14.罠
結論から言えば、フミトは僕の誘いに乗った。日を置かずして自ら台本を作り、信頼できる部下の一人に日本語で書いた指示書を届けさせた。
そして二週間の時間をかけてゆっくりと、最初は些細なことで、しかし禍根を引きずるような不和を演出し組織の連中に示した。
『ユエに殺しをさせたくないだとぉ? おいおい、そもそもお前が不能になっちまったのが原因だろうが。イカレタ女でしか勃たない腑抜けが』
『イカレタ女……だと? イカレタ元男娼のお前に言われたくないな。というか……早くベッドに戻らなくていいのか? 首領が待ってるぞ』
僕とフミトとの間にある不穏な空気を察した組織の人間が、次第に僕と距離を置くようになった。
殺しを生業としていた頃、僕は組織の人間から、視界に収めるのも不愉快そうな、見下すような、でもどこか怯えるような目で見られていた。
それが仕事が町の警備に変わり、流暢に言葉を交わせるようになってからは、多少は見る目が変わり、中には話しかけてくる奴も現れるようになった。
そいつ等が示し合わせたように、僕と目を合わせなくなった。
その代わり「双鎚の竜巻」の一件以来、敵対する組織のスパイと目論まれた男。利用価値があると踏んだフミトが、その後も泳がせていた男が近づいてきた。
奴は下卑た笑みを浮かべ、あんたはここで燻ってるような人間じゃないと嘯き、僕の肩に手を置く。
僕は最初は奴を胡散臭そうに眺めた。二度三度と会う中で徐々に心を開き始めた体を装い……最終的には、町の酒場でフミトの悪口を言い合う関係となる。奴の拙い罠にかかった振りをして親交を深めた。
そしてある日から、奴は僕に裏切りを仄めかすようになってきた。
僕の指揮系統は組織の他の連中と異なり、フミトに直結していた。フミトの片腕と言われる由縁だが……その為、独自の情報を持っていると奴に何度か匂わせた結果だった。
「唯笑に……もう、殺しをさせたくないんだ。僕と一緒に唯笑も拾ってくれるなら。それで……二人でこの世界で、ささやかな幸せを……彼女と、家庭を築けたら……それで、それだけで僕は……」
僕は今まで奴に散々嘘を並べ立てたが……その時だけは、真実を話した。言いながら僕は、演技ではなく、実際に感極まって熱い涙を瞳に溜める。
お伽話には常に現実が含まれないからこそ、人の髄を甘く痺れさせる。
その中で、もしそんなことが叶ったらどれだけいいだろうと考えた。
世界が、現実がもっと……。
”そうしていったん破壊すれば、永遠に完成の日が来ないかも知れぬのに、それでも、破壊しなければならぬのだ”
不意に、元の世界で読んだとある作家の文章が頭を過った。
”ただ、慕う恋ゆえに……。”
それは心の襞を優しく撫でる風のように、僕の内側を通り過ぎていった。
奴は罠にかかったとも知らず、僕が見せた精神の脆弱さ、利用し易さに舌なめずりし、目を細めた。
その後、僕は奴から更なる信頼を引きずり出す為に、対立する組織に有用な情報を立て続けに流した。
前以てフミトが用意した情報は、実際に組織に損害を与えた。それには奴も喜色を露にし、ある日、幹部待遇で僕を招く約束を取り付けたと言ってきた。
だが……その為には、とびっきりのネタが必要になる、とも。
僕はその日以来、急にフミトのご機嫌取りに走り、情報収集に奔走しているように見せかけた。そして――。
「一週間後の夜……幹部連中が集まる定例会合が町の宿屋で行われる」
「それが本当なら、まさにとびっきりのネタだが……町中だと? 何故、アジトでやらない?」
「組織の人間が娼館の女に手を出せないのは知ってるだろ? 奴らは毎回、その会合が終わった後に、親睦を深める為の乱痴気騒ぎを起こすそうだ……町の娼婦を呼んで……悪趣味な兄弟の契りをな」
「くっ、くくく。そいつぁ……なんて趣味のいい。くあ~~~っはっは! おいおい、フミトはそこで幹部にご奉仕でもするってのか? くあっはっは!」
人間は情動や情念に絡んだ話を前にすると、時に酷く無防備になる。
僕は調子を合せながらも、奴が奴の組織の首領にその話をした際の、彼らの下卑た笑みを想像し……思わず吐き気を覚えた。
また、それと時を同じくして町の娼婦の幾人かに金を配り、
「生きていく為だから言うけど……確かに、その会合に呼ばれたことがあるわ」
対立する組織が情報の整合性を確保しようとしてきた際の保険をかけ、むしろそのことで情報の信頼性を高めさせた。
巨大な車輪がゆっくりと回り始める。
計画は滞りなく進み……やがて運命の日が訪れた。
「ついに……この町のウジ虫どもと決着をつける日が来た!」
偽の定例会合日の夜。フミトは何人かの幹部に、会合地の宿屋の敷居を跨ぐように指示した。
彼らは予約しておいた一階の大部屋に入るや否や、その日の為に作らせた隣家に繋がる簡易地下通路を抜け、急ぎ足で裏口からアジトに戻る。
「お前らには黙っていたが……この日の為に、ユウを裏切らせた」
そして町の娼婦の中でも奇麗どころを宿屋に呼び込み、前もって大部屋に待機していた構成員に、嬌声を伴った乱痴気騒ぎを起こさせ……。
「さぁいくぞ! 奴さんのがら空きになった懐を、一気に攻める!」
宿屋に潜り込んでいた対立する組織の構成員が、そのことを外に待機した連中に報せに走る姿を監視者に確認させると……。
「くはははは! ユウの言った通りじゃねぇかよ。よぉし! 突入だ!」
色めき立ったスパイの男と、向こうの組織の実力者連中を宿屋に踏みこませることに成功した。
「なっ……!? こ、こいつは!?」
そんな男の最期の言葉は、彼にも一つの物語や最愛の人、胸の底に震える魂があると思わせるには、余りにも道化じみたものだった。
「あ、あの異世界人の野郎、俺を嵌めや――ぐこぇっ!?」
汗に滑った素肌を晒す構成員が、長槍で男の喉仏を突き刺す。それを合図に大部屋の入口脇に待機した連中が、困惑に目を見開いた奴等の不意を打った。
――そうして宿屋で、玩具箱をひっくり返したような混戦が始まった頃。
――フミトが幹部と用心棒を率いて、向こうの組織のアジトに乗り込んでいる頃。
――数時間後には凍てついた町の空に細雪がちらつく程、夜が底冷えた頃。
「あはぁ? 裏切り者さん……み~~つけた。あは、あはは! あはははは!」
僕は人気のない町の一角で、最愛の人と対峙していた。