二話
先輩と会ったのは、些細なきっかけだった。
「これ、君の?」
満開の桜が辺りを占める春の日。
渡り廊下の途中で、優しげな声に梨紗は振り返った。
「落としたよ」
「あ、ありがとうございます。すみません」
振り返った先には声と同じく優しい目をした少年が教科書を持っており、それを軽くお辞儀をしながら受け取った。
「先輩!」
「ん? どうした?」
梨紗が受け取った教科書を見つめていると、軽やかな声が耳に届いた。
先輩と呼ばれた少年の後ろから、片手を挙げて近づいてくる少年が見える。
「明日のことなんですけど――あれ、その子誰ですか?」
近づいてきた少年が、梨紗に気付き小首をかしげた。
「今落とした教科書拾ったんだ」
「先輩落としたんですか? どんくさいですね」
「俺じゃなくて、この子」
「この子が……一年生?」
「は、はい」
ぎゅっと教科書を抱え、
「あ、ありがとうございました! 失礼しますっ」
軽く会釈をし、体を反転させる。
そのとき一瞬だけ見えた、先輩と呼ばれた少年の横顔。
優しく、ふわりと微笑んでいた。
駆け足で階段を上り、手すりを掴んでそのまま座り込んだ。
息が乱れ、呼吸が浅い。
渡り廊下からかなり走ったせいもあるが、本当の原因はたぶん違うのだろう。
徐々に紅潮し始めた頬に手をあて、息を吐き出す。
まだ脳裏にくっきりと残る顔。
「名前……」
ぽつりとつぶやき、腕の中で不自然な方向に曲がっている教科書を見つめた。
「あぁ、西嶋新っていう人だと思うよ?」
「知ってるの!?」
机を叩き、思わず身を乗り出す。
「前に委員会一緒になったことあったから……その人がどうかしたの?」
「え、う……ううん」
怪訝そうな顔をする友達に礼をいい、首を振る。
西嶋新、あの人の名前。
「西嶋……」
あれ、とふと違和感に言葉が詰まる。
西嶋という名前、他に聞いたことがあるような気がしたのだ。それもかなり身近で。
思考をめぐらせ、ひとしきり首をひねったところで、諦めた。
そしてその思考とは逆に、違うことが頭の中を過ぎる。
「ねぇ! 委員会って、なんの委員会!?」
「え、え? 保健委員だけど……」
突然身を乗り出した梨紗に驚きつつも言葉を紡ぐ。
「保健委員……」
「もしかして保健委員になるつもり?」
梨紗の考えていることがわかったのか、聞いてくる友達に頷いた。
今はもう各委員が決まってしまった頃。
けれど、二学期になれば後期委員を決める。
あの人が二学期も同じ委員会に入るとはわからないが、物は試しだ。
梨紗はちいさく頷く。
――そして二学期。白いチョークで保健委員と書かれた下に、自分の名前を書いた。