『相棒』(ノベライズ版)ネタバレありレビュー
『相棒』ノベライズ版、いかがだったでしょうか。では順に振り返って行きましょう。
「ありふれた殺人」
『相棒』には、ミステリで言うところの「社会派」に属する話が多いのも特徴で、本作もそういった面が強く強調されていました。ですが、社会派としてだけではない、「ミスリードからの意外な犯人」という、本格ミステリとしても強度の高い一作だったかと思います。
この頃の杉下右京の「相棒」は亀山薫。実家が新潟の酒蔵という異色の出自を持つ刑事です。初期の『相棒』は、静の右京、動の薫という、各々のキャラクター性がはっきりと色分けされた作風が特徴のひとつでした。本作でも、坪井夫妻のことを不憫に思い、何とかしてやれないかと煩悶する薫と、あくまで冷静に事件を俯瞰する右京という、二人のキャラクターの違いがドラマに厚みを生み出していました。
薫の軽率な行動を叱責し、また、警視庁を訪れる坪井夫妻を遠巻きに見ることしか出来ない薫に、「きみは、逃げる気ですか?」ときつい言葉も投げかける右京の言動からは、警察官としての揺るぎなき矜持と、部下へ対する厳しくも優しい叱咤が感じ取られます。
そして、タイトル(番組的には、サブタイトル)の秀逸さも見逃せません。途中までは、「一般的に見れば『ありふれた殺人』でしかない事件の裏にも、こういった悲劇がある」ということを言いたいのかな、と思っていたのですが、最後になって本当の意味が明かされます。坪井夫妻は、娘の命を奪った憎き殺人犯が殺されたというニュースを、それと全く知ることなく、自分たちには全く無関係の「ありふれた殺人」事件として聞き流してしまいます。ニュースの途中でテレビのスイッチを切ってしまうという演出がまことに巧みで、何とも言えないやるせなさを感じてしまいます。
ラストシーンでは、薫の成長を見ることが出来ます。坪井夫妻が訪れたことを聞かされ、「きみは、帰ってもらって構いませんよ」と右京に告げられますが、薫は坪井夫妻と向き合うことを選びます。相変わらず、娘を殺した犯人を教えて欲しい、と涙ながらに訴える坪井に薫は、「教えられません! 申し訳ありません」と、毅然とした態度を貫き通しました。
「小さな背中をさらに小さく丸めて」「寄り添いながら歩み去ってゆく」老夫婦を見送りながら右京は言います。「あの姿を、われわれは忘れてはいけません」これは、実在、架空を問わず、犯罪捜査に携わる全ての人間がしっかりと胸に刻むべき言葉でしょう。
「犯人はスズキ」
こちらの話も「相棒」が亀山薫だった頃のものです。薫のキャラクターを最大限引き出すためか、この時代の『相棒』には、いやに庶民じみた話が多くあります。本作も、どこにでもいる市井の人たちが、真犯人をかばうために架空の犯人をでっちあげて一芝居打つという、変わった内容の話でした。
少しミステリに詳しくなった読者(もしくは視聴者)であれば、途中で一度、「鈴木というのは実在しない人物なのではないか?」と疑い、トリックを見破りかけるのではないかと思います。しかし、そういったミステリファンの思考も作者(脚本家)は承知済みで、中盤でさらなるトリックの補完を仕掛けてきました。それは、「鈴木を目撃した」という証言の出現であり、あろうことかその証言者が、レギュラーキャラクターの宮部たまきだという仕掛けです。これには『相棒』を見続けてきたファンほど引っかかってしまうはずです。なぜなら、『相棒』世界において宮部たまきは、「絶対的に信用出来る登場人物」だからです。
基本、ミステリの登場人物の言うことは、作中の探偵でも、作外の読者でも、「疑ってかかる」ことが大前提です。「登場人物の中に犯人がいるはずなのに、誰もそれを名乗り出ない」ということは、誰かが嘘をついていることが明白であり、人間は誰も、見た目や喋り方だけから、誰が嘘をついているかを見破ることは不可能だからです。嘘をついている人物(犯人)が意外であればあるほど読者には喜ばれます。しかし、単発のノンシリーズ作品は別として、読者や視聴者の信頼を受けたシリーズもののミステリには、「絶対に嘘をついてはならない」言い換えれば、「全面的に信用できる」登場人物というものが出てきます。現実には、全面的に証言を信用できる、などという人間はいるはずもないのですが、フィクションの世界では話は別です。それは、「レギュラーだから」という単純な理由からというよりも、「この人の言うこともいちいち疑って掛かっていたら収拾が付かなくなってしまう」という作品の構造に依るものが大きいでしょう。それは「本格ミステリ」をゲームと捉えたときの「ルール」に相当するのではないでしょうか。
そこで、宮部たまきの証言です。もしこの「鈴木を目撃した」という証言が、この話だけ限定で登場する、町の飲み屋のご主人の口からされたとしたら、どうでしょう。そんな証言は(我々作外にいる読者にとっては)「こいつも嘘をついているな。その鈴木は偽者だ」と全く一顧だにされることなく切り捨てられてしまうでしょう。この、宮部たまきが証言者になるという仕掛けは、「たまきさんが嘘を言うはずがない」という大前提を了解している我々、読者(視聴者)に対して仕掛けられたトリックと言えます。
しかし、この町内会ぐるみで考え抜いた周到なトリックも、防犯意識の高いはずの町で、集会所に施錠がされていなかった。という矛盾を糸口として、白坂の家から何十年も前の少女向けアニメキャラクターグッズが出てきたことから組み立てられた、右京の推理によって看破されます。事件の全容を暴かれてもなお「証拠がない」と抗う犯人たちに対し右京は、「証拠は、これからいくらでも見つけられますよ」と強い姿勢を崩さず、しかし、「できればそれを避けたい」と自首を促します。
町内会の人たちは、トリックを演じるうち、「鈴木」が実在しているような気になってきたと口々に言い始めます。最後、「鈴木はこの町で子供たちを見守り続けてくれている。そんなふうに思えてならない」と言った池之端に「それが本当だったら、どんなにいいでしょう……」と返した右京の言葉は、彼の偽らざる本心だったでしょう。
「越境捜査」
シリーズきっての人気作で異色作でもあります。もしこのノベライズ版で本作に初めて触れたという方がいらっしゃったら、この味を十分に堪能していただけたのではないかと思います。
ミステリとして見れば、まことにドラマ向き(当たり前ですが)の作品で、ノベライズする際には、叙述的に十分注意すべき点がいくつか出てきてしまいます。『相棒』ノベライズ版は全て三人称で書かれていることから、まず、犯人グループたちのことを、首謀者の早川はもちろん、誰のことも地の文で「刑事」と書くことは出来ず、誘拐された亜里沙の父、俊作が電話を掛ける際も、「警察に掛けた」や「110番に繋がった」といった表記も出来ません。ひとつ、ギリギリな記述があるのですが、それは136ページ13行目。俊作が、身代金に使う五億円もの現金の出所を話してくれるよう早川から言われた場面ですが、地の文で「刑事からそう言われたら仕方がないと腹をくくった俊作は金の由来を話した」と、早川のことを「刑事」と書いています。ですがこれは、このときの俊作の心理状況を記しているわけで、あくまで俊作は早川のことを刑事であると疑っていないのですから、フェアな記述であると言えます。「腹をくくった」と俊作自身しか決して知り得ない心理状態が出てくるのがミソです。このことで、この一文は三人称の「神の視点」でありながら「俊作の心理」を覗き見た記述であると分かります。
ちなみに、この場面で早川が金の出所を訊いたのには理由がちゃんとあります。右京にニセ警官だと見破られた早川は、自分の計画は「そこらの汚い犯罪とは違」う「後ろ暗い金ばかりを狙ってき」た「まさに誰も傷つかない美しい手口です」と嘯きます。俊作が身代金として用意した金は、彼が営む不動産業で政治家への口利きに使う予定だった裏金で、当然早川は、そこのところの事情を調べ上げてから犯行に及んだはずですが、念のため俊作自身の口から言わせることで最終確認を取ったのです。
「計画外の客であった右京もアドリブで騙し通せると思ったことが間違いだった」と自身の敗因を分析する早川の発言を右京は、「あなたの間違いは物と人間の区別がついていないことです」と一蹴します。「誰も傷つかない美しい手口の犯罪などこの世にはありえません」と続け、実際に誘拐された「亜里沙ちゃんの心に一生消えない大きな傷をつけた罪は軽くはありませんよ」と早川の言い分を全く寄せ付けませんでした。「犯人はスズキ」の犯人たちに見せたものとは百八十度違う、毅然とした言動です。これは警察官としてはもちろん、杉下右京がミステリの主人公(ヒーロー)としてあるための矜持でしょう。
さて、『相棒』は、その番組名の通り、右京とその相棒がコンビで活躍するドラマなのですが、最後にご紹介した「越境捜査」だけは右京に「相棒」が存在しません。彼の相棒であった亀山薫は、この話が放送された「シーズン7」の途中で海外に旅立ったという設定で番組を卒業しており、このシーズンの最後に神戸尊(演:及川光博)が番組上の二人目の「相棒」としてやってくるまでは、「ひとりだけの特命係」として単独で事件に当たっています。「越境捜査」はその期間の話というわけです。
初期の『相棒』は「変人」杉下右京を、視聴者と同じ一般市民の亀山薫という視線を通して理解していく、という物語だったように思います。シーズンを重ねていくごとに、視聴者は薫とともに杉下右京を理解していくようになるため、いつか作中で視聴者の視線というものが不要になるときが必ず来ます。薫の卒業、そして以降の「相棒」たちが薫と違い、個人的、組織的な大きな後ろ盾を持つ「右京と対等に戦える」キャラクターになっていったのは必然だったのかもしれません。
今回は「本格ミステリ的に優れる」という視点で数ある『相棒』作品の中から三作選んでみましたが、相棒には「本格テイスト」は薄いながらも、サスペンスやドラマ的に優れた話が何本もあります(ミステリ的な縛りを取っ払って、もう一本選べ、と言われたら、私は「レベル4~薫最後の事件」をいち推しします)。もし、ドラマを未見で、ノベライズを読んで『相棒』に興味を持ったという方がいらっしゃれば、ぜひ本家のドラマも観てみて下さい。
それでは、次回の本格ミステリ作品で、またお会いしましょう。




