6 話 エルケ皇太子(後編)
この作品には〔残酷描写〕〔15歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現〕が含まれています。
15歳未満の方はすぐに移動してください。
突如として聞こえた咆哮に、何事かと国王共々窓を開け、外を見る。
「!?」
「な……っ!?」
国王も私も声にならない。
王城内の神殿塔の上に、それらは居た。
「神獣……神龍が何故……?」
国王がぼそりと呟く。
そこに居たのは神獣のひとつである神龍が二体いた。
神獣。
獣の姿を模してはいるが、神が愛し、神の恩恵を受け、神の意を汲む存在。
これまでの歴史で確認されているのは。
神鳥族。神狼族。神虎獅族。水神獣。
そして、それらを統べる力を持つ神龍族。
それらの一族は人間以上の智を持ち、人間の姿を取り語る事も可能なのだという。
それ故か、神獣の加護や恩恵を得ての文化の発展も多々記録に残されている。
けれど。
神獣は、本来人間の世には積極的に関与しない。
何故なら神獣は、人間を愛す精霊を含む自然世界と、人間を害す魔をも護り愛す存在だから。
人間だけを愛でる存在ではなく、状況によっては敵対することもある存在。
それが、神獣である。
目に映る美しき生き物。
騎竜や飛竜とも違う、大きな体躯。
背には、筋張った骨組みに皮膜のある羽が、二対。
過去から現代にいたるまで、浮彫絵や壁画、蒔絵物に描かれている姿形そのままの姿。
何よりもその神性が、周囲にあるものを威圧する。
この場に来臨した神龍は二体。
一方は真珠のような輝きを持つ白色。
もう一方は黒輝石のような輝きの黒色。
美しいとも神々しいともいえる、その白色と黒色の神龍が空に向かい、交互に咆哮を上げる。
何故ここに精霊たちが集結しているのか。
何故ここに神龍が現れたのか。
何がここで起ころうとしているのか。
解からない事だらけで動きが止まる。
その時。
後方でゴトッ! と何かが落ちる音がした。
「「!!」」
国王共々振り返り見えたものは、先程まで意識の無かった若者の姿だった。
先程の音は、彼が寝台から落ちた音だと知る。
顔色はまだかなり悪い。息も荒く苦しそうだ。
それでも上体を起こそうとしているのか、床についた腕が震えている。
支えようと、抱えようと、寝台へ戻そうと各々が足を踏み出そうとするが、何故か動けない。
「…………許、す…………顕、現」
微かに聞こえた声の後、彼の周囲に突如四体の人影が湧いて出た。
「sutr ktmd v ……」
「eo-」
「……フィー…… doormlbj」
私の解からない言葉で、彼はその四人と会話をしている。
赤い髪色をした女だろう一人が、彼を抱えるように支え、窓へと歩み寄る。
「zuew ……」
「eo-」
「シロ……クロ…… ckri tjtsi iiemr shs di ed rjw pvb ……」
神龍が彼の言葉に呼応するかのように吼える。
「tkr dj xnn …… dirmy …… q …… w oy yux e」
彼の言葉に神龍の吼え声が次第に小さくなる。
「…… e tydd」
彼がそう呟くと、短い吼え声が上がり神龍は北の方角へと飛び去って行った。
神龍の姿が視界から消える。
とたんに彼の身体から力が抜けた。
「edll!」
支えていた女が彼を抱え上げ、寝台へと運ぶ。
壊れ物でも扱うかのようにそっと、彼をその上へ横たわらせた。
「deoj kgm」
「sik kmb」
「sul kmm」
先程現れた周囲の者達が、口々に彼に何かを言っている。
「フィー、ツッチー、dyu zk …… igz e lvvk dkkrj jmzw …… スイ、フウ、zvb wj qobg klg ot ……iygn bsf qkm …… dd」
彼は、吐息に乗せるようなか細さで幾ばくかの言葉を紡いでいたが、力尽きた様にまた意識を失った。
大切そうに彼を見つめていた四人の瞳が、一斉に私たちの方へと向けられる。
先程の暖かな眼差しは消え、鋭い刃の様なものへと変じていた。
「解呪」
薄緑の長髪を持つ男の声で、身体の硬直が解ける。
他の者も同様らしい。
ふと目の前の神官長と巫女長を見れば、がくがくとまだ震えている。
私にはそう極端には感じないが、これらの存在は巫女長や神官長には相当の精神肉体的負荷がある様子だ。
もしかすると、特別負荷をかけられているのかもしれないが。
それでも、神官長が声を絞り出した。
「そっ……その色彩、存在……っ……精霊の長様方と、感知致しますが……」
静かな面持ちで薄緑の髪の男性が応じる。
「如何にも。我らはそなた達、人の言う精霊の長である。判りやすく言えば、わたしは風の、な」
濃い水色の髪の女も口を開く。
「わたくしは水を」
紫の髪を持つ男も重い声でゆったりという。
「我は土を」
赤い髪の女も言う。
「吾は火を」
薄緑の髪の男……風の精霊長が再び口を開く。
「今はまだ制限があるので詳しい事は語れぬ。が、この御方を御護りさせて頂いているのが我らである事を見知りおけ」
語られた内容に、現場の人間全てが硬直する。
火、水、風、土。
それらの下位から高位までの精霊を束ねている四大精霊長。
この若者が、その四柱全てに護られている者なのだという、その言葉の大きさに。
精霊や神々の愛情は深い。
それも、神位が上位になればなるほど、執着しているかのように濃くなる。
だからこそ、それらの祝福や加護を受ける事の出来た人間は重用される。
加護を受けた者が幸せであればあるほど、周囲にもそのおこぼれが生じるのだから。
では、その逆は?
精霊や神々に愛されたものが、不当な扱いを受けてしまったら……どうなる?
これまでの歴史に何度もある人同士の戦争以外の国の滅びは、何によって引き起こされた?
聖魔の寝床が、どの国の領地でもないのは何故だ?
それは、神々の怒り。これに尽きる。
それを、言い伝えだと軽んじる者は居ない。
小さな集落が下位神の怒りに触れて全滅したなどという事は、今でもある事なのだから。
四大精霊長全てに護られている者。
それは四大精霊長全てに愛されている者だという事。
今、この場に居るその若者を、知らずとはいえ刺客かと疑った。
もし、あのまま死なせてしまっていたら。
私は……いや、この国はどうなっていたのだろうか?
想像するだけで背筋が凍る。
そんな私の耳に、怒りの声が届いた。
「そこの若者!」
火の精霊長が先程火傷を帯びた医師見習いを指さす。
「吾が主の持ち物を隠匿しようとするなど赦し難い! 本来ならば腕ごと燃やし尽くす処だが、吾が主はそういうのを嫌う故、その程度で済んだ事、吾が主に感謝し額づくがよい!」
怯え、土下座姿勢になる医師見習いを見、溜飲でも下がったのか火の精霊長は風の精霊長へと視線を向ける。
「では、命により出向く」
「承知した」
短い応答の後、火の精霊長は意識の無い若者の手をすくいあげ己の額へと当てる。
「命ゆえ御前を離れます。御無事で」
そう呟き、瞬時に掻き消える。
土の精霊長も水の精霊長へと言う。
「主さまを任せるぞ」
「言われるまでもございません」
「……御前を離れ、命を全う致します。御安心下され」
火の精霊長と同じ所作の後、土の精霊長もその姿を消す。
それとほぼ同時に、あれほど存在を濃くしていた精霊の冷気の様な気配が半減した。
そういった数瞬の出来事の後、風の精霊長が神官長と巫女長を見る。
「わたし、風と、この水は、この御方を御護りする為、ここに滞在する事となる。何か質疑はあるか?」
問われた二人は一瞬視線を交わしたが、神官長が再び口を開いた。
「精霊長様方に、恐れながら申し上げます。わたくしどもはこちらの御方の名はおろか、どなた様なのかも存じ上げません。差支えなければお教え願えませんでしょうか」
風の精霊長は冷ややかな眼差しを向けたまま、静かに言う。
「名は、主様が御自身で告げられるまでは、わたしの口からは語れない。ただ、主様の立ち位置は、そなた達でも理解できるものである」
「……それは、どういう」
「神職に籍を持つ者が、主様の胸元の光が見えぬとは思えぬが?」
「!」
興奮の連続で、心が落ち着く間もない。
護られているという事は御印があるのだという事だ。
まず先にその事を確認すべきだったと私も思い、視線を若者へと向ける。
身体がようやく動くようになったか、神官長と巫女長は寝台へと足を踏み出す。
水の精霊長と風の精霊長は、寝台枕元の左右で若者を護る様に立っている。
水の精霊長は若者を優しく見つめ、その手を動かした。
若者から流された血や汗、汚物による身体の汚れが、服や寝台に染みたものまで全て、水の精霊長の力で浄化され消されてゆく。
様々な臭いが充満していた部屋の空気も完全に浄化された。
若者が展開していた解毒の術式も、ようやく解毒が完了したのか消えている。
他に傷がないことを確かめている様に、水の精霊長は彼の者の胸をはだけさせた。
神官長と巫女長は、恐る恐るその胸元を見つめる。
だが、その胸元にある光を見た途端、神官長と巫女長は再度、硬直する羽目に陥っていた。
「「……!」」
神々やその神々に仕える精霊たちに気に入られ御印を授かる。
その事自体はさして珍しい事ではない。
下位の神々や普通の精霊に愛され御印を授かる者は、それほど多いという程ではないが結構居る。
御印の在る者と無い者とでは、同じ材料で料理を作っても味わいが全く違って感じる。
同じ素材、同じ工程で家具を作っても、使い心地や長持ちさが全く違う。
人が持つ元々ある才能に、神々たちがほんの少しだけ手を貸して下さる。
一般的に、御印を授かるとはそういうものだ、という認識が高い。
けれど、それが上位の神々や精霊長などに気に入られ御印を授かる者ともなると流石に少ない。
病や怪我を癒す癒し手を例にあげれば、下位神の御印が在る者であれば軽傷しか癒せないが、上位神の御印が在る者では死に至るような傷でも癒す事が可能となる。
人の持つ元々ある才能以上の力を神々より授かり分け与えられ、それを使用できる。
どちらがより重用されているかは言わずもがなであろう。
実際、城仕えをしている巫女や神官には上位精霊や上位神の御印を授かっている者が多い。
そして巫女や神官の名を冠せられる者は他者の御印を視る事が可能な者だけ。
勿論鍛練あっての事だが、熟練した者であれば、神々にせよ精霊にせよ、それを授けた方々の神位としての立ち位置が上位か下位か、というのは御印を見ればすぐに判るもの。
色彩というか、輝きそのものが違うのである。
下位神の御印は刺青のようにも見て取れる。
上位神へと近付く程、線や輪郭だけのものから単色、多色となってゆく。
これらは全て淡い光を帯びているが、輝くことなどはない。
上位神ともなれば御印が生き物のように鼓動し、動きを持つ事さえある。
さらに神格が上位ならば、それに輝きが加わる。
一般人にはこの光輝は見える事がない。
神官や巫女はそれらの事象や、神々一柱固有の意匠、その御印、そして色彩を神殿で山ほど学んでいる。
目の前にあるのは鼓動し、光輝く上位の御印。
そして、その意匠を固有している神位といえば。
「…………精霊王様の御印」
「黒光とは…………精霊王様が、何故?」
精霊王といえば、名こそ王だがその神格は上位神と並ぶもの。
巫女長と神官長が信じられないものを見て口々に呟く。
水の精霊長が若者の服を丁寧に着せ付け、そっと掛布を掛け終えてから静かに言う。
「精霊王自らが、この御方に黒光をと望まれたのです。わたくし達はそれに従うのみ」
風の精霊長は国王に視線を向け、告げた。
「人間の王に問う。この御方を、これより先、どの様に扱われるのか」
国王は迷う素振りも見せず胸に右手を当て、寝台に横たわる若者へ軽く頭を下げた。
「精霊王様の御印を胸に頂く御方よ。その御身、囲うもの無き自由である事は明白。されど現在の御容態では御不自由に極まる。故に、恩ある御身をこの城、この国にて賓客として御迎えいたす所存。国王の名に於いて誓おう」
まだ名も知らぬ者に対して、破格の待遇を提示する国王に風の精霊長は頷いた。
「その答えに免じて、これまでの不敬は不問としよう。よき処遇を望む」
「叶う限り。……皇太子、神官長、巫女長。手配をするぞ」
国王はそう言い私達三人を引き連れ、御殿医長に後を任せて退出した。
国王は執務室で神官長と巫女長に訊く。
「殺意に近い負荷であったが、大事ないか?」
「「はい……」」
「精霊長たちの剣呑な様子と、あの者が受けているのが精霊王の御印という事で、急ぎ優遇する決議をしたが。実際、あの者はどういう位置づけにあるのか?」
国王の言葉に神官長が口を開く。
「陛下におかれましては、精霊王様が上位神様方と並ぶ御方である事は御存知かと」
「知っておる」
「上位神様方の加護を授かる者は稀有でございます。そしてその者達の持つ力も、上位神様方の御力の一部を使用できる以上、これも計り知れぬほど大きな事が多うございます」
「うむ。理解できる」
「上位神様の加護を授かっている者はこの国にも御二方おられますが、そのどちらもがこの国の民であり、国と陛下に忠誠を誓う者である以上、あの御二方がこの国に害成す事はあり得ないでしょう」
神官長はそこで大きく深呼吸をした。
「問題は、あの御方が恐らくはこの国の民ではない、という事と、あの御方の御性分を私どもは何一つ知らないという事にございます」
国民であれば王や国に忠誠を誓わせることで枷を付けられるが、そうでない自由民の場合は忠誠を誓わせること自体が難しい。
自由民。
国に籍を置いていない彼らは、国家というものに仕える義務や責務はない、納税する義務もなく、自由だけは十分にある。
が、義務のない代わりに国からの庇護や恩恵といったものは全くといってない。
自由民を国に協力させるには、主に交渉しかない。
金や身分を与える、または国の民として迎え入れる。
よその国を追われた者、元々の身分が低い者などはそれらの交渉を受け入れてくれる事が多い。
けれど、力在る者やお尋ね者ともなると、その程度で交渉が成立することは、まずない。
そこで、その自由民の性分が関係してくるのだ。
何を好むのか、何を欲しているのか。それだけでも判ればその分交渉がしやすくなる。
別に国に協力してくれなくとも良いのだ。
国に害をなさなければ、そのまま自由でいてくれて構わない。
ただ、この国に害をなさないという確約が欲しい。その為の交渉である。
「交渉はあの者が目覚めてからで十分だと思慮していたが、そなたがそこまで案じるのは何故だ?」
「あの御方の御印は確かに精霊王様のもの。ですが普通の御印……加護ではございません」
「ふむ。加護でないとすると累加などか?」
加護よりさらに強力な力を有す事のできる累加を上げる国王に、神官長は首を横に振る。
加護ならば白光、累加であれば青光。
見間違う筈もない……あれは、他の色を全て吸収してしまう黒光。
「累加の方がまだ安心できます。……あの御方に授けられた御印は[隷属]でございますゆえ」
「な……っ! あの者は、精霊王様を[使役]できると……そう申すのか!?」
「御意にございます。そして陛下も先程ご覧になったように、あの御方は神獣である神龍とも何やら繋がりのある御様子。……紡がれていた言葉は神聖古代語に音感が似ておりました。あまりにも古い言葉なので私も数語しか聞き取れませんでしたが、あの御方は神龍に[帰れ]と命じられていました」
豪胆で知れる国王も流石に唸った。
精霊王を[使役]し、神龍に[命じられる]。
そのような人間が居るなどと、信じられようか。
それでも。
精霊や下位神を使役できる者は少なからず居る。
だがそれは[貸与]といい、精霊や下位神が気まぐれに使役に応じるというもので、[隷属]の様に強制力はない。
[隷属]とは言葉通り[下僕となる]という事だから。
しかも、上位神である精霊王が自ら[隷属]を授けている。
精霊王をあの者が無理矢理従わせたわけではない。
それは、精霊長があの場で語っている。
[精霊王自らが、この御方に黒光をと望まれたのです。わたくし達はそれに従うのみ]と。
それ故、精霊王があの者に従う事を望んだという事実に恐怖する。
精霊王の姿はなくとも、四大精霊長が居るのだ。
下手な扱いをすれば、まず傍に居る精霊長たちが黙ってはいまい。
国を、国民を守るために。
その様な者を、間違っても敵に回すわけにはいかない。
私は、何という者と出会ってしまったのだろう……
けれど、この出会いがなければ私が死んで居た事も確か。
私は、私の出来る事を探さなければならない。
僅かな時間の後、国王は大臣や宰相達を急遽呼びつけ命じた。
「本日これより彼の御方を国賓位で御迎えいたす。何一つ不自由の無い様、心して準備にかかれ」
国王からの急な指令に慌ただしく城内が動き。
結果、翌日には離宮がひとつ最上級の貴賓室として設えられた。
精霊長達によって離宮に移送された彼の方が、その意識を取り戻したのはそれから二日後の事である。
神龍たちと精霊長たち登場。