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7.ciel mauveの世界


「俺はこの世界をciel(シエル) mauve(モーブ)の世界……つまり(むらさき)(ぞら)の世界と呼んでいる」


 初仕事が終わった翌日の午後。訓練場に立った僕は、この世界のことについてフミトに尋ねていた。


 フミトは訓練中、僕が初仕事を無事に終えたら、彼が知りうる限りのことなら話してもいいと言った。その約束の履行を迫ったのだ。


「だが……はっきり言っちまえば、この世界のことは俺もよく知らん。ただ、俺たちが来る随分前に、この世界で大規模な宗教戦争があったことだけは、首領から伝え聞いている。それ以降、異世界人が度々この世界に現れるようになったともな」


「宗教……戦争?」


 僕はその言葉に実感が湧かず、教科書を朗読する最中、読めない漢字を探り当てるような声音で発音した。


 フミトはゆっくりと頷く。


「そうだ。この世界には国王が存在し、教会……つまりは、まぁ、国民を管理する為の宗教が存在していた。世界史のお勉強で習った中世のヨーロッパのようにな。そこで新派の『蒼穹派』……まぁ、これは俺が日本語に訳したんだが……とにかく旧派と新派の間で戦争があり、今のような荒廃した、ある意味、人間の存在をむき出しにした世界になっちまったらしい」


 その事実に僕は少なからず衝撃を覚え、その戦争の詳細を求めた。でも詳しい事柄は、フミトも知らないようで口を(つぐ)んだ。


 そもそも彼にしても、ある日、気付いたらこの世界の平原で倒れていたらしく。それから今まで、生きるのに、今の足場を築くのに必死で――。


「フミトは、一人でこの世界に来たのか?」

「……あぁ、そうだ」


 話の最中にそう尋ねると、彼は静かにそう応えた。


 この世界に来た彼は、異世界人の常として僕と同じように捕えられ、奴隷ではなく、容姿が整っていた為に男娼として売られ……。



 そしてある日、




「男娼としては、かなりいい生活をさせて貰ってたが……ちょっとあってな」



 ――客の一人を、殺してしまった。



 そこで今の首領から殺しの話を持ちかけられ、以降、フミトは殺しで生計を立てて暮らした。しかし、フミトには殺し以外にも人を育てる才能や、組織の長となるべき幾つかの才能があった。


 そこを首領に見込まれて、組織のナンバーツーの座を得た。


「まっ、そんな訳で殺しの第一線から退いたんだが……この街には同じような組織があってな。そいつらの台頭を防ぐ必要があった……つまりは、殺しを行う奴が組織には欠かせなかった」


 首領は偶然手に入る逸材よりも、確実に組織の殺し屋を生み出せるシステムを欲した。つまりは、殺しをやる人間の人材育成とスカウトをフミトに任せ……その結果、組織は力を増した。



「人は、人の間にいて初めて人間でいられる。ユウ、お前は嬢ちゃんを……いや自分のエゴの為に人を殺した。そして俺も、生き残るために人を殺してきた。そんな俺たちはもう、人間じゃない。人の間からはみ出て、外から人間様を(ついば)む存在だ。これからも自分を、そして嬢ちゃんを大切だと思うなら……決っして自分を人間だとは考えるな。いいな、どんな汚いことをしてでも生きていくんだ」



 僕はフミト直属の配下となり、それ以降も命令されるがままに仕事をこなした。この異世界、ciel(シエル) mauve(モーブ)の世界で生き抜いた。



「お前は人間様かよっ!? 正々堂々と戦う必要がどこにある!? 勝てそうにないと判断したら逃げろ、隠れろ、そして不意を突いて襲え! ただ目標を殺すことだけを考えろ。余計なことは視野の外に逃がせ!」



 フミトから殺しの為に必要な技術の全てを教わり、組織のため、唯笑のため、そして何よりも自分のエゴの為に人を殺し続け、その金で唯笑を毎晩買い、彼女の純潔を保った。


 またその間、唯笑はただ呑気に生きていた訳ではない。彼女には彼女なりの、打ち明けることを躊躇うような、苦悩と戦いがあった。



「唯笑っ!?」


 ある日、フミトから連絡を受けて執務室に飛び込むと、そこにはフミトと首領、娼婦と奴隷それぞれの管理者。


 そして……。


「あ、ああぁ……ユ、ユウちゃん……!?」


 小鳥のように震え、僕を縋りつくように見る唯笑がいた。


「唯笑っ? おい……どういうことだ!? 唯笑に何をした?」


 僕は襟首を掴まんばかりの勢いでフミトに詰め寄り、事情を話すように求めた。彼は「落ち着け」と僕を(いさ)めた後、一息つき、口惜しそうに詳細を語った。



 その日の午後……。


 

 唯笑は男に自室に押しかけられ、()()()()()()()()()



 彼女をやっかむ高級娼婦の一人が、奴隷を(そそのか)したのだ。

 

 唯笑が必死になって抵抗した為、その叫び声と物音を聞きつけた娼館の人間が現場に駆けつけることが出来た。



 しかし――。



「ユウ……これは俺たちの管理不足だ。だがな……あの娼婦(アイツ)が唆したという証拠がない。奴隷の言葉に証拠能力はないからな。つまりはだ……監督役と奴隷を躾けることは出来ても、娼婦には鞭一発も振るえない」


「――なっ!?」


 胸に荒々しいものが疾風のように去来し、瞬時に心を満たす。


「その代わり……嬢ちゃんを襲った奴隷はお前が好きにしろ」


 そう言われ、僕は一個の憎悪の化身となったように、憤怒に狂気めいた殺気をこめて躾部屋に赴いた。


 するとそこに縛り付けられていたのは……。


「えっ……?」




 ――かつて僕と寝起きを共にした、出っ歯の奴隷仲間だった。




 彼は僕を見ると困惑し、やがて怯えたような、媚を売るような表情でへらへらと笑って見せた。


 僕は当初、()()()()()()()()を無残に切り刻んでやろうと思っていた。


 けど彼を、そんな顔の彼を目の当たりにした僕は、急に居たたまれない気持ちになり……悲しみが、水のように胸を冷やして怒りを鎮火した。


 僕は瞬時に理解したのだ。

 彼がしたくて、心から望んで唯笑を襲ったのではないことが。


 彼は娼婦に(たぶら)かされて……。

 そこには悲哀が、男女の悲哀よりも大きな、肉欲の悲哀があった。



「……戻れ」

「○……#$□×ッ?」



 僕は前髪に表情を隠し、日本語でそう言って彼の戒めを解いた。そして奴隷時代によく言われた言葉を、この世界の言葉で彼に叫んでぶつけた。


「仕事場に戻れっ!」


 彼は不思議そうに解かれた自分の手足を見た後、黙って僕を見つめると……。


 何かを言いかけて口を開いたが、彼の中で何らかの感情が運動したようで、口を(つぐ)み、その後、よたよたとした足取りで部屋を出て行った。



 彼はそれから奴隷の管理者にいびられ続け、一ヶ月後、自ら命を絶った。


 

 唯笑が襲われそうになった日の晩。

 彼女の仕事部屋を訪れると、唯笑は気丈に笑って見せた後……。



「ごめんねユウちゃん。今日は、その……取り乱しちゃって。でも、もう大丈夫だからねっ! あはは、元気……げん、き……あれ? なんだろ? 可笑しいな、あは、あはは。何でか分かんないけど……涙が、涙が止まんないや。あはは」



 どんな感情の予告もなく、突如として二条の涙を頬に流した。自分の胸が空洞になり、そこを木枯らしが吹きぬけるような、言いようのない哀愁に襲われる。


「唯笑……」


 それから僕は、震えて泣く唯笑を黙って抱きしめ続けた。


 唯笑は唯笑なりに戦っていた。先の見えない未来の不安と。自分の置かれた現実と。全てを受身で生きるしかなく、ただ僕を信じるしかないという環境の中で……。


 それは多分、自分で状況を変えることが出来ないという意味で、殆ど絶望に近い状況だったんだと思う。


 自ら世界に働きかけることも出来ず、大した気晴らしや娯楽すらなく、館に閉じ込められて……それでも彼女は夜訪れると、僕に儚い笑顔を向けてくれた。


 だが僕に関しても、決して楽な道を歩んでいた訳ではない。暗殺だけでなく、敵対する組織の殺し屋や用心棒と、直接殺し合う経験を何度か重ね……。



 その最中、二度、命を失いかけた。



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