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伸びゆく螺旋  作者:
12/13

 12 話   エルケ皇太子

この作品には〔残酷描写〕〔15歳未満の方の閲覧にふさわしくない表現〕が含まれています。

 15歳未満の方はすぐに移動してください。



 執筆日程や近況は活動報告にあります。




 父である国王陛下からの命を受け、私は今、離宮へと向かっている。








 リツキ殿を国賓に迎える事は父の独断で行われた事だが、それは勿論国王陛下という立場であり、その権限があるから可能だったことだ。

 国賓ともなると政務にも係わる事なので、通常であれば他の要職の者達と会議を開き決議するのが当然の流れなのだが、今回は国王陛下の独断という事もあり、四大精霊長全ての加護を受けている者という告知をしたとはいえ、その者自身の素性もまだ判らない状態という事で宰相大臣以下が煩い煩い。

 私も会議の度にどのような方なのかを問われるが、知らないものは答えようがない。

 しかも、リツキ殿の容体はまだ安定すらしていないのだ。

 そのような状態の者に無理を強いることなど出来ぬと、毎回断りを入れるしかない。



 宰相達の直言は私だけでなく陛下も毎度の事らしかったが、さすがに朝に夕にと押しかけられると職務にも支障が出ているらしい。









 民に過度の不安が出ぬように、先日あった[神獣の来訪]は[精霊の結集]とひとつに纏めて公報がなされていた。




 曰く。

 神獣の来訪と精霊の結集は。

 [その場に存在していた四大精霊長の存在に引き寄せられての事]なのだと。

 四大精霊長が、その場に在所した事の説明として。

 [皇太子が危機に遭い、その場に居た者が皇太子を救い、四大精霊長の加護を受けている者である]という事。

 [その者は、その存在と感謝から、国賓とされている]という事、。

 それらが国内に知らされていた。







 国王以下、現状を把握している者達の中でも話し合いはかなりの長時間行われた。

 その中の一つとして神獣とリツキ殿の関係や古代語に関するものがある。

 あの時、枷を掛けられた事からみても重い内情だと鑑みて、リツキ殿からその事を語るまで待つという判断に落ち着いてた。




 勿論。

 あの件に関し、民を態々不安に陥れる必要は無いだろうし、権力を持つ貴族たちに無用な情報を与えない為でもあるが。

 これに関しては枷を強いてくれたリツキ殿に感謝すらする。

 語りたくても語れないのだ。これ以上の抑止力はあるまい。

 私からすれば、見事な采配であると感心するしかない。


 



 公報時。

 [皇太子の恩人はその時に負った傷が重すぎ、城内で養生中の為、独断での接触を禁ずる]という事を、別に貴族階級に報じてはいた。

 だが実際、こちらが危惧している貴族の面々からは文面での見舞いや物品での見舞いが後を絶たない。


 国賓である為、面会申請だけでなく書状ですら国王の認可が必要となる。

 全て離宮に入る前に監査し止めているが、それも時間の問題だろう。

 それくらいの事は私でも判る。


 国内に公布したという事は、他国にも知れ渡るという事だ。

 さほど時をおかずに他国からも使者が来るであろう。

 四大精霊長の加護を受けるという稀有な者を、己が身に引き入れたいと考える輩は何処にでもいるものなのだから。









 此度、離宮へと向かっている私の心は、やや重い。



 昨夜からリツキ殿の経口での食事が始まった事、今朝の食事も支障なく終えられたという御殿医長の報告で、陛下が私に打診をしてきたのだ。



 見舞いに行って来い、と。

 まずは私の口から、きちんと礼をして来い、と。

 どれだけの事が聞けるかは不明だが、まずは親しくなれ、と。

 そう、命じられた。



 それは、リツキ殿の過去を。

 リツキ殿の生を少しでも把握して来いという、指令。



 自然にそういった話題に持っていけるかは甚だ不明だが、私自身が本心から礼を成したいと思っているのも事実。

 私は素直に命を拝した。


 






 先日の陛下との対話で、リツキ殿はただの一言もこちらを責めなかった。

 私の身代わりで死にかけたのだと、それを知ってもただ、納得の表情だけだった。

 有り得ないその表情に、驚愕した。





 騎士であれば、皇太子の身代わりとして死んだとしても本望であろうと、家族共々が言うだろう……例えそれが表向きの言葉で、本心では悲しんでいたとしても、だ。

 例えば自国民であったとしても、それでも大部分の者は騎士の家族と同じ反応だろう。

 だが、国というものに忠誠を誓うでもなく、自国民でもない者がそのような目に遭って、果たしてそう簡単に許してくれるものだろうか。

 私が逆の立場であれば。

 憤るのが、責めるのが普通だろうと、そう思う。



 確かに、見返りとして報奨や恩恵などを求める者も少なくはない。

 実際、過去にそういう例はいくらでもある。



 けれどもリツキ殿は、そういったものを一切求めなかった。

 私達の身分を知るや否や、口から出たのは私への謝罪。

 あの時、陛下が途中で言葉を止めなければ、言い終えた後すぐに転移して消えるつもりだったに違いない。

 陛下の判断でリツキ殿が出した条件を呑み、精霊王の御印ではなく、四大精霊長の加護者だと告げられた時の、リツキ殿の安堵した顔が忘れられない。

 少なくとも今の所、リツキ殿を利用するという意図がこちらにないという事を、信じてもらえていれば良いのだが。









 離宮へと入り、リツキ殿の寝室へと足を進めていると、目の前で何か騒いでいる者がいる。

 長身なその者を見て、騎士ギルディオだという事が分かった。 

 傍らには騎士レオーノも居る。

 何より水の精霊長の姿が見える。

 その場にリツキ殿が居る事は間違いなさそうだった。

 そう思い、声をかけた。


 

「何の騒ぎだ?」


「殿下!」



 驚いた表情のギルディオの言葉に継ぐ様に、レオーノに抱えられているリツキ殿が口を開く。 



「ああ、丁度良かった。皇太子から命じてあげてくれませんか?」


「何を、ですか?」


「緊急事態なんです。ギルディオに、今すぐ、家に帰れ、と」



 緊急事態? 家?

 この現場にそういった雰囲気はない。

 であれば、ギルディオの家か生家かだが。

 何にせよリツキ殿の意思は尊重するようにと、陛下からも申し付かっている。

 迷う事はない。



「…………許可しよう。ギルディオ・サン・ローエヌ、これより帰宅を命じる」


「な……はい」



 私の言葉に、瞬時の戸惑いを見せたとはいえ、すぐにギルディオは頷いた。

 それを見てリツキ殿が待っていたかのように口を開いた。



「絶対に、欠けさせないで、スイ」


「お任せくださいませ、あるじ様」



 言葉短く、水の精霊長はギルディオと共にその場から消え失せた。

 リツキ殿は安堵からなのか、大きな呼吸をしている。

 顔色があまり良くないのは私でも判った。



「少しお疲れの御様子に見えますが、大丈夫ですか?」


「そう、ですね。今日はここまでにしよう」



 リツキ殿は同意を求めるようにレオーノへ視線を向ける。

 レオーノは頷き、しっかりと言葉を放った。



「寝室へ戻ります」



 












 寝室へと戻り、リツキ殿は背もたれを付けた状態の寝台へと移された。

 深呼吸をし、身体の力が抜けたのか、少しだけ表情が良くなった。



 私は寝台の傍で椅子に座り、リツキ殿が落ち着くのを静かに待つ。

 目を閉じゆっくり深く息を吐いた後、リツキ殿は私の方をしっかりと見据えた。

 


「突然の申し出に、許可を戴き、有り難うございます」



 先程の事か。

 まだ身体が落ち着いてもいないだろうに、先にこういう言葉が出せるとは……本当に凄い。

 見習わねばと思いながらも、自分の立場での言葉を返すしかなかった。

 

 

「緊急事態だというリツキ殿の言葉を受けただけです。何があったのかお話し戴かないと、命を下した私も困る事なのですが」



 私の言葉に、僅かな間をおいてリツキ殿は苦笑に近い笑みを浮かべた。

 


「……言葉を交わすのは初めて、ですね。リツキ、と言います」


「エルケ・フィリリァド・セル・ラクスだ」



 自己紹介からの始まりに、私は皇太子ではなく個人として話し始める。



「まずは、私の命を救ってくれた事に感謝する」


「成り行きだと、お父上にも言いましたが?」


「それでも、だ」



 もう既に説明したことだろう?

 そう言われた気がした。

 けれどそれでは、私の想いは晴れない。 



「リツキ殿が居なければ、命を失うか重篤な状態だったかのどちらかだ。救われた命を大切に使う事に躊躇はないが、見も知らぬ相手に対して行われたその行動に敬服申し上げる」


「助けられると、そう思ったからです。善美にとられても、困ります」



 至極あっさりと。普通の事だと返答された。

 だが、そういうものではないだろう? 

 何より、たった一つの命がかかったものであれば尚更に。



「……普通では、滅多に巡り合えぬものだからな」



 リツキ殿の様な無償の献身を受けるのは、本当に稀なのだと、身をもって知っている。

 私の居る立場では、他者との関わりで命に危険が及ぶ事はかなり多い。

 自分自身が狙われるだけでなく、自分に近しい者にも魔の手は及ぶ。

 ある程度の力量があり自身を守る術の在る者でなければ、王侯貴族に近付こうという者は居ない。

 欲得に塗れた商人や己の力を誇示したい者であればともかく、一般国民の殆どは王侯貴族に係わる事の益よりも、係わる事での害を畏れる。



 あの時。

 私は貴族階級以上としか見えないだろう装束を身に着けていた。

 通りすがりの者が居たとして、同じ貴族階級や騎士、または権力に寄り縋ろうとするものならば助けも期待できたろう。

 だが樹海の自由民であれば、幾ら魔物に貴族が襲われているからといって、助ける義理はないのだ。

 けれどもリツキ殿はこの装束を認識した上で助けに入ってきた。

 だからこそ当初、刺客の仲間ではないかと怪しんだのだから。

 


 

 安全だと豪語しながら罠を仕掛け、安心させて油断を呼び、相手を陥れる。

 信頼と尊敬の裏、裏切りと侮蔑に塗れた生活。

 事実、王侯貴族とはそういうものなのだとあきらめている者も多いのが現状だ。

 



 無償の献身を受け、私はとても嬉しく思っているが、リツキ殿はそれを普通だと言う。

 けれども今、滅多にない事なのだと告げた事で、他の庶民と同じ様に身分格差を感じているだろう筈。

 なのに、リツキ殿は私が考えていた言葉とは違う返答を寄越してくる。



「王族も色々と、厳しい世界なんですね」



 まるで、隣人を相手にしているかのような苦笑。

 リツキ殿は、私を王族の一人ではなく、ただの[人間(ヒト)]として見てくれている様だった。

 自然に笑みが浮かぶ。



 区別、差別、階級差。

 それが当たり前のこの世の中で、すべてを平らにして考えるという思考。

 有り得ない思考は排他され駆逐されるのが当たり前。

 その様な世界で、はっきりとモノを言うそのような人物には、おいそれと出会えるものではない。

 


 さすがに、精霊王の御印を抱く者だと言うべきか。

 けれど、(わたし)とは異なる想いを皇太子(わたし)は持ち合わせなくてはならない。

 真意を追い続けながらも、裏を読み取るという事は、すでにこの身に染み付いている。

 

     

「厳しい、か。そういう言い方もあるんだな」


「どの業界でもそうでしょう? 王族がそれに漏れ出るとは思いませんから」



 王族も数多ある業種のひとつと捉えるか。

 思わず本心での笑みが零れ落ちそうになった。


 これまで、自分の周囲に居た、どの人間とも違う考えと行動。

 私が皇太子だと、それを知った後でも変わらぬその言動。

 この人間をもっと知りたい。

 その気持ちがとても強い。

 けれど、立場がそれを邪魔する。



「……本当に面白いな、リツキ殿は。……で。先程の騒動はどういうものなのか?」


 

 リツキ殿の顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。



「後で、ギルディオから報告があると思いますよ」


「?」


「俺の口から伝えるより、当事者の方がいいでしょう?…………朗報なら、尚更、ね」


「……朗報なのか。なら、いい」



 緊急事態だと言った割に落ち着いているのは、水の精霊長様を共に遣わしたからなのだろうが、それにしても嬉しそうに浮かぶ笑みに、ため息交じりの息を吐きながら言うと、リツキ殿が首を傾げながら聞いてきた。



「皇太子は、どうしてこちらへ?」


「リツキ殿の見舞いに来ただけだ。他意はない」



 普通に返答したつもりだったが、リツキ殿が先程以上に苦笑して口を開いた。



「皇太子は、兄弟とか居るの?」



 話を振るつもりはあった。

 けれど話を振られるとは予想してなかったので、少しだけ戸惑った。

 何より、この国の国民であれば、王族の家族構成など子供でも知っている筈なのだから。



「……ええ。居ります」


 

 応じた私の表情を読み取ったのか、リツキ殿が済まなそうに言う。



「聖魔の寝床育ちだから、そういうの、よく知らなくてね」



 成程。本当にそうだったのかと、得心がゆく。

 私は普通に家族構成を告げた。



「現国王陛下である父上と母上。あと姉弟妹(きょうだい)が居ます」


「きょうだいが居るんだ」



 リツキ殿の目が真ん丸になってきらきらとしている。



「ええ。姉が一人、弟が二人と妹が一人居ます」


「四人も居るの? それは賑やかだね」


「先日から皆、リツキ殿に会わせろと煩いですよ。昨夜も王妃……母上までもがお会いしたいと言われる始末で」


 

 いや、本当に。

 国賓を迎えるにあたって、一応彼らにも伝えたはいいのだが。

 母上は、まぁ判る。

 王妃なのだし、対外上の応対があるのだから仕方がないとも思える。

 が、姉弟妹(あれら)は、何か違う。

 好奇心と興味。それだけにしか思えない。

 まだ父上が駄目だと言っているから我慢しているようなものだ。

 そういう事を考えていたせいか、口角が上がっている事に後で気がついた。

 


「家族みんなが元気なのは、いい事だね」


 

 柔らかな笑みで、リツキ殿が言う。

 あまりにも自然だったので、つい、訊いた。



「リツキ殿の御家族はどちらに?」


「……いないよ」



 僅かな間の後、答えはきた。



「俺、一人っ子だったし。六歳の時、両親とも魔獣に食い殺されちゃったから」



 静かに、口元に笑みを浮かべ、あっさりとそれは告げられた。

 その所為か、私の頭脳がその言葉を理解するのに僅かに間がいった。



「な…………申し訳ない、悪い事を聞いた」


「いや、いいよ。近いうち誰かが、俺の素性を聞きただしに来るだろうって思ってたし」


 

 そう告げられれば、さすがに苦渋するしかない。

 リツキ殿はと言えば、至極軽い笑みを浮かべていた。



「でも。俺の過去なんて、俺の記憶以外、何も証明できるものはないんだよ? それでもいい?」


「ええ。お聞かせ願えるのであれば、聞きたいです」


「少し、長くなるけど……」


「構いません」



 リツキ殿は柔らかく笑う。



「俺の、今の仕事は薬師。樹海に住んでいるから、どの国にも属していない。小さい頃の記憶は樹海だったから、多分そこで生まれ、育ったんだと思うんだけど。実際、どこで生まれたとか、両親の名前すら、憶えてないんだよね。両親も薬師、だったらしいんだけど」


「らしい、とは? 何方からかお聞きになったという事ですか?」


「うん。六歳になった頃かな? そろそろ、薬師の修行をしておいで、って。そう言われて、両親の知り合いに、預けられる事になっててね。それで、その修行先? っていうか、待ち合わせの場所に、両親と一緒に向かっていた時、魔獣と、出くわしたんだ」



 リツキ殿の目が沈んで見える。

 それでも話を止めるわけにはいかない。

 …………これが今回、陛下から命じられた私の職務、だから。



「魔獣単体だったらまだ、良かったんだろうけど、群れだったしな。いきなり突き飛ばされて、顔を上げた時には、もう両親とも頭と胴体が離れていたよ……でも、怖いって感覚なくってさ。このままじっとしてたら、両親と一緒の場所に行けるのかなーって。そんな事考えてたんだ……おバカだよね」


 

 自嘲するような笑みを浮かべ、リツキ殿は話を続ける。



「でも、結局、俺は生き延びた。俺を迎えに、待ち合わせ場所へ、来ていた相手が、魔獣の気配感じて助けに来てくれたから。……魔獣倒して、追っ払ってくれて……両親だったもの、とか、浄化してくれて」



 淡々と語っている風に見えて、その実、表情が有り過ぎる。

 本当に、遠くを見ているのだ。

 経験がなければ、ああはならない。



 しかも遺体ではなく両親だったもの、か。

 先程も、両親が殺された後じっとしていたと言っていた。

 では、目の前で魔獣がそれらを食しているのをずっと、見ていたというのか? たった六歳の子供が……何という惨い……




 あの、瀕死のあの時に呟こうとしていた言葉は……もういない父母に向けてだったのか……

 呼びかけても、声が返って来る筈もない相手へ……



 ああそうか、判った……ようやく得心がいった。

 私を助けた理由……寝覚めが悪いとは、そういう事だったんだな。

 残される者の辛さを知っているから、見過ごせなかったのか。

 そう、なんだろうな。



 

 リツキ殿の言葉は、私の思考の間も、ゆっくりと続けられている。



「その、助けてくれた相手が師匠。後で聞いたけど、両親もその師匠の元で学んでたんだって。で、それからは樹海の師匠の家で薬師の修行三昧。厳しかったよー、もう寝るのが、一番の楽しみだ、ってくらいに。で、十三歳の時に、独り立ちしてヨシ! って師匠の家、追い出されちゃったんだけど。ひと月くらいして尋ねたら、家ごと、無くなってたし。師匠も、結局最後まで、名前とか、教えてくれなかったんだよね。世捨て人、だったのかなぁ? あの人」



 遠い目をして語り終え、リツキ殿の片手がその顔を覆う。

 

 

「済み、ません……少し、休みます……」



 過去を語ってもらう事で、辛い記憶をも思い出させてしまったのかもしれない。

 私は静かに告げるしかなかった。



「……構いません……ゆっくり御休みになって下さい」



 私が言葉を告げ終わるとほぼ同時に、顔を覆っていた手がずるりと力を失う。

 すでにもう意識がない様子だった。

 こちらを気遣うリツキ殿に甘え、結局、無理をさせてしまったのだろうという結果に反省と後悔しかない。

 落ちた手を掴み掛布を付けようとして、とある事に気がついた。



 す……す…………ひゅ……ス…………………………ヒュゥ………………



 リツキ殿の呼吸が、おかしい。

 そしてこれは……この音は、聞いた事がある。

 末の弟が幼い頃、していた呼吸そのものだった。

 


「ナイル! リツキ殿を診てくれ!……サイナムは御殿医長を!」



 私の言葉にナイルが駆け寄り、リツキ殿を診察し始めるが、すぐに表情が険しくなった。

 背もたれを一度外し、その種類を変える。

 上半身が斜めになっている状態は先程と同じだが、頭が背もたれの上に乗せられる形にされていた。

 その状態で再度ナイルがリツキ様の顔近くに耳を寄せる。

 少しだけほっとしたような表情に変わり、他の部分を触診し始めた。 



「どうなされました!?」



 連絡を受けた御殿医長が助手を連れて寝室へと来た。

 私は手短に言う。



「私との会話を終えた後、すぐに意識がなくなった。それと呼吸がおかしくて……息がうまく出来てない様子に見えた。末の弟が気管を痛めた時とよく似ている」


「ナイル」



 私の説明を聞き終えると、御殿医長はすぐにナイルの名を呼んだ。

 ナイルも、触診を終えたのかすぐに返答する。



「殿下の見解そのままです。あと熱があります。痛みによる身体の反応はありますが意識は戻りません。呼吸にも喘鳴がありましたので気道の確保だけは行いましたが」


「うむ、判った。後は私が診る。ナイルは蒸気吸入の用意を」



 あらためて御殿医長がリツキ殿の診察を始めた。

 だが、次第にその顔が険しくなっていく。

 一通りの診察の後、御殿医長はサイナムに熱冷ましの呪を幾つか作るように指示し、薬剤で蒸しあげた布の温度を確認後、リツキ殿の口元近くにあてがった。

 暫くして布を外し、熱冷ましの呪の一つがリツキ殿の額へと置かれる。

 御殿医長が一息つきながら呟いた。



「このまま、安定して下されば良いのだが」



 その危惧は、僅か一時間後に的中してしまう。

 


 体熱がじわじわと上がり、呼吸する度に喘鳴音が漏れ出ている。

 どうやら喉が炎症で腫れ上がっているらしく、先程は無理な咳き込みで僅かに喀血もあった。

 苦しそうな呼吸の中さらに一時間が経過したが、意識の戻る気配はまだない。

 医師と助手を増やし賢明な手当の中、私は御殿医長へと告げる。



「私が、長話をさせたから……なのだろうか? 一時間近く会話していたが」


「……興奮による早口、大声などはありましたか?」


「いや……ない。リツキ殿は至極ゆっくりと喋っていた」


「では、長話も要因のひとつではありましょうが、直接の原因だとは考えにくい。この状態は声の出る部分の炎症によるものですから。何か余程、無理な発声でもしない限り有り得ません」


「そのような声など、私が居た間は聞いてもいないが……」



 扉の横で護衛の任に付いていた騎士レオーノが近くへと来た。



「勝手に持ち場を離れ申し訳ございません。御殿医長殿のお話が耳に入りまして……気になった事がございます」


「リツキ殿の声に関する事ですかな?」


「はい。私はよく存じ上げないのですが、精霊語とは、喉に負担となるものなのでしょうか?」


「!……精霊語!? まさか、リツキ様は精霊語をお使いになれるのか!?」


「リツキ様の出した声は、私には鳥の鳴き声のように聞こえましたが、その後に、精霊達が挨拶に来てて、とリツキ様が仰られておりましたから。……あの声が精霊語なのでしょうか?」


「間違いない、それが精霊語だ」



 片手で顔を覆い、唸る御殿医長に聞く。



「精霊語とは、そんなに喉に負担になるものなのか?」


「はい。普通、人の声は喉……気管にある細い帯で声の高さや深さを調整し、口元や舌などを使う事で最終的に声として出されます。ですが精霊語は、その帯だけでなくその奥の気管と肺を震わせることで成される言語です。……声を出す帯も薄い筋肉です。その部分も腕や足の筋肉と同じく、かなり薄く目減りしている状態で、肺を動かす力もまだ弱っているので、くれぐれも大声は出さないようリツキ様にも指示していたのですが……幾ら習得が難しいとはいえ、精霊長様方と接されている御方が、精霊語を話せない筈はない……日頃、普通に人の言葉で会話が成されていた事で失念していた……精霊語の使用を禁じておかねばならなかった……私の失態です」



 目を閉じ眉を顰めながらの御殿医長の説明の直後、叫び声が上がった。



「御殿医長様っ!」



 ナイルの叫び声に、私も御殿医長も寝台を振り返る。



「! ……っ、押さえろ! 暴れさせるな!」



 医師たちに抑え込まれているリツキ殿の目は見開かれ、身体がガクガクと揺れている。

 口元はパクパクと動いているが、それに伴う呼吸音が聞こえない。

 手が喉に伸び、引っ掻くような仕草を見せるその様相に、声が出なかった。



 御殿医長が曲がった細い器具をリツキ殿の口へ押し込むと、ようやく激しい咳と呼吸音がし、暴れていた身体も力が抜かれていく。

 支えていた器具を助手に任せ、御殿医長は胸の聴診を行う。

 他の助手達に仕事を告げ、ようやく御殿医長は唾液と喀血で汚れた手を拭いた。



「リツキ殿の容体は?」


「細い棒で無理矢理気道に隙間を作っていますので、暫くは呼吸の心配はないでしょう。ただこの方法も長時間使えるものではない……心臓も弱まっている。せめて熱だけでも引けば……」 



 御殿医長の硬い表情に、私も不安になる。

 と、その時。



「ただ今戻りました…………ッ!?」



 出かけていたのか、風の精霊長様が突然現出された。

 現場の様相を一瞬見た後、寝台へと急ぐ。

 一通りリツキ殿を触り、風の精霊長様が告げる。



「頭の位置を正し、器具を外せ。空気の通路はわたしが保持する」



 背もたれが頭まで足され、器具が外されると同時に、風の精霊長様の手がリツキ殿の喉へと軽く置かれた。

 苦しそうではあるが、呼吸に支障はない様だ。

 次いで室内を風が流れ、淀んでいた空気が全て室外へと出されていく。

 風の精霊長様は空いている方の手でリツキ殿の頬をそっと触る。



「ただ今戻りました……主様」



 もう一度小さく告げるが、リツキ殿に意識は戻らない。

 憂いた瞳のまま、風の精霊長様はこちらに視線を向けた。



「水の方はどうした?」


「水の精霊長様は、リツキ殿の命で騎士ギルディオと共に、その騎士の家へと行っている筈です」



 私の答えに、風の精霊長様の眉が少し上がる。



「主様の命、ですか。何があったか、会話の全容を知っている者は?」


「騎士レオーノ。どうだ?」


「は、はい!」



 レオーノの口から説明がされ、風の精霊長様は嘆息された。



「理解した。職務に戻るといい」


「……はい」



 レオーノが去ると、風の精霊長様は再びリツキ殿の頬を優しく撫でる。

 その、撫でていた手が突然止まる。



「ただ今、戻りました」



 部屋の隅からの声に振り返ると、そこには水の精霊長様とギルディオが居た。

 その場で目を見開いているギルディオとは別に、水の精霊長様はすぐさま寝台へと来る。

 リツキ殿に手を当て、容体を確認しているようだ。

 その表情にはゆとりがなく硬い。

 一度目を閉じ、何かを決めたかのように視線を風の精霊長様へと向ける。



「緋の薬を使います。風の方は、そのまま保持をお願いします」


「…………よいのか?」


「これ以上は、あるじ様の心臓が持ちません……咎めは、わたくしが受けます」


「判った」



 風の精霊長様との短い会話の後、水の精霊長様は宙に手を伸ばし、その何もない場所からひとつの薬瓶を取り出した。

 それは、リツキ殿が使用している茶色の薬瓶で、表面に知らない文字が書かれている赤い紙が貼られてあった。

 薬瓶を見た風の精霊長様は、喉に置いていた手を離す。

 水の精霊長様はその薬瓶の蓋を開け、リツキ殿の口を少しだけ開かせ、慎重に一滴、もう一滴と薬瓶の中身を口の中へ落とした。

 見えたのは、宝石の様に輝く真っ赤な液体。

 様子を見つつ、さらにもう一滴を落とし、瓶に蓋をして瓶ごと取り出した時の様に消し去った。

 


 液体が口腔に垂らされ、僅かにふた呼吸程過ぎた時。

 リツキ殿の口元と喉が動き……その後ゆっくりと、その瞳が開かれていった。

 


 水の精霊長様と風の精霊長様のどちらの顔にも笑みが浮かぶ。



 リツキ殿の視線が動き、その瞳が御二方の姿を認めたのか、その目が細まる。

 まずは風の精霊長様が言う。



「フウ、ただ今戻りました。主様、伝書も沢山の返信も、また後日にいたしましょうね」



 軽く頷くリツキ殿に、今度は水の精霊長様が言う。



「スイ、ただ今戻りました。あるじ様、主命は確かに果たしました……皆様、お元気です」



 微笑むリツキ殿の口から、掠れた声が漏れる。



「……ギ、ル……」



 邪魔にならぬ様、端に居たままだったギルディオが、リツキ殿のその声に駆け寄り、寝台のすぐ横に跪座した。



「よ、か……た……ね?」



 笑みを浮かべたままのリツキ殿から、再び声をかけられたギルディオは真っ直ぐにリツキ殿の顔を見る。



「リツキ様の御指示のおかげで、妻も子も誰一人欠ける事にはなりませんでした。心より……心より厚く御礼申し上げます」


「ん…………」



 小さい返事の後、風の精霊長様と水の精霊長様に視線を送られ、リツキ殿は再びその瞳を閉じた。

 背もたれの角度が緩くされ、上掛けが掛けられる。

 呼吸に喘鳴は残っているものの、先程までの苦しさはない様子だった。

 


「体熱は暫く続くでしょうが、喉の炎症は小一時間で治まるでしょう。心臓も薬が間に合いました。……片付けは静かにお願いいたしますね」



 水の精霊長様の言葉に、御殿医長以下皆が安堵した表情で頷いた。

 ギルディオは立ち上がり、眠っているリツキ殿に再度腰を折って礼を成した後、本来の持ち場へとは戻らず私の傍らまで来て跪座する。



 「何が、お前の身に起こったんだ?」



 私の問いに、ギルディオは答えた。

 身重の妻が屋敷内で急の陣痛に意識を失っていた事。

 屋敷を守る精霊がその事をギルディオに伝えに来ていて、事情を知ったリツキ殿がその意を汲み、水の精霊長様を自分と共に屋敷に戻したのだという事。

 産み月に足らぬ状態で、しかも双子という事で、悪くすれば母子共々命を落としていただろう事。

 水の精霊長様から母子共に祝福を賜ったのだという事。

 それらを報告し終え、ギルディオは呟く。



「水の精霊長様は、リツキ様のお加減が悪くなっているかもしれないという事を承知の上で、主命だからと私の方を優先するしかなかったのです。私の事など放っておいて下さっても良かったでしょうに。こんな……リツキ様御自身までこんなに苦しまれる破目になって……申し訳なく」


「…………一人も欠けることなく助けろ、か。成程、リツキ殿らしい」



 リツキ殿の昔の話を聞いた私は、リツキ殿の考えが少しは理解できるようになったらしい。

 不思議そうな顔をするギルディオに、簡単にリツキ殿の過去を告げた。

 この部屋付きの使用人は皆あの場で聞いていることだ、隠すこともない。

 かえってこの者だけが知らぬのは、それこそ不公平だろう。



 私から告げられたその内容に、ギルディオが絶句している。

 だから、私自身の見解も加えた。



「恐らく。リツキ殿にとって、家族というものはとても尊いものなのだろう」 

 


 そう。私の家族の話を聞いている時、本当に楽しそうにしていたのだから。



「そなたの憂いもわかるが。そなたの家族を護れたというリツキ殿の喜びを、まずは受け止めるが一番なのではないか? 現在の様な必要以上の委縮は、リツキ殿の心を害すると私は判断する。任を解かれたくなくば、何をすべきなのかよく考え、精進するがいい」


「…………は。」


「私は陛下へ御報告の後、自分の執務室へ戻る。リツキ殿に何かあれば即時、使いを寄越す様に」


「承知いたしました」



 一度寝台の近くへと行き、リツキ殿と、御二方の精霊長様に一礼をした後、私は寝室を後にした。

 



 報告内容は山ほどある。

 気を引き締めながら私は自分の執務室へと向かった。






 緋の薬はリツキ専用の強壮剤で、普通の人間には猛毒だったりします。

  

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