表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

記録その7

 ――記録その七。


 真夜中。全ての実験動物が寝静まり、暗闇に機械の音だけがごうんごうんと鳴り響く。

 ぼんやりと電源のライトが付くばかりで、他に視界を照らす光はなかった。

 その中に、ふわりと光が灯る。

 その光を手にした男は、辺りの様子を窺いながら真っ直ぐとある水槽へと向かった。

 水槽もまた、他の設備と同じく電気が消えていた。そこにいる一匹、否、一人の生き物は眠っているのか、じっと身動きもせず目を閉じている。

 男はこつんと水槽を叩いた。ほんの僅かに水槽の水が揺れ、その振動が生き物に伝わる。

 ぱちりと虚ろな目が開いた。

 人魚と呼ばれていたその生き物は、自分を迎えに来た男の姿を認め、ぱぁっと顔を輝かせる。


「…………!」

「静かにしろ」

「…………?」

「誰かが来たら困るだろ?」

「…………」

「……よし、いい子だ。そのまま大人しくしてろよ」

「…………」

「……すぐに出してやるからな」


 男はそう囁くと、持っていたライトを口に咥えた。 

 危なっかしい手つきで、今まで餌をやっていたときと同じように、水槽の横にあるはしごに足をかける。いつもは何てことのないはしごだと思っていたそれは、今こうしているとひどく長く感じられた。やましいことをしている自覚を、これは彼女を救うためなのだと懸命に押さえつける。

 かつん、かつん。一段一段、慎重にはしごを上る。

 男の手には汗が滲んでいた。ライトを咥える口が震え、今にも取り落としそうになる。


「…………」


 それを、彼女だけが心配そうに、何も光を宿さない瞳で見つめていた。


「……狭いな」


 男は舌打ち混じりに呟いた。

 はしごの頂上には、水槽の蓋がある。ただし、このままの状態だと蓋が開く間隔は狭く、とても彼女が外に出られるだけの隙間は確保できない。

 せめて周りにあるコードを外せば、それなりの空間は確保出来るだろう。ただし、それをすればこの水槽は機能しなくなり、下手をすれば彼女の命に関わってしまう。

 ほんの数秒、男は思案した。このまま水槽に飼われ続けるのと、ここを逃げ出して広い世界で暮らすのと、どちらの方が彼女にとって幸せなのか。

 そんなものは、考えるまでもなかった。

 男は水槽に寄生するコードを乱暴に押しのけた。

 一本、特に太いコードが男の意図しないタイミングで外れ、大きな音を立てて床に落ちる。


「…………!」


 その音に驚いたのは彼女も同じだった。

 誰かが来るのかもしれないという恐怖。その時間を、男はただじっと待って過ごした。

 ぽたりとその汗が額から顎を伝って地面に落ちた頃、ようやく男は息を吐いた。どうやら、今の物音は誰にも気付かれなかったらしい。


「もうちょっとだ」


 邪魔なコードを一本一本どけていく。細いコードも太いコードも外し、ようやくそれなりのスペースを確保した。

 たったそれだけの作業で息を切らした男は、やっとの思いで水槽の蓋を開く。


「お前は……君は、これで自由だよ」

「…………?」


 ふわ、と彼女があくびをした。


「外に出れば、すぐ海がある。今の時期は少し寒いかもしれないな」

「…………」

「一緒に逃げるんだ」


 男は少し口調を強めた。

 自分の頑張りに対し、彼女があまりにものんびりしていたせいだろう。


「君は陸上でも生活が出来る。そんな水槽に閉じ込められていなくても、充分外で生きられるんだ」

「…………?」

「俺が連れて行ってやる」

「…………」

「おいで、人魚」


 男は普段餌をやるときのように、水槽の中に向かって手を差し入れた。

 今日違うのは、男が『人魚』に触れたことだけ――。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ