記録その1
――記録その一。
「…………」
「へぇ、これが俺の担当する『化け物』か」
『人魚』と書かれたプレートは、目の前の無機質な水槽にかかっている。
その水槽の中にいるのは、人間のようで人間ではない、奇妙な生き物だった。
「…………」
「『人魚』ね……。ま、言われてみりゃそう見えなくもないか?」
「…………」
水槽の中にいるその生き物は、眠っているのか目を閉じている。
ごうんごうん、という機械の音が響くばかりで、他に何の音もしない。
「今日からよろしく頼むよ、『人魚』」
「…………」
人魚は、何も応えない。
***
――○月×日。
『人魚』を初めて見た。
うっすら青い身体に、気味の悪い赤い色がところどころ入っている。
自分が来たときにはどうやら眠っていたらしく、しばらく目を開かなかった。
一日目なので、この人魚について改めて記しておく。
まず、こいつは人魚と呼ばれてはいるものの、実際にどういう生き物なのか分からない。分からないからこそ、自分のように定期的に研究員が訪れ、観察を行う。
餌は握りこぶし大のペレット。原料は何かの巻貝と聞いているが、詳細は不明。これ以外の餌を食べるのかどうかはまだ分からないようだ。ただ、以前の観察員が海藻を食べさせようとしても食べなかったという記録が残っている。巻貝が原料ということは、おそらく肉食なのだろう。機会があれば、人魚が何を食べるのか調査してみる予定だ。貝類なら何でも食べるのか? それともこのペレット、あるいはその原料となっている巻貝だけなのか? 興味はつきない。
この人魚の環境は常に水温を0℃から5℃に保たなければならない。本体が何かしら水に影響を及ぼしているのかは不明だが、いちいち水を取り替えてやる必要がなく、こちらで管理しなければならないのは温度のみとなっている。
排泄したものがどうなっているのか気になるが、人間に近い――それもどちらかといえば女性的だ――姿を見ていると、どうも調べるのに抵抗がある。とはいえ、研究動物であることに変わりはない。
人間に似ている姿ということを考えると、今は水槽の中に収まってはいるが、陸上でもある程度活動できる可能性がある。なぜ、水中で活動しているにも関わらず、陸上で活動しやすい人間の身体を模しているのかは不明。
***
「……っと、今日はこんなもんか」
日誌を置いてごそごそと胸ポケットを漁る。
いつもはそこに入っているはずのたばこを置いてきたことを思い出し、研究員カナタはちっと舌打ちをした。
「……お、起きたな」
どうしようかと思っていたところで、人魚がぱちりと目を開ける。
「…………?」
人魚は水槽の中を優雅に泳いでから、カナタのことを興味深そうに見つめた。
「えーっと……起きたら飯か。起きたばっかりで食う気になるのか?」
「…………」
仕方なく、カナタははしごを上り、あらかじめ用意してあった餌を水槽に投げ込んだ。
「…………」
「……っ、うわ」
人魚の表情は大きく変化しなかった。
その代わりに――。
「…………!」
人間に見えていた顔の形が大きく変化し、がぱりとやや異常すぎるほど顎が開く。
喜々とした様子の人魚は、自分を見つめる怯えた視線に目もくれず、水槽に投げ込まれた餌を一心不乱に食べ始めた。
「な、なんなんだよ、お前……」
カナタは人魚を見つめながら震える声で呟く。
「…………?」
餌から顔を上げて、人魚は少しだけ首を傾げた。