水精霊《ウンディーネ》
脱衣場にはおもむろに脱ぎ捨てられた衣類があった。
俺はそれをよそ眼に、ゆっくりと扉の隙間から浴槽に目をやった。
湯けむりから覗く、真っ白な艶やかな肌。
浴室に響く鼻歌。
水に濡れた、うなじは美しいカーブを描いていた。
後少しだ。後少しでもっといろいろ見える、そんな時だった。
俺とルナの目があってしまった。
みるみる内にルナは顔を赤らめた。
そして次の瞬間には俺は顔面に鈍い痛みを覚えた。
そう。これは紛れもないグーパンチだったと思う。
「最低です。異世界の戦士ともあろう方が、こんなエッチなことするなんて」
そう言ってルナはろくに体も拭かずに服を着ると部屋を出て行ってしまった。
俺としたことが、うかつだった。まさか相手と目があってしまうとは。
仕方がないので俺は夜の田舎町をルナを探して歩くことになった。
俺は少し焦りを感じ始めていた。
ルナの身に何かあれば俺自信の命がヤバいからだ。
このままでは覗きが原因で俺は死ぬ可能性がある。
それはいくらなんでも避けたかった。
そんなとき何者かが俺に声をかけた。
「やぁ。君がアキラくんでよかったのかな」
「誰だ貴様」
「やだなぁ。僕は君とお近づきになりたいだけさ。私はしがない旅の者。ちょうどね、私も先日、ある召喚触媒を手に入れてね。そこで召喚された私の兵士と君どっちが強いのか知りたくてね」
「悪いがこっちは取り込み中でね」
「感じないか?」
「何がだ」
「今世界が不安定になっていることを」
「なんだと?」
「この世界は誰かに観測されている。その観測者が退屈すると、この世界は観測の価値なしとみなされ消滅するんだよ。何を言っているのかわからないだろう。それでいい。君はただ戦っていればいいんだ」
闇の中からもう一人、学生服の少女が現れる。
「さぁ戦いたまえ。存在をかけて戦うんだ」
少女は言った。
「私には力が必要だ」
俺は問う。
「何故だ」
「向こうの世界に楽しいことなんて何一つなかった。私はこの世界の王になる」
「何甘いこと言ってんだ。世界はな、勝手に楽しくはならないんだよ。自分で楽しくするんだよ」
「能書きなら戦って生き残ってからいいなよ。おっさん」
なるほどな。このガキ、ぶっ殺す。
俺は拳を握り、一気に少女との間合いを詰める。
強化された肉体は爆発的な跳躍を見せる。
女だろうとガキだろうと関係ない。俺の目的を邪魔するものは排除する。
俺は一気に握りしめた拳を少女の顔面目掛けて、跳躍した反動ごとぶつける。
しかしそれは分厚い水の壁に阻まれ当たることは無かった。
少女の周囲をおびただしい量の水が取り巻いていく。
まるで生き物のように水は彼女の周囲でうねる。
彼女は言った。
「私は広瀬カンナ。水精霊を使いし者。私のために死んでよ。おっさん」
彼女を取り巻いていた水が圧縮され弾丸のように射出される。
俺は肉体強化の能力を眼球に集中した。強化された眼球は動体視力が著しく向上。まるで時が止まったかのようにゆっくりと流れ始める。ただの人間であれば、飛んでくる弾丸が見えても、それを回避する能力はもたない。しかし今の俺の体は違う。超人的な瞬発力で水の弾丸をかわしていく。
水の弾丸は当たったものを、まさに鉛の弾丸同様、破壊するだけの力を持っていた。
通常の人間であれば不可能な回避能力ですべての弾丸を避けて見せた。
しかしその反動で、体のいたる筋肉が断裂し、骨にはひびが入った。それを即時に自動回復能力で修復していく。
広瀬カンナは笑った。
「やるじゃん。ならこれはどう」
瞬時にして、俺は身をかがめた。
俺の後方の建物が切断され崩れ落ちる。
高度圧縮された水の刃か。しかも間合いが異常に長い。
「どんどんいくよ」
縦横無尽に水の刃と弾丸が弾け飛ぶ。
最早、肉体強化能力を持ってしても回避しきれない攻撃だった。
俺の体は引き裂かれ、貫かれた。
しかしその傷は自動で修復されていく。
俺は言う。
「悪いな。俺の体は特別製なんだ」
ゆっくりと俺は歩みを進める。
さすがの広瀬カンナも表情に曇りが陰る。
彼女は言った。
「それならこれはどう?」
周囲に飛散していた水が一斉に浮かび上がる。そして俺の体を目掛けて集まって行く。そしてみるみるうちに全身を包み込む球体になった。
俺はやっと気がついた。広瀬カンナの狙いに。
彼女は言った。
「どう?これでアナタは呼吸ができないでしょう」
水の球体は見事なまでに、俺にまとわりついた。俺がどれだけ動きまわっても、まとわりついて離れることはなかった。常人であれば既に呼吸はもたないだろう。しかし体感的に見て、あと数分で俺も窒息する。何か手は無いのか。