2 話 神様
この作品には〔残酷描写〕〔15歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現〕が含まれています。
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律己を他世界の神へと預けた白い髪の神様は地上を見据える。
少しだけ先の未来を確認するために。
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【 大家side 】
「一条君、いるー?」
夕方、アパートの大家が律己の部屋のチャイムを鳴らす。
一人暮らしの青年のために週に一、二度、おかずのおすそ分けをしているのだ。
返事はないがたまにあることなので、大家はドアノブに手をかけた。
「まーた鍵閉めてない。全くもうこの子は……」
苦笑しながら扉を開け中へと入った。
流しの傍におかずを置き、再び声をかける。
「一条君、寝てるの?」
今週は全部夜間バイトだと聞いていたので、起きているだろう時間に来たつもりである。
いつもだったら布団も畳まれている筈なのに、奥を見るとまだ布団の中にいる様子だ。
「どうしたの? 具合が悪いの? もしかして風邪でもひいたの?」
そう言いながら大家は近くへと歩み布団の中の律己を見る。
ただ寝てるようで熱があるようにも見えない。
バイト時間が変更になっていないのなら、もうそろそろ起きないとヤバイ時間だ。
大家はそっと布団の上からポンポンと叩く。
「一条君、もう夕方だよ。一条君てば」
叩いても動かないので、ゆらゆらと動かそうとして大家は違和感を感じた。
重い、というか硬いのだ。
眉を寄せながら大家は静かに律己の頬に手を当てる。
「!!」
ひんやりとした冷たさに大家は目を見開き、律己の体をがくがくと揺らす。
「一条君! 一条君っ! 律ちゃん! 律ちゃんっ!!」
硬い体は思うほどには揺れず、律己は呼びかけに応じる事もない。
「……りっ……」
大家は枕元にあった律己の携帯電話をとり救急車を呼ぶ。
救急車は数分で来た。
すでに死後硬直状態なので救急隊員からの連絡で警察まで来た。
「おととい会った時は元気だったのに……なんで……」
ぽろぽろと大家の目から涙が落ちる。
中学の時からずっと見てきた……孫みたいなものなんだ。
親から捨てられたも同然なのに、文句とか愚痴とか我儘とか全然言わないんだよ?
他人なのに、私の家の大掃除とか家具の移動とか進んで手伝ってくれるとかあるかい?
優しくていい子なんだよ。本当にいい子なんだ。
そんな風にハダカに剥いて写真なんか撮らないでおくれよ! 殺されたとかじゃないんだろう?
お願いだよ……やめておくれよ……
一通りの流れの後、律己の遺体は病院へと運ばれてゆく。
身内に連絡が取れるようであれば、と病院名を告げられ大家はひとり残された。
大家は自宅へと戻り過去の書類を探す。
母親の方はわからないが、父親の方は契約時に記されている電話がいくつかある。
自宅、会社、携帯。
自宅と会社はもう使われていなかった。
番号を変えていなかったらしい携帯だけは生きていた。
留守電だったので、こちらに電話してもらえるよう伝言を残した。
一時間後、大家の自宅の電話が鳴る。
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【 親side 】
着信はマナーモード中の振動として男に伝えられる。
留守録に入っていた声と名を確認し、男は少し首を傾げた。
もう随分と以前の知人という感覚だったから。
緊急というわけでもないだろうからと、男は仕事を終えてから電話を掛けることにする。
まだあのアパートに住んでいるのか、と正直意外に思った。
成人してとっくにあの場所からは出ていると想像してたから。
しかし、今頃大家からの電話の内容とは何なのだろうか?
もしかしてこのご時世で家賃踏み倒して夜逃げでもしたか?
そんな事を思いながら男は大家へと電話を掛ける。
隣の市からの移動のため、男が病院へと着くのは一時間以上もかかっていた。
受付で一条律己の身内だと説明すると別室へと案内される。
その途中、男は突然呼び掛けられ驚愕した。
目の前に居る清掃業の服を着ている女は、十七年も前に別れた自分の妻だったから。
短い会話で男が事情を女へと説明する。
女は掃除用具をその場に置いて同行を望んだ。
霊安室に安置された律己の遺体の傍らで男女は呆然とする。
就寝中亡くなったのだろうという事、解剖の結果突然死であるだろうという事を伝えられた。
男は最後に会った律己の四年前の姿を思い浮かべる。
縁を切ると伝えた時、物静かに「そう、うん、わかった」と微笑んでいたその顔を。
女は家から出る前の律己の姿を思い浮かべる。
一緒に来る? と聞いた自分に「ううん、いい。行かない」と左右に振られた頭、そして微笑み。
二十二歳にしてはかなり痩せぎすなその姿に、いい生活ではなかったのだろう事を感じ取る。
眠っているようにしか見えないその遺体に、男が呟く。
「何か言えよ……文句ひとつ言わねぇで、居なくなるなよ……」
八つ当たりで数えきれないくらい暴力をふるった。
それでもこの子は自分の傍から逃げようとはしなかった。
自分に迷惑かけないようになのか、それとも怖かったなのかは判らないが、一生懸命に頑張っていた姿を知っている。
自分には過分なほど出来た子だった。けれども、それが無性に腹立たしかった。
まるで、自分の駄目さを再認識させられているようで。
これ以上一緒にいたら、いつか殺してしまうかもしれない……そう思った。
だから別居する事にした。
恨んでくれていい。将来、殺しに来てくれてもいい。そう思っていた。
女はそっと律己の頭を撫でる。
自分の見知ってる姿は五歳児の律己のまま。
だから、この姿を決して忘れない様に見つめる。
「大きく……なったんだね……」
誰でもやっているからと言って育児を甘く見ていた。
他人の手助けなんてなくても、それくらい出来ると考えていた。
仕事仕事で自分を見てくれない、助けてくれない夫に腹が立った。
八つ当たりで何度もこの子を叩いた。残酷な言葉もさんざん言った。
あの頃は自分もまだ子供だったんだと、今なら判る。
もしあの時この子を連れて出て行ってたとしたら、きっと何年か後には殺してしまったかもしれない。
行かない、と。そう答えが返ってきた時、ほっとしたのを覚えているから。
捨てた自分は、憎まれても恨まれても当然だと、そう思っていた。
「律ちゃん……ごめん……ごめんね……」
話し合い、男女二人は動く。
二人とも会社に身内の不幸での休暇を申請し、病院に紹介してもらって二人だけで葬儀を終えた。
二人は遺骨を持ってあのアパートへと帰ってきた。
連絡を受けていた大家が部屋の鍵を開け、中へと誘う。
葬儀屋の手配で置かれた簡素な台の上に遺骨を安置する。
大家もそっと手を合わせた。
初めて見た息子の部屋の様子に男女は驚きを隠せなかった。
「なんで……こんなに物がないの?」
フライパンと鍋がひとつ。包丁も一本だけ。
コップが三つとお皿が五枚、茶碗やどんぶりが四つ。
電子レンジと小さな冷蔵庫が一つ。
けれど、冷蔵庫の中には殆どものが入ってない。
こたつがひとつ。布団が一組。衣装ケースが一つ。パソコンが一台。
あとは本が数冊と、書類関係なのか紙類がまとめられたケースが一つ。
目につくものといえばそれくらいだった。
自分たちもそうであったが、普通、一人暮らしの若者の部屋は色々と物が置かれ賑やかなものだ。
「律ちゃんは心配性だったから」
「え?」
大家が語る。
「自分に何かあった時、沢山ものがあったら片づけるのが大変だろうからって。そう言ってた。両親は多分まだ生きてるだろうけど、自分が死んだとしても来ないかもしれないから、って」
大家は立ち上がり奥に置いてある紙ばかりのケースを持ってくる。
「もしそうなったら部屋の物全部売っていいからって。今まで世話になってる足しにもならないけど受け取ってほしいって。もちろん断ったけどさ……」
ケースを開け、下の方から古く薄いノートのようなものを大家は取り出した。
「これだけは絶対に親に渡さないといけないって、ずっと思ってた。今回連絡取れなくても、興信所使ってでも探して、送りつけるつもりだった」
すっ、と差し出されたそれは……
「おえかき、ちょう……?」
ぽそりと男が呟く。
大家はぐいっと男にそれを受け取らせる。
「律ちゃんの宝物だよ……開いてみな」
大家の言葉に表紙をめくる。
「!」
「……ッ!」
男女とも、目を見開いたままになる。
震える手で次々に他のページも見ていく。
「律ちゃん、たまにそれを見て嬉しそうにしてた。これ一つしか残ってない宝物なんだ、って」
大家の言葉と最後のページが重なり、男女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
それはまだ、家族が共に暮らしていた頃の物。
幼い子供の落書き。
どれもが皆、笑顔、笑顔、笑顔。
つたない文字で書かれている「おとうさん」「おかあさん」「りつき」の文字。
過去の、幸せな頃の記録。
最後のページに大きく書かれていたのは「たいせつ」「だいすき」という文字。
男女は、その最後のページを開いたまま泣き続けた。
幼児の文字で書かれているその「たいせつ」と「だいすき」の上の方に、もうひとつ文字があった。
最近書かれたのか、きちんとした大人の字ではっきりとしているその文字は。
「今でも」と書かれていた。
その後。
色々な事があったが、結果の一つとして男女は再婚する。
実際、双方ともが新しく作った筈の家族とは短期間で係わりを終えていたのだ。
息子の墓を拵え、息子の居たあのアパートでもう一度やり直す。
それが二人の決めた未来だった。
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白い髪の神は望んだ以上の結果に満足する。
もし、あの二人の間に生まれた子がリツキでなかったとしたら。
父親を捨てた母親についてゆき、数か月で殺害されてしまったろう。
母親についてゆかなくても、父親が殺してしまっただろう。
リツキだったからこそ今生、あの二人は殺人を……罪を犯さずに済んだ。
もし、あのアパートにリツキが住まなかったら。
家具の移動を自分一人で行い、それに押しつぶされて大家は死んでいた筈だった。
今生、リツキと係った事で本来の運命が良い方向に転じた者は、実に二桁に上る。
白い髪の神様と天界の者達だけが、それを知っている。
「誰も、不幸になんてならなかったよ。リツキ、君のおかげでね」
見ていた地上の景色を消し、白い髪の神様は光の塊となって何処かへ消えていった。
周りの人たちのお話。
次話は多分、三日以内くらいでいけるかと。