自然にライトの魔法で辺りを照らしていたが、これを使えばそれが不要というわけだ。手が塞がれるから利用価値は低そうだが、確かにダンジョンの外では燃料いらずの明かりだ。となれば確かに価値は高くなる・・・のか?よくわからんな。
「自分でしまうか?それとも俺がしまっておこうか」
「え?クーニャが貰っていいのですか?」
「ああ、初の戦利品だろ。まあお前は戦ってないが、俺はひとりなら無視して先に進むつもりだった。俺が捨てたものをお前が開けて、お前が手にした。お前のものだ」
俺がそう言うと、クーニャはとてもうれしそうに笑って、いそいそと自分の小さなカバンにしまい込んだ。地上人はそれぞれアイテムを入れるカバンを持っている。中がどこにつながっているのかは知らないが、俺たちのアイテム欄の半分のサイズのようだ。だが、それでも十分だろう。
「ありがとうなのですよ、おにーさん!」
「ああ。だが次からは木製程度では待たないからな。最低でも銅クラスだ。別に走るわけじゃないから木製でも開錠したければしてもいい。だが助けんからな」
「わかったのです。クーニャは聞き分けのいい子なのですよっ」
「どの口が言うんだか・・・」
言うことを聞かなかったからこんなところで一緒にいるというのに。今更それを言っても仕方ない。サクサク行こう。俺は止めていた歩みを再開させた。
「あぁ、待って欲しいのですよ」
クーニャは小走りで後を追ってきた。
「行くぞ。昼飯までには20階を超えておきたい」
「お昼まではもう3時間もないのですよ。まさか・・・」
「いや。走らないが、休憩する暇はない。昼飯の献立でも考えながらついてこい」
「なるべく時間がかからないものを考えておくのです」
「ああ。よく分かってきたな。使えるものは岩塩と鹿とパンの実、閃光!オーガ胡桃に生の胡椒。―ライトウェーブ!黒鬼灯の実にオールスパイス。ベリーベリーのジャムと、世界樹の実。料理できるなら不死鳥の羽根だってある」
敵を倒しつつ会話を進める。
「なんだか異様な組み合わせなのです・・・」
「ちなみに持ってるものはこれくらいしかないから。1週間くらいは同じものを食べることになるぞ」
「うげぇ・・・それにしても世界樹の実なんてどうやって手に入れたですか?あまりの貴重さとおいしさで輸出すらままならないって聞いたことあるです」
「昔エルダートレントの大量発生があったんだよ。皮肉なことに世界樹のトレントだった」
世界をあまねく照らすとかいう世界樹の魔物化。まあ調整ミスで世界樹の実が落ちただけなんだが、プレイヤー間ではそういう話を作って遊んだりするのだ。帰還手段を調べている時に、この世界ではいくつかそれが流用されていることに気づいた。プレイヤーの推測が当たっていただけなのか、それは定かではないが、なんだかこの世界も面白いかもしれない。ゆとりを持てるようになって、そう考え始めた。
「ほぇえ。お料理に使う道具は何があるですか?」
「フライパンと鍋だけ」
「包丁は・・・・?」
「使ってないナイフがある。それを使え」
忘れてた。最近は文明的な食事はほとんどしていなかったから、そのせいだ。あぁ、くそ。ラーメン食いてぇ。
包丁は料理人の逸話からその名前になったけど、この世界にそんな話あったのかよって突っ込みは無しで。
パンの実は、梨ほどのサイズの瓜の仲間。中はスカスカで乾燥ヘチマのような感じ。栄養価は高いが、味はない。
オーガ胡桃はオニグルミから。それよりでかくて硬いイメージ。多分おいしい。なお攻撃アイテム。
黒鬼灯は黒い食用ほおずき。食用ほおずきは黄色いミニトマトのような外観だが、これは真っ黒。普通のものと同様、甘くて不思議な味がする。食材アイテムなので内部データでは能力値にバフがかかるようになっているが、料理人の腕で上下する。基礎値は20。
ベリーベリーのジャムは、belly berry。腹が出るベリー。食いすぎて太るほどうまい、的な。
very berryにする構想もあった。どっちでも本編には関係ない。
世界樹の実は果肉はドリアン系の食感。いわゆるカスタードクリームのような、というやつ。分厚い皮の中に入っている。皮は表面は固く、中はそら豆のそれに似ている。味は中毒になるレベルでおいしいらしい。匂いはリンゴ系。
不死鳥の羽根は、羽根。べつに無理して食べる必要はない。枕とかに詰めるといい感じ