再びクヨムカ村へ
この話から、3巻部分が始まります。
長い物語になっていますが、応援してもらえると嬉しいです。
周囲の草木がオレンジ色に染まる夕刻――。
彼方と香鈴とミケはクヨムカ村に足を踏み入れた。
彼方の姿を見て、Fランクの冒険者ピュートが駆け寄ってくる。
ピュートは十三歳の少年で、ミケと同じ獣人と人間のハーフだ。髪の毛はクリーム色で、そこからウサギの耳が生えている。
「彼方さん、無事だったですか」
ピュートは白い綿毛のような丸いしっぽを振った。
「こっちも大変だったです。ドラゴンとゴブリンが村を襲おうとしたのです」
「みたいだね」
彼方の表情が険しくなる。
「…………村の人たちは無事?」
「はい。ドラゴンは銀狼騎士団の人たちが倒してくれました。でも、ドラゴンと戦った騎士の人は全員死んでしまったです」
ピュートは悲しそうな顔をした。
「きっと、ドラゴンと相討ちになってしまったのです」
「そっか…………」
彼方は唇を強く結ぶ。
――あの場の状況を見て、そう判断したのか。目立ちたくないから、そう思われていたほうがいいな。
「ピュート、ドロテ村長と話したいんだけど?」
「わかりました。僕が案内するです」
ピュートはポンと自身の左胸を右手で叩いた。
◇
「まさか…………」
扉の前にいる香鈴を見て、ドロテ村長はぱくぱくと口を動かした。
「…………か、香鈴なのかい?」
「はい。心配かけて、ごめんなさい」
香鈴が申し訳なさそうに頭を下げた。
「彼方くんが助けてくれたんです」
「…………はぁ」
ドロテ村長は口を半開きにしたまま、視線を彼方に向ける。
「あんたが…………カリュシャスを倒したってことかい?」
「ええ、まあ…………」
彼方は言いにくそうに答えた。
「運がよかったんです。それに、相手が油断してくれて」
「油断してたとしても、ダークエルフのカリュシャスがFランクの冒険者に殺されるのかねぇ」
ドロテ村長は疑惑の目を彼方に向ける。
「…………いや、何にせよ、香鈴を助けてくれたことに感謝すべきだろうね」
「いえ、七原さんは僕の学友ですから、助けるのは当然です」
「…………私にはできなかったよ」
暗い声でドロテ村長は言った。
「香鈴…………スージーとエミリアは死んだんだろ?」
「…………はい」
香鈴が強張った表情でうなずく。
「…………そうかい。家族は悲しむだろうね」
「ごめんなさい。私だけが助かって」
「何、バカなこと言ってるんだい!」
ドロテ村長は香鈴の頭を軽く叩いた。
「あんたが助かっただけでも奇跡なんだ。村のみんなもあんたの無事を喜んで…………いや、五体無事ってわけではなさそうだね」
つると葉に覆われた香鈴の右腕を見て、ドロテ村長の眉が中央に寄る。
「とにかく、ちゃんと話を聞かせてもらうよ。入っておくれ」
ドロテ村長は彼方たちを家の中に招き入れた。
◇
その日の夜、彼方はひとりでクヨムカ村の中を歩いていた。外に村人の姿はなく、周囲の茂みから、虫の鳴き声が聞こえてくる。
視線を上げると、矢倉の上で銀狼騎士団の騎士が見張りをしているのが見えた。
騎士は十代の男で、カンテラに照らされた顔には緊張と恐怖で強張っていた。
――昼間のドラゴンの襲撃で、銀狼騎士団の半数が亡くなったみたいだからな。怖いのは当たり前か。
彼方は視線をカカドワ山に向ける。
巨大な月の光が山頂に積もっている雪を白く照らしている。
――ネフュータスの軍隊が連携を取ってるのなら、別働隊が全滅したことは知られただろうな。
「これで、ネフュータスはどう動くか…………」
彼方は親指の爪を唇に寄せる。
――この村は小さな村だし、無視してウロナ村を狙う可能性は高い。だけど、油断はしないほうがいい。クリーチャーを一体召喚して、周囲の警戒をやらせておくか。
その時、背後から足音が聞こえてきた。
彼方は振り向くことなく、その足音の主が誰かを理解した。
「眠れないの? 七原さん」
「あ…………」
香鈴は驚いた顔で彼方の前に回り込んだ。彼女はディルミルに寄生された腕を隠すために白いローブをつけていた。
「どうして、私ってわかったの?」
「足音の大きさと、歩き方かな」
「歩き方?」
「うん。七原さんは特徴あるからね。少しゆっくりで控えめな感じで敵意も感じない」
彼方はふっと笑みを漏らす。
「この世界に転移してから、用心深くなったからね。いつも気をつけてるんだ」
「…………彼方くんもいろいろあったんだね」
「うん。この世界に転移してから二ヶ月ちょっとだけど、いろいろあったよ」
「私は一年かな」
香鈴はつぶらな瞳で、巨大な月を見上げる。
「つらいこともいっぱいあったけど、今は幸せだよ」
「幸せなの?」
「うん。だって、彼方くんと…………会えたから」
淡い月の光が微笑んでいる香鈴の顔を照らす。
「…………あ、あのね。彼方くん、お願いがあるんだ」
「お願いって?」
「彼方くんの手…………握っていいかな」
「僕の手?」
「うん! あ、ちゃんと左手で握るから。右手は…………気持ち悪いだろうから」
「…………右手でも大丈夫だよ」
彼方は香鈴に向かって右手を差し出す。
「気持ち悪いなんて思わないし」
「あ…………ありがとう」
香鈴はつると葉に覆われた緑色の手で彼方の手を握る。
「…………彼方くんの手、すごくあったかいね」
「普通だと思うよ」
「ううん。違うの。彼方くんの手は特別だから」
香鈴はうっとりとした目で彼方の手を見つめる。
「もう、私、今日死んでもいいよ」
「…………それは困るな」
彼方は普段通りの声で言った。
「七原さんが死んじゃったら、助けた意味がないからね。長生きしてもらわないと」
「でも、私、長く生きられなくて…………」
「大丈夫。呪文カードの『リカバリー』で君の腕を治すことはできなかったけど、魔法医に診てもらうから」
「そんな人、いるのかな?」
「見つけるよ。そして、腕を戻して元の世界に戻ろう!」
「…………そうだね。そうなったら、いいよね」
香鈴は儚げな表情で微笑んだ。