5 話 エルケ皇太子(前編)
この作品には〔残酷描写〕〔15歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現〕が含まれています。
15歳未満の方はすぐに移動してください。
[流血表現]あります。痛いのが苦手な方ご注意ください。
その日。
ラクス王国の皇太子である私、エルケ・フィリリァド・セル・ラクスは、かねてより予定していた視察を兼ねての狩りに、樹海を訪れていた。
いつものように護衛の小隊を連れての行幸。
狩りをしつつ、途中で休息を取る。
これも、いつもの事だった。
私が狩りを許されているのは樹海でも比較的安全とされるその真ん中位までなので、護衛もさほど気負ってはいない。
それは、私自身もそうだった。
いつもの行動、想定内の結果。それを当たり前の日常だと信じていたから。
狩りの成果も良く、この休息後は帰城するだけという事で気を緩めていたこともあった。
ほんの少しの気の緩み。
護衛から数メートル離れた瞬間を狙って、私の足元に転送陣が発動された。
偶然や自然には有り得る筈のない現象。
人間が、故意に引き起こさねば有る筈の無い現象。
「な……っ!」
瞬間、私の身体は別の場所へと転移されていた。
「!!」
出口として設けられていた場には、誰かがすでに誘き寄せていたのであろう魔物、ザマツが群れていた。
木々の生い茂る樹海の奥地。
ザマツが居るからには樹海と魔の森の境界部分か、それともさらに奥なのか。
そういった思考よりも早く、私にザマツが襲いかかってきた。
切ってしまえばさらに増えるだろう魔物を腕やマントで追い払おうともがくが、何分相手の数が多い。
隙を突かれて二度、刺された。
これ以上刺されてしまえば身動きが完全に取れなくなる。
私は必死でこの場の攻略を考えていた。
と、その時。
「マントを脱いで! こっちに投げて! 早く!」
足音と共に、私に声がかけられた。
驚きはしたが、見ればどうやら狩人の様子。
経験が豊富なだろうその動きに、言われた通りに着けていた白のマントをその男に投げた。
マントにつられてなのか、私の周りからザマツが離れてゆく。
「それ被って蹲ってて!」
狩人が自分のマントを外して投げよこす。
震え始めた手でマントを掴み、言われた通りに蹲る。
そして狩人の様子をマントの陰から窺う。
辺りに視線を配りながら狩人は私のマントを羽織り、ザマツと距離を置きながらズボンのポケットから何かを取り出し口にした。
ピィィィィィィィィィィィィィィィィ!
甲高い笛の音の後、ザマツが森へと去ってゆくのが見えた。
ほっと一息ついていると、私の元へ狩人が戻ってくる。
「もう大丈夫。追っ払ったから起きていいよ?」
「…………」
唇が震え、返事ができなかった。
少しだけ困ったような顔をして、狩人は自分の持つ荷物から何かを取り出した。
形の違う茶色の瓶がふたつ……薬か?
「はい、勝手に脱がすよ」
若者はマントを被っている私の頭の部分だけを外し、手にしていた薬の瓶を私の口元へあてがう。
「麻痺毒の毒消し。ゆっくりでいいから飲み込んで」
状況的に助けて貰った様には感じるが、この狩人に見える若者はここに私を転移した者の仲間という事もあり得る。
もしかすると毒消しではなく、本当の毒かもしれない。
それを思うと飲むのを躊躇してしまう。
目の前には困ったような優しい笑顔がある。
その笑顔を信じれるか否か。
もし、本当に毒なら。
私が口を付けるのを待たずに、無理やり飲ませているのではなかろうか?
迷ったが、これも運だと覚悟して口をつけ飲み込む。
だが上手く飲み下せずに最後はむせてしまった、みっともない。
若者は空になった薬の瓶を唇から外して地面に置いた。
「喋れる? 手とか動く? 何回刺された?」
樹海の中で目撃者もいない今の状態。
毒薬で殺すとすれば即効性のものだろうと覚悟をした上の事だったが、痛みや苦しさなどは一向に訪れない。
飲み下したものは、どうやら本当に毒ではなかったらしい。
逆に喉の痺れが次第に取れ、呼吸が楽になってきている。
私は問いに返答する為、何とか出せるようになった声を絞り出す。
「…………に、かい」
「二回ね。場所は?」
麻痺が取れかけている右手で、ゆっくりと左足のすねと左肩を指した。
直接刺された場所にはまだ毒が残っているのか、あまり良く動かせない。
若者はもう一つの瓶から指で薬をたっぷりと取り、私の服の上から塗りこんでゆく。
じんわりと毒による腫れが引いていくのが感じられた。
「すぐに動けるようになるだろうけど、少しだけじっとしてて。喋らないでね」
意味が分からなかったが軽く頷いた。
すると若者はもう一度私に外していた茶のマントを被せ、その場からザマツが去った方向へ数メートル離れてゆく。
私が渡した白いマントはつけたままだった。
若者は私に背を向け、動かずに数分が過ぎる。
森の奥から大きな気配を感じた瞬間、目の前で突然術式が展開された。
ドォォォン!!!!…………バチバチバチバチ……
大きな音と焦げた臭いがする。
若者の横をノロノロと、でかくて黒っぽい塊が移動してばたりと崩れ落ちた。
おそらくは若者の袋に下げてあった術石での攻撃だろう。
崩れ落ちた塊は、ザマツの羽音やその攻撃音を案内に麻痺させられた生き物を捕食する魔獣、ドラッザだった。
もし身体が麻痺した、あのままの状態で一人だったら、到底助からなかった。
動けない人間など餌以外の何物でもないという現実に恐怖する。
若者はしばらく辺りの気配を窺っていた様子だったが、笑顔で振り返った。
「もう、大丈夫だから。動いてもいいよ?」
遠くから人の声などが風に乗って聞こえてくる。
おそらく私を探していた護衛の者たちだろう、と安堵した。
その時。
私の方へと歩み出した若者の動きが止まる。
目を見開き、ゆっくりと下を見つめている。
私も視線をそちらへと向けた。
「!!」
若者の腹部から刃物の切っ先が見える。あの長さと形状は槍だ。
若者の背後に人影が見える。
だが、間違っても私の部下ではありえない。見覚えすらない。
槍の穂先が一度消え、もう一度若者の腹部に生え、消える。
真っ赤な血が、開いた穴から噴き出してゆく。
若者はそのまま足を折り前倒しに倒れ伏した。
地面と白いマントが鮮血に染まってゆく。
槍を持った男と私の目が合った。
倒れている若者と私とを瞬間見比べ舌打ちし、こちらへとゆっくり向かってくる。
痺れは取れているが、そんなに早くは動けない。
この場で迎え撃つしかない……と、私は腰にある剣の柄を握りしめた。
と。
その時、あちこちから護衛の者達がこの場へと到着した。
状況を瞬時に察したのか、槍を持っていた男はすぐさま彼らに捕縛される。
「ご無事ですか殿下!」
「お怪我は!?」
部下の言葉に返答する時間も惜しかった。
痺れはもう殆どない。
立ち上がり、よろけながらも狩人の元へと急ぐ。
部下たちは怪訝そうな顔で倒れている若者を見ていた。
無理もない、見知らぬ者が私のマントを着けているのだから。
しかも私のマントを引き剥がす様にして抜いていた。
怪我人に何という事を!
「…………ぅ……」
マントを抜かれた勢いで、仰向けになった若者の状態は酷いものだった。
内臓の損傷で嘔吐物にも鮮血が混ざっている。
目がうっすらと開かれたが、どうも焦点は合っていない様子だ。
「おい! 大丈夫か!? 気をしっかり持て!」
地に膝をつき呼びかけてみるが、聞こえていないのか何も反応がない。
傷が痛むのか、それとも傷口を押さえようとしているのだろうか、右手が動き傷口の上に乗せられる。
その瞬間、ガラスの割れるような音がして魔方陣が腹部に展開した。
流れていた血が止まり、ゆっくりと傷口が塞がってゆく。
見れば手の指輪の石が割れている。術式の一つだと理解した。
指輪に仕込まれていたのだろう治癒の術式には多少驚いたが、まだ危機は脱してはいない。
傷の治りが遅い。
ひくひくと痙攣しているその様子で、槍に毒が塗られていた可能性に思い至った。
左手がゆるゆると動き、腹部に触れないまま魔方陣が展開されてゆく……が、あまりにも小さい。
術に力が完全に乗っていない様子だ。
色彩から、以前見た事のある解毒用の術式だと分かった。
「しっかりしろ、死ぬな!」
少しだけ、二度目の魔方陣が大きくなり……左手がだらりと力を失う。
瞳はもう閉じられ、浅い呼吸だけが苦しそうに続いている。
他の術式が展開されている今、その術式の正確な中身が判らない以上、これ以上の手出しができない。
だが、この状態でこのまま、この場に置いていては死に向わせるだけだろう。
我が身を助けてくれた行為に対し、それはあまりにも酷というもの。
勿論まだ、この若者が私の命を狙った者の仲間ではないという確実な証拠はない。
この若者が刺された事すらも、情に訴える罠なのかもしれない。
けれど。もしそうなのなら、ここまで重い傷を負わすだろうか?
手練れた者でもマント越しに背中から槍で心臓を突くのは位置の特定が難しい。
勿論首も、マントで守られているから難しい。
狙われた場所は柔らかな腹部。
放置しても出血で死ぬように、刃を引き抜く時抉られて引かれたのを見ている。
あの時の、何が起こったか判らないというこの若者の顔を見ている。
何より。
あの槍を持った者が、私とこの若者を見比べた時の舌打ちと表情が私の脳裏に残っている。
間違えたか……という、舌打ちの後で動かされていた唇の動き。
何を、信じればいい?
ぐるぐると回る思考の中、最後に浮かんだのはこの若者の笑顔。
この怪我では治療しても暫く身動きは取れないだろう。
もし共犯者だとしても、この者を生かせばさらに口を割らせる機会が取れる……そう考えを決めた。
そして、もし本当に、この件とは無関係な者なのだとしたら。
その時は誠心誠意謝罪と礼をせねばなるまい。
私は部下へと叫ぶ。
「このまま保持して城へと移送する! 術師、出来るな!?」
傍らにいた術師が頭を下げる。
「保持と移送は可能です。が、この者の生命の保障はいたしかねます」
「今ならまだ間に合う。城の御殿医ならば……! 死なせたくない!」
「承知仕りました」
緊急時を考え、こういった行幸には魔術を使える人間を十人ばかり同行させている。
そのうちの三人が若者の身体の保持を行い、残りの七人が急ぎ移送の転移陣を展開させる。
残す隊員にもそれぞれ必要な指示をし、私は数名の護衛と狩人を連れそのまま転移陣で城へと移動した。
私の突然の帰城に、城内が大騒ぎとなった。
転移陣近くの一室をそのまま治療室と決め、医師や神官を呼びに走らせる。
使用した部屋は侍女や侍従用の空き部屋なので簡素だが、清潔できちんとした寝台もある。
すぐに寝台の上に若者を寝かせ、靴を脱がす。
着ている服は上下共に血で染め上げられている。
脱がせてやりたいが、まずは治療が先だ。
服をたくし上げ、傷がある腹部を晒す。
見る限り、表だった傷口は殆ど塞がっているかに感じた。
ただ内臓にも損傷があるのか、まだ魔方陣が輝き稼働している。
解毒の方も、小さいままの状態で稼働している。
時をおかずに医師達と神官達が部屋へと来る。
状況を説明すると、医師が二手に分かれた。
私が現地で怪我をしていたからなのだが、王族の御殿医長が私を診断して唸る。
「何かあるのか?」
「いえ……処置と経過があまりにも良好で、感動しているだけにございます」
「……それを行ってくれたのはこの者だ。助けてやってくれ、頼む」
「手を尽くしましょう」
御殿医長は若者の身体状況を観察しつつ、部下の報告を受ける。
若者を貫いた槍は持ち帰っている。
付着している毒の種類さえ特定できれば、治療の方法も採択できるだろう。
そう思っていた。
が、報告を受けた御殿医長の表情がやけに硬い。真剣に考えている。
「どうなのだ?」
訊ねた私に、御殿医長は重く応える。
「あと数時間が峠だと。そう申し上げるしかございません」
「何故!? 傷は殆ど塞がっているだろう? 解毒の魔方陣も、小さいがまだ稼働しているではないか」
「傷の方は問題ございません。間もなく完全に塞がるでしょう。ただ、使われた毒の種類が悪うございます」
「毒はあの術式で解毒できるのであろう?」
「はい。ですが、解毒できるのはあくまで毒性です。また、この術式が終了するまでは他の強い術式は同時展開できませんし、毒によって引き起こされる障害までは完全には治癒できませぬ」
御殿医長は若者を横目で見つつ、言葉を続ける。
「この毒は心臓そのものの機能を半減させます。平静の状態であれば……血の巡りさえ十分にあれば、まだ神官殿の治癒魔術等で補正が可能ですが、この方の現状は平静とは程遠い。出血が多すぎたのか、あまりにも脈が早い……極めて危険な状態であると思われます」
体熱が上がり始めたと、御殿医長へ報告が入る。
「精一杯処置はいたしますが、後はこの方の体力と気力、それだけです」
頭を垂れ、御殿医長は患者である若者の傍へと戻る。
治癒術等の使用できない現況で在る為、神官は一度神殿へと戻っていった。
変化の少ないまま、時間だけが刻々と過ぎてゆく。
私には何も出来ない。
出来るとすれば傍に居てやることくらいだ。
邪魔にならないよう傍らへ立ち、若者を見つめる。
額や脇に熱冷ましの呪を施された布が置かれている。
先程は熱でうなされているのか、少しだけ開かれている瞳は潤み、細い涙が零れ落ちていた。
口元が言葉を紡ぐように動く。
おとうさん。
おかあさん。
そう、読み取れた。
私よりも若く見える。十五、六だろうか。
まっすぐな癖のない髪。
長さは私と同じく背の中ほどまであるが、私の髪は波打っている。
顔立ちは殆ど似ていない。
けれど。
私と同じ深緑の髪と青い瞳。
そして、あの時纏っていたのは私の白いマント。
もし本当にあの刺客と無関係なのだとしたら。
これらが重ならなかったとしたら、彼はこの様な目には遭わずに済んだかもしれない。
刺客であろうあの者は、私とこの若者を見誤ったのだろう。
それを考えると辛い。
少しして医師たちがざわざわと騒ぎ出す。
そちらへと目をやると、護衛が若者の持ち物を見聞している場面だった。
個人の持ち物を全てその場へと晒し、見聞する。
普通ならば本人の許可なしに行われることなどない。
けれど意識の無いこの者が誰なのか、それすら今の状態では判らないのだ。
名すら知らない、この者の身分、立場を確認するためには仕方のない作業である。
そこでの騒ぎとすれば、何か判ることが判明したのだという事。
「何かあったのか?」
私の問いに、護衛の者と御殿医長とが傍へと来る。
「持ち物を全て調べましたが、名はおろか、鑑札や身分の証となるものは何も身に着けておりません」
怪しい者だという意を込め、護衛はそう告げた。
だが御殿医長は別の意見を述べる。
「この者はもしかすると……薬師ではないかと思われます」
「薬師? 狩人ではなく?」
「はい。持ち物に沢山の薬剤がある事と、まだ採取して真新しい薬草類がある事。滅多に手に入らない魔獣の角の所持などありますが、決定的なのがこの薬剤の瓶でございます」
私の目の前に薬瓶を差し出し見せる。
中身の良く見えない茶色の薬瓶。私も飲まされた水薬の瓶だ。
「この独特の形状の薬瓶は、中の薬剤と共に数年前からこの近郊に出回っております。質も良く効き目も高い。独自な流通なのか王都から離れた町でしか販売されてはいませぬが、あまりの効果の良さにこの王宮でも仕入れ、使用している薬剤にございます」
ちら、と横たわる若者を見る。
傷が完全に癒えたのか、賦活の魔方陣が消えてゆくのが見えた。
解毒の方はまだ稼働したままだ。
「業者は[天の大君の色を持つ者がいつも売りに来る]と言っておりました。その人物は[自分が材料を集めて調剤している]とは言うが[名乗らない]「居場所を告げない」のだそうで。私ども医療の世界でも謎の人物にございます。此度の彼の者もただの品物の配達人かとも考えましたが、殿下への傷の手当や対応、その結果を統合しますれば、この薬剤を作成している本人と考えるが妥当かと、そう存じます。事情は分かりませんが、恐らく樹海に居住している者なのでしょうな」
説明を終えた御殿医長と私の耳に悲鳴が聞こえた。
声の主を視線で探せば、医師見習いの一人が手を押さえている。
「何事か?」
現場へと足を向けた御殿医長の言葉に言いよどむ見習い。
ざっと状況を見る御殿医長。
「足元に落ちているのは、怪我人の持ち物にあった素材の一つだと見受けるが。何か言い分は?」
「…………申し訳、ございません。この種類の素材を見るのは初めてなので、後でじっくりと観察したいと、そう思いまして」
「無断で持ち出そうとした、という事か?」
「……はい。ですが、いきなり手に熱が走り、取り落としてしまった次第です」
「処罰は後で考える。手は大事ないか?」
「は。軽い火傷様ですので」
「治癒術式の使用を認める。自身で癒せ」
「はい……」
不思議な現象に首を傾げつつも、御殿医長は落ちている素材を大切に取り上げ、護衛の一人に残りの薬剤と共に袋の中へと戻すよう指示をする。
と、今度は寝台の方から小さな悲鳴が上がる。
何事かと振り向いた御殿医長の目が驚愕に開かれる。
意識が無いままの若者の唇が動き、水を含んでいる。
ただ、その水は吸い飲みなどの道具はおろか誰の手も介さず、宙よりもたらされている。
口元の少し上に氷の塊が浮いているのだ。
融け落ちた水がゆっくりと若者の口元へ落ちてゆく。
「うわごとで水、と呟いていたので吸い飲みを用意させたのだが。突然氷が現れてな……」
私の説明に唖然とする御殿医長。
最初から見ていた私も驚いた。
有り得ない現象ではないが、問題は誰がこれを行ったか、という事だ。
意識の無いこの者が行える筈もなく、術など何も行使された形跡がないという事実が、さらに疑問を増やす。
思惑していると再び部屋の入口が賑やかになる。
「怪我をしたと聞いた。大事ないか?」
「無事にございます……陛下」
ずかずかと私に近づいてきた国王に軽く首を垂れる。
アイン・シルヴィアート・ガイ・ラクス。
ラクス王国の現国王であり、私の父でもある。
私は国王に本日これまであった状況を報告がてら説明した。
国王は頷き、私に言う。
「それら刺客は二人とも現在尋問中だと、余も報告を受けている。そなたが無事で何よりだった」
少しだけ安堵したような笑みを浮かべ、国王はすぐに表情を引き締める。
まだ執務中であるのに、私の為に僅かでも父の顔を出してくれたことが心より嬉しい。
国王は傍らの寝台に横たわる若者を痛ましそうに見る。
「この者か? そなたを助けたというのは」
「はい」
言葉少なく返答する。
「刺客はいまだ尋問途中で命じた相手等の事はまだ喋らぬが、二人とも仲間は互いにひとりだと言っておった。槍を持っていた方はしきりに悔しがっておったぞ。[あの白マントの若造が居なければ上手くいったのに]とな」
「!……では、やはりこの者は……」
「うむ。先程の御殿医長の話と統合すると、無関係の一般人であると思われる」
「…………っ」
やはり本当に無関係だったか。
魔物を追い払い適切な処置で私の怪我を治療し、脅威となる筈だったもう一体の魔物も退治してくれた者。
そして、結果的に私の盾となり現在生命の危機に晒されている者。
私の生命は、この者に何度救われた事となるのだろうか。
私の思慮を感じてか、国王は静かに言う。
「恩には義を持って成すべきではあるが。皇太子はどう、考える?」
「は。此度の件に関しましては、恩に恩を持って成したいと思う次第にございます」
国王は私の答えに頷きを返した。
「そなたの考えを支持する」
「有り難うございます」
この者を助けたいという私の思いを、国王はくみ取ってくれた。
皇太子の私の命令で治療をしているとはいえ、今回の様にどこの誰とも知れぬ一介の民に対する治療に城にある薬剤をおいそれと使うわけにはいかない。
王宮にある薬剤は本来、王族や貴族相手の治療の為のものとして扱われるから。
国王の了承を得た事で、行動の幅が広がった医師たちの動きも変わる。
御殿医長は薬剤の追加を部下に取りに行かせた。
入れ替わるようにして神官長と巫女長がこの部屋へと駆け込んできた。
日頃ない動揺した面持ちで国王の元へ参じる。
「こちらに陛下が御出でと聞いて、馳せ参じました」
「何事か」
応答したのは巫女長の方だった。
「現在、この王都に精霊が大挙として訪れております」
「精霊が?」
「はい。まるで国中の精霊が続々と集結しているような有り様で……」
「それは何時頃からだ?」
巫女長は私へと視線を向ける。
「殿下の帰城から、にございます」
「!」
「特にこの王城周りは上空も含め、精霊に囲まれた状態となっております」
巫女長は私をじっと見る。
「お教えください殿下……何を、お持ち帰りになりました?」
「持ち帰ったといえば刺客とその者の武器、そして恩人とその者の荷物だけだ」
「この部屋にございますものは?」
「恩人とその者の荷物だけだが、それが何か?」
「この部屋から、物凄く大きな意思を感じるのです」
と、巫女長はぞくりと身体を震わせた。
「どうした?」
問うが、巫女長は閉められているこの部屋の窓へ突然視線を向けた。
再度声をかけようとして絶句する。
獣の大咆哮が王都に響き渡った。
皇太子視点、前編。
リツキ、意識不明中。
リツキとそれ以外の色々な人の視点で、お話がのろのろと進みます。
ゆっくりお付き合いくださいませ。
次回も目指せ五日以内更新。