『作者不詳 ミステリ作家の読む本』ネタバレありレビュー
『作者不詳 ミステリ作家の読む本』いかがだったでしょうか。
大丈夫でしたか? あなたの周りで突然霧が発生したり、赤ん坊の泣き声が聞こえてきたりはしなかったでしょうか? 大丈夫だという方も、これからも十分注意して下さい。
最後の最後で読者までをも巻き込む、「参加型メタフィクション」とでも言うべき本作。通常の本格ミステリとは違った楽しみがあったことと思います。これが三津田信三の真骨頂です。
実本の中に『迷宮草子』が表紙から奥付、裏表紙までまるごと包括された構成(表紙に「とけ」裏表紙に「ない」と読める「皺」があったことも確認していただけましたか?)。私は最初この作中表紙を見たとき、「『迷宮草子』として収録するのであれば、各作品のあとに、三津田と信一郎による「解決編」が挟まれてしまうのは(構成上仕方ないとしても)残念だなぁ」と考えていたのですが、まさかその「小説として仕方のない構成」さえ最後にメタフィクションの材料として利用してしまうとは。三津田信三恐るべし。
「霧の館」は密室のハウダニット(どうやったのか?)もの。「子喰鬼縁起」は変形アリバイトリック。「娯楽としての殺人」は作者の膨大な知識の披露も楽しいフーダニット(誰が犯人か?)。「陰画の中の毒殺者」は複数の器の中のひとつに毒を入れる、ミステリではおなじみの毒殺ハウダニット。「朱雀の化物」は叙述トリック。「時計塔の謎」はハウダニットとフーダニットを組み合わせた、この中でもっとも本格っぽい王道作でしょう。「首の館」は、孤島に集まった人たちが順番に殺されていくという、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を嚆矢とする孤島もの。それぞれが全く違った色を持ち、『迷宮草子』は、ミステリ短編集としても極めて高いクオリティを有していました。
この中で「ベストオブ『迷宮草子』」を選ぶとしたら、私は「朱雀の化物」を推します。これは「三人称だと思ったら一人称だった」という叙述トリックなのですが、この作品に至るまでの四作は全て作者が体験したという形式の一人称記述のため、いきなり「朱雀の化物」で三人称文体になってしまっては、「あれ? 変だぞ」と読者に訝しがられてトリックは早々に露見してしまう可能性があります。この問題を三津田は「これ(「朱雀の化物」本編)は、見つけたノートを作者が書き写したものだ」という構成にすることで回避しました。
『迷宮草子』が、ラストの第七話「首の館」に収斂する「七編すべてまるごと作中作」のような構造になっており、『迷宮草子』自体も当然『作者不詳』の作中作。それを読んだ三津田、信一郎たちのいる世界が『迷宮草子』に取り込まれ、それを私たち「現実の読者」が読んでいる。という、単なる入れ子構造に収まらない、何とも怪奇な読書体験だったのではないでしょうか。
それでは、次回の本格ミステリ作品で、またお会いしましょう。




