第三話 ギルドの受付嬢は、二度驚く
「え」
ギルド受付のエルナは、目の前の光景に固まった。
朝、心配そうに送り出したCランク冒険者のソウマが、夕方には銀色の髪の猫耳少女を連れて帰ってきたのだ。
「依頼完了の報告に来た。沈黙の回廊の調査結果だ」
ソウマはカウンターの上に、手書きの報告書を置いた。ぎっしりと文字が詰まった五枚綴りだ。
「ダンジョンの構造パターン、モンスターの分布と行動トリガー、最深部の状況、および今後の管理に関する提言をまとめてある」
「は……はい……」
エルナは報告書を受け取りながら、ちらちらとリンの方を見ていた。
リンはソウマの背中に半分隠れるようにして、金色の瞳でギルドの中をきょろきょろと見回している。猫耳がくるくると方向を変え、様々な音を拾っているようだった。
「あの……ソウマさん。この方は?」
「リン。ダンジョン内で保護した。事情があって、当面俺と行動を共にする」
「保護って……ダンジョンの中にいた方を?」
「詳細は報告書に書いてある」
エルナが報告書をめくる。目が左右に素早く動き、内容を読み取っていく。途中で手が止まった。
「ソウマさん。これ……『最深部にSSS級封印があり、封印対象を安全に解放した』って書いてありますけど……」
「ああ」
「SSS級封印を、Cランクソロで、解除したんですか?」
「構造を解析すれば、ランクは関係ない」
エルナの目が点になった。
報告書を最後まで読み終えると、エルナは深呼吸をした。それから、真剣な顔でソウマを見た。
「ソウマさん。この報告書の内容が事実であれば、ギルドマスターに直接報告する必要があります。SSS級封印の案件は、本来ならSランク以上の案件として扱われるものです」
「報酬は銀貨5枚でいい。それよりリンの冒険者登録をしたい」
「それはもちろん手続きしますが、報酬の件は——」
「問題ない。俺が求めているのは金じゃなく、実績だ。Cランクのソロ冒険者が高難度案件をクリアした実績を積めば、ランクアップの材料になる」
「……なるほど」
エルナは一瞬、感心したような顔をした。だがすぐに受付嬢の顔に戻り、手際よく処理を進めた。
リンの冒険者登録。ギルドカードに刻まれた職業欄には、こう表示された。
【神獣戦士】
「あの……ソウマさん」
「なんだ」
「この職業、ギルドのデータベースに存在しません……。【戦略魔導士】に続いて、二つ目の未登録職業です」
「珍しいことだが、職業は魂に刻まれるものだ。データベースにないからといって存在しないわけじゃない。そのまま登録してくれ」
「はい、承知しました」
エルナはリンにギルドカードを渡した。
「リンさん、ようこそ冒険者ギルドへ。初期ランクはEからのスタートになりますが、実績を積めばすぐにランクアップできますから」
「ありがとう! あなた、いい人だね」
リンがにっこり笑うと、エルナも思わず微笑んだ。
「ソウマ、この人の名前は?」
「エルナ・フォスター。ギルドの受付嬢だ」
「エルナ、よろしくね!」
「はい、こちらこそ。……あの、リンさん。その耳は……」
「ん? 猫耳だよ?」
ぴくぴく、と動かして見せる。
エルナの目がきらきらと輝いた。
「か、可愛い……」
「えへへ」
猫耳少女と受付嬢が意気投合するのを横目に、ソウマは掲示板に目を向けた。
依頼の張り替えは毎朝行われるが、緊急依頼は随時追加される。ソウマがダンジョンに潜っている間に、新しい依頼が一枚追加されていた。
『緊急依頼:西の森周辺に出没するワイバーンの群れの討伐。推定8~12体。ランク指定:A以上。報酬:金貨50枚。備考:昨日時点でBランクパーティー「蒼銀の槍」が交戦し、撤退。負傷者あり』
金貨50枚。高額だ。しかしAランク以上の指定。現在この支部にAランク以上の冒険者は二名しかおらず、どちらもすでに別任務中。
「エルナ」
「はい?」
「このワイバーンの依頼。Bランクパーティーが撤退した時の詳細報告はあるか?」
「ありますが……ソウマさん、これはAランク指定ですよ?」
「わかってる。だが、現在この支部にAランク以上が不在であること、そしてワイバーンの群れが街道付近に出没していることを考えると、商隊や一般市民に被害が及ぶのは時間の問題だ」
エルナの顔が曇った。
「それは……その通りです。実は今朝、街道沿いの村から避難の問い合わせが来ていて……」
「交戦データを見せてくれ」
エルナが報告書を持ってきた。ソウマは素早く目を通す。
ワイバーンは8体。西の森の稜線に巣を作っており、半径5キロ圏内を縄張りとしている。Bランクパーティー「蒼銀の槍」は正面から空中の群れに挑み、数の暴力で押し切られた。
『分析完了。ワイバーン群の飛行パターンから、リーダー個体を特定可能。リーダーを排除すれば群れは瓦解する。リーダーの特定には【全域俯瞰】と【構造解析】の併用が必要。また、風向き・地形・日照角度を考慮した最適交戦ポイントが存在する。現戦力(ソウマ+リン)での勝率:推定98.7%。ただしリンの現在の状態は未測定。要確認』
「リン」
「なに?」
「お前、今どのくらい動ける?」
リンは少し考えた。猫耳がくるんと丸まる。
「んー……全盛期の三割くらいかな。八百年寝てたから、体が鈍ってる。でもワイバーン程度なら、十体くらいは一息で倒せるよ」
三割で十体。全盛期なら何体倒せるのか、考えたくもない。
「明日、この依頼を受ける」
「えっ」
エルナが声を上げた。
「ランク指定がAです! Cランクには発注できません!」
「緊急時のランク逸脱規定、第七条。『対応可能なランクの冒険者が不在かつ、被害の拡大が予測される場合、ギルドマスターの承認のもと、下位ランクの冒険者への発注を認める』。違うか?」
「……そ、それは確かにそういう規定はありますが……」
「ギルドマスターに話を通してくれ。明朝、出発する」
エルナは口を開きかけ、閉じ、もう一度開いた。
「……わかりました。ギルドマスターに掛け合います。でもソウマさん、一つだけ」
「なんだ」
「絶対に、帰ってきてくださいね」
エルナの目は、朝と同じ真剣さだった。いや、それ以上かもしれない。
「ああ。最適な結果を出して帰る」
ソウマとリンはギルドを後にした。
夕暮れの王都を歩きながら、リンが口を開いた。
「ねえ、ソウマ」
「なんだ」
「さっきの受付の子、エルナ」
「ああ」
「あの子、あなたのこと好きだよ」
「……何の話だ」
「わたし猫だから、人間の感情の匂いがわかるの。あの子からは甘い匂いがした。好意の匂い」
「匂いで感情がわかるのか。便利だな」
「感想それ?」
リンが頬を膨らませた。猫耳がぺたんと寝ている。不満の表現らしい。
「ソウマって、人の感情に関してはポンコツなんだね」
「データで表現できない変数は、分析の対象外だ」
「……あのね。好意はデータじゃなくて、こう、胸のあたりがきゅってなるやつだよ」
「医学的には心拍数の上昇と神経伝達物質の――」
「もういい!」
リンが腕を引っ張った。
夕焼けの中、銀色の髪が橙色に染まっている。
「……とにかく、明日のワイバーンのことだけど」
「うん」
「作戦は俺が立てる。お前は俺の指示通りに動いてくれ。【最適化指令】を使う。脳内に直接指示を送る。……嫌か?」
リンは首を振った。
「嫌じゃない。むしろ嬉しい」
「嬉しい?」
「だって、それってソウマがわたしを信頼してるってことでしょ? 指示を送っても無視されるなら意味ない。でもわたしは無視しない。ソウマの判断を信じるから」
ソウマは少し黙った。
勇者パーティーでの三年間、一度も使えなかったスキル。一度も信頼してもらえなかった能力。
それを、出会ったばかりの少女が、あっさりと受け入れた。
「……ありがとう」
「ん? 今なんか言った?」
「いや。明日は早い。飯を食って寝るぞ」
「やった! ごはん! 何食べる? お肉! お肉がいい!」
尻尾がぶんぶん振れている。
八百年ぶりの食事に目を輝かせる最強種を連れて、ソウマは安宿への道を歩いた。
第四話 最適化された戦場
翌朝。西の森。
ソウマとリンは、森の東端の丘の上に立っていた。
早朝の風が草原を撫でる。太陽はまだ低い位置にあり、長い影が西に向かって伸びている。
ソウマは目を閉じ、【全域俯瞰】を最大範囲で展開した。
『半径500メートル内、ワイバーン反応:8体。うち7体は巣で休息中。1体が上空200メートルで旋回偵察中。偵察個体の飛行パターン:時計回り、周期約4分。現在位置から巣までの距離:380メートル。風向:北北西、風速3.2メートル毎秒。気温:14度。湿度:62%』
偵察個体が一体。これがリーダーかどうかを見極める。
【構造解析】を偵察中のワイバーンに集中させた。
『対象:ワイバーン(成体)。レベル推定:42。特記事項:右翼に古い傷痕あり。体格は群れの中で最大ではないが、魔力量は最大。他個体との魔力リンクを確認。これは群れ統率型リーダーの特徴。リーダー個体と断定』
リーダー確定。
次に、地形と環境データを統合して交戦計画を組む。
「リン」
「うん」
「作戦を説明する。よく聞いてくれ」
リンの猫耳がぴんと立つ。集中している時の仕草だ。
「ワイバーンは8体。うち1体がリーダーで、現在上空を偵察中だ。残り7体は巣にいる。リーダーを倒せば群れの統率が崩壊し、残りは散り散りになる。逆に、リーダーを倒さずに群れに突っ込むと、統率された連携攻撃を受ける。Bランクパーティーが負けたのはこのパターンだ」
「つまり、まずリーダーを狙うんだね」
「その通り。だが、リーダーは上空200メートルにいる。しかも飛行しながらだ。地上から攻撃を当てるのは難しい」
「わたしなら跳べるよ。200メートルくらい」
「跳べるのは知ってる。だが、200メートル跳躍した瞬間に巣の7体が起きて飛び立つ。空中でリーダーと7体を同時に相手にすることになる」
「……それはちょっとめんどくさいかも」
「だから、こうする。まず俺がリーダーの飛行パターンを計算して、最も巣から遠い位置に来るタイミングを特定する。そのタイミングでお前がリーダーを仕留める。リーダーが落ちた瞬間、残り7体はパニックを起こす。パニック状態の約8秒間が勝負だ。その間に可能な限り数を減らす」
「8秒で7体。余裕だよ」
リンが自信満々に言う。三割の力でも、この自信。
「よし。【最適化指令】を使う。接続していいか?」
「うん。繋いで、ソウマ」
ソウマは集中した。
意識の糸が伸びる。リンの精神に触れた瞬間、膨大な魔力の奔流を感じた。海のような、星空のような、途方もない広がり。これがリンの内側。三割でこれか。
接続完了。
ソウマの分析結果が、リアルタイムでリンの脳内に流れ込む。敵の位置、移動予測、最適な攻撃タイミング、回避すべき方向。全てが視覚的なガイドとしてリンの視界に重なる。
「わぁ……すごい。世界が全然違って見える。全部わかる。敵がどこにいて、次にどう動くか、全部」
「これが【最適化指令】だ。お前の力を100%引き出すための、俺のスキル」
「……ソウマ。前のパーティーの人たち、これを拒否したの?」
「ああ」
「ばかだね」
リンは端的に言った。
「こんなすごいスキル、使わない方がどうかしてる」
「……ありがとう。――来るぞ。リーダーが旋回の最遠点に到達するまで、あと47秒」
「了解」
リンの体が低くなった。猫のように四肢を地面に沈め、跳躍の構えを取る。銀色の髪が風になびき、尻尾がぴんと真っ直ぐに伸びる。
ソウマの脳内でカウントダウンが進む。
40秒。
30秒。
20秒。
巣から最も離れるポイント。風向きを計算に入れた最適迎撃角度。太陽の位置による視覚的死角。全てが一点に収束する。
10秒。
5秒。
「――今だ」
リンが跳んだ。
地面が爆発した――ように見えた。実際には、リンの跳躍の衝撃で直径三メートルのクレーターができただけだ。
銀色の閃光が空に昇る。
ワイバーンのリーダーが異変に気づいた。だが遅い。ソウマが計算した迎撃ポイントは、リーダーの反応速度と旋回半径を考慮して、回避不能な位置だ。
リンの右手が光を纏った。
純白の光。全属性を統合した、神獣族にしか扱えない至高の魔力。
それがリーダーのワイバーンを――縦に両断した。
翼を広げれば十メートルを超える巨体が、まるで紙を裂くように二つに割れた。
『リーダー撃破。残存7体のパニック開始。カウントダウン:8、7――』
ソウマの【最適化指令】がリンに次の標的を指示する。
リンは空中で体を捻り、落下するのではなく、空気を蹴った。
比喩ではない。文字通り、空気の塊を足場にして跳んだ。神獣族の身体能力は、大気を足場に変えることすら可能にする。
『次の標的。北北東、高度150メートル。3秒後に射程圏に入る。迎撃角度:真上から35度』
リンが動いた。
銀色の軌跡。
一閃。
二体目のワイバーンが消滅する。
『三体目。西南西、高度80メートル。1.5秒後――』
三体目。四体目。五体目。
パニック状態のワイバーンたちは、散り散りに逃げようとしているが、ソウマの予測ルートからは一ミリも外れない。リンはソウマの指示通りに、最短距離で、最小の消費で、一体ずつ確実に仕留めていく。
6秒で五体。
残り二体は――巣に逃げ込もうとしていた。
『残存2体。巣への帰還ルートを予測。合流ポイントを特定。同時撃破が可能。左手で西の個体、右手で東の個体。タイミングは――0.3秒後』
リンが両手を広げた。
二条の白い光が放たれる。
二体のワイバーンが同時に消し飛んだ。
着地。
リンが地面に降り立つ。ふわりと銀色の髪が舞い、猫耳がぴくぴくと動いた。
沈黙。
森に、朝の静けさが戻った。
「――全8体、撃破完了」
ソウマが静かに宣言した。
戦闘時間。リンが跳躍してからの経過時間。
7.2秒。
「ふぅ」
リンが伸びをした。
「気持ちよかったー。ソウマの指示、すっごくわかりやすい。考えなくていいの。体が勝手に最適な動きをしてくれる感じ」
「それが【最適化指令】の効果だ。お前の身体能力と反射速度のデータを取得して、お前が最も効率的に動ける軌道を算出している」
「ね、ソウマ」
「なんだ」
「わたしたち、最強じゃない?」
リンが無邪気に笑った。
ソウマは否定しなかった。データがそう示していたからだ。
リンの圧倒的な戦闘力。ソウマの圧倒的な分析力。この二つが噛み合ったとき、理論上、倒せない敵は存在しない。
問題は、リンがまだ三割の力しか出せていないことと、ソウマの【最適化指令】の同時接続可能人数が現時点では一人だけであること。
だが、それは時間が解決する。レベルを上げ、スキルを磨けば、もっと多くの仲間に指令を送れるようになる。
「帰るか」
「うん! ねえ、帰りにお肉食べていい?」
「金貨50枚の報酬が入る。好きなだけ食え」
「やったー!」
リンが飛びついてきた。柔らかい感触が腕に――もう慣れた。慣れてはいけない気もするが。
二人は朝日の中を、王都へ向かって歩き始めた。




