夜明けのウロナ村
北の門からウロナ村に入ると、ショートボブの髪を揺らしてレーネが駆け寄ってきた。
「彼方、無事だったのね…………あ…………」
彼方の左腕に血がついているのを見て、レーネの眉がぴくりと動いた。
「ケガしてるの?」
「かすり傷だよ」
彼方は頬を緩めて、左腕を軽く動かす。
「ダークエルフにやられちゃってね。でも、もう血は止まってるから」
「…………それならいいんだけど」
「レーネはケガしてないみたいだね」
「まあね。上手く立ち回ってたから。でも、さすがに疲れたかな」
レーネは首を回して、自身の肩を揉む。
「そうそう。美人の百人長さんも無事だから」
レーネの肘が彼方の腹部に当たった。
「さっき、丘の上の村長の家に行ったよ。これから会議だって」
「…………そっか。これからの対策を話し合うんだろうね」
「また、モンスターが攻めてくるってこと?」
「うん。まだモンスターの数のほうが多いし、ネフュータスも生きてるからね」
彼方の声が低くなる。
「これはヤバイかな」
レーネは崩れ落ちた壁に視線を向ける。
「北だけじゃなくて、南の壁も壊されたみたいだし、守るのはきつい状況だよ。それに騎士の数もだいぶ減ったしさ」
彼方の耳元にレーネは唇を寄せる。
「白龍騎士団のリューク団長は無事だけど、赤鷲騎士団のスワロ副団長は死んじゃったし、本当なら逃げたほうがいいんだけどね」
「逃げないの?」
「あなたが残るから、私も残るよ」
レーネは、きっぱりと言った。
「こんな状況でも、あなたならなんとかしそうだし。ここで依頼をキャンセルするのも、もったいないからね」
「レーネらしいね」
「生きるためにはお金が必要だし、信用にもかかわるから」
「冒険者は大変だね」
「あなたも冒険者でしょ」
レーネは彼方に突っ込みを入れる。
「とりあえず、私は食事をして一眠りするから。彼方はどうするの?」
「僕は教会の横の避難所に行く。ちょっと状況を確認しておきたいし」
「無理したらダメだからね」
「わかってる。その後は僕もどこかで寝るよ。今夜に備えてね」
彼方は壊れた北の門に鋭い視線を向けた。
◇
教会の横の避難所に行くと、多くの村人が集まっていた。避難所の前の広場にはモンスターの死体が積み上げられている。
――もう、爆弾アリの巣は戻してよさそうだな。
彼方は意識を集中させて、爆弾アリの巣をカードに戻した。
「あっ、お前っ!」
夜に避難所で出会ったCランクの冒険者アルゴスが彼方に駆け寄ってきた。
「たしか、彼方だったよな?」
「はい。アルゴスさんも無事だったんですね」
「ああ。お前の蟲のおかげで助かったよ」
アルゴスは太い腕で頭をかいた。
「俺だけじゃなく、多くの村人が助かった。感謝するぞ」
「爆弾アリが役に立ったのならよかったです」
「役に立ったさ。あの蟲がいれば、次のモンスターの襲撃にも耐えられるだろう」
「…………それは無理なんです」
彼方は首を左右に振った。
「無理? 何故だ?」
「詳しいことは話せないんですが、爆弾アリをいつも使えるわけじゃなくて」
「…………そうか。それは残念だ」
アルゴスは白髪まじりの髪の毛に触れながら、深いため息をついた。
「村を守る騎士と冒険者の数も減っちまったし厳しい状況だな」
「そう…………ですね」
彼方はアルゴスの言葉に同意する。
「彼方お兄ちゃんっ!」
突然、幼い女の子の声が聞こえてきた。
彼方が振り返ると、パン屋の娘のマユが立っていた。
マユは笑顔で彼方に歩み寄る。
「マユちゃんも、ここに避難してたんだね」
「うん。お父さんといっしょに逃げてきたの」
「そっか。エタンさんはどこにいるの?」
「教会のお庭だよ」
マユは隣の教会を指差す。
「ねぇ、彼方お兄ちゃんは朝ご飯食べたの?」
「ううん。まだだけど」
「それなら、マユのお家で食べようよ」
マユは小さな手で彼方の手を握り、教会に向かって歩き出した。
◇
「こっちにお父さんがいるんだよ」
教会の裏側にある庭に着くと、マユは彼方の手を離して走り出した。
「お父さーん、彼方お兄ちゃんがいたよー」
「あ、そんなに走ると危ない…………」
彼方の口が半開きの状態で停止した。
教会の庭には多くの村人が並べられていた。全員、胸元で両手を合わせていて、まぶたを閉じている。その肌は青白く、真一文字に結ばれた唇は色を失っていた。
「お父さーん」
マユは地面に横たわっているエタンに駆け寄り、その体を揺らした。
「まだ、寝てるの? もう起きようよ」
マユは小さな手で息をしていないエタンの顔に触れる。
「彼方お兄ちゃんにパンを作ってあげてよ。ねぇー、もう朝なんだよ」
「あ…………」
彼方の体が小刻みに震え出した。
「エタンさんのお知り合いなんですね」
二十代の修道女が彼方に声をかけた。
「エタンさんは、ここに逃げてくる前にケガをしてたんです」
「…………治療はできなかったんですか?」
彼方は掠れた声で質問した。
「回復呪文が使える魔道師がいたのですが…………ダメでした。血は止まったんですが、頭のケガがひどくて」
「そう…………ですか」
彼方は足を引きずるようにして、エタンの死体に歩み寄った。
エタンの上着は血で赤く染まっていて、組み合わされた手にも小さな傷があった。
――必死にマユちゃんを守ったんだろうな。
「お父さーん」
マユがぷっと頬を脹らませた。
「早く起きてよ。彼方お兄ちゃんはお腹空いてるんだよ。お父さんってば」
「…………マユちゃん」
彼方は声を絞り出して、背後からマユの頭に触れた。
「エタンさん…………お父さんは疲れてるんだよ。このまま、寝かせておいてあげよう」
「でも、彼方お兄ちゃんがご飯食べられないよ?」
「僕はいいんだ。お腹…………空いてないから」
彼方は必死に笑顔を作った。
「それに、やらなければいけないことを思い出したから」
「お仕事なの?」
マユがぱっちりとした茶色の瞳で彼方を見上げる。
「…………うん。ごめんね」
優しくマユの頭を撫でて、彼方は修道女に向き直った。
「マユちゃんをよろしくお願いします」
「…………わかりました」
修道女は目のふちに浮かんだ涙を拭って、唇を強く噛んだ。