クヨムカ村の戦い4
青紫色の上着が血に染まっているのを見て、彼方の眉間にしわが寄る。
――動くと痛みがあるし、血は止まらないか。呪文カードのリカバリーは、まだ使えないから、熾天使の槍を具現化するか。あれなら、ゴブリンを倒しながら、自分の傷を回復させることができる。
――いや、回復ができる武器は温存しておいたほうがいいな。ドロテ村長に頼めば、また回復薬をもらえるし。
彼方は痛みに耐えながら、ドロテ村長の家に向かう。左足のすねからも血が流れ、彼方の歩みが遅くなる。
――感覚的に命を失う程のケガじゃない。だけど、また、別の強い敵が現れたら危険だな。戦闘能力が落ちているのは間違いないし。
南の方向から騎士たちの勇ましい声が聞こえてくる。どうやら、ゴブリンの撃退に成功したようだ。
――ゴブリンのほうもなんとかなりそうだ。敵の増援もなさそうだし。
ふっと気が緩み、彼方は家の壁にもたれかかった。
――カードの能力で強くなったとはいえ、体は普通の人間と同じだからな。もっと、注意しないと。
「彼方くん?」
自分の名を呼ぶ声がして、彼方は首を左側に動かした。そこには目を丸くした香鈴が立っていた。
「ケガしてるのっ!?」
香鈴は慌てて彼方に駆け寄った。
「あ…………う、うん。でも大丈夫。少し、くらっとしてるだけで」
ぐらりと彼方の体が傾き、彼方は地面に横倒しになった。
「か、彼方くんっ!」
香鈴は彼方の胸元に顔を近づけた。
「すごく血が出てる…………」
「ダークエルフの部隊と戦って…………さ。ちょっとやられたんだよ」
彼方は苦笑しながら、立ち上がろうとする。
「待って。そのまま、じっとしてて」
香鈴はつると葉に覆われた緑色の手を彼方の胸に近づけた。彼女の手のひらが緑色に輝き、彼方の体が熱くなる。
「…………タイノ…………イノ…………デケ…………」
香鈴は真剣な表情で桜色の唇を動かす。
十数秒後、彼方の血が止まり、胸の傷が塞がっていく。
「まだ、動かないで。足の傷も治すから」
香鈴は彼方のブーツを脱がして、そちらにも右手を近づける。淡い緑色の光が足の傷を塞いだ。
彼方は驚いた顔で香鈴を見つめる。
「七原さんの回復呪文って、かすり傷程度しか治せないって言ってたよね?」
「うん。でも、右手を使うと効果が強くなるの」
香鈴は緑色の手に視線を落とす。
「さっきもゴブリンと戦って大ケガした村の人を治せたから」
「…………寄生したディルミルの種に魔力を増幅させる効果があるのかもしれない」
「そうなの?」
「想像だけどね。でも、その可能性は高そうだ」
彼方は塞がった胸の傷に触れる。
――さっき飲んだ回復薬の効果よりも数段上だな。呪文カードの『リカバリー』と同程度か。
「とにかく、助かったよ。ありがとう」
彼方は立ち上がって、ブーツを履き直す。
「まだ、動かないほうがいいよ。回復呪文を使っても、体力はだいぶ落ちてるはずだから」
「いや、問題なさそうだ」
彼方は軽く手足を動かす。
「聞き覚えのある七原さんの呪文のおかげだよ」
「えっ? 呪文の言葉、聞こえてたの?」
「うん。あれ、『いたいのいたいの、とんでけ』だよね?」
「あ…………う、うん」
香鈴は恥ずかしそうにうなずく。
「魔法を教えてくれた人が、相手を癒やす言葉は自分で決めていいって言われたから、一番効きそうな言葉って、これだと思って」
「七原さんらしくていいと思うよ」
「はうっ…………」
真っ赤になった香鈴を見て、彼方は微笑した。
◇
北の入り口の前には数十匹のゴブリンの死体があった。
彼方の姿を見つけて、ミケと魅夜が駆け寄ってくる。
「彼方っ! ミケは仕事したにゃあー」
ミケは両手を広げて彼方に抱きついた。
「魅夜とピュートと三人でゴブリンをいっぱい倒したにゃ」
「みたいだね」
彼方は頭に生えたミケの耳を優しく撫でた。
「みんな、ケガはない?」
「全員かすり傷程度です、彼方様」
魅夜が彼方の耳に唇を寄せる。
「ミケさんがおとり役をしてくれたおかげで、楽にゴブリンを殺すことができました」
「そっか。村の人たちは?」
「ここが落ち着いたので、村の中を見回っています」
「なら、魅夜は召喚時間ぎりぎりまで、周囲の森の監視を頼むよ」
「まだ、襲撃があると思われるのですか?」
「いや、リーダーを倒したから、まず大丈夫かな。でも、油断は禁物だからね。君の召喚時間が残ってるのなら、ぎりぎりまで働いてもらおうかなって」
「そう…………ですか。今日こそ、彼方様に夜のご奉仕ができると思ったのに…………」
魅夜は不満げな表情で吐息を漏らした。