宇宙へ!
いよいよパックは自分の手で作り上げた宇宙船でレースに参加する。
最初の目的地は火星である。
パックは無事、到着できるのだろうか?
4
出場権をかちとったパックはじぶんの宇宙船を洛陽宇宙港へ運んだ。といっても運送の手間はすべてペガサス社がやってくれて、かれはなにひとつ働くことはなかった。
「なんだか、いたれりつくせりじゃないか」
ヘロヘロは洛陽宇宙港にあつまった、レースに出場する宇宙船のむれを眺めてつぶやいた。まったくそのとおりで、宇宙船の搬入から燃料の供給まで、ペガサス社のサービス態勢は万全の準備をしていた。
「レースを成功させるため必死なんだろう。パイロットからペガサス社が不公平なことをしていると言わせないためなんだろうな」
時刻は夕方ちかくで、夕陽が洛陽シティの市街構造体に没しかけている。オレンジ色の夕陽にてらされ、洛陽宇宙港の離着陸床に屹立した宇宙船の外板は金色のひかりをはなっている。
パックとヘロヘロのふたりはあすにせまった出発にそなえ、コックピットで最後の点検をいそいでいた。
「あ、パック。そろそろ時間だぜ」
ヘロヘロに言われ、うなずいたパックはコンソールの映話装置のスイッチを入れた。
ニュースのテロップがながれ、タイトルがうかんだ。
”太陽系宇宙レース特番
ペガサス社代表に聞く”
と、あった。
派手なファンファーレとともに、ミリィが記者会見式場へ姿をあらわす。
「おい、あれがあのミリィかい?」
ヘロヘロが叫んだ。
この日のミリィはいつものスポーティな格好ではなく、たかく結いあげた髪の毛に入念な化粧をしている。あしもとまでかくれるドレスはスタジオの照明にあたるときらきらと輝いている。
「なんだか目一杯おしゃれしているなあ」
パックはにやにやしながらこたえた。
ふたりが映話装置のスクリーンに注目しているうち、記者会見がはじまった。ミリィは記者の質問にこたえながらこのレースのコースを説明している。
そのうち、ひとりの記者が手をあげ発言をもとめた。
ミリィに指名され、記者はたちあがった。
「どうも、洛陽新報の高木といいます。このレースについて、すこし疑問があるのですが……」
「どのようなことです」
ミリィはすましてこたえる。
高木と名乗った記者はあみだにかぶったソフト帽をちょっとさわると、手にもったメモに目をやりながら質問を開始した。
「このレースには太陽系の有力な宇宙船メーカーのほとんどが参加しているのですが、そのなかでクロノス社についてちょっとよからぬ噂を聞きました」
「噂?」
「はあ、おたくとクロノス社のあいだでレースの結果についてなんらかの賭けをしているというものです。このことについてなにかひとこと」
高木の爆弾発言で会場は騒然となった。
「賭けとはどういうことです?」
「ミリィさん、なにかひとこと」
「クロノス社のシルバーとはどういうご関係ですか?」
フラッシュがたかれ、マイクが何本もミリィの目の前につきだされる。
ミリィの顔色がじょじょに紅潮してきた。
「あんたたち……」
いきなりミリィは会見会場の目の前におかれたテーブルに駈けあがると、そのまま洛陽新報の高木へむけてつかみかかった。
「あたしがどんな思いでこのレースを準備したかわかってるの? この、この!」
ミリィは高木の首をしめあげた。高木は目を白黒させてあえいだ。
”しばらくおまちください”
テロップがながれ、カメラは報道スタジオにもどされた。スタジオでこの様子を見守っていたキャスターはひきつった表情になっていた。
「ええ……、会場でたしょう混乱が生じたようです。ではおしらせを……」
あわただしくそう言うと、CMがはじまった。
「やっぱり変わっちゃいなかったな」
パックは大笑いしていた。前代未聞の珍事である。
日が落ち、夜になって洛陽宇宙港はひえこんできた。月はなく、夜空には無数の星々が燦然ときらめいている。パックは夜になってもまだ宇宙船の整備をつづけていた。
「パック、いつまでつづけるつもりだい」
手伝いを無理矢理やらされているヘロヘロは不平の声をあげた。パックはその声も聞こえない様子で、一心不乱に宇宙船の着陸ギアの調整をつづけている。
「ちゃんとやっとかないと、命にかかわるからな。宇宙に飛び出したはいいが、そのまま帰ってこれなくなったらこまるだろ」
「そんな可能性があるのかい」
ヘロヘロはぎょっとなった。
「まさか。だから、ちゃんとやっとこうと言っているんだ」
「あーあ、これだからなあ。ねえ、本気で優勝をねらっているんか、もしかして」
「おい、文句を言うひまがあったらちゃんと仕事しろよ!」
「へいへい……」
と、足音にヘロヘロは顔をあげた。
「おい、パック……」
「なんだよ」
「ちょっと……」
「だからなんだって!」
怒鳴ろうとしたパックはぎくりとなった。
いつのまにかミリィが立っている。彼女の背後に宇宙港を照らすライトが逆光となっていてその表情は見えない。
「やあ、なんだい」
パックは立ち上がり、オイルに汚れた手をウェスでふきながら口を開いた。
「ちょっと、あんたの宇宙船を見学しようと思ってね。なにしろこの船がここに搬入されてからずっと気になっていたものだから」
パックは顔をほころばせた。
「へえ、そりゃ光栄だ。どうだい、格好いいだろう? こう見えても、こいつの性能は最新式のものにひけはとらないぜ」
「誤解しないで。あたしが言いたいのは、こんながらくたがちゃんと飛ぶなんて思えないということなの! このレースにはわがペガサス社の社運がかかっているんだから、あんたみたいなおっちょこちょいにしゃしゃりでてほしくないのよ」
「な、な、な……なにい!」
パックは真っ赤になった。そんなパックをヘロヘロははらはらしながら見上げている。
「なんでマローン少佐はあんたの宇宙船の出場権をとれるよう力を貸したのかしらね。すくなくとも、この宇宙船を直接見れば、とてもレースに参加させる気にはなれないはずよ」
怒りをパックは必死になっておさえていた。拳をにぎりしめ、ぶるぶると全身がふるえている。
「ねえ、相談なんだけどあんたこのレースを辞退してくれないかしら。あたしはこのレースに死亡事故なんかで汚点を残したくはないのよ。あたしの提案をのんでくれれば、それなりの報酬をはらう用意はあるわ。あんたのあのみじめな整備工場を、ちゃんとした最新式のものにするくらいは払えると思うの」
ぱあん、という音が響いた。
「パック!」
ヘロヘロは叫んだ。
ミリィは頬をおさえている。信じられない、という驚愕の表情がうかぶ。そろそろとその手がさがった。おさえられた頬に、パックの手形があかく浮き上がった。
「あ、お、おれ……」
あわてたのはパックだった。おもわずミリィの頬を平手で打ってしまったのである。怒りにまかせたといえ、じぶんのしでかしたことにうろたえていた。
ミリィはパックをじっと見つめている。唇がこまかくふるえ、目がまっかだ。と、そのおおきな両目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれおちた。
「ご、ごめんよ。おれ……ほんとにごめん」
必死になってパックはミリィに一歩近付いた。
「近付かないで!」
ミリィは叫んだ。じりじりと後退ると、ぱっと身を翻して駆け出す。あとにはぼうぜんとなったパックとヘロヘロが残された。
「パック、どうすんだよ。あんなことして」
「知らねえよ、思わずやっちまったんだ」
はあーっ、とため息をついてパックはすわりこんだ。
「ああっ、どうしよう。あいつはペガサス社の社長だぜ。あんなことして、絶対出場権を取り消されるよ」
パックは頭を抱えた。
洛陽宇宙港にミリィの泣き声が響いている。
わあわあと大声で泣きながら、ミリィは歩いている。あたりの人目もかまわず、ミリィは泣いた。
「お嬢様!」
そのミリィの様子に驚いて遠山が飛び出してきた。
「ど、どうなさったのです? なにかあったのですか」
ミリィは遠山を見た。きょとんとして、まるで少女のような表情になっている。が、すぐに顔がくしゃくしゃになると、また大声をあげて泣きだした。
「お嬢様……!」
「こないでよお……」
ミリィは遠山を振り払って走りだした。遠山はとほうにくれていた。こんなミリィは初めて見る。
「そうだ、こんなときはあの人に……」
あわてて遠山はふところから携帯映話器をとりだした。
「ミリィくん。どうしたんだ」
わあわあと泣き続けて歩いていたミリィを呼び止めたのはマローン少佐だった。ミリィはマローンのすがたを認めると足をとめた。無表情なマローンの顔がいまは有り難かった。いかにも同情されているような表情は、いまのミリィにとって辛いだけだった。
「マローンさん……」
「遠山さんから連絡があってね、さがしていたんだ」
ミリィはしゃくりあげた。
「まあ、わたしの船へいこう」
マローンはミリィをうながした。ミリィは従順にマローンにしたがった。
少佐の宇宙船はシリウス号といい、ペガサス社のものである。ミリィのユニコーン号にくらべ、一世代は前の設計だが、マローン少佐はそれにじぶんなりに改造をくわえていた。
ペガサス社独特の、すべての機関、航法装置を船殻にうめこむ方式をとっているので、船内はこのクラスの船にしてはひろびろとしている。船室はマローンの趣味で、ややクラシックな趣に統一されていた。床材はこまかな組み木となっていて、壁もまた黒光りする木材になっている。ちょっと見ただけでは、これが宇宙船の内部とは思えないくらいで、どちらかというとふるい帆船の内部といった趣だ。
「こんな身体になって、いまは普通の人間の食事はとれないが、嗜好品だけは味わえるのだよ。コーヒーはどうかな」
「いただきます」
鼻をすんすんいわせながら、ミリィはこたえた。
「砂糖はいくつかな。ふたつ、みっつ?」
「みっつを……」
シリウス号の船室に、香ばしいコーヒーの薫りがただよった。
「ミルクはいれるかね」
ミリィがうなずき、マローンはコーヒーにミルクを垂らした。トレイに乗せてミリィの目の前にはこぶ。
「まあ、飲んでみたまえ。これでもコーヒーを煎れるのは自身があるんだ」
ミリィは言われるままマローンの煎れたコーヒーを口にふくんだ。熱い液体が喉をとおり、胃に落ち着くとミリィの気持ちもおさまってきた。マローンが言ったとおり、そのコーヒーは旨かった。口に含むとコーヒーの薫りが馥郁とひろがり、その苦さのなかにほのかに甘味を感じる。
ミリィの前にデスクをはさんですわったマローンはパイプをとりだし、煙草の葉をつめはじめた。火皿にパイプ用のライターで火をつけ、口にはさむ。
しばらく無言の時間が船室をみたした。ミリィはゆっくりとコーヒーを飲み、マローンは黙って口に啣えたパイプを吸い付け、煙をはきだした。
一杯のコーヒーを飲みおわり、ミリィはほっとため息をついた。
「で、どうなんだね」
マローンに尋ねられ、ミリィは頬をあかくした。その唇がふるえている。
マローンは待った。
「あたし、あんなことされたの初めてです」
「ふむ。だれにも初めてということはある」
マローンの眉がうごいた。
「あたし殴られたんです。このあたしが!」
ミリィは堰を切ったように話しだした。パックに叩かれたいきさつをすっかりぶちまけたのである。マローンはミリィの話の途中、注意深く質問をはさみこんだ。ようやくすべてを話しおわったミリィは肩で息をしている。激情が彼女の身体を震わせた。
「それで全部かね?」
マローンに言われ、ミリィは顔をあげた。
「え?」
「パックくんがきみを殴ったのはわかった。でも、どうしてそんなことをパックくんはしたのかな」
「そんな……、マローンさんはあいつの味方をするんですか」
「味方だの、敵だのとそういうことじゃないよ。なぜ、あのパックくんがきみに手をあげたのかな、と思ってね。きみがそうしむけたのじゃないのかな」
ミリィは顔をふせた。図星だったからである。
ぽつりぽつりとミリィは話しだした。パックに言った言葉をすべて話した。こんどはマローン少佐は黙ってミリィの話に耳をかたむけた。
「なるほど、それでいまはどう思うかな」
「どう思うって……?」
「ミリィくん、きみはパックくんに言ったことを後悔しているんじゃないかな」
言われてつとミリィは胸をつかれた。
そうだ、たしかに彼女は後悔していた。なんであんなことを言ったのだろう。ミリィの顔色をよんだマローンは身を乗り出した。
「どうだい、パックくんと仲直りをしてみないか」
「仲直り……」
ミリィはつぶやいた。
「パック、ご飯が炊けたよ」
ヘロヘロは宇宙船のコックピットを見上げてさけんだ。おう、という声が聞こえてパックが昇降口からどたどたと降りてくる。朝になってヘロヘロは宇宙港の離着陸床にじかに七輪をおいて、金網をひいて魚を焼いていた。もうもうと煙が上がり、ヘロヘロは顔をしかめながら団扇でばたばたと煙をあおいでいた。
「なにを焼いているんだ」
「鰯だよ」
「なんだよこれ、消し炭みたいになってるじゃないか」
パックはあきれた。金網に乗った鰯はまっくろになっていた。
「ぜいたく言うなよ。金がないから、こんなのしか手に入らなかったんだ」
「しょうがねえなあ」
パックは宇宙船のなかから卓袱台をかかえて地面においた。ヘロヘロは焼いた鰯を皿において飯を茶わんによそった。ふたりは宇宙船のしたで朝食をはじめた。
「いい天気だなあ」
飯をかきこみながらヘロヘロはパックに話しかけた。しかしパックは沈んだ顔でいる。しかも手元の茶わんのご飯に手をつけていない。
「パック、どうしたんだ。食欲がないのかい」
「え、ああ。そうか」
パックはヘロヘロの言葉にわれにかえるともそもそと飯を口に運びはじめた。
「パック、どうしたんだよ。食べたくないのか。それともなんか心配があるのか」
「いや、なんでもない」
「昨日のことを気にしているのかい?」
かちゃりとパックは茶わんと箸をおいた。どうやら図星だったようだ。
「なあ、ヘロヘロ。おれ、あんなことしてもうレースに出られないだろうなあ」
「んー、どうかなあ」
ヘロヘロは口篭もった。本音を言うとレースなんか出場したくはないのである。だがそんなことを言うと、パックは怒りだすだろう。と、ヘロヘロは目を見開いた。パックの背後を見つめている。パックはヘロヘロの視線に気付いて背後を振り返った。
「……!」
パックは目を丸くした。
なんとミリィが立っていた。となりにはマローン少佐がいる。
「やあ」
パックはどう言っていいかわからず、まぬけな声をあげた。
「おはよう」
おずおずとミリィは口を開いた。
「ああ、おはよう……」
ミリィの意図がわからず、パックはあいまいな返事をした。
「どうしたんだ、出場権の取り消しでも告げにきたのかい?」
パックの言葉にミリィは顔をあかくした。
「そんなんじゃ、ないわ」
ミリィはなぜかもじもじしている。マローンがミリィの肩に手を置いた。ミリィはマローンの顔を見上げた。マローンはうなずいた。
「あの、あたし。あんたに謝ろうとおもって……」
「え?」
「あたし、わるかったと思ってる。あんなこと言って……。あんたが怒るのも無理はないわ」
「……」
パックは立ち上がった。
マローンが口を開いた。
「パックくん、ミリィくんと仲直りしてやってくれないか」
「マローンさん……」
「ミリィくんは後悔しているそうだ。どうだい、ここで握手して仲直りしては?」
「じゃあ、おれレースに出場できるんですね?」
「そのとおりだ。ミリィくんと仲直りするかね」
「もちろん!」
パックははればれとした笑顔になった。ミリィに向き合い、右手をのばす。
「ミリィ……って、呼んでいいかな?」
「いいわ。あたしも、あんたをパックと呼ぶわ」
「よし、ミリィ。仲直りだ」
ミリィの右手がのばされ、パックの右手をつかんだ。ふたりはマローンの目の前で握手をかわした。
「これがおまえの趣味なのか」
宇宙港でシルバーはにがにがしげに宇宙船を見上げた。そばにはタイガーがいる。
「ああ、いいだろう」
タイガーは胸をはった。かれの目の前の宇宙船はクロームイエローと黒の縞模様に塗装されている。
「おれさまの名前がタイガーだからな、虎の模様を塗ったんだ。黒の塗装部分は熱の超導体にしているから、排熱対策もばっちりだ」
「なんという下品さだ。船名はつけたのか」
「フライング・タイガー号だ」
おう、とシルバーはうめいた。まるでチンドン屋である。クロノス社の技術陣が叡知を結集した最新の宇宙船がこのありさまである。たしかに宇宙軍への納入がなくなって、こういった機会にしか使えないのであるが、ほんらいならこのようなレースに参加させるべき機体ではないのだ。
「かならず優勝するのだろうな。おまえにこの機体を提供するからには、かならずミリィのユニコーン号に勝ってくれないとこまるぞ」
「あんな小娘!」
馬鹿にしたようにタイガーは鼻を鳴らした。
「おれのライバルはマローンだ」
「マローン? ああ、伝説の人物だな。宇宙軍の英雄というやつだ」
「そうさ、数度の深宇宙探査でおどろくべき成果をもちかえり、三十年前の恒星間戦争では帝国銀星章をうけている。お偉いやつさ」
タイガーはマローンの賛美をしているように見えて、そのくちぶりはいかにも苦々しげだった。その目はくらい情熱を燃やしていた。そんなタイガーを見てシルバーは口をひらいた。
「どうした、なんだかマローン少佐に恨みをもっているようだが……」
「あんたには関係ねえ! これは、おれとやつとの問題だ」
タイガーはひくくうなった。かれはマローンのことを考えただけで怒りがこみあげてくるようだった。そんなタイガーをシルバーは不安そうにみつめた。タイガーが提案したフライング・タイガー号の装備について、シルバーは喉元までこみあげてくるおそれを感じていた。シルバーはタイガーのこのみで虎の縞模様に塗装されたフライング・タイガー号を見上げた。宇宙船は朝の日差しにまがまがしいシルエットを見せている。
5
洛陽宇宙港にはシティのあらゆる報道メディアがつめかけ、3Dイメージカメラの砲列が離着陸床に蝟集する無数の宇宙船にむけられていた。この日のためにあつまった宇宙船のほとんどはペガサスか、クロノスの個人用宇宙ヨットでしめられている。この二社の宇宙船は、太陽系のほとんどの需要をまかなっていたのであるから、これは当然といえる。ペガサス社の宇宙船はどちらかというと優美なシルエットをもち、クロノス社のそれはややずんぐりとして見える。
そのなかでカメラが集中的に狙っていたのはミリィのユニコーン号と、マローン少佐のシリウス号であった。
下馬評によれば、この二機が今回のレースの話題をさらうかっこうになっていた。ミリィのユニコーン号は、彼女がこのレースの企画者であり、しかもスポンサーであることと、まだ十八才の美少女であるということで、マローン少佐のほうはかれが宇宙冒険物語の伝説的な英雄であるということ、経験豊富なパイロットであるということで優勝候補とみなされていたからである。
ふたりが洛陽宇宙港をあるくと、ぞろぞろと報道陣がまとわりついていた。
「すごいねえ、ミリィちゃん。まるでスターだぜ」
ヘロヘロはパックの宇宙船のコックピットから宇宙港の離着陸床を見下ろして叫んだ。両目を望遠側に調節しているため、ふたつの目は顔からとびだしてまるで出目金のような顔になっている。
「そんなことはいいから、航路の数値を入力しておいてくれよ。ヘロヘロ」
ちぇ、とヘロヘロは舌打ちをするとコンソールにむきなおった。両腕をめまぐるしく動かして、コンソールのキーボードを叩く。
「手をつかって数値入力をやるとは思わなかったよ」
ヘロヘロはぶつぶついいながら、レースの航路を入力した。なにしろ航路計算のためのプログラムはヘロヘロの頭のなかにあるのだから、その結果を入力するのはヘロヘロしかいないのである。
最初のレースはこの洛陽宇宙港から出発して、火星のシチルス・シティの宇宙港へ達するコースをとる。この時期、地球と火星は合の位置にあり、最接近していた。平均的な出力のエンジンを搭載した宇宙船なら一週間の距離だ。
ただしそれは経済的な放物線軌道をとった場合のことである。今回はレースということもあり、コースは最短距離をとることになる。予想される行程は三日である。
ヘロヘロがひっしになって航路を入力しているあいだ、レースの開催は迫っていた。
ぼつぼつ出場を申請したパイロットは自分の機体に乗り込み、エンジンに点火をしはじめている。ひゅうーん……という甲高いエンジンの始動音があちこちから聞こえはじめ、機体がこまかく振動しはじめる。
斥力プレートが青白くかがやきはじめ、反重力効果によって上昇気流が発生し、かげろうがたちのぼった。
「おい、いそげ!」
パックはヘロヘロを急かせた。ヘロヘロは黄色い顔にあぶらあせをうかせて夢中になって航路を入力している。パックはヘロヘロの入力をまたずにエンジンの始動スイッチをいれた。
けけけけけ……!
けけけけけけけ……!
けけけけけけけけけ……ぷすん。
パックは始動キーを何度もひねったが、エンジンは後部で奇妙な音をたてるだけでいっこうに点火しない。
「入力おわりぃ!」
ようやくヘロヘロはすべての数値を入力しおわり、ほっとして叫んだ。ふと見ると、パックはコンソールで始動キーと格闘している。
「パック……?」
「くそお!」
ばん、とコンソールをひとつ叩くと、パックは操縦席から安全索をひきはがして立ち上がった。工具箱をひっつかむと、だだだっと後部機関室へ駆け込んだ。
「ヘロヘロ! おれがいいと言ったら、始動キーをいれろ!」
パックの声がしたから聞こえてきた。
「えー?」
パックは機関室に駆け込むと、巨大な旧式のエンジンのしたにもぐりこんだ。カバーをひっぱがし複雑なパイプ類をむきだしにする。そのからみあったパイプのなかに手をさしのべ、パックは調整をはじめた。
「パック! レースがはじまっちゃうよ!」
心配になったヘロヘロはたまらず機関室のパックの傍へやってきた。
「ひっこんでろ! おまえはおれの合図でキーをいれるんだ」
パックにどなられ、ヘロヘロは後ろ髪をひかれる思いで操縦席へもどった。はらはらしながら機関室をふりむいている。
「全機、発進せよ!」
その指令がすべての出場宇宙船のコンソールに発せられ、洛陽宇宙港の宇宙船はいっせいに飛び上がった。
轟っ、という音とともに数十の宇宙船がブースターを噴射させる。爆音がびりびりとあたりの空気をふるわせた。
そのなかでミリィのユニコーン号、マローンのシリウス号、そしてタイガーのフライング・タイガー号がすばやく飛び出していく。みるみる高度をあげ、宇宙船のむれはたちまち成層圏を飛び出していく。
どおおおおん……という衝撃波がおくれてやってきた。カメラの砲列はその宇宙船の群れを追っていった。あっという間に宇宙船はちいさくなり、視界から消えた。あとには水蒸気がしろい煙の塔のように残った。
「ああ、行ってしまわれた……」
ミリィの宇宙船の出発を見送った遠山はつぶやいた。うすい髪の毛を気圧の変化により殺到した強風が乱していく。
くくくくく……!
ふと奇妙な音に遠山はふりかえった。
「!」
遠山の太い黒縁眼鏡のおくの両目が見開かれる。
なんと、この期におよんでまだ出発していない宇宙船がある!
パックの宇宙船だった。
宇宙港の離着陸床にどっかりとすわりこんだパックの宇宙船はさきほどから奇妙なエンジン始動音をたててびくともしない。
くっ、けけけけ……けけ……ぐるるるるるん……すぱん!
宇宙船は絞め殺されるような音をたて、身震いしている。しかしふつりあいに巨大なブースターに点火するようすは微塵もない。
遠山はひきよせられるようにふらふらとパックの宇宙船にちかづいた。
耳をちかづけるとパックの声が外殻を通して聞こえてくる。
「ちきしょう、動け! このやろう!」
エンジンにもぐりこんだパックは汗みずくになっていた。必死になってあちらの弁をひらき、こちらのパイプを締め付ける。両手は汗と、機械油でぬるぬるしている。
「パック……、もうあきらめたほうがいいよ」
操縦席でヘロヘロはふてくされていた。その声を耳にしてパックはかあーっとなった。
「えいくそ! このくされエンジン!」
パックはたちあがると、旧式のエンジンをおもいきりけりあげた。
ぐわあんん!
パックの爪先がエンジンの外板をけりあげる。
「くうーーーっ!」
けりあげた痛みに、パックは爪先をかかえてぴょんぴょんと飛びはねた。その痛みでさらに怒りがわきあがったパックは真っ赤になって無茶苦茶にエンジンに八つ当りした。
「なんでだ、なんで動かない! えい、動け、このやろう!」
がんがんがん、と響いてくる音に遠山は耳をぴたりと宇宙船の外殻におしあてた。
「なにやっとるんだ、このパイロットは……?」
ふとその音がぱたりと途絶えた。
「?」
ひゅうーん……。
ふいにおきた甲高いエンジンの始動音に遠山はあわてた。
「わ、わ、わ!」
あたふたと宇宙船から逃げていく。宇宙船が始動するならぐずぐずできない。
ぼおーーーん!
猛烈な黒煙がパックの宇宙船のブースターから噴出した。その黒煙に遠山のひょろながい身体が見えなくなる。ついでそのブースターからオレンジ色のほのおがのぞく。
どどどどどどどどど……!
パックの宇宙船はようやく地上から離れはじめた。機首はふらふらしているが、確実に上昇していく。ブースターからは噴射剤の水蒸気が猛烈にふきだしている。パックの宇宙船は離昇していった!
あとにのこったブースターの噴射煙のなかで、ごほごほという咳き込む声がした。
遠山だった。
「なんたることだ……」
遠山の全身はまっくろに煤けていた。もともと上等でないスーツは、宇宙船がのこした黒煙でまっくろになっている。遠山は顔にかけていた眼鏡をはずし、ポケットからとりだしたハンカチで神経質に拭きはじめる。その顔は、眼鏡のあとがしろくのこり、ほかはまっくろになっている。うすい髪の毛はべったりと顔にかかっていた。
「これで全機ぶじに出発したというわけか」
ふいの声に遠山は全身を緊張させた。
シルバーだった。
かれはにやにやと笑いながら、遠山のみじめな格好を見つめている。遠山はそう背が低いほうではないが、それでもシルバーはあたまひとつ高い。
「シルバーさん。あなたもお見送りですか」
「まあな、おれもこのレースに宇宙船を出場させているからな」
「なにかご用ですか?」
遠山は上目遣いになって口をひらいた。シルバーは苦笑いした。
「まあそう、警戒することもないじゃないか。おれは、いつかきみとじっくり話し合いをしたいとおもってきたんだ。どうかな、こんど一席設けないかね?」
「なんのお話です」
遠山はきょろきょろとあたりを見回しながら、そっと囁いた。シルバーのくちもとにじんわりと笑みがうかんできた。こいつめ、保身にはしっておれのさそいに乗ろうとしているな……。
「おたがい、得になることだ。なあ、遠山くん。おれはきみの手腕をかっているんだよ。あの小娘を社長にいただいて、ペガサスが業績をあげておるのは、きみが筆頭重役としてうまくやっているからだと睨んでおるんだ。きみのような有能な人間はペガサス社にはもったいない。なあ、うちにこないか。おれはきみのような部下がほしいんだ」
「ひきぬきのお話ですか?」
遠山の目はきょときょとしていた。
ちっ、とシルバーは胸のうちで舌打ちをした。こいつはたしかに有能ではあるが小心でありすぎる。しかしこいつの頭のなかにはいっぱいにペガサス社の機密がつまっているにちがいない。なんとかして、こいつを味方につける必要があった。
「そうびくびくすることもないさ。ここは宇宙港だ。聞き耳をたてるやつはどこにもいない。おれはきみがうちにきてくれれば、クロノス社の株式を格安できみにゆずってもいいと思っておるのだ」
「そ、それは贈賄ですぞ!」
「おれときみのあいだだけの了解ってやつさ。そう神経質になることはない」
遠山の顔は蒼白になっていた。こめかみから汗がふきだし、わくわくと顎がふるえている。
「わ、わかりました。あとでご連絡をいたします」
シルバーの顔に会心の笑みがうかんだ。やった、落ちたぞ!
「うむ。待っているよ」
じゃ、と手をあげシルバーは歩み去った。
そのシルバーを、遠山は恐怖の表情で見送っていた。
「ヘロヘロ、そっちのスイッチをたおせ! そっちじゃない、右だよ!」
「ど、どっちのスイッチ?」
「ほら、その青いやつだ! たおせったら!」
がくんがくんとゆれるコックピットのなかで、ヘロヘロは操縦席にしがみついて必死にパックに言われたスイッチをさがした。ゆれる視界のなかで、そのスイッチが目の前にとびこんでくる。無我夢中でヘロヘロはそのスイッチをいれた。
とたんにあたりがしずかになり、宇宙船は安定した。それまでは宇宙船は上下左右にはねまわり、ヘロヘロは生きたここちもしなかった。ふう、とヘロヘロは顔にうかんだ汗を拭った。
「いったいどうしたんだい、あれは? やたら宇宙船はあっちこっちにはねまわっていたけど」
「噴射安定装置のスイッチがはいってなかったんだ」
パックもためいきをついてつぶやいた。えーっ、とヘロヘロはパックを見た。
「なんでそんな大事なスイッチをいれわすれていたんだ! 死ぬかと思ったぞ」
「いいじゃねえか、ついうっかりしてたんだ」
「うっかりじゃないよ……」
はあ、とヘロヘロは操縦席にへたりこんだ。最初がこれではさきが思いやられる。
ふと見ると、パックは満面の笑みをうかべ操縦席にむかっている。
「たのしそうだね、パック」
「ああ? うん、そうだな。なんしろ、ちゃんと宇宙へむかっているんだからな」
「宇宙へむかわない可能性もあったのかい?」
ヘロヘロはいまさらながらに恐怖の声をあげた。
へへへ……、とパックは笑った。
「なんしろ、手作りだからなあ。ちょっぴり不安はあったさ。でもなんとか出発できてよかったよ」
「信じられないよ」
ヘロヘロは首をふった。
操縦席の前面は窓になっている。その窓越しに、外は暗くなってくる。濃いマリンブルーからインディゴに。そして真っ黒になって、星が輝きだした。パックはコンソールの計器をよんであーあ、とのびをした。
「自動操縦にきりかえだ。おい、ヘロヘロ。らくにしていいぞ」
「とてもそんな気になれないよ」
「なにくよくよ気に病んでいるんだよ。無事、出発できたんだぞ」
「ぼくは無事、地球へもどってきたいよ」
ちぇ、とパックは舌打ちした。
ぐうーっ、とパックの腹がなる。
「そういや、腹が減ったなあ。おい、めしにしようぜ」
「ああ……」
ふたりは操縦席からはなれ、後部の船倉へむかった。
船倉の扉をいっぱいにひらいたパックは目をまるくした。
「おい、ヘロヘロ。食料はどこだ?」
「え、それはパックが運びこんだんじゃないのか」
「なにい?」
パックとヘロヘロは顔を見合わせた。
「積込みをわすれたんだ!」
同時にさけぶ。
へたへたとパックは床にすわりこんだ。
「どうすんだよ、火星までめしぬきだぞ」
「そんなあ……」
ヘロヘロも泣き声をあげた。
ぬけるように青い空。そしてぽっかりとうかぶ白い雲。海原にはまんまんと水がたたえられ、海風にしろい波がちらほらと見えている。
火星の植民計画がはじまって数世紀がすぎ、いまや火星の表面はすっかり地球とおなじものとなっていた。火星表面の酸化鉄から遊離酸素を放出する藻類が遺伝子改造でうみだされ、長期の地球化計画のもと、火星の植民計画はおしすすめられた。すでに火星の大気は地球の五千メートルほどの高度の大気圧くらいはあり、宇宙服なしに人間が戸外で活動できるようになっている。
ここシチルス・シティは火星の植民都市のなかでもっとも歴史がふるく、また人口もおおい。火星の玄関口とも言えるこの都市では、ほとんどの建物の内部は一気圧に与圧され地球からの来客に対応したものとなっている。
「こうしてみると、地球とまったくかわりないわね」
シチルス宇宙港のロビーにあるレストランで、ミリィは窓際に席をとって外をながめながら口を開いた。彼女の目の前にはマローン少佐がすわっている。窓のそとには宇宙港の離着陸床がひろがり、レースの出場宇宙船がぞろりと整列している。宇宙港は火星にあらたに生まれたシチルス海につきだすように建設され、すぐそばは海となっている。
「こうなるまで三百年かかったよ」
ふふふ……、とミリィが笑う。問い掛けるようなマローンにミリィはこたえる。
「だってマローンさん。じぶんがこの景色をつくりだしたような言い方ですもん」
「いや、ある意味それはただしい。わたしはこの火星の地球化計画に初期のころからかかわっているからね」
「ええっ、じゃマローンさん。いったいいくつになるんですか」
「三百才にあとすこしだ。わたしは若い頃にサイボーグとなっていてね。慎重に手入れをすれば、そのくらい生き延びられる。しかしサイボーグとなってからは人間的なよろこびのおおくは失ってしまった」
「最新のサイボーグ手術をうければいいじゃないですか。そうすれば外見はもとより感覚もおなじものが……」
「わたしはこのサイボーグ体に愛着があるのさ。なんしろ三百年もわたしを生かしてくれた身体だ。いまさら変わろうとは思わないよ」
そうつぶやくとマローンはパイプをとりだし、煙草の葉をつめはじめた。
「この火星も変わったものだ」
そう言うとマローンはパイプに火を点けた。ひといき吸い付けるとあまいパイプ煙草の煙があたりにただよう。
と、アンドロイドのウェイトレスが近付いてきた。
「あのお客さま。ここは禁煙となっております」
ぶぜんとなってマローンはパイプをふところにしまった。
「ほんとうに火星は変わったよ!」
ミリィは笑っていいものか、同情していいものか困ってしまい話題をかえた。
「そういえば、マローンさんがちからをかしたパックの船はまだ到着していないわ」
「うん、どうしたのかな」
「どうしてマローンさんはあのパックに肩入れをするんですか」
「ああ、かれはわたしの若い頃を思い出させるんだよ。わたしも若い頃、どうしても宇宙へ出たいと思って、手製で宇宙船を組み上げたんだ」
「そんなことがあったんですか」
ミリィはふたたび宇宙港に視線を漂わせた。と、その両目がおおきく見開かれる。
「あ、あれ!」
指差す方向をマローンが見ると、宇宙港の上空にきらりとひかるものがある。
「宇宙船だな……あれは……」
パックの宇宙船だった。
不恰好なごつごつとしたデザインの宇宙船がもうれつな勢いで宇宙港に降下してくる。宇宙船はあわや墜落という急角度で着陸すると、ぱくんとエア・ロックが開く。
「パックくんだな」
マローンの言葉通り、エア・ロックからパックとヘロヘロのふたりがころげるように地面に降り立った。ふらふらとしながら宇宙港の建物へ近付いてくる。火星表面の重力は地球の二分の一であり、ふたりは一歩あるくたびにふわふわとはねるように走った。
「どうしたのかしら、ふらふらしているじゃない……」
ふたりのすがたはミリィの視界から消えた。
ふりむくとふたりはエレベーターで昇ってくるところだった。
自動ドアが開き、ふたりはふらふらになってロビーにはいってきた。
「どうしたの、ふたりとも」
ミリィが声をかけると、パックはがくりと膝をおった。
「腹が減った……なにか食わしてくれ!」
「三日も食べてなかったですってえ!」
ふらふらになっているふたりを自分のテーブルへつれていき、つぎからつぎへ出される食事をたいらげているパックにむかってミリィはあきれた声をだした。
「ん……ひょひゅりょうほ、ふみほむのほはふへは!」
食料を積み込むのをわすれた、と言いたいらしい。パックはくちいっぱいに食物をつめこんでいるからこうなる。会話もそこそこにパックとヘロヘロは目の前にだされた食事をあとからあとから口におしこんでいる。そんなふたりを見てマローンはウェイトレスを手招きした。やってきたアンドロイドのウェイトレスにマローンは小声で囁いた。
「とにかく、このふたりがいいというまで食事をだしてやってくれ。なに、品目はなんでもいいから……」
ウェイトレスは心得顔になってうなずいた。
それからが見物だった。
どんどんとはこばれてくる食事を、ふたりはわきめもふらずに食べ続けた。
ミリィはそんなふたりの食欲に唖然となっている。
「まったく……よく食べ続けられるわねえ!」
ミリィがあきれるのも道理で、すでにふたりの平らげた量は、ものすごいものになっていた。
そのころになるとロビーにいたほかの客も、このふたりの食欲に気が付いていた。ひとり、ふたりとミリィのテーブルに集まってパックとヘロヘロの饗宴に見入っている。
からになった皿や、丼がうずたかく積まれ、あとからあとから食事が運ばれた。
「ごちそうさま……」
ようやく満足した顔になって、パックは箸をおいた。ぱちぱちぱちとまわりに集まった見物客から拍手がまきおこる。パックはそれに気付いて照れた。
「よく食べたわねえ」
ミリィの言葉にパックは頭をかいた。
「まあね……ヘロヘロも……!」
隣に座っているヘロヘロを見やったパックはぎょっとなった。
「おい、どうしたヘロヘロ」
ヘロヘロはぐったりとなっている。顔色がいつものクリーム色からしろくなってヘロヘロの身体は風船のようにふくれあがっていた。
「うう、お腹が痛いよお……」
「しっかりしろよ。馬鹿だなあ」
パックがヘロヘロを抱えあげるとずっしりと重い。ヘロヘロはげふっ、とため息をついた。パックはやれやれとばかりに頭をふり、つぶやいた。
「こいつ、食い過ぎてやがる……」
ヘロヘロは宇宙港の医務室へ運びこまれた。ベッドでうんうんうなっているヘロヘロを診察したロボット医は首をふった。
「いったい、どのくらい食べたんです」
パックからヘロヘロが口にした量を聞いて、医者は呆れてしまった。
「そりゃ無茶ですよ。たしかにこのロボットには食べたものをエネルギーに変換する変換炉がありますが、それにも限度がある。あまりに詰め込めば、当然処理しきれなくなるのはあたりまえです。人間で言うと消化不良ですな」
ぶつぶついいながらロボット医はヘロヘロの口をおおきく開けさせ、なかになにかの薬を飲ませた。
「消化薬のようなものです」
薬をごくん、と飲み込んだヘロヘロは目をきょろきょろさせていた。 と、ヘロヘロはげふーっ、とげっぷをはいた。
風船の空気がぬけるようにヘロヘロの身体がもとに戻って、ヘロヘロはすっきりとした顔色になった。まわりを見回して、ヘロヘロはてへへとてれ笑いをした。
「あー、すっきりした!」
ぷっ、とミリィがふきだした。けけけ……とパックが笑い声をあげる。マローンも顔をほころばせている。
「とにかく、食べすぎにはご注意を」
ロボット医はまじめくさってつけくわえた。
火星の大気は地球とおなじ酸素濃度になっているとしても、その大気圧はひくい。ちょうど五千メートルの高度とおなじほどの大気圧になっている。したがって地球からここにきた人間は、高山病に注意する必要がある。気圧もそうだが、気温もひくい。赤道上の年間平均気温は摂氏三度をわずかにうわまわるくらいだ。
シチルス・シティの宇宙港に集まっているレース出場宇宙船のなかを、ミリィはゆっくりと歩いていた。その口元から息がしろくもれている。彼女は感慨にふけっていた。このレースのアイディアがうかんだのが半年前のことで、それからというもの彼女は秘密裏にこのレースの実現のために奔走してきたのである。
ミリィはじぶんのユニコーン号の前で立ち止まった。
この宇宙船はそれじたい信じられないほどの資産価値がある。内部に使われている貴金属もそうだが、この船を建造するためにペガサス社の技術陣はありとあらゆる最新のテクノロジーをそそぎこんでいた。ミリィはそっとユニコーン号の船殻に手をそえた。船殻はひんやりとして、そのなかに詰め込まれている精緻な機関を彼女は感じていた。
「いい船だねえ。うらやましいや」
はっとミリィは声の方向を見た。
そこにはタイガーが立っている。かれは腕組みをして、口のはしに笑いを張りつかせていた。タイガーはゆっくりとミリィに近付いた。ミリィはそっと身をひいた。
「そう警戒しなくてもいいじゃねえか。おたがいレースのパイロット同士ってことで仲良くしようぜ」
のしかかるようにしてタイガーはミリィのそばの船殻に手をついた。ミリィが身をさけようとするともう片方の手をついて、ちょうど彼女を腕でかこむような格好にする。
「なんの用なの」
ミリィはタイガーを見上げた。唇をきゅっとかたくひきしめ、眉をよせる。
「それそれ、その目がいいねえ」
タイガーは目尻をさげた。ミリィの鼻に、タイガーの口許から漂う酒のにおいがつきささる。彼女は顔をそむけた。
「あんた、酔っているでしょ。臭いわ」
「なにちょっぴりひっかけただけさ。ここは気圧がひくいから、ちょっと飲んだだけですぐまわっちまう。酒飲みはきらいかい?」
「あんたが嫌いなの! もういいでしょ、あたしいかなくちゃ」
身を翻し、そこを去ろうとしたミリィの片腕をタイガーはつかんだ。
「なにするの! 放しなさい」
「いいじゃねえか、仲良くしようぜ」
タイガーはつかんだ腕にちからをいれた。引き寄せられたミリィは悲鳴をあげた。
「なにしてんだ!」
鋭い声にタイガーが顔をあげると、そこにいたのはパックとヘロヘロだった。タイガーはじろりとふたりをにらんだ。
「ひっこんでな、小僧。おれの用がすんだら相手してやるよ」
「たすけて、パック!」
ミリィはタイガーから逃れようと身を捩る。パックは決意の表情をうかべた。
ひょい、ととなりのヘロヘロをかかえるとタイガーめがけて走りだす。
「お?」
タイガーは思わず手のちからをゆるめた。その瞬間、ミリィはその手をふりほどいて逃げ出した。
「あ、待て」
ミリィをふたたびつかまえようとしたタイガーにパックは腕にかかえていたヘロヘロを投げ付けた。
「わあ!」
ふいに顔にむけて投げ付けられたヘロヘロにタイガーはうろたえた。それが二本足の奇妙なかたちのロボットだと知って、タイガーは怒りの表情をうかべた。
「野郎!」
太い腕をのばし、ヘロヘロの顔をしめつけた。
「ぐえええ!」
ヘロヘロはタイガーの腕にしめつけられ、目をしろくろさせる。
「死ね、こいつめ……」
タイガーは物凄い笑みを浮かべ、腕にちからをこめる。ヘロヘロの顔色が見る見る変わっていく。その両目がかんぜんに白目になった。ぶくぶくとくちのはしから、泡がふきだしてくる。
「タイガー、手を離しなさい! 死んでしまうわ」
ミリィはさけんだ。そのミリィを、パックはそっと止めた。
「だいじょうぶ。いまに見てな」
「え?」
ミリィはパックの顔を見つめた。パックはなぜか自信満々でいる。
タイガーにしめつけられているヘロヘロはぶるぶると震えていた。と、頭のてっぺんについているアンテナの先端がちかちかと瞬きはじめた。タイガーはそれを見て、ふと不安げな表情になった。
「ぐああああっ!」
こんど悲鳴をあげたのはタイガーだった。
腕のちからがぬけ、ぽとりとヘロヘロをとりおとす。
ふらり、と足下がもつれ、タイガーはどた、と仰向けにたおれた。完全に気絶して、白目をむいている。
「ど、どうしたの?」
「ヘロヘロの自己防衛システムが働いたんだ。非常のばあい、身体の表面に電流が発生する。まさかほんとうに役に立つとは思わなかったけどね。タイガーは瞬間的に十万ボルトの電流にふれて、気絶したってわけさ」
「まあ……」
ミリィは言葉もなかった。
ユニコーン号にかけこんだミリィはそのすぐあとに船の映話装置でシルバーに連絡をとった。超空間通信装置は、光の速度で三分かかる地球と火星の距離を一瞬でつなぎ、かつての時差を解消している。
「シルバー、すぐタイガーをこのレースからはずしなさい」
「おやおや、いったいどうしたというんですかな?」
映話スクリーンのむこうで、シルバーはあきれていた。
「いま何時だと思っているんです」
そう言うと、シルバーはわざとらしくあくびをもらした。今日のシルバーはいつものダブルのスーツではなく、チェックの柄のパジャマを着て、頭にはナイトキャップをかぶっている。いま洛陽シティは夜中の午前二時だった。
「あいつ、あたしに乱暴をしたのよ! 色気違いだわ。あんなやつを、レーサーとして認めることはできないわ!」
「ふむ、そうですか」
シルバーは眉をひそめた。
「それはすまんことをしました。あとでタイガーにはわたしからよく言っておきますから、勘弁してもらえませんかな。あいつはわがクロノスのエース・パイロットでね」
「なに言っているの! あいつは犯罪人よ。タイガーの罷免を要求するわ」
「なるほど。ミリィさんの言いたいことはわかりました。しかしタイガーをやめさせることはできませんな。だいいち、そんなことをすれば困るのはミリィさんですぞ」
「なんですって……?」
「よろしいか、あの賭けをわすれたわけではありますまい」
「もちろんよ。このレースで勝ったほうはペガサス社の株を取得するという……」
「そこです。もし、いま、タイガーをこのレースからはずすというなら、あの賭けの内容をわたしは報道機関にながす。あの会話のすべては記録していますから、証拠がないなどとは言わせませんぞ!」
「あたしを脅迫するの?」
「なんと言おうとよろしい。もしタイガーをこのレースからはずすようなことがあればわたしはあの会話のすべてをあかるみにだします。世間はなんと言うでしょうかな。ミリィさんはこのレースに勝つためにわざとタイガーをこのレースから追い出した。そう噂するでしょうな。そうなったらペガサス社のイメージは地に落ちるでしょうな」
「なんて卑怯なの……!」
ミリィは怒りに歯を食いしばった。
「おわかりかな。タイガーをこのレースから外すわけにはいかないということが。あいつのことはわたしからよく注意しておきましょう。今後、二度とこのようなことがないよう、厳重に言っておきます。それでいいですな」
「わかったわ……」
ミリィは歯のあいだからおしだすように答えた。くやしさがその表情にあらわれて、目には涙がたまっている。
映話装置を切り、ミリィはがっくりと首をたれた。
ぐっと顔をあげ決意の表情をうかべる。
なんとしてもこのレースには勝利してやる!
ユニコーン号からでてきたミリィを、パックは待っていた。
「どうした」
ミリィの顔をひとめみてパックは声をかけた。
「なんでもない。心配しないで」
ミリィはかぶりをふった。微笑がうかぶ。
「これからレースはアステロイド・ベルトよ。あんたこそだいじょうぶ?」
「もちろんだ。最初はでおくれたけど、これでまきかえしてやるさ」
ミリィがいがいに元気なのにほっとして、パックは胸をはってこたえた。