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彼方は東の門からウロナ村を出て、北東に向かった。
十数分程歩き、ひときわ大きな広葉樹の前で足を止める。
「遅いよ、彼方」
頭上の木の枝からサキュバスのミュリックが彼方に声をかけた。
「待ち合わせの時間は早朝だったでしょ」
「…………いろいろあってさ」
「ふーん、まっ、いいけどさ」
ミュリックは背中に生えたコウモリの羽を動かして、地面に降り立った。
「んっ? 顔色悪いね。大丈夫なの?」
「ずっと戦ってたからね」
彼方は低い声で答えた。
「で、ネフュータスの軍隊は、今、どこにいるかわかる?」
「ここから、北にある盆地に集まってるわ」
「数はどのぐらい?」
「ざっと、二万ってところね」
「二万か…………」
親指の爪を唇に寄せて、彼方は視線を北に向ける。
「他にネフュータスの部隊はいるの?」
「別働隊が少しいるかな。でも、数は少ないみたい」
「なるほど………」
「…………ねぇ、彼方。もう逃げたほうがいいんじゃない?」
ミュリックは彼方の肩に触れる。
「ネフュータスはあなたを警戒してる。ザルドゥ様を殺した呪文のことは、私が前に話しちゃったから」
「わかってるよ。昨日も呪文を使う前に対策されたしね」
「なら、逃げるべきよ。部下の上位モンスターの中にも強いのがいっぱいいるし」
ピンク色のミュリックの眉が中央に寄る。
「あなたがエルフの女騎士を助けたいのなら、その子だけさらっちゃえばいいじゃん」
「そんな気はないな」
「じゃあ、どうするの? まさか、このまま村に留まって死ぬつもり?」
ミュリックはくびれた腰に手を当てて、彼方に顔を近づける。
「村を守る騎士の数も減ってるんでしょ? 多分、今夜の攻撃でウロナ村は壊滅するから」
「ウロナ村は、もう大丈夫だよ」
「はぁ? 大丈夫なわけないでしょ。私の話を聞いてなかったの? ネフュータスの軍隊は二万なの。それにネフュータスはあなたの弱点にも気づいているはず」
「僕の弱点?」
「そう。あの呪文、連続では使えないんでしょ?」
「…………まあね」
彼方は首を縦に動かす。
「正直、それは私にだって予想できた。あれだけの高位呪文を使うには貴重な秘薬もたくさんいるだろうし」
「…………秘薬か」
「そう。それにあなたは、ただの人間なの。小さなナイフで刺されても死ぬし、頭を叩かれても死ぬ。剣や斧を鱗で跳ね返すモンスターとは違うのよ」
ミュリックは深く息を吐き出して、金の首輪に触れる。
「あーあ。私の命も今夜で終わりか」
「安心していいよ。死ぬのはネフュータスだから」
「だからっ! そんなこと無理…………」
表情の消えた彼方の顔を見て、ミュリックの言葉が途切れた。
「…………あなた…………本気でネフュータスを倒せると思ってるの?」
彼方は無言でうなずく。
「どうやって? ネフュータスの周りには二万体のモンスターがいるのよ? 暗殺なんて無理だから」
「…………すよ」
「えっ? 今、何て言ったの?」
「…………全員殺すって言ったんだよ」
暗く低い声が彼方の口から漏れた。
言葉の意味を理解して、ミュリックの表情が強張る。
「殺す…………」
「そんなに驚くことじゃないだろ。ネフュータスと同じことをやるだけだよ」
「それは…………そうだけど…………」
「ミュリック、君にも手伝ってもらうよ」
「手伝うって…………私は」
「大丈夫。君は戦う必要ないから」
「あなたと騎士団でネフュータスの軍隊を攻めるってこと?」
「違うよ。僕だけでやるってこと」
彼方の瞳が黒い炎のように揺らめく。
「ネフュータスには絶望を味わってもらう」
「ネフュータスに?」
「…………そう。どんなに足掻いても死ぬ未来しかない絶望をね」
「彼方…………」
ミュリックは、魔神ザルドゥに感じていた畏怖の念を今の彼方に抱いていた。
◇
赤く染まった夕陽が西に傾いた夕刻、彼方は緩やかな丘の上から、木々の密集した盆地を見下ろしていた。高さ数十メートルの巨木の枝葉が広がり、盆地の中にいるであろうモンスターの姿を隠している。
ふっと風が吹き、周囲の野草が揺れる。草の香りが彼方の鼻腔に届いた。
「だいぶ、風が冷たくなってきたな…………」
彼方は盆地から視線を外さずに、ぼそりとつぶやく。
数分後、フードをかぶったダークエルフが現れた。ダークエルフは彼方に近づくと、フードを脱いだ。銀色の髪がピンク色に変化し、褐色の肌が白くなる。
「おかえり、ミュリック」
彼方は変身を解いたミュリックに声をかけた。
「で、ネフュータスは?」
「間違いなく盆地の中にいたわ。周りには上位モンスターだらけだった」
ミュリックは疲れた顔で汗を拭う。
「夜になったら、全ての戦力でウロナ村に攻め入るつもりみたい」
「そこは予想通りだね」
「ねぇ、彼方。二度も偵察させる程、ネフュータスの居場所がそんなに重要なの?」
「ここで確実にネフュータスを倒しておきたいからね」
彼方の周囲に三百枚のカードが浮かび上がった。
「それじゃあ、始めようか」