ネフュータスと部下たち
盆地の中央に開けた場所があった。周囲は巨木に囲まれていて、空気が冷えている。
その場所にネフュータスは立っていた。
「ネフュータス様」
巨木の陰から、黒い鎧を装備した男が現れた。
男の肌は青黒く、額に二本の角を生やしている。
「どうした? ダリュナス」
ネフュータスは男の名を呼んだ。
男――ダリュナスは牙の生えた口を動かした。
「少し問題が発生しました」
「問題?」
「南でフェンリルが暴れているのです」
「フェンリルだと?」
「はっ! 九本のしっぽを持つフェンリルで五十体以上のモンスターがやられたようです」
「…………どうして、こんな場所にフェンリルがいる?」
ネフュータスの質問にダリュナスは首を左右に振った。
「わかりません。ただ、我らの軍に明確な敵意を持っています」
「敵意か…………」
「まさか、他の四天王からの刺客では?」
「それはない」
ネフュータスは即座に否定した。
「奴らとは盟約を結んでいる。仮にそれを破ったとしても、このような攻撃はしてこないだろう」
「では、あのフェンリルは何故?」
「…………待テ」
ネフュータスの胸元の顔が薄い唇を動かした。
「そのフェンリル。氷室彼方が召喚したのではナイカ?」
「氷室彼方か…………」
ネフュータスの上の顔がつぶやく。
「なくはないな。奴は召喚呪文が使える」
「やはり危険な人間ダ。注意せねばならナイ」
「本当に氷室彼方がフェンリルを召喚したのならな」
ネフュータスの上の顔が視線をダリュナスに向ける。
「フェンリル以外に攻撃してくるモンスターや人間はいるか?」
「いえ、フェンリルのみです」
ダリュナスがすぐに答える。
「ならば、ダークエルフの部隊とオーガの部隊で囲んで殺せ! 指揮はお前にまかせる」
「わかりました。では…………」
その時、慌てた様子でリザードマンが駆け寄ってきた。
「先陣の部隊から報告です。白い霧に包まれ、盆地から出ることができないと」
「何だ、それは?」
ダリュナスが眉間にしわを寄せて、リザードマンに歩み寄る。
「霧など無視して、前に進めばいいではないか!」
「そっ、それが、透明な壁のようなものに阻まれて」
「壁など、登ればいい」
「無理です。飛べる者を使って調べましたが、壁は空まで続いていて」
「空まで…………」
ダリュナスの視線が空に向けられる。
いつの間にか、空は白い霧で覆われていた。
「これは何だ?」
「結界か…………」
ネフュータスがぼそりとつぶやいて、枯れ木のような手を空に向ける。黒い球体が空に向かって放たれた。
黒い球体は白い霧の中に消え、パンと弾けるような音がした。
「ふふふっ…………ふふふふっ…………」
白い霧の中から、かわいらしい少女の声が聞こえてくる。声は空だけではなく、四方からも聞こえてくる。
「小細工をしおって」
ネフュータスは剥き出しの歯を鳴らした。
「ダリュナスっ! 結界を張った者が霧の中に複数隠れているようだ」
「わかりました。すぐに捜させます!」
ダリュナスは慌てた様子で走り去っていく。
「オイッ!」
ネフュータスの胸元の顔が上の顔に声をかけた。
「ジャコバの部隊と合流するベキダ」
「そこまでする必要はなかろう。この周辺にも護衛の部隊を配置している」
「油断スルナ。もし、この結界が氷室彼方の仕業ナラ、狙いは我らのハズ」
キンキンとした声で小さな顔は言葉を続けた。
「近づかれて、ザルドゥ様を殺した呪文を使われタラ、我らでも死ぬ可能性は高イ」
「…………そうだな。万全の備えをしておくべきか」
「まあ、これらが氷室彼方の仕業だとシタラ、奴の限界も見エタ」
「限界か?」
「アア。奴はスケルトンを増やせるネクロマンサーや機械仕掛けの人形を使ってイナイ」
「使えない事情がある…………か」
上の顔が首を右に傾ける。
「一体ずつしか召喚できぬか、または必要な秘薬が切れたか…………」
「何にしても、フェンリルを殺セバ、さらに情報は増エル。その後にネクロマンサーや機械仕掛けの人形を召喚しないのなら、それはできないというコトダ」
「…………なるほどな。おいっ!」
ネフュータスは報告にきていたリザードマンに手招きをした。
「はっ、はい」
リザードマンが緊張した様子でネフュータスに近づく。
「デルーダの部隊に黒髪の人間の男を捜させろ。盆地の中に入り込んでいる可能性がある」
「人間の男一人にデルーダ様の部隊全員でですか?」
「そうだ。しっかりと調べて、見つけたら必ず殺せと伝えておけ」
「はい。伝えてまいります」
リザードマンは深く頭を下げて、茂みの奥に消えた。
「悪くない手ダ」
胸元の顔がにやりと笑った。
「氷室彼方に、あの呪文を使わせる気ダナ?」
「まだ、使えるようならな」
上の顔が答えた。
「あの呪文も連続で打つことはできないだろう。なら、それを使わせればいい。誰かにな」
「そうすれば、我らは安全にナルカ」
「その通りだ」
剥き出しの口が笑みの形を作る。
「氷室彼方だろうが、そうでなかろうが、我らに刃向かう者は全て殺す」
「次の魔神である我らニナ」
「ふっ、ふふふっ…………」
二つの口から漏れるネフュータスの笑い声が重なった。