第一章 一歩を 〜意思の脆さは〜
第一章の開幕。
これに合わせて第0章の簡単なおさらいをまとめてみました!
主人公の宮内優真中学から高校まで小桜三咲と付き合っていたが、大学進学の際に遠距離となることが決まり彼女にフラれてしまう。
ゾッコンであった彼はそのことがショックで、幸せの対価に不幸せが訪れるものだと考え周りとの間に壁をつくって殻に籠り、他者との関係を遮断していた。
遮断している間に、大学を卒業し、会社をすぐに辞め、現在米屋さんでアルバイトをしている彼の元に結原美実が現れて、バイト中の居眠りをきっかけに一緒に喫茶店に行くことになる。
彼女に影響されて、自閉の壁が崩されそうになっているところで一目惚れしたから喫茶店に誘ったと告白される。
太陽はすっかりと沈んでしまったが、外は外灯と一般家庭から漏れる光があって、その明かりが落ちるまでは明るい。
僕はこの肌寒い夜道をかれこれ30分は歩いているだろうか。
家に帰っても起きた事態への整理が追い付かないため落ち着くことができず、普段は読もうとも思わない男女の恋愛を描いた作品を読んでみたり、ネットサーフィンを繰り返し多種多様なお米巡りの旅に出たりしてどうにかして気を紛らわせようとしたが失敗に終わってしまった。
失敗をいくつか繰り返す中で生み出された最後の手段が春の夜散歩なのだ。
幸いなことに、自転車でゆったりと20分も漕げば大都会にでるような場所に住んでいるのに、僕の家の周りは住宅街なので表面だけは田舎の面影をほんのり匂わせている‥‥気がする。
「昨日はあんなに疲れたのに、何でだろう。今日はそんな疲れを感じない。結原さんに全て吹き飛ばされたってか? 」
把握できないもどかしさに薄気味悪い微笑を浮かべ、小さく独り言を空の見えない星達を見上げて呟いた。
僕の祖父母の家は、今住んでいる愛知県からずっと遠くの九州地方の鹿児島県にあり、そこでは晴れた日の夜になると綺麗な星々がそれぞれが違った個性を持つ輝きを放っているのを覚えているが、今いるここはそうはいかない。
都会の性とでも言うのだろうか、田舎よりも夜の世界が明るすぎるため星の輝きを人間の目に映し出すことができないらしい。
「せめて綺麗な星があってくれれば、少しは落ち着けそうだったのにな‥‥帰るか‥‥ 」
結局、足りない脳ミソで考えうる最後の手段も失敗。
空を見上げることもなく家に帰り、両親がくつろいでいるだろうリビングを無言で通過して、2階の僕の部屋に入ると、そこには星の光とは違った人工的な緑色の光が電気の付いていない暗闇の中で目立っていた。
おそらくそれは、迷惑きわまりない謎の勧誘や広告のメールでもなければ、間違い電話でも何かしらのアプリの通知でもないのだろう。
(多分というか十中八九彼女だろうな )
確信めいた面持ちで部屋の明かりを付けることもなく、内容を確かめてみると案の定。
『今日はありがとね♪ 』
『カップルシートにはさすがにびっくりしたけど、すごく楽しかったし面白かった!! 』
『あと1つご報告。今日話してくれた優馬君の話ね、実は初めて会った時の寝言から大体想像がついてましたっ!(笑) 』
別れ際の告白には一切触れることもなく、昨日と変わらない1分以内に送られてきているSNS。
最後の文が彼女らしいというか大分引っ掛かるが、とりあえず返信はしなければと文章を練る。
『こちらこそありがとうございます。僕もカップルシートには相当驚かされました。寝言そんなに酷かったんですね、恥ずかしいです。』
出来たものは、年下の女の子を相手にきっかりと堅苦しい文言で固められていて、如何にも一緒に喫茶店へ赴いた親しさ感じさせない雰囲気が醸し出されている。
今後会わないためにも、日常に戻るためにも、うってつけの内容だ。内容のはずだ。
しかし、体が動かなくて昨日のように送信ボタンが押せない。
(僕は何を躊躇っているんだ。もう一度笑いたいなんて考えちゃだめだ )
認めたくはないが、6年間も笑わなかったらしい僕を彼女が笑わせてしまったのは事実で、挙げ句その子は何故か僕のことを好いているというではないか。
(幸せが訪れれば対価の不幸が訪れる。僕はそれを避けて静かに無機質に生きていくんだ。今日も楽しくなんて‥‥ )
「楽しかった‥‥な、不快な思いもして少し笑っただけなのに 」
長年培ってきたトラウマと日常の定義がたったの2日間でこうも一瞬にして脆くも崩れていきそうになる。
手が勝手に動いて書き直されていく文章。
『結原さん、こちらこそありがとうございます。驚きや困惑もあったけど、僕も同様に楽しかったです。』
僕の世界の壁はいつの間にか豆腐か薄い紙切れにされていたのだろう。
僕の脳みそは、壁を軽々と破ってきた侵入者に早くも影響をうけているのだろう。
送信ボタンを押した。
(さっきまでの僕は、状況を把握できないとか適当に理由をこじつけて無意識にこうなってしまった甦りつつある以前の僕と戦うことを避けていたのかな )
昔と今の僕の世界の幸せの戦士と幸せという名の不幸の戦士達が笑いをきっかけに激しい攻防を繰り返している。
攻防の末、たった1つの文章に10分近くかけて送信がなされたのに彼女からの返信は1分と経たず返ってきた。
『楽しんでくれてたんだ!! よかったぁーー( ´∀`) 』
返信を読んでいると同時に大音量を流しながらブルブルと震え始めるスマートフォン。―――― 電話だ。
「も、もしもし 」
この場で気づかなかったというのも大概おかしいので、恐る恐る電話に出てみると、例の小高い声が数時間ぶりに聞こえてくる。
「あ、出てくれた! 優馬くんこんばんはー。ごめんね急に電話しちゃって。今ちょっと時間大丈夫? 」
出てくれたという彼女の反応は正解だ。
これまでの僕だったら気づいていても100%出なかっただろうし、今こうして心が不安定にぶれているからこそ出てしまったのだと思う。
それに用事があったり、そもそも時間的に大丈夫じゃなかったらこれらを度外視にしても電話に出るわけがない。
「大丈夫ですけど、どうしたんですか? 」
「お風呂中暇だし、どうせなら今日ベール出てすぐに別れちゃった優真くんともう少し話したいなぁって思って。」
別にこれ以上彼女の言うことに動揺させられたりはしないはずだったが、ポチャンと水の音がしたらさすがにそうはいかないものだと体から教えられる。
自閉的になっていた6年間の日常をもってして、コミュニケーション能力などは衰えても、性欲だけは日常の網から逃れ身を潜めて内在的に健在であった。
加えて、その相手が今現在僕の世界を揺れ動かしている張本人で、こうなって初めて笑いを通じて心を許してしまいそうになっている相手だから余計に。
いつぶりかの下半身からの疼き。
「お、お風呂中なんですか‥? 」
「そうだよ。半身浴中、女の子らしいでしょ? ってもしかして変な想像してるのかなぁ? 」
語尾を伸ばす口調からして相当ニタニタしているのが容易に想像つくのが憎たらしいが、完全否定できないのも悔しい。
「い、いや別にそんなことはないですけど、あっ、結原さんは昼間からどうされていたんですか? 」
然り気無く誤魔化すなんて技術は僕にはないから、話題を風呂から反らそうと不自然じゃない逆質問で対抗に。
無論電話の奥からは、あからさまにわざとらしく水の音が聞こえてくる。
「んー、帰りに借りたDVD観てたくらいかなぁ。2本観ちゃったんだけどあんまり感動できなかった。優真くんは何をしていたの? 」
「僕は、本を読んだり、ネットあさりをしていました 」
「お互いなんかインドアなことしてるね 」
こうして会話が続き、話をすり替えることには成功したが、電話を終わらせる糸口が見つからず、この後十数分の間ずっとたわいもない話につき合わされた。
また、周りとの関係を絶っていてご無沙汰となっていた下半身からの要求は糸口を探しているうちにいつの間にか無くなっている。
その後、まだ早い時間ではあるが身支度を済ませてベッドに潜り、慣れないことをした疲労から急激な眠気が襲ってくる中、結原美実から言われたことを夢の世界へ行き来しつつ考える僕。
(‥‥三咲とのことを幸せな思い出にしてあげる‥‥か。あの悪夢を思い出にしてしまっていいのかな? 三咲を思い出にできるのかな? 僕はまだ三咲のことが? ‥‥。 わからないや、でももし思い出になったら僕はまた新しい不幸を迎え入れることに‥‥ )
結論も出ないままに意識が途切れて、次に意識が戻ってきた時にはいつもの眩しい日の光がギラギラと差し込んでいた。
読んでいただきありがとうございます。
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次回は再び結原美実のいない日常に解放された彼が思うことがメインの話です。