大団円
レースは最終の太陽面通過へ。
ミリィとパックはこのレースを制覇できるのだろうか?
10
レースは最終戦となった。
それは水星から出発し、地球へふたたびもどるコースである。それには太陽面ぎりぎりを通過するコースで、宇宙船にとっては苛酷な耐久レースでもあった。
水星にあるセレン採取基地がレースの出発地である。
地球の、月とほぼおなじくらいの直径の水星はかつては永遠に惑星の半面を太陽にむけたままだと思われていた。しかし実際には水星はゆっくりとではあるが自転していたのである。このレースがおこなわれる時間、基地は明暗境界線に位置し、地平線ぎりぎりに太陽が隠れていた。基地に勢揃いしている宇宙船は、その地平線のむこうにむけて出発することになる。
ミリィは映話システムをつかって出発をまつすべてのパイロットに話しかけた。
「わたしはこのレースの主催者のミリィ川村です。みなさん、このレースに参加してくださってありがとうございます」
映話システムの、スクリーンのむこうのミリィは晴れ晴れとした顔をしていた。遠山からの連絡で、クロノス社のシルバーが警察によって逮捕されたことを知らされ、後顧の憂いがなくなったからである。逮捕されたといっても、シルバーはその財力にものをいわせたすぐに特赦をうけるだろうが、いまミリィとシルバーのあいだでとりかわされた密約の効力は事実上なくなったと考えていい。いまミリィの頭のなかにあるのは、このレースになんとしても勝利することだけであった。
「いろいろあったけど、このレースを開催してよかったと思います。みなさん、この最終戦正々堂々と戦いましょう!」
ぱちぱちぱち、とパイロットたちはおのおののコックピットでミリィの演説に拍手をした。その拍手にミリィはほほを赤くそめている。
「いやー、格好いいぜ。ミリィ!」
パックは映話のプライベート回線でミリィに話しかけた。
「なによ、パック。ひやかさないでよ」
ミリィはパックの言葉にまた顔をあかくする。
「ミリィ、きみはこのレースで優勝をねらってるのかい。もしかして?」
「あたりまえじゃない。そのためにこのレースを開催したんだから」
「それじゃ忠告するけど、太陽面通過のコースをとるとき、太陽からはなるべく離れたほうがいいぜ」
「どうしてよ」
「その……、きみが間違えておれの工場にユニコーン号をはこびこんだろ。それでちょっとおれ、きみの船を調べてみたんだ。だから言うんだけど、その船は熱の遮蔽にちょっと難点があると思うよ」
「うそ! この船はペガサスの最高の技術陣によって設計されたのよ。欠陥なんか、あるわけないじゃない」
「いや欠陥とかそういうんじゃないよ。きみの船の機関部は船殻のなかにおさめられている設計だろ。だから容積がおおきくとれるんだけど、熱はまともに船殻に浸透すると思うんだ。いまでもミリィの船はポイントでトップにたってるんだから、無理することないって!」
スクリーンのむこうでミリィはぷっ、とふくれた。
「なによ! あんた偉そうに……。言っとくけど、この船はペガサスの最高傑作といっていいものよ。そういうあんたの船、レースを続けられるのかしら?」
「なんだとう……。ああそうかい! おれの忠告が聞けないっていうんだな。勝手にしろ!」
パックはかっかとしてきて、そう捨て台詞を言うと接続をきった。
「パック。またミリィと喧嘩したのかい?」
副操縦席でヘロヘロが心配そうにパックを見上げた。パックは肩をすくめた。
「へっ、あんな女。おれがわざわざ忠告したっていうのに、聞く耳もたないらしいや。太陽のほのおでこんがり焼かれてから、おれの言ったことがほんとうのことだと後悔してもおそいぞ」
はらだちまぎれにパックはコンソールをばん、と叩いた。
無性に腹がたっていた。
映話システムがレースがせまっていることを警告し、パックはコックピットに座りなおした。まわりの出場宇宙船は出発準備のため斥力プレートをじょじょに作動しはじめている。パックもまた船の機関をたちあげてそれにそなえる。もうミリィのことも脳裏からすっかり消えていた。こうなれば、レースでいい成績をとることだけがパックのすべてになっていた。
カウント・ダウンがはじまり、パックは緊張した。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ゼロ!」
出場宇宙船すべてのブースターがほのおを噴出させた。
つぎつぎと宇宙船は急角度に上昇していき、暗黒の宇宙空間に消えていく。もちろん、ミリィのユニコーン号が先頭である。
パックもまた船のブースターの出力をいっぱいに開いた。
すこっ、すこん、すこん、ぷす……。
「!」
パックの顔色がまっさおになった。
動かない!
「パック?」
ヘロヘロが声をかける。パックのこめかみからだらだらと汗がながれている。必死になってパックはキーをまわしている。
きゅるるるるん、うけけけけ、すこっ、すこっ!
たよりない音をたて、パックの宇宙船は身震いを続けるだけだった。
「なんでだよう、こんなときに!」
パックは天をあおいで叫んだ。
「パック、あきらめようよ。やっぱりレースに出場するなんて、無理だったんだ」
ヘロヘロの言葉にパックはかっとなった。
「うるせえ! あきらめるなんて、できっかい!」
パックはだっ! とばかりに船尾の機関室へ走り込んだ。コックピットのヘロヘロへむけてさけぶ。
「ヘロヘロ! おれが合図したら、キーをまわせ!」
「パック、なにか成算があるのか?」
「こんなもんはなあ……」
パックは身構えた。工具箱からおおきなスパナをとりだし、手に握り締める。
「叩けば動くんだよっ!」
エンジンのハウジング目掛けてスパナをふりおろした。
「動けっ、このっ!」
があん、と物凄い音が機関室にひびいた。
くるるるるるん……。
エンジンは身震いをした。
「!」
パックは目を見開いた。
どどどどどどど……。
足元の床が震えている。
「動いた!」
パックは歓声をあげた。コックピットを振り向いてさけぶ。
「ヘロヘロ、始動キーをいれろっ!」
「わかった!」
ヘロヘロはコンソールのキーをひねった。
轟っ!
ブースターが白熱する。パックはコックピットへ走った。
操縦席にパックはとびこむように身体をおしこみ、ベルトをかける。足元のアクセル・ペダルを踏み込むと、宇宙船は蹴飛ばされるように空中に飛び上がった。背中が座席に押しつけられパックは歯を食いしばってたえた。
「わあ!」
ヘロヘロは座席からころころと転げおちてしまった。
「馬鹿! ちゃんとベルトをしめてろ」
パックはわめいた。ヘロヘロは座席にまたはいあがって安全ベルトをしめる。
宇宙船が水星の地表からぐんぐん高度をあげていくと、地平線のむこうから太陽が見えてくる。とたんに強烈な光輝が宇宙船の船窓をあぶった。一瞬にして偏光シャッターが働き、船窓は真っ黒になった。パックは環境解析装置のスイッチをいれた。環境解析装置は船外の太陽からの放射能や電離プラズマ流を風の音としてとらえていた。パックが船の針路を太陽へむけると、風の音はじょじょに高まっていった。
「だいぶおくれた。急ぐぞ!」
パックは三次元レーダーをにらんでさけんだ。スロットルをめいっぱい開き、船体の上限ぎりぎりまで加速する。加速は一瞬にして10Gをこえ、船内の重力を中和する制御装置はそれにおいつかずパックとヘロヘロのふたりは座席にうまりながらそれに耐えた。
「パック……なんだか、暑くなってきたんじゃないのか?」
ヘロヘロは不安そうに口をひらいた。
パックは船外温度モニターを見た。太陽の光があたっている部分はすでに三〇〇度をこえている。
「心配するな。この船は、ちょっとやそっとの熱なんかじゃ、びくともしないようできてるんだ。外板はすべて超伝導物質でできているから、どんなに熱っせられても宇宙空間に放射するようになってんだから」
「そうかあ? でも、ずいぶん暑くなっているようだけど……」
ヘロヘロは黄色い顔にふつふつと汗をかいている。パックもまた鼻のあたまに汗がういているのを感じていた。
「おっかしいなあ、こんなにはやく暑くなるはずないんだが」
パックはぐい、と額の汗をぬぐった。たしかに船内の温度は上昇している。
「あちっ!」
コンソールにふれたパックは驚いた。コンソールは熱したフライパンのように熱くなっていた。
「ちくしょう、計算ちがいだ!」
だらだらと顔に汗をふきださせたパックは上着を脱ぎ捨て、ランニング姿になった。
「パック、これでもレースを続けるつもりなのか?」
ヘロヘロは泣きだしそうな顔になっている。
「あたりまえだ。ここでひきさがっちゃ、男がすたらあ!」
パックはタオルを手にすると、くるくるとねじり鉢巻きにして頭にまいた。
「さあ、いくぜ。ヘロヘロ!」
ヘロヘロは肩をすくめた。
「これだもんなあ……命あってのものだねだってのに……」
ミリィはレースの先頭をきって飛行していた。エンジンは快調で、太陽に接近していても船内温度はぴくりとも上昇していない。コックピットでミリィは全視界モードにして操縦をしている。こうするとミリィの操縦席だけがなにもない真空の空間にういているような状態になる。彼女の足元には、太陽の光球が巨大な姿を見せている。光球の表面からはプロミネンスが猛烈な勢いでふきあげていた。そのプロミネンスひとつはさしわたし地球はおろか、木星すらいくつものみこむほどのおおきさである。その光景はユニコーン号の船外カメラやさまざまなセンサーの情報を船のコンピューターが再構成した映像で、もちろんライブそのままではない。
「環境解析効果音オン!」
ミリィの命令で、ユニコーン号の環境解析装置は船内に轟音をひびかせた。解析装置は太陽面からの熱や光の放射を、火山のマグマのような音としてとらえていた。ふつふつと煮えたぎるような灼熱の光球の音は、ユニコーン号のコックピットに響いている。
ミリィはちらりと三次元レーダーを見やった。ミリィのユニコーン号を先頭に、レースはやや団子状態でいる。しかしユニコーン号はそれらの集団を完全にひきはなし独走状態でいる。こうなったらほとんど勝利は確実だろう。
轟……っ、という音が船内にひびく。
センサーからの情報が効果音となって再現されているのだ。船外カメラが太陽面から噴出する火炎をとらえている。音速の数十倍の速度で、太陽黒点の磁場にとられられたプロミネンスがほのおの竜のようにたちのぼってくるのだ。ミリィは慎重にそのプロミネンスを回避するためコースをとった。いまやユニコーン号は危険なくらい太陽面に接近している。
と、船外カメラの映像が微妙に歪みはじめた。高熱と強烈な太陽黒点からの磁場が正常な映像をむすぶことをさまたげているのだ。
突然、外部の映像がまっしろになった。
どどどどどど……と轟音が船体をふるわせる。
「コンピューターなにがあったの?」
「プロミネンスに突入。高速のプラズマが通過中。ダメージは軽微です」
冷静なコンピューターの合成音声が報告する。轟音は高速プラズマが船体を通過する際の電磁効果を解析装置が轟音として解釈したのだった。ほどなく船外モニタの映像はもとにもどった。
ミリィは船外の温度モニタの数値を見て唇をかんだ。危険なほどの高温である。船体の放熱システムは蓄えられた熱を放出できず大量の熱エネルギーが船内の蓄熱システムに保存したままになっている。すでにユニコーン号の船体温度は太陽の表面とおなじほどまでたかまっている。
轟っ……。
船内のスピーカーがせまってくる太陽フレアを感知して轟音をひびかせた。ミリィはあわててコースを変えた。これ以上船体にダメージをあたえるわけにはいかない。
そのときミリィは三次元レーダーを見落としていた。もし目をやっていたら、未確認の宇宙船がじりじりと距離をつめていることに気付いたろう。
未確認の宇宙船はフライング・タイガー号だった。
タイガーはタイタンから逃げ出し、水星の内側の軌道に先回りしていた。太陽からの熱と光は、この時期太陽に最接近していたイカロス小惑星の影にかくれていたためダメージはなかった。
タイガーは先回りをして、ミリィの宇宙船を重力レールガンで狙っていた。もうレースのことはどうでもよかった。タイタンでフライング・タイガー号にしかけた武装をあばかれ、復讐心に燃えていた。
タイガーはミリィのユニコーン号を照準にとらえ引き金に指をかけていた。
にたり……、とタイガーは笑った。
「あぶない! にげろ!」
突然の通信にミリィはびくっとなった。映話システムを見ると、スクリーンにマローン少佐が映っている。
「少佐?」
「ミリィくん、タイガーがねらっているぞ!」
ミリィはその声に三次元レーダーに目をやった。
「タイガー?」
ミリィはレーダーの輝点を見てさけんだ。いつのまにか、タイガーの船が接近していることに気付く。フライング・タイガー号からエネルギーの放出がレーダーに反応して、そのエネルギーはまっすぐミリィのユニコーン号に接近していた。
ユニコーン号とフライング・タイガー号のあいだには百万キロほどの距離がある。光速でやく三光秒弱である。フライング・タイガー号からのエネルギー放射は亜光速でせまってくるためぎりぎりで避けられる。
ざーっ、とミリィのコックピットの外部センサがノイズに視界不良となった。フライング・タイガー号からの高エネルギー放射がかすめたのだ。
びりびりとユニコーン号はタイガーからの攻撃でふるえた。光速にちかい速度で殺到する放射により、局所的な引力の傾斜が生じたのだ。
「マローン、生きてやがったか?」
映話からタイガーの怒鳴り声が聞こえてきた。
「こんなことがあるかもしれないと思って、金星基地にきていたんだ。タイガー、あきらめろ。おまえの船は包囲されているぞ」
「なにい!」
スクリーンのむこうでタイガーはあわてた。きょろきょろと左右を見回している。その視線がレーダーにいく。あっ、とタイガーの顔色がかわる。
ミリィもレーダーを見た。
タイガーの船をとりまくように無数の輝点が見える。警察の宇宙艇であることをしめすコール・サインを発信している。
「ちくしょうっ!」
映話スクリーンのなか、タイガーは歯噛みをした。レーダーのなかのタイガーの船をしめす輝点が急角度で動く。包囲網を脱出するつもりだ。警察の宇宙艇はそうはさせじとじりじりと距離をつめていく。彼我の距離は十万キロあまり。その距離がいっきにちぢまっていく。警察の宇宙艇からタイガーの宇宙船にむけ、タイト・ビームが放射された。タイガーの宇宙船は警察の宇宙艇のタイト・ビームにとらえられがっちりと空間で動けなくなってしまった。
「少佐、ありがとうございます!」
ミリィが礼を言うと、スクリーンのマローンはうなずいた。
「タイガーが逃げたと聞いて、予感がしたがよかったよ。それじゃきみはレースを続けたまえ。わたしはタイガーを地球へ護送することにする。なにしろ太陽にこれだけ近付いては、きみたちの船のような装備をしていないからもたない」
そう言うと、マローンは警察の宇宙船を指揮して遠ざかった。
ミリィはほっとしてまたレースにもどるべく、コースをとった。
すでに太陽面は半分をすぎ、あとは地球へ向けてまっしぐら。勝利は目前だ。
「暑いよーっ」
ヘロヘロは悲鳴をあげた。
パックの宇宙船の船内はサウナのようになっている。あらゆるものが高熱をはなち、パックとヘロヘロは操縦席でぐったりとなっていた。パックはというと、上半身はだかでパンツひとつになりタオルを頭にねじり鉢巻きにしてぱたぱたと団扇をせわしなく動かしていた。全身からたらたらと汗がふきだし、床には水溜まりをつくっていた。
「がまんしろよ、死ぬことはないんだから」
「こんなことならくるんじゃなかった……」
ヘロヘロはぼやいた。
パックはレーダーを見てつぶやいた。
「ありゃ、こんなところにミリィの船がいるぜ」
「へ?」
ヘロヘロとパックはレーダーの画面に顔をよせた。
レーダーの画面には無数の輝点がちらばっている。その距離は数万キロにおよんでいるが、宇宙空間では指呼の距離といっていい。そのなかでミリィの宇宙船をしめす輝点がパックの宇宙船のすぐそばに浮かんでいる。
「どういうことだ。ミリィの船は先頭を飛行していたはずだぜ」
パックは首をひねった。ヘロヘロは口をはさんだ。
「事故でもあったのかな?」
「わかんねえ。ちょっと声をかけてみっか」
パックはそう言うと映話システムのスイッチを入れた。
「ミリィ、おい聞こえているかい? こんなとこでなにしてんだ」
スクリーンがあかるくなってミリィの顔がうかびあがった。気のせいか、彼女の表情はぼうっ、となってパックの言葉も聞こえていないようだった。うすく目を開けたミリィはパックの顔をみとめたのか、ちょっとほほえんだ。が、かくんと首がかたむきスクリーンの視界から消えた。
「いけねえ! 気を失ってら」
パックはわめいた。
ユニコーン号の船内は高熱であぶられていた。
タイガーの攻撃はしのいだが、そのさいユニコーン号の排熱システムが故障したらしかった。ほんらいユニコーン号は船体にくわえられた熱を宇宙空間に排出するための放熱フィンが装備されている。このフィンは熱を直接マイクロ波に変換して宇宙空間に放出するためであったが、その排熱システムがうまくはたらくなってしまったのだ。
ミリィは操縦席にぐったりと横たわっていた。船内温度は危険なほど上昇している。ずるりとミリィのからだが操縦席からずり落ち、床に頭をぶつけた。
その痛みでミリィは目を開いた。
このままでは熱で死んでしまう。なんとかしなくては……。
ミリィはふらりと立ち上がると、食料供給ユニットの操作盤に手をついた。操作盤もまた熱くなっている。ミリィは氷水をプログラムした。せめて冷たい水だけでも飲みたかった。食料供給ユニットはちゃんと動いた。氷をうかべたグラスがユニットの出口にあらわれる。
そこまででミリィの意識はつきた。
グラスに手をのばしたとき視界がぐらりとゆれ、ミリィはふたたびずるずると床にすわりこんでしまった。
ふたたび意識をとりもどしたときだれかがわめいていた。
だれだろう?
「おいミリィ! しっかりしろ」
ああ、パックだ。
ミリィはぼんやりと映話ユニットのスクリーンを見た。
パックがスクリーンのむこうから怒鳴っている。
そういえばじぶんはなにをしようとしていたのだっけ?
氷!
そうだ、氷をうかべたつめたい水を飲もうとしていたのだった。冷たい水を飲めば、頭もしっかりするだろう。
ミリィは食料供給ユニットのほうを見た。
グラスがある。ミリィはそのグラスを手に取った。
なぜかグラスのなかの水はぐらぐらと煮え立っている。
ミリィは首をかしげた。
「ミリィ! 聞こえるか? なんかいえよ」
あいかわらずスクリーンのむこうではパックがわめいている。
うるさいなあ……。ミリィはぼんやりとスクリーンを見た。こんなに暑くては、ものも考えられない。
ミリィはまた気を失った。
ふたたび意識をとりもどしたとき、パックの顔がミリィの視界いっぱいにあった。パックの背後にはユニコーン号のコックピットの天井が見える。
つまりミリィは床にあおむけに倒れ、パックがうえからのぞいているのだ。
「パック?」
ミリィはつぶやいた。
「どうして、あんたここにいるの?」
「そういう挨拶はないだろう? 助けにきてやったってのに」
そう言ってパックはにやっと笑った。
「助けにきた?」
ミリィは鸚鵡返しをした。ゆっくりと身を起こす。
ひやっ、と冷風がミリィのほほをなでた。涼しい風がふいている。船内のエアコンが正常に動いているのだ。
「さすがにユニコーン号の温度調節システムは優秀だなあ。あっというまに温度がさがったぜ」
「どうしたの?」
「おれの船を、きみの船のしたにもぐりこませたんだ。それでおれの船の影にきみの船がはいって、船内の熱を放熱できたってわけだ。おれは船の船外エア・ロックをのばしてドッキングしたんだ」
「そうだったの……」
ミリィはコックピットの全景モニタを見回した。ユニコーン号の真下に、パックの宇宙船がもぐっている。パックの宇宙船はユニコーン号と比べ面積がおおきいため、ユニコーン号はその影に完全にはいっている。そのため太陽からの直射をさけることになり、船内に蓄えられた熱を排熱できたのだ。ごうごうとユニコーン号の排熱システムが、ここぞとばかりにたまった熱を排出するため全力で作動している。
「あんたの忠告を聞いていればよかったわ……こんなことになるなんて」
「どうしたんだ、ずいぶんがっくりきてるみたいだな」
「もう、レースはおしまいね。こんなに差が開いていちゃ……」
ミリィは三次元レーダーを見て叫んだ。
「パック、もうレースだとかそういうことは言っていられないわ!」
「どうしたんだよ」
「見てよ、これを……」
ミリィはふるえる指先でレーダーの画面を指し示す。それを見たパックもあっ、と口を開いたままこおりついた。
「なんてこった! このままじゃ、太陽に墜落しちまう!」
パックとミリィの宇宙船をしめす輝点はじりじりと太陽面に近付きつつあった。コンピューターが予想針路をディスプレイすると、あと数時間で太陽に危険なほど接近する、とでた。危険なほどとは、太陽の重力にとらえられ脱出できないということである。
「ああ! もうだめだわ……このまま太陽につっこんで、あたしたち燃えてしまうのよ! パック、ごめん。あたしを助けにきてくれたのに、あんたまで一緒に死なせることになるなんて!」
ミリィは後悔に両手で顔をおおった。肩がふるえて嗚咽がもれた。
「なに言ってんだ! あきらめるなんて、ミリィらしくないぜ」
「でもしかたないでしょ。どう考えたって、脱出は不可能よ! ユニコーン号の推力じゃ太陽の引力をふりきれないわ」
「いや、まて。なにか手があるはずだ……」
パックはがりがりと頭をかいた。
「たしかにユニコーン号のエンジン出力じゃ、ここまで接近してたら脱出は無理だ。といっておれの船もおなじようなものだし……」
そこまでつぶやいてパックははっと目を見開いた。ミリィを振り返り叫ぶ。
「ミリィ! この船の航法システムはどうなってたっけ?」
「どういうこと?」
「ひとつ思いついたことがある。うまくいくかわからないけど……」
パックはミリィの耳にくちをよせ、じぶんの思い付きをはなしてみた。ミリィの両目がおおきく見開かれた。ぽかん、と口をあけパックの顔を見る。
「そんなこと……うまくいくと思ってるの?」
「うまくいくと思うんだがなあ」
パックはにっこりと笑った。
「ともかく、やってみようぜ!」
ミリィはこっくりとうなずいた。
「そうね、だめでもともとだし……」
「よし、おれは船外にでる! ミリィはここで航法システムを立ち上げてくれ」
そう言うとパックはエア・ロックから宇宙服をひっさらいいそいで身につけ始めた。
宇宙服のなかにも環境解析装置は組み込まれている。
というより、もともとこの環境解析装置は、宇宙服に取り付けられたものが最初で宇宙船にはあとから機能として組み込まれたものだ。
なぜなら真空の宇宙空間において聞こえる音は、せいぜい宇宙服を着用した人間自身の鼓動とか、息遣いのみである。その音のない真空の宇宙空間で作業するうえで、まわりの物音がまったくしないというのはきわめて危険な状態になることがままありうる。
たとえば宇宙空間で宇宙ステーションを組み立てている現場を想像してほしい。そのなかで金属製の梁などが放置され、作業している宇宙服の作業員に近付いたとする。物音がなにかしていれば気配などでふりむくこともありうるが無音のままではまったく気付くことはないだろう。この気配を再現するために環境解析効果音システムは考案された。
いまパックは宇宙服を着込み、どうどうと轟きわたる轟音にたえていた。轟音は宇宙船のまわりを飛びかう荷電粒子や、高速プラズマが荒れ狂っているさまを宇宙服に装備された環境解析装置が効果音としてヘルメットのスピーカーに流しているのである。太陽面にこれだけ近付いて船外作業をしているのだからあたりまえで、これが二十世紀の旧式な宇宙服だったらあっというまに宇宙線が宇宙服をつらぬいてなかの人間を灼き殺していたところである。
「パック、だいじょうぶ?」
ヘルメットにミリィの心配そうな声がひびく。
「だいじょうぶだ。それよりそっちのシステムはどうだい? うまくこっちの船と同調できるか」
「むずかしいわね。あなたの船の航法システムの主コンピューターのプログラム言語がふるすぎてこっちのコンピューターで翻訳してるとこよ」
「ふるくて悪かったな……」
肩をすくめパックはじぶんの船の外側をそろそろと移動していた。船の天井は人工重力が発生しているため動くのには不自由がない。パックはじぶんの船とミリィのユニコーン号を接続するため作業していた。二隻の船がドッキングしたままメイン・ブースターを噴射すれば推力は二倍になる計算だ。ヘロヘロにも手伝わせたいところだが、あいにくヘロヘロは太陽からの荷電粒子などの電子的なダメージにはひとたまりもなく、船外活動が不可能である。パックひとりでやるしかないのだ。
なんとかひとりでパックは二隻の宇宙船を接続する工作をおえ、エア・ロックを通ってユニコーン号へもどった。
エア・ロック内でパックは宇宙服を脱ぐと、ブーツに汗がたまってがぼがぼと音をたてている。
「ふうーっ、一生分の汗かいたみたいだ!」
コックピットにはいるとミリィとヘロヘロがコンソールに額をよせあっていた。なにか深刻そうなようすである。
「どうしたんだ、ふたりとも」
パックが声をかけるとヘロヘロが顔をあげた。
「パック、だめだよ。パックの船のコンピューターと、ミリィの船のコンピューターとで共通のプログラム言語がなりたたないんだ」
「どういうことだ」
「パックの船の航法コンピューター、ふるすぎるってことさ。ユニコーン号のコンピューターがうけつけないんだ。このままじゃ、二隻をドッキングしたままブースターを噴射すると、同期がうまくいかなくてあさっての方向へ飛んでいってしまうよ」
「なんとかならないのか?」
ミリィは首をふった。
「ふたつの航法システムをつなぐコンピューターがなくてはだめね。もうひとつ上の階層をつくって、二隻をオーバードライブできれば……。でもそんなコンピューターはここにはないし……」
「あるさ!」
え? とミリィとヘロヘロはパックを見た。
「それならうってつけのシステムがある!」
にやりとパックは笑った。その視線がヘロヘロにむかっている。
「な、なんだい?」
ヘロヘロはなぜだかいやな予感がして問い返した。パックはじーっ、とヘロヘロの顔を見つめている。
「え? ぼく?」
「そうさ、ヘロヘロ。おまえのちからを借りたいんだ」
たじたじとヘロヘロは後退さった。パックの目は不気味なひかりをおびている。
「な、なんだよう。おい、その目はやめろって!」
「ヘロヘロ、おまえの足を制御する回路、そのまま船のブースターの制御につかえるんだよ。なあ、ちょっとでいいからおまえのちからを貸してくれよ」
「ええっ?」
ヘロヘロはパックの手によって両足はばらばらにされてしまった。まんまるの顔だけがユニコーン号の操縦席におかれている。ヘロヘロの両足があった穴からは無数のコードがのびて、コンソールにつながれていた。ヘロヘロの手足を制御する回路が、パックの船とユニコーン号のブースターを同時に制御する。
「なーんでぼくがこんなめにあわなきゃならないんだい!」
ヘロヘロはふくれた。
「まあそういうなよ。どうだ、足の感覚はあるか? ちょっと動かしてみ」
「ちょっとまって」
ヘロヘロはうん、とちからをいれた。
轟っ……、と二隻のブースターが同時に点火する。
「わあっ!」
「きゃっ!」
だしぬけの加速でパックとミリィは床にころがった。
「いてて……おい、もうすこしやんわりできないのか」
「無理いうない! こんなからだにして。だいたいパックはいつもいつも勝手なんだから……このレースだってぼくはいやだいやだと言ってきたのに……」
ぶつくさ文句を言うヘロヘロの頭をぽん、とたたくとパックは操縦席に座った。
「さあ行くぜ! ミリィ」
「なによ、この船はあたしの船なのに……」
そう言ってミリィはパックのとなりに席をとった。
「ブースターの半分はおれの船だぜ」
パックはそう言うとヘロヘロに声をかけた。
「ヘロヘロ、全速力だ! おもいきり、いけ!」
「よしきた!」
ヘロヘロに接続された航法システムにより二隻の宇宙船はドッキングしたまま、最大推力でもって発進した。強烈な加速が、パックとミリィのふたりを座席におしつける。二隻の船は太陽の引力をふりほどいて脱出に成功したのである。
レーダーを見つめていたミリィは歓喜の表情になった。
「パック、うまくいったわ! あたしたち、脱出できたのよ!」
「わ、わかってる……」
座席におしつけられたパックは強烈な加速度に身じろぎもできない。それでもなんとかミリィの言葉にうなずいて見せた。
「あとは地球へ帰るだけだな……」
ミリィもうなずいた。
11
洛陽宇宙港にもうけられたレース会場には人々が群れていた。
それはレースの勝者をまちうける報道陣、それに見物客である。
歴史上はじめての宇宙船によるレースという大舞台であるため、人々の興味をいっぱいにひきつけていたからでもある。いくつもの3Dカメラはレンズのターレットをぐるぐる旋回させ、あらわれてくる宇宙船を最初にとらえようと天空を睨んでいる。記者席では、さまざまな報道機関の記者、解説者がこのレースの意義について語り合っていた。
この日、洛陽シティの上空はすっきりと晴れ渡り、一点の雲もなかった。宇宙港のはるかかなたにはシティの全容がそびえたち、会場上空は幾隻もの飛行船がゆったりと回遊してレースの最終ゴールをしめすホログラフィを空中に描いている。
と、宇宙港の管制官のひとりがふいに立ち上がった。
ひとびとのざわめきがぴたりと止んだ。
管制官はヘッドフォンを耳におしあて、すばやくマイクにむかって何事か囁いた。なんどか相手の言葉にうなずいている。
管制官のすぐちかくにはあの遠山がいた。
かれは顔いっぱいに心配そうな表情をうかべている。
管制官はその遠山に気付いたようだった。ヘッドフォンをはなし、ふたこと、みこと口を開いた。
ぱあっ、と遠山の愁眉が開いた。
いならぶ人々にむかって口を開く。
「みなさん、レースの勝利者がもうじきやってきます!」
そう言うと遠山は天空の一点をあおいだ。
人々もかれにならい、上空をいっせいに見上げる。
セルリアン・ブルーの蒼穹に、ひとつぽつんと煌めきが出現した。
それは空中に飛行機雲をたなびかせ、ぐんぐんと宇宙港へ接近してくる。
轟々と大気が震えはじめた。ようやくその接近してくる宇宙船から衝撃波が地上へたっしたのだ。カメラの砲列はいっせいにその宇宙船にむけてレンズをむける。
会場にもうけられた巨大なモニターにその接近してくる宇宙船が映像としてとらえられた。
おーっ、という歓声が会場をつつんだ。
やってきたのはミリィのユニコーン号だった。
「なんだ、あれは……」
遠山は不審の表情になった。
それというのもユニコーン号のしたにはもう一隻の宇宙船が、まるでぶらさがっているように繋がっていたからである。
二隻の宇宙船はひとつになったまま地上へと接近してくる。
したにぶらさがった宇宙船の斥力プレートが輝き、そのままの姿勢で着陸態勢にはいっていく。
二隻はそのまま飛行船が空中に描いたゴールのホログラフィをくぐりぬけた。
わあわあという歓声が宇宙港をつつんだ。
ついに二隻は地上へ着陸した。
「お嬢様!」
遠山は小走りにユニコーン号へ駆け寄り、見上げた。
二隻の宇宙船はドッキングしたまま地上に身を横たえている。宇宙港の管制塔からは着陸した宇宙船のブースターをひやすため、冷却液を満載した車両がわらわらと集まってきていた。いっせいに車両からは冷却液が宇宙船の放熱フィンに放水される。もうもうとしろい蒸気があたりをつつんだ。
ぱくり、とユニコーン号のエア・ロックが開いた。
まぶしさに目を細め、ミリィが姿をあらわした。あたりを見回している。
「ミリィお嬢様!」
遠山は叫んだ。
ミリィは地上を見下ろし遠山をみとめた。
「遠山!」
満面の笑みをうかべ、ミリィはぱっと空中に身を踊らせた。わっ、と遠山は驚き反射的に両手をひろげた。その腕のなかにミリィは飛び込む。遠山はミリィをかかえてあおむけに倒れてしまった。
「お嬢様! あ、あぶないじゃないですか……?」
遠山はぽかんと口を開けた。ミリィは晴れ晴れとした笑顔でいる。こんなミリィを見るのははじめてのことだ。
「お……嬢様……?」
えへへ……、とミリィは笑い声をあげた。そのとき、ミリィは十八才の少女そのものだった。
「ただいま、遠山。あたし、帰ってきたよ」
その声を聞いて、遠山は胸がいっぱいになった。
「お帰りなさいませ。ミリィさま」
うん、とミリィはうなずいた。
立ち上がり、ユニコーン号を見上げる。
真っ青な空に、ユニコーン号は白銀の船殻を輝かせている。エア・ロックからはパックが顔をのぞかせていた。ミリィは手をふって叫んだ。
「パック、ありがとうっ!」
パックは手をふりうなずいた。
そのころようやく報道陣が殺到してきた。記者がミリィをとりまき、口々にレースの勝利の感想をもとめる。ミリィはあっというまに人混みにのみこまれてしまった。
「やれやれ、なんとかおわったな……」
パックは満足そうだった。
「おーい。パック」
船内からヘロヘロの声がした。ふりむくとヘロヘロは操縦席でからだじゅうにコードを繋がれっぱなしでふくれている。
「いったいいつになったらもとにもどしてくれるんだ?」
「わるい。忘れてた!」
パックは頭をかいた。ヘロヘロはへっ、とうすく笑った。
ともかくレースはおわったのである。
表彰式がはじまった。
洛陽宇宙港にしつらえた表彰会場では参加したパイロット、関係者、報道陣らが勢揃いしていた。表彰台にはミリィがいた。そしてその両隣にパックとヘロヘロがいた。
「おれ、ほんとにここにいていいのか?」
パックはすっかりあがっていた。ミリィはそんなパックを見てにっこりと笑った。
「だいじょうぶよ。もっと背をのばして堂々としてなさい」
「うーむ……」
ミリィの提案で表彰台にはパックとヘロヘロも一緒に登ることになったのである。ヘロヘロの足は元どおりになっていた。表彰にはマローン少佐が授与をおこなっていた。
「おめでとう、ミリィくん。それにパックくん。ヘロヘロくんも」
マローンにそう言われパックは顔を赤くした。
わぁっという喚声があがり、どっとばかりに拍手がわく。カメラマンたちはジャイロシステムを内蔵した手持ちカメラをもって表彰台に登っている三人を撮影する。パックはかちんかちんにしゃっちこばっていた。
ミリィはそんなパックの肩をつつきじぶんにふりむかせる。
「え?」
ぽかんとした顔つきのパックのほほにミリィはすばやくキスをした。
それを見たヘロヘロはうへっ、となった。
「おーやおや……これでどうやらめでたし、めだたしってことか……」
ふとそれでも不安そうな顔つきになる。
「でも、ほんとうにこれでおわりなんだろうな?」
そうではなかったのである。報道記者のひとりがこんな質問をした。
「ミリィさん、これでレースは終了ですか?」
「いいえ」
ミリィはかぶりをふる。
「来年、またやります!」
おーっ、と声援がわいた。パックはミリィを見つめた。足元のヘロヘロを見る。ヘロヘロはそんなパックを見て「え?」といった顔になった。
なんとパックはまた目をきらきらとさせている。
「おい、パック……まさか?」
うん、とパックはうなずいた。
「ヘロヘロ、おれはやるぜ!」
あーあ、とヘロヘロはため息をついた。あんな目にあって、パックはまったく懲りていないのだ。ともかく今回のレースは有終の美をかざった。
おわりよければすべてよし。なべてこの世はこともなし、であった。
終わり
いかがでしたか?
ちょっと懐かしめのSFの味を出してみたかったのですが、楽しんでいただけたでしょうか?
ぜひ感想など、お願いします!