パック
もうひとりの主人公、パックの登場!
ミリィの計画した太陽系一周レースのことを耳にしたパックはなんとか自分も参加しようとするが……。
2
洛陽シティは銀河帝国最大の都市であり、太陽系の中心である。人口は数億にのぼり、地下数キロから成層圏までたっする巨大な複合構造体がまるで山脈のようにそびえたっている。
が、そんなきらびやかな印象とはべつにシティにも低所得者がすむ下町といっていい区画がある。ふるい建物が身を寄せ会うようにたちならび、巨大な山脈のようなシティの構造体を見上げる場所にあった。まるで無計画に立ち並んだビルはふかい谷間をかたちづくり、迷路のような露地はでたらめな方向に四通八通している。その一角に、ちいさな宇宙船の整備工場があった。
あちこちつぎはぎされたその工場は、いまにもたおれそうな風情でぜんたいにうっすらとほこりと錆で汚れ切っている。工場の建物には「パック宇宙船整備」と手描きの看板が墨痕もあざやかに掲げられていた。そんな一画にも朝日は平等にふりそそぐ。
この一帯は東南にそびえる細長いビルの影になり一日のほとんどの時間は日陰にあるが、朝早いこの時間のみわずかに朝日がさしこむのだ。ビルのすきまからなげかけられたほそい光束はまともに工場の建物を輝かせた。
工場の二階部分は住居になっており、ななめになった屋根は切り込みがいれられて窓ガラスになっている。その窓ガラスからなかを覗くとベッドがひとつ。そこにはひとりの少年がいびきをかいて寝ている。
RRRRR……。
少年のまくらもとには目覚ましがおかれ、するどい金属音をたて執拗に目をさまそうとしている。少年はうーん、とひとつうなると片手をのばして目覚ましをさぐった。指先が目覚ましにふれる。しかし目覚ましをとめるスイッチにはとどかない。少年はうん、と身体をのばし目覚ましをつかんだ。
どた、という鈍い音をたて少年はベッドからころげおちた。がちゃん、と目覚ましは床にころがった。ようやく音がとまる。
少年は床に毛布を身体にまきつけたまますやすやと寝息をたてている。いったいなにを夢見ているのか。
ほたほたほた……、というやわらかな足音がドアの方向から聞こえてくる。
きい……という音をたてドアが開いた。
すきまから黄色いまるい顔がのぞく。
クリーム色のまんまるな顔には巨大な両目がくっついている。そのしたには顔いっぱいにひろがった口がある。鼻や耳はない。顔の天辺にはほそいホイップ・アンテナがふらふらとゆれていて、その先端にはちいさな球体がくっついていた。その妙な顔からは二本の自在関節の両足がにょきりと生えていた。両足のさきには三本の指がついている。ロボットである。しかしロボットにしては奇妙なデザインである。
じつをいうとこのロボットはヘロヘロといって、この部屋のあるじの少年のつくったものだった。少年は工場の看板にあるようにパックといい、この下町で整備工場を経営している。
パックは工場をやっているうち手が足りなくなってロボットを自作することを思いついた。それでぽつぽつとロボットの部品を集めてこつこつ組み上げていたのだったが、手足を制御する回路の設計がどうしてもうまくいかなかった。ロボットの設計、組み立てには高度な専門的知識が必要なのだが、それに必要な記憶RNA投与をうけることが予算的にできなくてパックは独学でロボット工学をまなんでいた。そのため手足を制御する回路設計につい手を抜いてしまい、両方の制御信号をひとつにまとめてしまったのである。その結果、顔から二本の足兼用両手という構成になってしまったというわけである。
ヘロヘロは部屋のなかを覗いて渋い表情になった。ヘロヘロの顔はやわらかなポリマーでできていて、表情をかなり豊富につけることができる。もともとヘロヘロは家庭用汎用ロボットであったため、人間とつきあうためさまざまな表情と人間並の感情をもっていた。
ぺたぺたぺたと顔とおなじようなやわらかな足裏で木製の床をあるき、ヘロヘロはベッドから転げ落ちているパックのそばに近寄った。
「まったく、また目覚ましを止めてるよ。これじゃ意味ないじゃないか」
ぶつぶつ言いながらヘロヘロはパックの身体にまきついている毛布のはしを片方の足指でつかんだ。
「起きろよパック! いつまで寝ているんだ?」
うん、とヘロヘロは勢いをつけてパックの毛布を引いた。まきついた毛布からパックの身体が転がり出る。ころころとパックは寝たまま床を転がった。まだ寝息はたてたままだ。
「まったく毎朝これだものな」
ヘロヘロはパックの片手をつかんだ。器用に片足で立ったままヘロヘロはパックの手をひっぱる。ようやくパックの上半身がおきあがった。背中側にまわるとヘロヘロはパックをむりやり立たせた。
パックはなんとか立ち上がった。ふらふらと上体がゆれている。ヘロヘロはパックの尻を蹴りあげた。パックはその勢いでぐらぐらしながらもゆっくりと部屋をでた。
「はやく目をさましてくれよなあ」
ヘロヘロはパックの手をひき、廊下を洗面所へ誘導していく。洗面所につくとヘロヘロはパックの背中をおして強引にそのなかに閉じこめた。ばたん、とドアを閉じると外から鍵をかけた。にたり、と不可解な笑みをうかべたヘロヘロは洗面所のスイッチをいれた。
じゃあーっ、という水音が聞こえ洗面所のなかからパックの悲鳴がひびいた。
洗面所のなかではパックが数十本のマジック・ハンドにがっちりと掴まれていた。天井からは身もこおるばかりの冷水がいきおいよく降り注いでいる。マジック・ハンドはパックの身体を掴んで、パジャマを脱がしはじめていた。パックは悲鳴をあげてそのマジック・ハンドからのがれようとしていたが、機械の手は容赦なくパックの着ているパジャマを脱がしている。
ついにパックは素裸にされて冷水をまんべんなく注がれている。ついで壁から石けんの泡がふきだし、マジック・ハンドにはブラシが持たれていた。ブラシは猛烈ないきおいでパックの身体をくまなくごしごしと洗い上げる。これはパックが発明した自動全身洗濯装置である。
プログラムはすすみ、今度は洗顔だ。ごしごしとパックの顔がみがかれ、ハンドはその口をむりやりこじ開けた。なかに歯ブラシがつっこまれ、歯磨きを開始する。うがいのための水が噴き出し、パックの全身はようやく磨きたてられた。
ぶおーっ、と音をたて熱風が洗面所のなかをあたためる。乾燥がはじまったのだ。パックの全身から水気がきられた。しかしこれでおわりではない。
ハンドの手には櫛と整髪料がある。パックの頭をつかむとハンドは髪の毛を梳りはじめた。さっさと器用な手つきでマジック・ハンドはパックの髪の毛を七、三に分けはじめた。
ようやくすべてがおわり、壁からはあたらしい下着とシャツ、ズボンが出てくる。マジック・ハンドはまたたくまにパックの身体に服を着せはじめた。
やっとおわった。
洗面所の鏡にはきちんとシャツのボタンを胸元までしめた少年がいた。
パックは鏡の自分を見て顔をしかめた。
きちんと分けられた髪の毛に指をつっこむとがしがしと分け目をほぐす。ようやくもとのざんばら髪になって満足した。目はすっかり覚めている。くびもとがきっちりしているのが気に食わなくてパックはシャツのボタンをゆるめた。
洗面所から出るとヘロヘロが待っていた。
「ヘロヘロ、いつも言うけどなんで水の温度設定あんなに冷たくするんだよ」
「だってそうしなくちゃ目が覚めないじゃないか。ぼくがどんなに苦労してパックの目を覚まさせてやっているか知らないのかい」
これにはパックはぐうの音もなかった。しょっぱい顔になってパックは首をすくめた。
ヘロヘロをしたがえ、パックは廊下を歩いていった。つきあたりが階段で、ぎしぎしと音をたててきしむ階段をおりていく。踊り場から工場の全景がまのあたりに広がる。
工場を見下ろし、パックのくちもとが自然にゆるんでくる。へへへ……、と自画自賛の笑みがこぼれた。
天井からの明かりとりの窓明かりに照らされ、スマートな船形の宇宙船がその姿をあらわしていた。最新鋭の宇宙船であることはすぐにわかる。船殻は肋材のないシェル構造で、まっしろな塗装をほどこされている。船首はするどくとがり、ふっくらとした胴回りにつながっていた。船腹からはみじかい大気圏飛行のための主翼がつきだし、垂直につきだした船尾の翼は放熱板になっている。全体にいかにも船脚がはやそうで、おそらくその目方とおなじプラチナとおなじ値段がするのではないかと思われた。それはちょっと船内に足を踏み入れてみればすぐわかった。船内は個人用宇宙船に似合わずきわめて広々としている。それは最新技術の重力制御装置や、核融合炉を船殻にうめこむ設計をされているためである。ふつう機関部は船体の四十パーセント以上の空間をとるのだが、この船にあってはわずか十パーセントしか必要としない。主要な機関は船殻のうすい部分にすべて押しこめられており、そのためゆったりとした船室を実現できたのだ。船室もまた贅をこらしたもので、ふんだんにつかわれた金、銀、プラチナなどの貴金属重合素材が目もくらむばかりの輝きをはなっている。重合金属は、金属原子を特殊な方法でポリマーにしたもので、ほんらい貴金属がもつ性質を変えている。たとえば融点だが、この貴金属重合金属のもつ融点は八千度以上にものぼり、ほとんど太陽表面の熱にもたえる。重合金属をつくる技術は高価で、ふつうもっとありふれた金属原子を重合させる場合に使われるが、この船ではわざわざ貴金属を使用しているのが贅沢のきわみである。船室にはそのほかに数か月分の食料供給装置があって、この供給装置からは古今東西あらゆる美食が自動調理されて出てくるようになっていた。こんな個人用宇宙ヨットはパックは見たことも聞いたこともなかった。まるで王族か、けたはずれの大金持ちのために設計された特別あつらえの宇宙ヨットである。
その宇宙ヨットが昨日、パックの工場に運びこまれたのである。
いきなり持ち込まれてパックは仰天したが、信じられないほどの高額な前払い金を支払われたのでなにも文句はなかった。持ち込んだ係員によると、ちかぢか長期の旅行を計画しているので点検整備をたのむ、ということだった。
前払い金ももちろんだったが、このような最新鋭の宇宙ヨットの点検整備を依頼されパックは有頂天になった。整備の仕事をはじめてから数か月、いままで手懸けた仕事といえば近所のこわれた炊飯器とか、洗濯艚の掃除とか宇宙船とはまるで関係のないものばかりだったので、初の宇宙船整備がまいこんでパックはこれでじぶんの腕の見せ所とはりきっていた。
「パック、なににやにやしてんだい」
ヘロヘロに声をかけられ、パックはわれにかえった。
「だってよう、こんなすげえ宇宙ヨットの整備がうちにきたんだぜ。すこしはおまえも嬉しがれよ」
ヘロヘロは首をふった。
「パック。これはきっとなにかの間違いだよ。こんなすごい宇宙船の整備をまかせるなんて、常識じゃ考えられないだろ。あとできっとあれは間違いでした、って映話がかかってきてもしらないぞ」
ヘロヘロのしごく真っ当な意見にパックは頬をふくらませた。
「なんだと、そんな馬鹿なことがあるかよ! きっとおれの腕のたしかさをどこかで聞き付けた金持ちが依頼してきたにちがいないさ! 見てろよ、こいつの船首から船尾まですみからすみまで点検整備をきちんとやって認めさせてやる!」
大声で叫び、パックは両手をふりまわしながら階段を降りはじめた。ヘロヘロはあっと口を開いた。
あぶない……! と言い掛けるのも間に合わず、パックは足を階段から踏み外し、どどどどど……と音をたてて転げ落ちた。
「パック、だいじょうぶか!」
ヘロヘロは叫んだ。
見ると階段を工場の床まで転げ落ちたパックは、大の字になってのびている。
と、その目がぱちりと開いた。
にやりと笑う。
よかった、命に別状はない。ヘロヘロはほっとなった。とんとんとん、と階段を駈けおりパックのそばに立つとくうー……、という音が聞こえてくる。
「パック?」
「腹が減った……」
ヘロヘロとパックは顔を見合わせ、笑いだした。
炊飯器からしろい蒸気が噴き出し、スイッチが保温になった。ヘロヘロが釜の蓋をひらくとほわんと炊きたての米の匂いがあたりにひろがる。杓文字をにぎってヘロヘロはパックと自分のどんぶりに飯をよそった。
朝食は炊きたての飯に若布と豆腐のおみおつけ。こんがりと焼け目がついた鮭の切り身に大根の浅漬け。それに昨夜の残りの昆布の煮付けなどである。
「いっただきまーす!」
ふたりは声をあわせて叫ぶと、箸を握って飯を食いはじめた。
人間のパックがこのような食事をするのはあたりまえだが、ヘロヘロもまたパックにまけずにしろい飯をくちに運んでいる。
もともと家庭用に設計されたヘロヘロの体内にはあらゆる物質を分解し、エネルギーにしてしまう物質変換炉が備えられている。そのためほんらいなら、そこらの石や砂を食べてもエネルギーに変換できるのだが、やっかいなことにヘロヘロの口の中には人間と同じ味覚感覚回路があるのだ。したがって食物の味も判別でき、土や泥を食べるのは相当に心理的抵抗を覚えるのである。
一杯、また一杯とふたりとも飯をおかわりしていく。炊飯器のなかみはたちまち残り少なくなっていった。
「おかわり!」
ふたりは同時に叫んだ。
どんぶりを卓袱台のうえにつきだしたふたりははっしと睨み合った。
「ぼくがさきだ!」
「おれだって!」
ヘロヘロとパックは言い合った。
むっ、とふたりのあいだに火花がちった。
わっとばかりにふたりはもつれあうようにして炊飯器に飛び付いた。ヘロヘロがさきに杓文字を手に取った。遮二無二釜のなかの白飯をじぶんのどんぶりによそう。しかしパックも負けてはいない。ヘロヘロのどんぶりを奪い取りなかみを口のなかに掻き込んだ。
「あっ、きたねえぞパック」
「ひゃひにふったひょうははちは!」
さきに食ったほうが勝ち、と言っているようだ。口のなかに白飯をいっぱいにしてもぐもぐして勝ち誇ったようににやりと笑った。
「かえせ!」
ヘロヘロはパックからじぶんのどんぶりを奪いかえそうとせまった。パックはどんぶりをかかえたまま走りだした。
ふたりは工場のなかを追いかけっこしはじめた。パックは追い付かれる前にすこしでも飯を掻き込もうと手掴みで食べている。
と、ふいに頭上から聞こえてきた金属音にふたりはたちどまった。
きーん……。
甲高い音が近付き、工場の窓ガラスがこまかく振動している。さっと明かりとりの窓に影が横切った。
「なんだろう……」
パックはつぶやいた。
音は頭上から工場の入り口あたりに移動している。
パックとヘロヘロは出入口に駆け寄った。
「あっ、あれ!」
ヘロヘロは片足をのばして空を指差した。
めずらしいほど晴れ上がった青空にぽつん、とひとつ飛行モービルが浮かんでいる。モービルには四基の斥力プレートが下向けについており、青白い光をはなっていた。
飛行モービルはゆっくりと下降しはじめてきた。どうやらパックの工場の前庭に着陸するつもりらしい。
モービルは真っ赤な塗装で、金色のほそいラインが横腹にひかれている。モービルが地上にちかづくと四基の斥力プレートがまきおこす反重力効果で空気が舞い上がり、ほこりがもうもうとうきあがった。
ほこりがおさまるのを待ってモービルのガル・ウイングのキャノピーがはねあがった。なかから全身真っ赤なつなぎの少女が地面に足をおろす。
赤い髪の毛、茶色の瞳。しろい肌におもわず見惚れてしまうほどのプロポーション。
ミリィだった。
彼女はゆっくりと地面に降り立つと、ぶらぶらとあたりを見回しながら工場に近付いていった。ぼうぜんと立ち尽くしたままのパックとヘロヘロには目にもくれない。あとからひょろりとした痩身の五十代の男がしたがってくる。遠山専務だった。
ミリィはパックとヘロヘロを無視したまま工場のなかにはいっていった。
内部にはいるとまっしろな輝きをはなつ宇宙ヨットを見上げた。
「きたない工場ねえ。こんなところにあたしのユニコーン号を運んだの? 手違いにしてもひどすぎるわ」
「はあ、まったくの手違いでして。恐縮至極です」
遠山専務はふきだす冷汗をあとからあとからちいさなハンケチでふいていた。神経質に眼鏡をとるとレンズを磨きはじめる。
「まったくなんでこのような手違いが生じたのかさっぱりわかりません」
「責任者を追及して! これはサボタージュといっていいわ」
「はあ、善処します」
「そんな返事じゃだめよ。いいわね、あとで報告書を提出してよ」
「わかりました」
遠山はがっくりと肩をおとした。
「こんな不潔な工場に一晩も置かれたなんて、とても耐えられないわ。ねえ、ペガサスの指定工場にもどしたら絶対、全船体を殺菌消毒してよ。それまでとてもじゃないけど、手を触れる気もしないから」
ふたりの会話を聞いてパックはむらむらと怒りがこみあげてきた。どうやら昨日運びこんだ依頼主らしいが、あまりの言いようである。
怒鳴ろうと息を吸い込んだパックはそのとき発したミリィの言葉にその息を呑み込んでしまった。
「レースまで時間がないんだから」
「レースだって? あんた、いまそう言ったな」
ふいに割り込んできたパックにミリィは驚いた。いままでこの少年がものを言うとは思ってもいなかったのである。
「なによ、あんた?」
「この整備工場の工場長さ!」
「ああ、あそこにパックって書いているあれね」
「それよりさっきのレースってどういうことだい」
「知らないの? 映話ニュースで昨夜から何度もやっているでしょう。このユニコーン号は太陽系を一周するレースに出場するのよ。そしてあたしはこの宇宙船のパイロットというわけ。もっともこんな下町でほそぼそとやっていちゃ、ニュースなんて見る余裕はないわね」
ミリィのそんな悪態もいまのパックには聞こえていなかった。夢中になってミリィの顔を見つめている。
「そ、そのレースにはどうやったら出場できるんだい? なあ、教えてくれよ」
いまにもつかみかからんばかりに迫られ、ミリィは後退りをした。
「ちょっと、そのきたない手をつけないでよ! いい、レースに出場するにはペガサス社に出場する宇宙船の設計図を提出すればいいのよ。設計図で安全基準がみたされていると判断されれば、登録できるから」
「そうか……、レースがあるのか。太陽系一周レースかあ……」
ぶつぶつとパックは口のなかでつぶやきぼんやりと夢見ているような目付きになる。
くうーっ、とパックは全身にちからをためて、ぱっと顔をあげた。
目がきらきらとしている。
「やったぞーっ!」
叫ぶといきなりミリィをだきしめた。驚いているミリィの頬にキスをするとその両手をむりやり掴んでふりまわした。
「いやあー、すげえよ! レースだってな。宇宙船のレースかあ!」
あはははと顔を口にして笑うと走りだした。あっという間に工場の裏口へ駈けていくとその姿を消した。
ミリィと遠山、ヘロヘロはあっけにとられたままである。
「あの、いったいあのかたはどうなさったのです?」
おそるおそる、といった調子で遠山がヘロヘロに話し掛けた。
「さあ、ときどきああなるんです。気になさらないでください」
「変わったかたですな……」
「あの、それよりあの宇宙ヨットのことですが、やっぱり手違いで搬入されてしまったんですね」
「おそれいります。まったくの手違いでございまして。前払い金はもちろんのこと、ペナルティ代もお支払いさせていただく所存です。ですからこのことは内密に……」
「え、ほんとうですか」
金をかえせ、と言われるのではないかと思っていたのでヘロヘロはほっとなった。ふと見るとミリィがぼうぜんとなっている。パックにキスされたほほをぼんやりとさすっていた。
「ええと、そのお嬢さん……」
え、とミリィはヘロヘロを見た。
「あの、ぼくヘロヘロっていいます。パックの手伝いをしているロボットです。その……パックのしでかしたことですが気になさらないでください。あいつなにかに夢中になるとじぶんがわからなくなるんです」
「気にするですって!」
ミリィはきっとなった。
「いいこと、あたしはあんな馬鹿な子供のしたことなんかこれっぱかりに気にしていないから安心なさい。だれがあんな……」
ミリィのほほが紅潮した。
くるりと背をむけると遠山専務に声をかける。
「いきましょう。帰るわよ」
「は、はいっ!」
あたふたと遠山はミリィのあとを追って走りだした。
飛行モービルに乗り込もうとしてふたりは思わず立ち尽くした。
なんとモービルの表面は目茶苦茶に悪戯がきをされている。つややかな車体はめいっぱいいろいろな塗料で汚され、キャノピーにも下品な言葉が書き連ねられていた。
「やーい!」
見るとこのあたりの子供だろうか、うすよごれた格好をした十才前後の子供たちが手に手にマジックやクレヨンをもってばたばたと逃げ散っていくところだった。
ミリィは黙ってモービルに乗り込んだ。遠山はあたふたと運転席へもぐりこんだ。
「あ、あのお嬢様。いかがいたしますか? このような悪戯をされて、被害届けをお出しになりますか?」
運転席から身をねじってミリィを見つめて遠山は話しかけた。ミリィはじろりと遠山を見上げると首をふった。
「よけいなことしなくてもいいわよ。被害届けなんか出したら、警察やなんらやで面倒臭いことになるにきまってるわよ。あたしはいま、大事な時期なんだから。いいからほっときなさい」
「は、はい。承知いたしました」
遠山は首をすくめると運転席のマイクにむかってペガサス社にもどるよう指示をした。モービルは斥力プレートを輝かせて空中へ舞い上がった。
「おーい、パック!」
工場でヘロヘロはうろうろとパックをさがして歩き回っていた。たしか裏口にむかって走っていったと思ったのだが、パックはどこにもいない。
ヘロヘロは途方に暮れていた。
いったいパックはどうしてしまったのだろう。だいたいなにかに夢中になるとまるっきり前後の状況が見えなくなるのがパックのわるい癖である。その癖がいま出てしまったのだろうが、あの少女の言った話のどこにかれをそんなに夢中にさせるものがあったのだろうか。
「おいヘロヘロ」
ふいにパックの言葉が聞こえ、ヘロヘロはほっとなった。きょろきょろとあたりを見回すがどこにも姿はない。
「どこだよパック」
「こっちだよ、こっち!」
声は足元から聞こえてくる。
視線をおとしたヘロヘロはぎょっとなった。
なんとパックが地面から首だけだしてにたにた笑いかけていた。
「パ、パック?」
「なにびっくりした顔してるんだ」
「え?」
よく見ればパックは地面にあいた四角い穴から顔をのぞかせていたのだった。それが地面にパックの生首が転がっているように見えたのである。
「あー、びっくりした。寿命がちぢまったよ」
「おまえロボットだろう。寿命があるのかよ」
軽口をたたいてパックはよいしょ、と穴から上半身をのりだした。
「さっき、やたら外がうるさかったけど、どうかしたのか?」
「それがねえ……」
ヘロヘロはミリィの飛行モービルに悪戯をされたいきさつを話した。
「へえ、そんなことあったのか」
「だいじょうぶかなあ、あんなことあってミリィさん泣いてないかなあ」
「ミリィさん?」
「あ、あの女の子の名前だよ。あとでおつきの遠山さんってひとから教えてもらったんだ」
「おつきのひと、ね。お嬢様なんだ。あの女」
いまいましげにパックはつぶやいた。いまごろになってミリィが吐いた悪態が腹立たしくなってきたらしい。
「それよりパック。そんな穴のなかでなにやってたんだい」
へっへっへ……、とパックは奇妙な笑い声をあげた。ちらちらと妙な目付きでヘロヘロを見上げる。ヘロヘロはなんだか背筋がさむくなった。パックがこんな目付きのときはなにか災厄の前兆にきまってる!
「レースだよ、レース!」
「え?」
「さっきあの女が言っていたろう。宇宙船のレースがあるって」
「それがどうしたんだい」
「わかんねえかなあ。おれ、そのレースに出場するつもりなんだ」
「ええっ、でもどうやって出場するつもりなんだい。宇宙船なんて、パック持ってやしないだろう……まさか?」
「なにがまさか、なんだ」
「宇宙船の窃盗は犯罪だぞ! 重窃盗で十五年の禁固刑……」
「馬鹿。なに言っているんだ。宇宙船ならちゃんとあるんだよ。こっちについてきな」
そう言うとパックはふたたび穴のなかに潜った。なんだろうとヘロヘロはついていく。穴のさきは階段になっている。降りきったところがシャッターになっていて、パックはそれを開けてなかにはいった。ヘロヘロがそれにつづくとパックはなかのスイッチを操作した。がくん、という下降する感覚があってヘロヘロはそれがエレベーターであることを知った。
「おい、パック……」
「しっ、だまってろ。いまにわかる」
エレベーターはぐんぐん下降してついに降りきった。明かりはまるでなく、あたりは真っ暗闇だった。がしゃん、とシャッターが開く音がして、ごそごそとなにかパックがあたりを動き回っている気配がする。ヘロヘロがじぶんの視覚を暗視モードにしようとするとパックが声をかけた。ヘロヘロの視覚装置は赤外線から紫外線、またはミリ波まで見える。
「おい暗視モードにするなよ。びっくりさせたいから」
その言葉がおわらないうちにぱっと照明がともった。だしぬけのことでヘロヘロの視覚は開放側のままだったので目が眩んだ。
「わあ!」
ヘロヘロはたじたじとなった。
見上げると、そこには一隻の宇宙船がそびえていた。
地下室いっぱいに鎮座している宇宙船はあちこちつぎはぎだらけで、船首と船尾のデザインはあきらかに違和感があった。さらに右舷と左舷もちがう部品で大気圏飛行用の主翼さえも左右ちがうものでできている。
「い、いったいこれはなんだい!」
「見てわからねえか。宇宙船だよ」
パックは宇宙船の着陸ギアのそばで誇らしげに立っている。
「で、でもこの地下室は……?」
「ああ、ここはおれが見付けたんだ」
「見付けた?」
「そうさ、ここで整備工場をやるときに地下のケーブルとかパイプがないかと音波探査をかけたんだ。そしたら工場の地下にこういう空間があったのを見付けた。どうやら帝国樹立以前の洛陽シティの一部らしいな。ふるすぎて、記録さえ残っちゃいない。ここが下町だってことで、区画整理すらはいっていないから残されたんだろう」
「そ、それでこの宇宙船はどうしたんだい」
「サルベージさ。宇宙軍の放出品とか、航宙会社の耐用年限をすぎた宇宙船の部品をやすく引き取って運んで組み上げたんだ。いやあ苦労したなあ。なにしろ部品ひとつひとつの規格がちがいすぎるから、繋ぐためにはいろんな手をつかったよ」
ヘロヘロはぼうぜんとなった。なんとパックの言うことを信用すると、かれは宇宙船をいちからひとりで組み上げたのだという。
おそるおそるヘロヘロは口を開いた。
「そ、それでこの宇宙船どうするつもりなんだい」
「きまってるさ。これでレースに出場するんだ。そう言わなかったか?」
「ああ、そうかい。ふーん」
じとっ、とヘロヘロのクリーム色の顔に汗がうかんだ。半笑いの顔で一歩、一歩と後退りする。
「そうかあ、パックはこの宇宙船で空へ飛び出すんだね。ざ、残念だなあ。ぼく、乗りたかったんだけどね。で、でも工場があるだろう。あとの仕事はぼくにまかせてくれよ。それじゃ……」
ヘロヘロはくるっ、と回れ右をしてエレベーターに走った。
「待てヘロヘロ!」
パックの鋭い命令がとぶ。
その声にヘロヘロはたたらを踏んで立ち止まった。これがヘロヘロの弱点だった。ロボットであるヘロヘロの人工頭脳には人間のつよい命令に服従するプログラムが書き込まれており、たとえヘロヘロが内心服従したくない命令でも、はっきりと強制的に発せられた命令にはしたがうよう設計されている。
「こっちへくるんだヘロヘロ」
パックは声の調子をさらに強めて命令した。ぎくしゃくした動きで、ヘロヘロは操り人形のようにパックのそばに立った。うらめしげにパックを見上げる。
「なあヘロヘロ。おれはこの宇宙船でレースに出場したいんだ。いつまでもこんな下町で、整備工場を続ける気はないんだ。それにはこのレースが絶好のチャンスなんだよ。もしこのレースでいい結果が出れば、おれの腕が認められることになる。そうなれば、きっと大企業から声がかけられることになる。出世のチャンスなんだ! なあ、おまえもそう思うだろう。おれといっしょに夢をつかもうぜ」
「でも、なんでぼくもいっしょについていかなければならないんだい。そんなにレースに出場したければ、パックひとりで出ればいいじゃないか」
「それがそういかねえんだよ。ついてこい。コックピットを見せてやる」
パックは宇宙船の搭乗口にヘロヘロをつれていった。搭乗口からは急傾斜の階段になっていて、ひとひとりやっと通れるくらいの通路になっている。
梯子といっていいほどの急角度の階段をえっちらおっちら登ると、そこがコックピットだった。
「せまいなあ」
ヘロヘロはおもわず感想をもらした。それくらいコックピットはせまくるしく、座席がふたつならんでふたりがすわるともういっぱいいっぱいだ。ミリィのユニコーン号にくらべると天国と地獄である。
「こっちが主操縦席。おまえのすわるのが副操縦席だ」
「おいおい、勝手にきめないでくれよ」
ヘロヘロは口をとがらせた。
「つべこべ言わずにさっさと座れ」
パックはそう言うとヘロヘロの身体をかかえて無理矢理座席にすわらせた。
ヘロヘロは座席にちょん、と座ってそのコンソールをながめた。かくん、と口が開きぱなしになる。
「なあんだいこりゃ。ずいぶんふるい形式のコンソールだなあ」
「そうさ。なにしろ部品とりのため、サルベージしたのは半世紀はまえの宇宙船のコックピットだ。航路計算も手動だ」
「手動だって?」
ヘロヘロはあきれた。
「だからおまえが必要なんだよ。おれひとりじゃ航路計算は無理だからな」
「ええっ、それをぼくにやらせるつもりなのかい」
「おまえはロボットだろう。計算はおてのものじゃないか。おまえの電子頭脳に航路計算のためのプログラムを書き込めばいいだけのことだ」
「おい、気楽に言うけど、そのプログラムを組むのはだれなんだい」
「おれさ。もう、アセンブルもすませている。ちょっとおまえの外部入力端子を貸してくれ。ちょいちょいって書き込むからさ」
「冗談じゃないよ。もしそのプログラムにバグがあったらどうするつもりなんだ。書き込むのはぼくの電子頭脳なんだぜ」
「心配するな。おれがデバッグもすませているから。動くんじゃない!」
強い調子で命じられ、ヘロヘロの身体は硬直した。パックは鼻歌まじりにヘロヘロのあたまから突き出しているアンテナの先端部分にケーブルを接続した。
データが雪崩込む感覚にヘロヘロは歯をくいしばった。
「よし、入力はおわったぞ」
パックの言葉にヘロヘロは自己診断プログラムを起動した。ファイルを点検すると、あらたな項目がふえている。ファイルを開き走らせてみる。たちまち太陽系すべての惑星、小惑星、衛星、そしてオールト雲の彗星などの軌道がヘロヘロの脳裏にうかぶ。しばしヘロヘロはその感覚に陶然となった。
「どうだ、なんかへんな感じはするか」
気が付くとパックがヘロヘロの顔をのぞきこんでいた。その表情をひとめ見てヘロヘロは叫ぶ。
「あ、やっぱり自信なかったんだな! もしかしたらバグがあると思っていたろう」
「へ、ばれたか」
「やめてくれよ、本当にもう……。もしバグがあったらぼくが困るんだぞ」
「なあ、いまのプログラムでこの船の軌道計算はできるだろ」
ヘロヘロはパックの言葉で脳裏に太陽系の縮図を思い浮べた。たちまちデータの奔流にくらくらとなる。そのデータの海のなかで、パックが組み立てた宇宙船が自由にヘロヘロの想像上の宇宙空間をさまざまな軌道を描いて突進していく。
「ああ、なんとかね。でもこの計算を実際の操縦にいかすには、コンソールにはひとりじゃたりない……! あっ、ということはそういうことか! ぼくを軌道計算専用の計算器にするつもりだったんだ」
「そうさ。なんしろ複雑な計算だからな。おまえが航法装置を受け持ってくれれば、おれは操縦に専念できるからな」
「ちぇ、ロボットをなんだと思っているんだい」
「そう怒るなよ。ほら、これを買ってきたから」
ふいにヘロヘロの臭覚器官にいい匂いがただよって、ヘロヘロの口中に唾がたまってきた。
「バナナだ!」
ヘロヘロは歓声をあげた。
どういうわけか、ヘロヘロはこのバナナという果物が好物なのである。バナナさえあれば、前後をわすれるくらい夢中になる。
パックはコックピットのなかにかくしていたアイスボックスのなかから、黄色いバナナをひとふさとりだしヘロヘロの目の前にぶらさげた。
「なあヘロヘロ。協力してくれるよな」
ヘロヘロの両目はすっかり目の前のバナナに奪われている。パックはゆっくりとバナナのふさを左右にゆらしている。それにつれてヘロヘロの両目も左右にゆれる。やがて身体全体がゆらゆら左右にゆれはじめた。
「返事は?」
うん、とヘロヘロはうなずいた。
「それ、食え!」
ぽん、とヘロヘロの座席にバナナが置かれた。ヘロヘロはバナナのふさに飛び付いた。
「バナナでつるなんて、ひどいよ」
すっかりパックの術中にはまったかっこうのヘロヘロは、われにかえって文句をいった。
「なに言ってんだ。ぜんぶ食べちまったくせに」
「それ言われるとつらい」
ヘロヘロはしゅん、となった。
「それよりあのミリィって女。映話ニュースでレースのことやっているって、言っていたよな」
「そうだっけ」
「そうだよ。ちゃんと聞いたんだから。ちょっと映話をつけて見よう」
パックはそう言うと、コンソールの映話装置の電源をいれた。メニューを呼び出し、そこからニュースの項目をえらび、マイクにむかって命令する。
「太陽系レースに関するニュースをたのむ」
映話サービスはパックの命令を受け取り、さっそく検索を開始した。すぐさま太陽系レースに関するニュースが選び出される。
「どのような情報が必要でしょうか」
映話サービスのロゴがモニターにうかびあがり、二十歳前後の若い魅力的な美人がにっこりと微笑んでいた。映話サービスの送り出している画像で、もちろんこの女性は現実には存在しない。
「レース出場に関するものを」
パックのこたえに女性はうなずいた。彼女の映像が消えると、そこにはペガサス社のロゴマークと、本社ビルを映し出す映像にきりかわる。
「ここは洛陽シティにあるペガサス社の本社ビルです。この一階において、出場希望者は乗り込む宇宙船の形式、およびその設計図を提出しなくてはなりません。設計図審査などにより安全にレースを進行できることが証明されますと、出場希望者には即時レース会場へのパスが支給されます」
「ふうん、つまりその審査にうからないといけないってわけか……」
「そうです。設計図の規格はとくに決められていませんが、確実なものをと求められています」
ヘロヘロが口をはさんだ。
「なぜ情報ネットで設計図のデータを送らないんだい。わざわざ本社ビルまで出向く必要があるのかい」
「それについてはペガサス社は説明の要を認めていません。ただ推測するに、情報の安全性を求めているのかもしれません。セキュリティ・チェックが完璧といっても、どこかで情報のリークはありえますし、それに出場するのはペガサス社の宇宙船ばかりでもありませんからね」
パックがうなずいた。
「そうか、ペガサス社以外の宇宙船メーカーがそれを望んだってこともありうるね」
パックはペガサス本社ビルの地図のハードコピーを要求すると映話のスイッチをきった。
「よし、あしたは出場権をとりにペガサス社にいくぞ!」